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おっさん、駆け付ける


「すみません、おねーさま……もう限界です。

 あとを頼みます……」


 支える力を無くした手から杖が滑り落ち、耳障りな音を立てる。

 双子の冒険者である女魔術師ミアは、悔しげに告げるとその場に崩れ落ちた。

 私――ミズキ・クラシキは慌ててその身体を支えると、ゆっくり床へ横たえる。

 その隣にはミアの妹、僧侶のミイがやはり同様に昏倒していた。

 双子ゆえ良く似通った可愛いらしい顔立ちの仲間たち。

 しかし精魂尽き果てた今の二人は、痛々しいまでにやつれ果てている。


「よくやってくれた、二人とも……」


 水筒の水を浸したハンカチで二人の顔を拭う。

 汗を拭き取り、少しでも不快感を払拭してやりたかった。

 それが束の間の気休めにしか過ぎなくとも。


「――あと数分といったところか」


 愛用の武器である戦斧を手にすると、萎えそうな身体に活を入れる。

 ミイが張り、ミアが維持してくれた外敵を阻む防御用結界。

 だが――それも限界を迎えようとしていた。

 次々と押し寄せては消滅し、それでも尚群がる奴等。

 犠牲を厭わないその攻勢の前にはさすがの聖域結界も敵わなかった様だ。

 ギチギチと結界の境界を軋ます音を鳴り立て、この狭い玄室へ今にも押し入ろうと迫っている。

 なぜ――こうなったのだろう?

 私は挫けて折れそうになる弱い心を懸命に叱咤しながら思い返す。

 今日も何も変わらない探索の延長だと思った。

 海底ダンジョン最上層、第10層エリア。

 龍の宮と呼ばれるダンジョン中でもそこは一番危険度の高い場所だ。

 とはいえパーティは十分にやっていく実力があったし、実際今までも順調に探索をこなせていた。

 たった一つ違うのは――

 不幸にも遭遇した一体の敵の存在。

 そいつが次々と召喚する眷族の前に、私達は撤退を余儀なくされた。

 戦闘に次ぐ戦闘――

 蓄えていたポーション類も使い果たし、消耗してしまった。

 何とかこの玄室に籠り結界を張ったものの、所詮は一時凌ぎだ。

 早く脱出しなければ全滅は必至である。

 けど……ここはダンジョンだ。

 階層主のいたフロアにある転移陣を用いらなければ脱出は叶わない。

 無論ミイの修めた法術の中に一瞬にして安全地帯へ戻れる帰還のスペルはある。

 だがここでは無意味なのだ。

 海底ダンジョン【龍の宮】は静寂の祠の中にあるから。

 全ての転移系術式は階層主のいたフロアに出現する魔法陣を除き打ち消される。

 正確にいえば作動はするが、無意味に術式が崩壊するのみ。

 ただそれでも移動系術式まで阻害する力は無かったはずだ。

 同階層の任意地点まで高速移動させる緊急用のセーフティ術式。

 不覚を取った場合に立ち直れる用、高い奉納点を支払い龍神様に願い得た力。

 今迄、幾度も助けられた力。

 それが発動しない……幾度試行しても。

 こんな現象は――ある場所でしか確認されていないのに。


「まさか……そうなの?」


 その場所とは各階層を結ぶ境に陣取る階層主フロア。

 奴等の前では、虎の子の移動系術式すら発動しない。

 ボスからは逃げられないのだ。

 ならこの現象から逆算するなら――

 私達が遭遇したアレは、この階層の主。

 つまり最上層であるここならば――このダンジョンの主、ダンジョンマスターに違いない。

 でも……それはあり得ない。

 通常、階層主は定位置から動かない。

 だからこそ充分レベルを上げ修練を積み挑むことが出来る。

 ましてダンジョンマスターともなればコアを守る為にも絶対動かない筈……


(――世の中に絶対なんてものはないんだぞ、ミズキ)


 私の脳裏に、その愚かな幻想を打ち砕く声が響く。

 ああ、あいつは――確かに言っていた。

 冒険者が勝手に思い込む固定観念、それは非常に危険だと。

 経験則だけでなく――常に考え、事態を打開する柔軟さが必要だと。

 その言葉は間違いではなかったようだ。

 あいつの指摘通り、考える事を怠った私達は死に逝こうとしている。

 でも……そんな時だというのに、不思議と思い浮かぶのは――

 いつも人を食ったような、憎めないあいつの顔ばかりだった。

 おかしな奴だった。

 年上で……どこか掴みどころのない男。

 なのにふらりと私のいた冒険者ギルドに現れ、瞬く間に名を上げた戦士。

 ギルドからの信頼も厚く、機転が利き腕も確かだが――

 私が瞠目したのはその育成能力だ。

 あいつの仲間となった少女らは才能があるもどこにでもいる一般冒険者だった。

 しかしあいつの指導の結果――まるで蛹が羽化するように才能を開花し、一流に上り詰めたのだ。

 当時伸び悩んでいた私も頭を下げ、教えを乞いに行った事もある。

 新しく勇者になった仲間と共に、最近酒場で何かと話題になっている男。

 あいつなら……どうするのだろう?

 不思議とあいつならこんな事態も簡単に打破できそうな気がした。

 何事もなく容易にこの場を切り抜け「危ないところだったな、ミズキ」って声を掛けてきそうな感じがする。


「会いたいな……最後に」


 私の願いは――叶いそうにない。

 冒険者になり十年以上が過ぎ……冒険者の現実を知った。

 この世界が残酷な事を、最前線で戦ってきた私は誰よりも知っている。

 だってこの世に奇跡はない。

 どこまでも無慈悲な現実が続いていくのみ。

 だから――目の前のこれは、きっと都合のいい夢に違いない。

 ガラスの割れる様な音を立てて砕け散る結界。

 雲霞のごとく押し寄せる異形の眷族。

 抵抗むなしく引き倒される私。

 なのに――

 とどめを刺そうとする奴等が、次々斬り伏せられていくのは。

 的確で無駄が無く、さながら流麗な舞のような斬撃。 

 その手が振るわれるたび、数多の異形が斃される。

 まるで英雄叙述譚に出てくる剣豪のごとく。

 魔法の様なその技術は日々培われた鍛錬の証。

 手入れの行き届いた代り映えのしない装備。

 冴えないと自称する割には渋くて格好の良い整った容姿。

 親しみを込めて「貴様はおっさんか」とからかった事もある、その人物は――


「危ないところだったな、ミズキ」


 絶対泣かないと思っていた決意が緩み、視界が滲んでいく。

 胸が熱く、声が出なくなる。

 見間違うはずもない。

 それは最後に一目でも会いたいと願った人物――

 ガリウス・ノーザンの獅子奮迅たる勇姿だった。


 







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