おっさん、声を掛ける
「――冷たい、雨……」
曇天の空から舞い落ちる無数の雫。
ついに降り出したそれは路地裏に転がる私のからだを徐々に濡らしていく。
冬も間近に迫ったこの時期の雨は容赦なく体温を奪う。
本来なら早々とアジトである穴倉に戻らなければならない。
しかし盗みに失敗して暴行を受け、火照ったからだには――その無慈悲な冷たさが少しだけ気持ちいい。
動く気力さえ無くなった後なら尚更だ。
眼を閉ざし考える事を放棄したくなる。
ただ――徐々に迫る死神の足音だけは分かっていた。
何もしなければそいつは確実に私の下へとやって来るだろう。
「このまま……死んじゃうのかな……」
誰にも見つからず――
誰も――見返せずに。
孤児は弱い。
保護者という後ろ盾のない私達は社会という構造において最下層の存在だ。
私の死すら、世界という歯車に何も損失を与えず記録にも残らない。
雑多に処理されるその他大勢。
私はそれが悔しかった。
「――おい、生きてるか?」
そんな私に投げ掛けられた声。
私は腫れた瞼を苦心しながら開ける。
そこには――男がいた。
黒髪に紫の双眸を持つ精悍な無精髭の中年。
ゴミ以下の存在である私に対し、心配そうな顔をしている。
まったく勿体ないな――
伸びているその髭を手入れして身なりを整えれば、少しはカッコいいのに。
そんな事を思いながら眼を閉ざした私の意識は深く沈んでいく。
ああ、これは駄目なヤツだ。
これに身を任せたら次はない。
「――生きたいか?」
だから――その声は幻聴だと思った。
自分にとってあまりにも都合の良い妄想。
でも大きく無骨で……それでいて温かい手が私の手を握ってくれた瞬間、それが嘘じゃないと実感する。
こんな私の手を取ってくれた人がいる。
孤児と蔑むことなく対等な人間として見てくれている。
裏切られてもいい。
私は――私に出来る精一杯の想いを乗せ返事を口にする。
「たす……けて」
男は驚いたように眼を見開くと――
何故か嬉しそうに破顔した。
「よし――分かった。
ちゃんと助けを口にできたな、偉いぞ。
願いはきちんと聞いたから。
――おい、約束だろう?
この娘に回復法術を掛けてくれ」
「……あんたも物好きだね。
そんな孤児はこの王都にはいっぱいいるよ。
あんたはその全てを救う気かい?」
「うるせえな――
俺だって聖者のような善人じゃない。
かといって目の前で救える命があるのに放っておけるか」
「――やらない善より、やる偽善。
まったくあんたはトンだお人好しだよ。
しょうがないねえ……
あんたには借りがある事だし、一肌脱いでやるか」
「毎回がめつい金をせびりやがって」
「お布施、もしくは喜捨とお言い。
どれ――診せてみな」
男の声に応じたのは立派な法衣を来た老婆だった。
皺に埋もれても気品のある顔立ちで、若い時はさぞ美人だったと思わせる。
老婆は手を握ってくれている男の隣に座ると私の額に指を添える。
そこから溢れ出すのは身体を優しく包む金色の光。
聖なる光とでもいうべきそれは私の身体を瞬く間に癒していく。
だが次の瞬間――
爆発的な燐光を上げ弾けた私の意識は、どこまでも拡張していく。
上へ空へ天へ。
どこまでもどこまでも。
そして――そこにいる大いなる存在を知った。
矮小な私という存在を受け止め、そこに至ったことを褒めてくれた。
父のように母のように兄のように姉のように。
慈しむべきものとして――愛でてくれた。
「今のは……」
気怠い余韻と共に身を起こした私を――老婆は驚いたように見つめてくる。
「あれだけのことで御許に直結した……だって?
この娘の潜在的な素質は凄まじいの一言に尽きるね。
決めたよ、ガリウス。
わたしゃこの娘を引き取る。
何としても――わたしの後継者に鍛えてみせるさ」
宝物を見つけたかのように微笑みながら頭を撫でてくれる老婆。
孫の様に接してくれ、後に大司教と判明する彼女とのこれが出会いだった。
そして何より――
「事情はよく分からないが……
良かったな、これでどうにかなりそうだぞ」
私の行く末を我が事のように喜ぶガリウスと呼ばれた男。
それが何よりも嬉しく、泣きそうになる。
今にして思えば――
この時をもって私は、今のわたくしへとなったのだろう。
動き出した運命の導きを感じながら。
ガリウス様は否定されるけど……
フィーナ・ヴァレンシュアはいつもそう思うのだった。
いつも読みに来ていただきありがとうございます。
おっさんと三人娘の出会い編です。
よければお気に入り登録と評価をお願いします。