おっさん、夜空を舞う
「ふう~変わらず良い湯加減じゃ。
妾の居る母屋より狭いとはいえ、客室の浴室に使われている湯浴み用魔導具は本邸に勝るとも劣らぬ一級品。
こうした独り占めは、なかなか出来ぬ贅沢よ」
「ああ、充分堪能させてもらってた」
「わん!」
「それは重畳。
たまには使ってやらぬと建物は傷むからのぅ。
お主らがこうやって使ってくれるなら正直助かる」
「そうか」
「それにな」
「ん?」
「良い漢と入る風呂は――また格別なものよ。
妾の身体も火照っておるわ」
悪戯めいた魔笑を浮かべるや俺の方へ肢体を見せつけてくるレイナ。
無駄のない引き締まった身体。
絹糸のように浸みひとつない滑らかな肌。
膨らみ切ってない胸や薄い陰りを宿した下腹部も含め、並の男なら色香に惑うのは間違いないだろう。
しかし喪った彼女を連想させるレイナの容姿は俺にとっては何よりの地雷だ。
誘惑にまったく心揺れる事無く、改めて彼女を問い質す。
「聞いても良いか?
俺や彼女の事――君はどこまで知っている?」
「なんじゃ、つれないの。
せっかく誘惑してみたのに」
「残念ながら俺に君の誘惑は効かない。
あと、こう見えて身持ちは固い方なんでね」
「婚約者に操を立てておる、と」
「そんな上等なものじゃない。
常識の話――モラルの話だ」
「据え膳食わぬは男の恥、とも言うが?」
「それは男が自分を正当化する時に使う常套句だ。
人は弱いからな。
結果的にそうなってしまった奴の事を否定はしないさ。
だが――自分から免罪符代わりに言い出す奴を、俺は信用しない」
「堅物じゃのぅ。
それとも勇者の血脈は皆こうなのか?」
「さあな」
「フフ……誰にも靡かない男が自分には心を開く。
そういうとこが女心をくすぐる、と。
従姉妹殿もそのギャップにやられたのか」
「……最初の頃と全然キャラが違うな、君は」
「え~そんなの侵害だしぃ~?
おじ様、あーしメッチャ寂しいかな、って。
ふっ……あれもまた偽りなき妾の一部よ。
特に対外交渉の際など、頭の悪い風女子を演じると優位に働くのでな。
初対面の相手や人を見極める際等に応じてペルソナを使い分けておるのじゃ」
面白そうに可笑しそうに笑うレイナ。
本題の視えない会話に焦りを押さえつつ俺は動向を窺う。
要はこれは諜報活動の一環なのだ。
直接的に刃を交えず水面下で交わし合う情報戦の一種。
力押しが利かない為、俺達のパーティの最も苦手とする分野だが仕方ない。
手持ちの札を伏せつつ口先でブラフを騙り合い語り合う戦場。
彼女から情報を引き出すのを最優先とする。
気合いを入れた眼差しでレイナを捉える俺。
どう仕掛けるか――
頭の中で手練手管が幾種類も浮かんでは消える。
だがどこか小悪魔っぽいレイナの指が俺の胸元を這わせた瞬間、俺は悟る。
どこか遠くを見ている夢見るようなレイナの瞳。
つまり今の彼女にその気はない。
この場での続きは難しい、と。
ならば次に繋げるよう好感度を稼ぎつつ会話を繋げていくのみだ。
「はて、朝の謁見時に気になってはいたが――
少し若返った気がするのう」
「年齢詐称薬の効果だ。
中身は変わってないが見掛けは10歳ほど昔の俺の姿らしい」
「ほぅ。
では数えで27くらいの頃か。
精悍な貌じゃな、従姉妹殿が本気になったのも分かる」
「話してくれないのか? 彼女の事」
「今は、な。
そうじゃな――この依頼を無事終えたら、妾からお主に話そう。
姫巫女である我等ウルド一族の事。
勇者の血脈であるノルン――ヴェルダンディ一族の事。
世界の運営と守護を課せられたスクルドという女神の事を」
「それは――」
「けど今は時間切れじゃ。
ほれ、お主の大事な者達が千鳥足でやって来たぞ」
「え”?」
レイナの指摘に浴室扉を向く俺。
その前でドタバタと騒々しい音を立ててるのは間違いなくあいつら。
ま、マズい――この状況、どう好意的に見てもアレだ。
言い訳の仕様がない。
「先に言っておくぞ、ガリウス。
ご愁傷様じゃ」
「た、戦う前から諦める奴があるか!
どんなに絶望的な戦いでも――俺は心折れたりしない!
心を燃やして抗い続けてみせる!」
「おう、まるで英雄譚の主人公のような台詞。
だが惜しむらくは全裸で妾と幼女に囲まれてる事じゃな。
全然説得力がないわ」
「そ、そんな事は重々承知だがしかし――」
現実は非情である。
レイナとの掛け合いの最中、ガラガラと開く扉。
そこにいたのは勿論、酔っ払って真っ赤な顔をした三人娘。
「あっほ~い♪
おっさん、ボク達も入りに来たよ!」
「ん。一緒に入浴しイチャイチャする」
「初心なガリウス様の為にちゃ~んとタオルを巻いてきましたの。
これなら安心ですわ――って」
石化したように固まった三人の顔が、俺を一斉に見つめる。
慌てて湯船から飛び出し腰にタオルを巻いた全裸のおっさん。
その傍らの湯船には火照り顔のレイナと無邪気に泳ぎを再開している幼女。
問い、この状況を無理なく切り抜ける台詞と方法を考案しなさい(配点10)。
答え、ありません。
事態を脱却すべく史上ない程に頭が高速回転しているが――解決策を出せず、全てから回っていくのを自覚する。
苦心しながらも、どうにか愛想笑いのようなものを浮かべ三人を制止する。
「誤解だ、お前達!
こ、これはだな――」
「……どういうことなの、おっさん!」
「レイナだけならまだ分かる。
きっとガリウスをからかったものと推定」
「――ええ。
けどそこの幼女――もはや言い逃れは出来ませんわ。
ガリウス様が罪を犯したのなら、わたくし達が身を以て正す。
安心して下さい……すぐに後を追いますから」
「想いが重いわ!
いいから話をまず聞け――この娘は」
「おっさんの……
ぶわかああああああああああああああ!!」
弁解より先に放たれるシアの渾身の魔法剣
右手で魔術【サンダー】、左手で闘技【スマッシュ】。
その名も魔法剣【ライトニングスラッシュ】。
ミノタウロスキングすら一蹴した、手加減の無い無慈悲な一撃。
スキルを用いて全力で防御しどうにかレジストするも――浴室天井を突き破り空へと天高く打ち上げられる俺。
おう、今宵は月が綺麗だ。
優しく世界を照らす月光に挨拶し、すぐさま別れを告げる。
強制飛行からの自由落下。
全裸に腰タオル一枚で空を舞いながら、俺は世の理不尽さを噛み締めていた。




