おっさん、焦燥を駆る
「――ま、魔族だ! 魔族が出た!!」
「うあああああああああああああああああああ!!」
「きゃああああああああああああああああああ!!」
阿鼻叫喚にも似た悲鳴と絶叫が観客席から上がり闘技場はまるで蜂の巣を突いたかのように騒然となる。
無理もあるまい。
絶対安全圏と思われていた王都における魔族の現界。
今までの常識を超える事態に対し、理解と理性が及ばないのだ。
しかも顕在化した姿が姿である。
伝説級の怪魔を依り代としたその威容。
数々の異形を討伐してきた俺ですら畏れを抱きそうになる。
魔(真)族は生物の枠を超えた精神生命体だ。
公爵級【ケルビィム】
侯爵級【オファニム】
伯爵級【ヴァーチャ】
子爵級【プリンシパリティ】
男爵級【エクスシア】
そして……観測された事は無いが確実にいると推定される、
王侯級【セラフィム】
以上、厳粛なる階位によって類別されているのが特色である。
階位を一段階隔てる事に強さが倍増していくらしい。
累乗じゃないのがせめてもの救いだ、とは師匠の説だが。
そのままでも災厄クラスを圧倒的に凌駕する、強大無比なる天災のような存在。
だが――奴等の真の恐ろしさは依り代と呼ばれる自らが乗り移る憑依対象を得て現界した際にこそ十二分に発揮されるのだ。
ベースとなる素体にもよるが自身の力を数倍、もしくは十数倍にも高める。
同じ爵位でも強さが変動するのはこういった理由からだ。
貧弱な素体を得た伯爵【ヴァーチャ】級より低位とはいえ強大な存在に憑依した男爵級【エクスシア】の方が脅威な事もある。
その点でいえば、この子爵級【プリンシパリティ】死せる水のシェラフィータと名乗った魔族は最悪といえる。
このレムリソン大陸でも最上位に近い、魔晶湖の怪魔を依り代にしやがった!
辺境の奥深くに潜む伝説の妖魔……そいつは数百年、名誉と報酬を求めて踏み入った者達を悉く飲み込んできた存在だからだ。
おまけに唯一付け入る隙があった魔力の脆弱さも、魔族と一体化したことにより補完……完成されてしまっている。
しかし――それではおかしい。
魔族らは神々の封印を受け数千年を氷壁内で眠ってきたはず。
封印の残滓もあり未だ本調子でないからこそ何とか戦いになっているとはいえ、ここ数百年の妖魔の群生など知るまい。
素体と成り得る妖魔の居場所など分かる筈がないのだ。
ならば……何故? どうやって怪魔を取り込んだ?
もう少しで答えに辿り着こうとした矢先――
閃きに至るより先に先生が不敵に嗤いながらシェラフィータに語り掛ける。
「さあ、オレはおめえらの口車に乗ってやったぜ。
約束を果たしてもらおうか。
まさか栄えある魔族様が契約を違えるなんてケチな真似はするまいな?」
「下賤。
口の利き方に気をつけろ、人間よ」
「はっ! こちとら卑しい身の出でね。
生憎だが上等な言葉遣いは覚えちゃいるが遣う気がしねえ」
「低俗。
所詮は猿の末裔……下劣極まりない。
だが、よい。
我ら高貴なる真族に契約不履行はない。
よって約束を果たそう――」
能面のような顔の眉間に不快そうに皴が寄ったものの、不動のごとき巨体が蠢くや鉤爪が組み合わさる。まるで印を組むように。
やがて膨大な素因式が空間に刻まれていく。
その先から零れ落ち溢れるのは毒……
――ではなく、空恐ろしいほど透明で純度の高い異様な魔力を湛えた神秘の水。
「変若水」
シェラフィータの微かな呟きが聞こえたのはきっと俺だけだっただろう。
全身で水を浴びるイゾウ先生――その姿が若返っていく!
60代~50代~40代~30代……今の俺と変わらない年代に!
「くくくっ……漲る、漲るぞ!
UREEYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!」
昏い愉悦を浮かべ狂喜しながら叫ぶイゾウ先生。
いや、もはや俺と年齢差はあるまい。
30前後の筋骨隆々とした精悍な偉丈夫がそこにはいた。
これが先生の望んでいた事か。
寿命で残り少ない命を――魔族と交渉し、延命を図る。
ただ生き永らえるだけではない。
肉体的最盛期に自身を引き戻したのだ。
中身(精神)はそのままで。
年老いた者なら誰しもが願う事だろう。
磨きに磨いた技術を若い時の肉体で体現出来たら、と。
その為に先生は〇〇に魂を売ったのだ。
「今ならやれる……
老骨の身では叶わなかったあの技もこの技も全てな!」
「重畳。
さあ、我がしもべよ。
矮小なるお前の願いは叶えた……今度は貴様の番だ。
我ら魔族の先兵として動いてもらおう。
手始めにそこの混じりモノを始末するがいい――目障りだ」
「承知した」
ニヤニヤと厭らしい嗤いを浮かべた先生が俺に向かって刀を構える。
俺も油断せずに最速で動けるよう構え直す。
「先生……」
「おい、ガリウス!
オメエ、分かってるよな?
こうなっちまったがよ……オレは全然後悔はしてねえ」
「……いいんですか、それで?
輝かしい先生の功績は消え後世に残るのは悪名になるかもしれませんよ?」
「ああ、そんな張り子のトラはもういらねえ。
十全なこの身体で思うがまま業を振るえる……剣士として本望よ」
「ならば何も言いません……タイミングは先生に任せます」
「物分かりが良くて助かる。
オメエは本当にオレに似通ってるよ……行くぞ!」
「おう!」
裂帛の気合。
手加減無用――全力を交えた一撃が互いに交差する。
そして鮮やかに腕が飛んだ。
放物線を描きながら……キラキラと。
「不明。
何故に我に楯突く? ……意味と意図を分かりかねる」
斬り落とされた自身の腕を、不可解そうに見つめながらシェラフィータは首を傾げる。俺と……イゾウ先生に無機質に語り掛けながら。
くそっ――即興とはいえ剣聖クラスとの連撃ですら腕一本が限界か。
可能ならもっと深手を負わせたかった。
魔族の不意を討てる機会なんてそうそうないのに……
若干焦燥に駆られる俺とは対比的に、先生は楽しそうに肩先を揺らしながら水のシェラフィータに答える。
「楯突く?
何を言ってるんだ、おめえ……
最初から軍門に下ってねえだろうが、オレはよ」
「――困難。
我らが交わした密約は遂行中のはず」
「最初に報酬を渡すおめえが間抜けなんだ、馬鹿魔族。
オレはハナからおめえらを利用し倒すつもりだったのよ。
おめえらが持ち掛けてきたのは結界に穴を開け、王都内に招き入れる事。
報酬は全盛期の身体と以降の隷属。
しかしギアスも何もねえ、口約束ときたもんだ。
これでまともに約束を守る方が間抜けってもんよ」
絶句し押し黙るシェラフィータ。
そう――イゾウ先生は終始一貫して魔族を利用するつもりだったのだ。
俺が初日に先生を【神龍眼】で視たのもこのシーンだ。
先生は【魔族】に魂を売ったのではない……
当の昔に【武術】に魂を売っていたのだ。
武術至上主義。
狂人とでも呼ぶべき先生の執念を……人の情熱を甘くみたな、魔族。
「とはいえ、やってること自体は借金の踏み倒しと一緒なんですが」
「しいいいい!
そこは頼むから黙っとけ。
何だかいいシーンが台無しになるからよ」
「はあ……確かに」
「まあこの身体でガリウスと思う存分やりあいてえという欲望もあるが……
今はこいつだな、協力しろ。
魔族相手に刃を向ける機会を逃したくねえ」
「もうやってますよ」
苦笑しながらも先生の隣で樫名刀を構えたその瞬間――
「ほらね、だから言ったでしょう?
貴女は人間の欲深さを甘く見過ぎなのですよ――
麗しきシェラフィータ殿」
闘技場高所より魔族を――何もかも嘲笑うような声が響き渡った。




