おっさん、反論する
「人の強さを見せてみろ、か……」
魔将ラキソベロンが投じた嘲りの言葉を俺は復唱する。
確かに人は弱い。
魔獣のような力も無ければ魔神共のような魔力もない。
生まれ落ちた赤子の状態では一人で生きていけない生命体だ。
個として独立し自然界に立ち向かえる存在ではない。
だが……だからこそ奴等は知らないのだ。
人の、培ってきた本当の【力】とは何なのかを。
睨みあっている間にも龍神の結界内に侵入した下級魔神共は都中に散っていく。
行く先々で悲劇と破滅を齎す為に。
迎撃に動こうとする俺達だったが、各自の前にはローブを纏ったラキソベロンの仲間達が立ち塞がる。
なるほど……こいつらを倒さないと前には進めない御約束展開か。
その時――白亜の都のあちらこちらから花火のような閃光と轟音が上がる。
横目でそれを見届けたラキソベロンが面白がるように呟く。
「この都にいた冒険者崩れ共の儚い抵抗ってやつかな?
随分と無駄な足掻きをしているね……結果は分かり切っているのに。
例えどれだけ腕利きがいても住人全ては守れない。
下級とはいえ、あれだけの魔神を前に為す術もなく傷つき死んでいくだろう。
そして流れ出た死の想念は魔神共を強化していく。
やがては龍神を胎内から喰い破るまでに。
世界を支えし龍とはいえ自身の力である結界を過信し過ぎたね。
この流れはもう止まらない……龍神の死は絶対だ。
西方地域の要たる龍神が死ねば世界のバランスは崩れる。
そうすれば我が主たる魔神皇様が降臨されるのも夢じゃない。
残念ながら君達は既に負けたのさ」
絶望する俺達の顔を見たかったのだろうか。
あるいはわざわざ自分たちの目的を告げる事で心を折りたかったのだろう。
意地の悪い嗤いを浮かべたラキソベロンが俺達の表情を覗き込むように窺う。
そして――驚愕する。
何故なら俺達は全員笑っていたからだ。
勝ち誇るように――絶望を吹き飛ばす快活な笑みを。
「ば、馬鹿な……
狂ったかのか、君達?」
「狂った? 俺達が?
はっ――そんな訳あるか。
これは間抜けなお前達に対する侮蔑と――
何より未来を勝ち得た事による、確信の笑みだ」
笑顔は元来攻撃的なものであるという俗説がある。
獣が牙をむく行為が原点であるが故、相手を威嚇する表情であると。
しかし笑顔に込められる意味合いはそれだけではないと思う。
人類発祥から長い時間を得て――人は他の誰かを信じる事を覚えた。
独立した個と個が信頼と信用で結ばれ、より強大で団結した形となる。
それは互いに円環を為す絆という名の輪。
だからこそ笑うという行為は他者に対する感謝と厚意に繋がるのだ。
「み、未来を勝ち得ただと?」
「そうだ。
俺達が何故大人しくお前の御高説を静聴していたと思う?
時間稼ぎは俺達も一緒だったのさ――住人が無事に避難する時間が」
「まさか!?」
「残念だったな、ラキソベロン。
お前の企みは事前に露見していた。
龍神の結界を打ち破る妨害は間に合わなかったが……この都にいる住人達は既に安全な神殿内に避難済みだ。
さっきの閃光花火は無事に全住人が避難終了したという合図だよ」
「ば、馬鹿な……そんなはずが」
「何ならば耳を澄ましてみろよ。
お前が望むか弱き人々の悲鳴や苦悶の声が聞こえるか?
まあ――聞こえるわけがないんだがな」
当惑するラキソベロンに挑発の意味を込めて答えてやる。
そう、俺が【神龍眼】に覚醒した時に読み取った情報の中にはこいつら魔神共の陰謀も含まれていた。
奴等の目的と手段――その結果まで。
本来であれば今頃この白亜の都は阿鼻叫喚の地獄絵図になっていた筈だ。
無論そんな未来を容認できる訳がない。
そこで俺はわざと台座で撤退せずに歩いて【龍の宮】を踏破してきた。
ちゃんとレティスが待機していてくれたのにもかかわらず。
何故なら彼女にやってほしい事があったのだ。
その内容はラキソベロンにも告げたこの白亜の都にいる全住民の退避。
俺のような根無し草の言葉に耳を傾ける者は少ないだろう。
だが龍神の姫巫女として神威を授かる彼女の言葉なら皆の耳に届く。
でも彼女一人で間に合わない事は【識って】いた。
ならば他の者に助力を仰ぐべきだ。
レティスからレファス――酒場の主人を通して懇意にしていた冒険者達へ。
虎人族の戦士フー。
ラミアの魔術師ビーナ。
バードマンの軽戦士ラウ。
リザードマンの賢者ハスク。
ハーフリングの盗賊ク・ミエン。
他にも数えきれない、多くの気のいい奴等。
俺がこの海底ダンジョンに来てから培ってきた彼らとの信頼関係。
それこそが力となった。
特別な眼を使わずとも俺には視える。
正式な依頼ではないというのに俺の頼み事を受けた彼らが苦笑を浮かべながらも真剣に応じてくれるのが。
巫女たちのいる神殿はこの白亜の都の中でも別格の結界だ。
そこに逃げ込めば下等な魔神共では手が出せなくなる。
幸い住人全員を収納できる広さもある。
今もきっと避難した住民らを守るために付き添い護衛してくれているだろう。
豪快そうに見えて万が一に備える繊細さを併せ持っているからな、皆。
あとで良い酒と料理を振舞ってやろう……絶対に。
「俺達人間は確かに弱いさ。
だが――弱いからこそ互いを信じ結びつき合う。
お前ら魔神とは違い団結する事で不可能を可能にする……
それこそが人の持つ無限の強さだ!」
俺の言葉にラキソベロンは不可解そうに顔を歪ませる。
異界の住人たる魔神には理解できない価値観なのだろう。
いくら人の感情と知識を手にしている鏡像魔神とはいえ魔神は魔神。
やはり理解し合うことは不可能だ。
自分の策が破られたことにショックを受けたのか押し黙るラキソベロン。
しかし名案が浮かんだとばかり昏い表情を輝かせ提案してくる。
「確かに僕は君達人間の力を見誤っていたようだね。
魔将としてそこは恥ずべきことだ……反省するとしよう」
「ほお……随分と殊勝な態度だな」
「うん、そりゃそうさ。
だって――これから君達を皆殺しにするからね。
想定とは違ってしまったけど――魔神としてはそれこそが本領。
鮮血と苦悶。血風と絶叫。
故に貴様ら劣等種を縊り殺して……
絶望の怨嗟を上げさせてやる!」
言葉と共に肉体が異形化し、魔神としての本性を曝け出すラキソベロン。
付き従うローブ姿共もついに魔神としての姿を露にする。
そう、ここまでは視えていたし仲間達にも予め伝達していた。
だが――ここから先は俺も知らぬ未知の領域。
誰が死に誰が生き残るか分からない。
等しく死が訪れる死闘の開幕が、今切って落とされるのだった――




