5. 女神と初恋(ユーフェミア視点)
初めて君に会った時、天使がいるのだと思った。
柔らかそうな輝く金髪に、宝石のように煌めく深い碧色の瞳。
そしてーー
「私の名前はマリアベル。マリアベル=シュレイン。マリアって呼んで!あなたの名前は?」
屈託なく笑う顔が、何よりも美しくて。
俺は自分の全く動かない表情筋を呪いながら、精一杯の言葉を返した。
「ユーフェミア=グローシア。…まぁ、好きに呼んでくれ」
「………ユーフェミア、様?」
それなのに、天使は俺の名前を反復したなりその場に倒れ込んでしまって。
俺は必死で天使の名前を呼び、助けを呼んだが、彼女は3日間も眠り続けたらしい。
彼女が目覚めたと聞いてすぐにお見舞いに行きたいと両親に訴えたが、彼女が倒れたとされる理由を聞いて止めざるを得なかった。
両親に、俺の名前を聞いて身分の高い人に気安く接してしまい、罰が恐ろしかったから倒れたのだろうと諭されたから。
こんな身分が何になるのだろうか。この身に流れている血がそんなに大事なのだろうか。
彼女の美しさに比べたらこんなもの、何にもならないのに。
そう考えると同時に、自分の血の重さを実感して、自分にこれといった特技がなかったことも手伝い、話しかけてくる人の身分がやけに気になった。
もし俺が、下の身分なら話しかけてくることもなかったのだろうか。そんなことを考えると、途端に話しかけてくる人全てが気持ち悪く感じて。
学院に入学する頃には、俺が心から友達と呼べるのは、自分よりも身分の高い、この国の第二王子であるレオンハルトだけになっていた。
「……大変なことが起こった」
「急にどうしたんだ?いつも冷静なお前がそんなことを言うのは珍しいな」
目の前で寛ぐ、この国の第二王子であるレオンハルトは、俺を驚いたように一瞥して、優雅に菓子を口に運んだ。どう考えても、俺を心配しているようには見えない。
しかし、俺の話を聞いたら真剣に話を聞いてくれるだろう。そう思って、震える声で先程見たことを口に出した。
「女神がいたんだ。天使が、女神になって帰ってきた。もし女神がいるなら彼女なのだと思う」
「悪いが、何を言っているか全く分からない」
「だから、女神と同じクラスだったんだ」
「……最初から説明して貰えるか?」
意味が分からない、といった顔をしているレオンハルトに、数年前に天使に会ったこと、その天使が女神になって再び俺の前に現れたことを伝えると、レオンハルトは楽しそうに笑っていた。
「なるほど、お前がずっと言っていたあの時の少女と再会したということか。まるで運命みたいじゃないか。これを機に話しかけてみたらどうだ」
「……運命なわけが、ないだろう。彼女は俺になんて一生関わりたくないと思ってるかもしれない」
「それは本人に聞いてみないと分からないだろう。……それに、身分でいえばお前の方が上な上に、社交界でもお前の有能ぶりは有名じゃないか。話しかけて嫌がられることはないのではないか?」
「ッ、それが嫌なんだ!身分を笠にきたら彼女が嫌がっていても断れないだろう?」
「はぁ……。お前はそういう奴だったな。身分も生まれ持ったものなのだから、躊躇わずに利用すれば良いだろうに」
レオンハルトはそう言って、優雅に紅茶に口をつけた。その様は、自分でも世界最高に美しいと自画自賛するだけあって美しい。
自信に満ち溢れているレオンハルトを見ていると眩しくなるが、それはレオンハルトの能力や美貌が身分に釣り合っているからなのだと思う。対して俺は、どれだけ努力してもこの血の重さに釣り合えるような気がしなくて。
「ユーフェミア。お前は、せっかく初恋の少女に再会したのに、話しかけもせずに1年を終わらせるつもりなのか?」
「ッ、初恋!?……俺が話しかけでもして、シュレイン嬢に嫌な思いはさせたくない」
「お前は本当に……。まぁお前の好きにしたらいいと思うが。ただ、運命はそう簡単にお前を離してくれないと思うぞ」
その言葉にふぅ、とため息を吐き、久しぶりに会ったシュレイン嬢のことを思い浮かべた。俺は君にもう2度と、困らせるようなことはしたくないんだ。そのためなら俺がシュレイン嬢に関わらなくても、同じクラスだというだけで満足出来る。
そう思って俺もレオンハルトに続いて紅茶を啜った。アールグレイのいい香りが身体に染み渡る。
ただ、レオンハルトの口にした、『運命はそう簡単にお前を離してくれないと思うぞ』という言葉だけが頭の中をぐるぐると回った。
「ユーフェミア様!マリアベル=シュレインと申します。少しお時間いただけますでしょうか?」
「………」
これは一体、何が起こっているのか。
レオンハルトとシュレイン嬢について話してから2週間ほどが経った。俺からは話しかけることはないし、彼女からも話しかけられることはないだろう。その考えは、あっさりと覆されていて。
「悪いが、時間がない」
「そうですか…。分かりました、また今度お時間がありそうな時に、少しお話しさせていただけると嬉しいです。すみません、引き留めてしまって」
「……あぁ」
このやり取りは最早、8回目だ。
俺は直ぐに教室を出て、レオンハルトがいるであろう王室専用のサロンを目指す。そして、優雅に寛いでいるレオンハルトに、鬼気迫る勢いで話しかけた。
「レオンハルト!!女神が俺に話しかけてくるのだが!!!!」
「……女神というと、シュレイン嬢のことか?確かに完璧令嬢と有名らしいな」
「それは当然だ!!……いやそうではなくて、彼女の方から話しかけられるのだが、俺に何を話すことがあるのだろうか!?」
「いや分かる訳ないだろ。ただ単にお前と仲良くなりたいだけじゃないのか??何故彼女の誘いを断り続けているんだ?さっさと話だけでも聞いてくればいいじゃないか」
「彼女が俺の身分を見て話しかけていたとしたら立ち直れないからだが!?そんなに軽く言わないでくれ!!俺はまだ彼女と話せるほど身分に釣り合った人間になれていないんだ!!それに、彼女を楽しませられるほど面白い話が出来ない!!」
「お前は本当に面倒くさいな」
レオンハルトは呆れたようにそう言うが、俺にとっては大事な問題なのだから真面目に考えて欲しい。
完璧令嬢とまで言われるシュレイン嬢に対して、俺は公爵家の跡取りではあるが中身は到底釣り合っていると思えない。彼女に釣り合いがとれているのなんて身分ぐらいだ。
彼女が俺に惹かれるものと考えれば、身分ぐらいしかない。この状況で彼女と話してしまうと、彼女まで身分狙いなのかと幻滅してしまいそうで嫌だった。
何より、天使のように笑ってくれた幼い彼女のことを忘れたくなかった。
「それで、これからどうするんだ」
「……シュレイン嬢も、身分ばかりでつまらない俺のことなんて直ぐに忘れるだろう」
「忘れられなかったらどうする??」
「そのときは、話しかけないで欲しいと直接言うつもりだ。俺は彼女に相応しい人間じゃない」
「たかが少し話すぐらいで大袈裟な……」
レオンハルトはそう言うが、俺にとっては大きな問題だった。彼女と一度でも話してしまったら、俺は止まれないと思う。もっと声が聞きたくなって、もっと近づきたくなって、彼女に焦がれるだろう。
そうなってしまったら、それこそ身分を笠にきて彼女を強引に囲い込んでしまうかもしれない。
だから、それだけは避けたいとばかり考えていてーー
「以上、私と話すメリット5箇条です!!
だから、これからは私と話してみませんか!!」
こんな状況に陥るだなんて、少しも考えていなかったから。
「レオンハルト!!女神と交換日記をすることになってしまった!!」
「意味が分からないから最初から言って貰えるか?」
「だから、女神と交換日記をするんだ!!ノートを探さなければならない、どんなノートがいいのだろうか!?そもそも何を書けばいい!?何ページ書いたらいいんだ、とりあえず10ページ書いてみたのだが!!」
「落ちつけ、何のことかよく分からない」
混乱したような顔をしたレオンハルトに、シュレイン嬢と交換日記をすることが決まったこと、交換日記の書き方を教えて欲しい旨を伝えると、レオンハルトは呆れたように
「話すのはダメなのに交換日記はいいのか?」
と言ったが、直接話すのと交換日記を介してでは大分違うのだ。第一、あの煌めく瞳を見ていると、頭がぼんやりして、綺麗だとか女神だとかおかしなことを口走ってしまいそうになるから。
「それで、とりあえず下書きをしてみた。確認して貰えないだろうか」
「あぁ、分かっ……何だこの量。しかも半分以上が質問って気持ち悪すぎないか?」
「ッ、やはりそうか!聞きたいことがありすぎてそうなってしまった……」
「とりあえず1ページか2ページ以内にまとめて来い。話はそれからだ」
「これ以上何を削ればいい!?」
「どう考えても無駄に多い質問と自分語りだろうな。あと、その交換ノートとデカデカと書いたノートはなんだ。センスが悪すぎるだろ」
「これじゃダメなのか!?」
分かりやすくていいと思うのだが。
それから何度もレオンハルトと口論をしながら交換日記を作り上げ、家に帰ってからも何度もそれを読み返した。おかげで寝不足だが、喜びの方が打ち勝って何も眠たいと思わない。
それに、彼女が交換日記を見た時の嬉しそうな笑顔を見れただけで、一生生きていけると思ったから。
……彼女がプレゼンの時に言っていた、大好きとはどのような意味なのだろうか。
俺と同じ気持ちならいいのに。
そう思うけど、改めて確かめることなんて出来なくてため息を吐いた。
「レオンハルト、猫を見に行くぞ」
「急にどうしたんだ?猫なんて嫌いだと言ってなかったか??」
「今は一番好きな動物だ。行くぞ」
「ついに壊れたのか??」
失礼なことを言うレオンハルトに、シュレイン嬢が可愛がっている猫に会いに行くのだと言うと、納得したように頷かれた。それはそれで恥ずかしいから、やめて欲しい。
レオンハルトのファンクラブとやらに散々騒がれながら、目的の中庭にたどり着き、目当ての猫とやらを探す。すると、ふわふわした猫が陽だまりの中で昼寝をしているのが見えた。
「いたぞレオンハルト、あの猫だ。女神と猫が並ぶ姿を想像しただけでもう楽しいな」
「……もう私から言えることは何もない」
引いているレオンハルトを一瞥し、猫に近づくと、その毛並みに触れる寸前で目を覚まし、俺を見るなり一目散に逃げていってしまった。
「猫!待ってくれ!!何故逃げる!」
「どう考えても怖かったぞ。鬼気迫る勢いで猫に詰め寄ってやるな……」
「また明日来る」
「そこに私がいる意味はないよな?」
「1人で猫を触りに来ていたら気持ち悪いと思われるかもしれないだろ!!」
「はぁ……もうこれ以上気持ち悪くはなりようがないと思うぞ」
また顔をしかめたレオンハルトを小突き、すぐにシュレイン嬢への交換日記を書かなければいけないと来た道を引き返す。そして、また下書きノートに書いた内容から削りに削ったものを交換日記に清書して彼女の机の中に入れた。
「ユーフェミア??今日は何をしているんだ」
「『マリア嬢がユーフェミア=グローシアと付き合うメリット5箇条』のプレゼン準備だ。俺のいいところを教えてくれ。彼女が俺と婚約してもいいと思えるぐらい、とびっきりの物をだ」
下書き用のノートに、自分のアピールポイントを必死で書き連ねているのに、何もアピールになっていない気がして苦しい。やはり困ったときは友人を頼るべきだとレオンハルトに訳を話すと、レオンハルトは死ぬほど嫌そうな顔をした後にアドバイスをくれることになった。
「まず、お前の家柄はやはり強力なアピールポイントじゃないか?それは書くとして、あとは……顔とか??」
「もっと内面についてないのか!?」
「……そんな回りくどいことをせずに、ただ貴女のことが好きだと伝えれば良いだろう。シュレイン嬢は純粋にお前のことを好きなように思えるけどな」
「……彼女が家柄なんて気にしていないことはもう分かったが、家柄以外の魅力が自分にあるのだとアピールしたいんだ。だから、明日のテストでいい結果が出ればそれをアピールポイントの1つにして、彼女に告白しようと思う」
「今までろくに話してこなかったのにいきなりプロポーズというのもお前らしいな……。お前の友人として、健闘を祈っているよ」
「ありがとう。……お前の言う通り、彼女は運命だと思うから、離したくないんだ」
そう言った俺は、俺の言葉にニヤニヤ笑うレオンハルトを小突いて文章の推敲に取り掛かった。
明日だ。明日、シュレイン嬢に告白する。
そう決意して向かった学院の俺の机の中には、毎日欠かさず交換していた、シュレイン嬢からの交換日記が入っていなかった。