おっさん、目覚める
「コレデ終ワリダ」
意識のないミズキを抱え絶望故か立ち尽くすガリウスへ向かいそれは言い放つ。
ショゴスと呼称される個体に明確な自意識が宿ったのはつい先程の事である。
ガリウスと呼ばれる人族の腕を取り込み……霊的設計図を解析、思考するという事を覚えてから――それは自己という存在を明白に認識し始めたのだ。
最初に感じた感情は形容し難いが……有り体にいえば怒りだろうか。
自らの境遇に対する不満、他者への渇望と憎悪。
言い難い衝動が一体となった複雑な想い。
それまでそれはただ漠然とした破壊衝動を抱え込むだけの存在だった。
周囲の生物を取り込み成長し――無限に喰らいつくす。
原始的な欲求に従い蠢く群体、それがショゴスだった。
ガリウスという他の存在を知ったからこそショゴスは思い知らされた。
自分がいかに劣悪な環境に置かれていたのかを。
危険性を考えれば仕方のない処置だったのかもしれない。
理屈の上では理解できるが――感情は別だ。
ガリウスから読み取った記憶は幸福に満ちていて……
可能ならば自らもそうなりたかった。
しかし自分のような化け物が受け入れられる事がない事も十分把握している。
ならばいっそ全てを壊してしまえばいい。
そう出来るだけの力を自分は持ち――
それを可能にする方法を、かの者は常に考え抜き……備えていたのだから。
どうすれば奴等を追いつめられるか。
どうすれば奴等をより苦しめられるか。
ガリウスという者が恐れる事――それを実行に移すだけでいい。
結果は上々。
今、自分の前でガリウスは絶望的状況に陥っている。
あと数瞬の内に奴等は全身を貫かれ絶命する。
予定外のミズキという女戦士の乱入、何より奴の仲間の支援が懸念事項であったが……奴の分身である複製体が存分に動きを封じてくれていた。もう憂いはない。
さあ、チェックメイトだ。
充分に錬られ、具現化した数多の魔力。
数百を超えるそれがショゴスからついに放たれる。
全方位から隈なく注ぎ込まれるその構成は最早五月雨に等しい。
――終わりだ。
如何なる力を持っていようともこの状況を打破する術はない。
渾身の力を込めて放った一撃に満足しながらショゴスは嗤う。
初めて感じる昏い愉悦に酔いしれながら。
恵まれた境遇にあぐらを掻き、日々の感謝を忘れた愚者。
何やら最後まで反抗的な眼をしていたが……
ここから逆転する事はどう足掻こうが不可能。
次はあの者が何より大切にしていた者達。
勇者と呼ばれる小娘達の番か――
少しは泣き叫んで反応してくれれば面白いのだが。
大切なものを喪った時、人はどのような顔をするのだろう?
愛と呼ばれる幻想を喪った世界は、どんな風に視えるのだろうか?
命を奪わず辱める残忍な手法を幾つも思い浮かべつつ、放った術の結末を見届けることなく複製体の下へと向かうショゴス。
厭らしく躰を蠕動させ、しかし勝者としての貫禄を持った威風堂々たる歩み。
その歩みが――止まる。
絶望に涙すると思われた勇者。
喜怒哀楽にどこか欠けた賢者。
可憐なる苛烈さを秘めた聖女。
ガリウスの窮地に焦りで歪んでいた顔が喜色を浮かべているのを見つけた故に。
瞳に宿るのは輝き。
奇跡を見た者が浮かべる希望の双眸。
抑えきれぬ戦慄をこめて背後を窺う。
ショゴスはそこで信じられないものを見た。
「馬鹿ナ……」
数多の属性魔力光により全身を貫かれ惨めな死体を晒すはずの存在。
奴は――生きていた。
それどころか、傷一つすらない姿で。
あろうことか奴を庇い瀕死の重傷を負ったはずの女戦士。
その娘すらも――無傷。
自身の身体を信じられないと見回している。
あの一瞬にして、全ての傷が癒えていた。
「ア、有リ得ヌ……」
魔力光は確実に放たれた。
何の抵抗もなく奴等に直撃したのを実感した。
この構成魔力はガリウスという個体が蓄積した経験から抽出した必殺の術。
何人たりとも防いだものはいなかった筈なのだ。
そう、奴がかつての想い人を喪ったという――魔神皇という存在を除いて。
瞬間、気付く。
奴の双眸――
紫水晶の瞳が、今は虹色の煌めきを燈しているのを。
何よりも爬虫類のような瞳孔の奥に宿る鋭さに射竦められる。
それは摂理を超え因果すら改変せんとする圧倒的強者――
即ち、龍に連なる王者の証。
「マサカ、貴様ハ――」
無意識に呟いた言葉に、どこか虚ろげだった奴の瞳が自分を認識する。
刹那、背筋を貫く言い知れぬ衝動。
それは存在自体が上げる生存への悲鳴と警告。
だが――ショゴスは認められない。
下等なる人族に……自分よりも恵まれた者に恐れを抱くだと?
――それは決して許されざる行為。
ならば奴を否定しなくてはならない。
そうしなければ――アイデンティティが崩壊してしまう。
稚拙な原理と自己肯定。
自意識が生れたばかりでなければ撤退を含む様々な手段はあった。
しかしショゴスが咄嗟にとったのは対象の存在を速やかに消去する事。
発作的に全魔力を総動員し数多の腕を再構築し具象化。
術式を編み込む余裕もない。
ただ全身全霊を込めた魔力波を放とうとする。
しかし――それすらも奴の瞳の前では掻き消されていく。
始原の混沌に連なる自分を支えていた魔力構成――その存在ごと。
そして――更に驚愕する。
「ナンダ、ト……」
全身を貫く激しい痛みと脱力。
見渡すまでもない。
配下である複製体――その全てが反旗を翻えし、自分の躰を刺し貫いている。
応戦しようにも新しく生命構成素を構築する事が出来ないのだ。
ただ無防備に襲われ――声にならない悲鳴を上げる。
いかなる理由なのか自慢の再生力も妨げられた。
咎人が赦しを乞うように地べたへ這いつくばり動かなくなるショゴス。
作業を終えた複製体らは、自らの役目を全うしたかのごとくただの泥となりその場で崩れ落ち崩壊してゆく。
「塵は塵に、灰は灰に。
人ならざる者は泥へと還るがいい」
ミズキを優しく下したガリウスがショゴスに近づく。
動かぬ躰を総動員し、逃走しようとするショゴス。
こ、これはなんだ!?
自己の終焉――死という根源的な恐怖に、思考が真っ白に塗り潰されていく。
目前に迫った死神の刃。
今まで喰らってきたモノらの恐怖がフラッシュバックし動けなくなる。
恐ろしい。
怖ろしい
畏ろしい。
これが死!? これが恐怖!?
混乱の極致の果てに至ったのは、馬鹿にしていた人族の祈りと懇願だった。
「ユ、赦シテクレ……」
「駄目だ。
お前は俺の大切なものを傷つけ踏みにじった。
何より生命を冒涜し過ぎた。
自らの罪業――己が身で存分に味わうがいい」
冷厳と告げたガリウスが投じたのは回復薬。
体組織を活性化して傷を癒すポーションがショゴスの躰に降り注がれる。
そしてそれは劇的に作用した。
従来とは真逆の作用で。
躰の端々で取り込んだ霊的設計図が暴走――
生命構成素をでたらめに生み出し自らの躰を蝕んでいく。
まるで自らの尾を丸呑みし続ける蛇のごとく。
「ガッ……アッ……?」
制御できぬ自傷の果てに――細胞の一片まで残さず消滅するショゴス。
最後に視たのは、まるで運命を嘲笑う様なガリウスの不敵な貌だった。




