おっさん、試される
「お忙しい中、すみませぬ。
少し……よろしいでしょうか?」
その女性に呼び掛けられたのは夕闇が迫る黄昏時――
丁度、別荘へ戻る為の後片付けをしている最中だった。
いったい何処から現れたのだろう?
振り返った先に俺とルゥにも察知出来ないほど静かに一人の女性が控えていた。
幾分日が落ち涼しさが増したとはいえ、この暑いのに黒装束の下に黒塗りされた鎖帷子を纏い背には歪曲した剣……俺と同じ刀を負っている。
眉毛がすっと通ったクールな長身の美人さんである。
沈着冷静を笠に着た様な無機質さは俺の近辺にはいないタイプだ。
しかし一番特徴的なのはその艶やかな髪の上から顔を覗かせているものだろう。
「モフモフだぁ!」
「ん。見事」
「惚れ惚れしますわぁ」
そう、皆が感嘆の溜息をつくほどチャーミングな獣耳がピコピコ動いてる。
この女性はどうやら獣人系に属するらしい。
突然の成り行きに俺はある種の予感を抱きながら問い掛けを返す。
「――君は?」
「これは失礼しました。
拙者は主上の命を受け、ガリウス殿に合流するよう仰せつかったものです」
「主上? ああ、なるほど。
もしかしてマウザーが言っていた盗賊ギルド紹介の人材か。
さっそく来てくれたんだな」
「左様でござる」
俺の言葉にニコッと微笑むカエデ。
能面の様に澄ました顔をしてるだけに、笑うと無防備で可愛く見える。
「御紹介が遅れましたな。
拙者の名は犬神カエデと申します。
以後、お見知り置きを」
「こちらこそ自己紹介が遅れてすまない。
知ってると思うが俺はガリウス・ノーザン。
やっとA級に昇格したばかりのおっさん冒険者だ。
マウザーの奴から事情は聞いてると思うが、ウチは盗賊系ジョブがいなくてね。
君さえ良ければ是非力を借り受けたいんだが」
「そうですか……主上の命とあれば構いません。
ただ、ガリウス殿――」
「うん?」
「一つ……
試させて貰ってもよろしいですか?」
「試す?」
「はい、この……様に!!」
言い様、烈風のごとき速さで拳を薙ぐ楓。
正確に首筋の急所を狙ってきたその攻撃を俺は余裕を以って拳一個分残し躱す。
そう、回避した筈なのだが――
「わん!」
「おっさん!」
「ガリウス!」
「ガリウス様!」
皆の警告と悲鳴が飛び交い――
俺は首元に灼熱とぬるりとした迸りを感じる。
「ほう……隠し武器か」
カエデの掌から現れた苦無と呼ばれる小型の手裏剣に薄皮一枚分を斬られた。
最初から躱すのを前提で――その後を考慮した二段構えか。
直感スキルが警鐘を鳴らしてくれたお蔭で、咄嗟の対処できたのは幸いだった。
「初見で躱しますか……やりますね」
「まあ直感に従っただけだがな……
――それで、これはどういう事だ?」
「拙者達犬神家の者は主上か――自分より強き者にしか仕えません」
「つまり?」
「拙者の力を必要とするなら……
闘って服従させてごらんなさい!」
嬉々とした笑みを浮かべ苦無を構えるカエデ。
俺は面倒な事態になってきた事に偽りなき疲労の溜息を洩らす。
最近どこにいってもトラブルに見舞われるのは気のせいなのだろうか?
そんな俺の憂鬱を知らぬかのようにトップスピードで接敵してくるカエデ。
踏む込み様、稜線の軌跡を描くように苦無の斬撃が閃く。
半身に構えた俺は小刻みな足捌きで巧みに回避。
後方へ下がる俺を追うようにカエデも連撃を繰り出してくる。
確かに、速い。
まるで演舞の様に続き終わりがないのも見事な技量だ。
ただ必殺の気迫がないその斬撃は俺にとって躱す事は難しくない。
致命傷にならないものだけを瞬時に判別し――斬られても構わないものは最小の動きで躱す事に専念する。
鑑定スキルにより苦無に毒などがないのは判別済みだ。
水着ゆえに剥き出しになった肌が浅く切られ出血。
これが長時間続けば出血と共に体力を持っていかれ危険だろう。
しかし俺は意に介さず強い意志を持った目でカエデを見据える。
「どうして……反撃しないのですか?」
手を止めたカエデが俺を見つめ問い掛けてくる。
カエデの目は俺から流れる朱き血潮に向けられていた。
その質問に俺は静かに応じる。
「争う理由がないからだ」
「!!」
「君の力が必要なのは確かだ。
だが、自分の力を誇示する為に戦わなくても――いいんじゃないか?」
「貴方は……自らが傷つくのを厭わない人なんですね」
「まあ、君の斬撃に殺意が感じられ無かったしな。
派手に出血してるように見えるが、命を刈り取る深さまでは斬り込んでいない。
様は本気でないと踏んだ」
「あの一瞬でそこまで」
「伊達に歳は取ってないさ。
けれど……
君がもし、本気で俺や仲間を害する気でくるなら――
悪いが容赦はしない」
冷酷なる戦場の掟。
刃を向ける者には刃を。
俺は揺るがない闘志を籠めてカエデを見つめ返す。
その瞳に何を観たのか?
瞬時に間合いを取ったカエデは苦無を後ろに構えその場に膝をつく。
それは敵意が無い事を示す臣下の態度。
「自らに敵対する者をも思い憚るその心……
拙者、感服致しました。
更にそれが確固たる武力に基づく在り方という事も心底実感しました」
「それじゃ……」
「ええ、ガリウス殿。
拙者でお力になれる事があれば何なりとお申し付け下さい」
服従の意ではないだろうが頭を垂れるカエデ。
俺は慌ててカエデの手を取り立ち上がらせる。
「よしてくれ、そういうのは」
「しかしそれでは他の者に示しが……」
「あ~じゃあ命令な。
俺やこっちのパーティメンバー対して普通の態度……いや、違うな。
俺達の友人になってくれないか?」
「拙者が友人……?」
「ああ、仕え使われる関係じゃなく――互いに助け合う対等の関係。
困った時は俺を助けてくれないか?
その替りじゃないけど、君が助けを必要とするなら俺はいつでも力を貸すぞ」
手を取ったまま反対の手を差し出す。
カエデは困惑したように周囲を見る。
温かい笑顔でうんうんと頷く一同。
その反応を見たカエデは躊躇う様に恥じる様に俺の指を手に取る。
俺は苦笑しつつ丁寧にその指を握り締める。
途端、上気したように頬を赤らめるカエデ。
「よろしくな、カエデ」
「あの、その……
不束者ですがよろしくお願いします!」
長身を屈め顔を伏せるカエデ。
意外と純朴な女性なんだな、たかだか握手くらいで赤面するなんて。
きっと異性に対する耐性があまりないのだろう。
「ん。ガリウスはやっぱり手が早い」
「ホ~ント、秒殺だったよねー」
「ああいう人畜無害そうに見える方が実は一番タチが悪いそうです。
わたくし、神殿仲間にいっぱい学びましたわ」
「うんうん。
純な乙女心を甘く刺激するっていうのが特にねー
渋いおじ様とのロマンスラブなんて定番じゃない?」
「ん。的確な指摘。
だいたい今までの旅先でも無意識……
意識しないまま女子を泣かせてた」
「え、本当?
じゃあおっさんってば――人畜無害どころか鬼畜有害じゃない?」
「計算してないのが怖いのですわ。
ガリウス様は英雄としての器も一流ですけど……天然系ジゴロとしては有史最強かもしれせんわね」
「うあ~。嫌だなーそんな有史最強」
「まあ本人に自覚が全くないのでだいたいフラグをへし折ってきてる」
「サイテー。女の敵じゃない?」
「わんわん」
聴こえないと思って不穏な事をコソコソ話し合う女性陣。
お、お前ら……いったい俺を何だと……?
カエデに向けた笑顔が引き攣るのを感じながら、俺は変わらぬはずの愛情が少しだけ揺れ動き――心の中で慟哭しているのを実感するのだった。




