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彼らの話は予想に反して大変興味深かった。リサは商人としての知識はある方だったが、その多くはセレネの常識である。セレネを利用しない一般的な街の商人の話は噂話を介してしか知らない。
彼らの話によると近年、魔力が弱い人間が増えて来ているらしい。今までは魔力を動力としていた機械のいくつかは、代替パワーである電気や燃料を動力に使える物に取って代わられつつあるそうだ。そう言えば、昔は魔力が強すぎて暴走する事故を時々耳にしたが、最近は聞かない事に気がつく。魔力が弱まっていたからか……
魔力の弱い個体は王都からはなれる程数が多いらしい。それはつまり、遥か離れた外国では魔法は使われていないのでは無いかと言う推論が立てられた。
外国との国交は皆無だが、もしそちらで既に魔法が途絶えているならば、それを補う科学技術は発達しているはずである。それを先んじて独占できれば商人としてのリターンは多大だ。
フォンス以外の客か先に帰った後、リサはフォンスを問い詰めた。
「ドールを海外との取引の代金にでもするつもりですか?」
「させないように、俺が身分を隠して市中に潜り込んでいる。国民を守るのは王家の勤めだ。だか、皆がいる場所で喚かなかったのは助かった」
「直接的に言われていたら、喚いていました。出来れば事前にご説明頂きたかったです」
「許せ、ヒューホがあそこまで貴様を気にいるとは思わなかった。奴らの世界も狭い。良心がいかに脆いものかを知りすぎている。ただ、考え方は悪く無いと俺も思っているから、上手くコントロールしたいが……」
「開国するには武力が足りません」
「そう言う事だ。名前だけの騎士と魔法頼みの軍事力。その軍事力が低下し切る前に真の力を得る必要がある」
フォンスは辺鄙な町を治める貴族として学院に通っていると言う事にしているのだそうだ。王太子と違い、紙幣に印刷されている訳でもなく、公式の場に出たとしても遠目で細かな容姿は分からない。髪の色さえ変えれば別人だ。いっそ潔く同名のままというのも、逆に怪しまれないのだそうだ。
フォンスは「またな」と言って帰って行った。
また?え?また私も参加するの?
リサはリサの前でだけ王子特権が有効になる事に多少不満ではあったが、王都の商人の流れを知れる権利を手放す気にはなれなかった。ハウスを守るには世の中の情報も欲しい。
翌々日にガーデンに行くと、ブロはフォンスと私が話していた事を知っていた。レフィから漏れたのかも知れないが、この人も情報が早い。
「フォンス王子はハウスに興味があるのでしょうか。それとも君に興味があるのでしょうか」
「クリス様を倒してしまった事を口止めされただけだよ。それに、フォンス様は芸事に興味は無いって」
「ふふ、口止めされただけの割に詳しいですね?」
「もうっ」
珍しく突っ込んで聞いて来られるけれど、これ以上は顧客の情報を漏らす事になる。どうすべきか迷っていたら、お茶を出しながらブロは少し真面目な顔になった。
「フォンス王子には色々と良くない噂もあります。巻き込まれないよう注意してくださいね。貴女は少しあやうい」
時既に遅しとは言えずに、リサは笑顔で頷いた。
ブロは困った様に笑って、いつも通り魔法の話をし始めた。それから、魔力のコントロールのための簡単な訓練も教えてくれた。
一方、何をどうやってかは分からないけれどレフィにはもっとバレていた。
「王子様、君の家のハウスに行ったんだって?」
「言えません」
ガーデンに誰もいない時を見計らって聞いてはくれているんだけれど、こればっかりは漏らしてはいけない。守秘義務を守り切る事はドールハウスのプライドでもある。
「マイプティサレ。けれど心配はしているんだ。君が望めば俺とブロで闇を闇へ葬る事は出来る。それは覚えておいて欲しい」
困ったように微笑みながら、困った事を言われる。より一層打ち明ける訳にいかなくなりました。葬り先の闇ってどこですか?
商人達の動向にヨンゴを割きたい所だったけれど、決闘騒ぎでやって来た虎穴はフォンスだけでは無かった。
金色で滑らかな髪を美しく巻いた学院の女王様アレッタ・アッセル。王太子の従姉妹にして社交界の華。そして、レフィが姫と呼ぶ唯一の人というのはヨンゴからの情報だ。彼女が通る時は皆廊下の脇で頭を下げるという暗黙のルールもあるらしい。リサも当然右に倣えをしていたけれど、視界に入ると彼女の靴がリサの前でピタリと止まった。
「そこの。付いて参れ」
王族はみんなこのノリですか?
フォンスよりマシだったのは親切な付人さんがいたから。呼ばれたのに、現実逃避した……もとい、自信が無くて返事をし兼ねていると、付人さんが「貴女です」と肩を叩いてくださいました。
やはり、王族専用区域の内装の異なる部屋に連れていかれる。どうやら各々使用する部屋が決まっているらしく、アレッタの部屋は予想外にラブリーだった。
レース!ハート!ヌイグルミ!な部屋は女王様のイメージとは、かけ離れている。
「先日は悪かった。怪我などはしておらぬか?」
扇子で口元を隠しながらもよく通る声で尋ねられて、なんのこっちゃと頭にハテナが飛ぶ。
「レフィをけしかけたであろう」
「あの件でございますか?いえ、怪我なんてそんな。淑女としてあるまじき行為を止めていただけて、アレッタ様、レフィ様には感謝しております。身の程を知りました」
「そうか」と返事をした彼女に特に感情は見られない。本当に気になるなら、私を連れて行ったレフィに話を聞いているだろうし。
「お前は……お前の家はドールハウスをやっているというのは本当か?そこでは剣もやるのか?」
「父はセレネでハウスを営んでおりますが、血の穢れのあるような事はしておりません。剣舞などはお見せ致しますが……」
「授業での舞は見た。見事であった」
「お褒めにあずかり光栄でございます。けれど私共のドールには足元にも及ばないものでございます」
今度の「そうか」は少し目が輝いていた。これはなかなかのチャンスかも知れない。
「ドール達はどこで芸事を学ぶのだ?」
「その道の師の免状を持つものを呼ぶ事もありますが、舞に関しては畏れ多くも私めが許しを得ておりますので指導しております」
「お前の弟子は師を超えるのか」
「左様でございます」
実際は音楽もお茶の作法もリサが免状を持っている。けれど、今は話題をブレさせない方が良い。
「働いているドール達と違い、時間だけはございますので」
「ふむ……。先程、身の程を知ったと言ったな?」
「え、ええ、はい」
「では、その身の程と言うものを見せてもらいに行こうか?」
今度のアレッタの笑みは満面の笑みと言ってよかった。
フォンスの時と違い、今度は公式に『お忍びで王族が物見遊山』というややこしい展開となった。しかし歓楽街に王族の女性一人って大丈夫なのか?と心配になる。もちろんお付きの人はいるだろうけれど。
心配無用である事は当日知った。やってきたのはお付きの人とアレッタと、レフィ。
「ハイ!プティフールサレ!」と笑顔眩しくレフィは手を振る。
「セシル様から口添えも貰った。条件がこやつだ」
なんでみんな事前に言ってくれないのかなぁ?!
アレッタに見せるなら、当然カサブランカが出なくてはならない。カルスの挨拶の際に出て着替えて舞って、ローズがもてなしてる間に早着替えして戻るという計画が……。相手が二人では抜けられない。
「カサブランカは今日観れるんだよね。彼女、少し気難しいって聞くよ?プティサレ?姫に最高の舞を見てもらえるようにご機嫌とりに貰ってもいいかい?」
レフィ!ありがとう!
崩れた計画は最善の形で持ち直した。もてなし役を父親に引き継ぎ、すぐさま引っ込む。これだけの余裕があれば、二曲はいける!剣舞と寿ぎの舞を両方続いてやってやる。カサブランカを労っていた事にして、戻るのが少し遅れても、この分なら大丈夫だろう。
それにリサには自信があった。舞を好む者なら、カサブランカの渾身の舞を見た後現実に帰るのに時間がかかる事を。数え切れないほど舞ったこのハウスはカサブランカにとってもホームゲームだ。
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早着替えで戻れたのは舞台を辞してから十数分後だった。流石に二曲やれば引っ込んでからは息も切れるし汗もかく。キチンと身だしなみを整えてリサが部屋に戻って来てもまだ、アレッタもレフィも意識はあちらの世界だった。よしよしと側で控えておく。
「これほどまでとは」
先にレフィが覚醒し、その言葉でレフィはここに来た事はない事が分かった。実は容貌変化してここで会ったこともあるかもしれないと思っていたが、それはないらしい。
「レフィ。ここだ。ここ以外ありえぬ」
続いて覚醒したアレッタはそう熱に浮かされるように呟いた。その顔はいつもの威厳に満ちた女王様では無く、まるで寄る辺の無い子供のようだ。
レフィは少しだけ悲しそうな表情を見せた後、いつもの輝くような顔で「そうだね」と答えていた。
気になりつつも、宴は続く。ローズの給仕もカトレアの手指のマッサージもアレッタは食い入るように見つめていた。
疑問が残る接待だったけれど、お客様は大満足だった事は払われたチップで分かる。常連になってくれないかしらと願わずにはいられない。
だから、日を置いてアレッタに呼び出された時は心中拍手喝采だった。ファンファーレはアレッタの頼み事を聞くまでは確かに聞こえていたのだ。
「リサ、私に芸事を仕込んではもらえぬだろうか?」
「げ、芸事を……ですか?」
「うむ、茶も音楽もそなた、免状を持っておるのだと聞いた。授業料は弾む」
授業料と聞いて少し心が揺らぐが、リサの収入が増えても仕方ない。口コミでハウスが持続的な人気を得るようにならなければ、ひと時のお金など何の意味もない。しかし、相手が相手なのでずばりと断る訳にもいかない。
リサがそう思案していると、アレッタは「ふむ」と事前にリサが快諾しない事を知っていたかのような表情で言葉を続けた。
「気まずいならば、他の女生徒も誘おう。彼女達にはそなたのハウスでドールの素晴らしさを見てもらい納得した者だけに参加させるのはどうか?」
「承知しました」
ハウスに子女が気安く来てくれるようになれば、市場が一気に拡大する。リサは一度さえ来てもらえれば、既存のセレネのイメージは崩せると考えていたのだ。
リサの返事にアレッタは安堵し、助言を事前にくれていたレフィに心の中で感謝した。
アレッタに誘われて断れずにハウスに連れてこられた何人かは、ドールに夢中になり、何人かは冷静に芸事に興味を持った。お気楽貴族の御嬢様方に、放課後に教室を借りてまで芸を教えるのは難しいかと思ったが、アレッタが『芸を習う事』は全く強制せずむしろ不真面目なら来るなと明言した事で意外と残った子達は真面目だった。
全部一気に教えるのは無理なので、興味がある分野と適性がある分野だけ各々に教える。センスが鍛えられれば、他の分野も自ずとある程度は上手くなれるからだ。教える内容は芸事の範囲を超えて、接遇やマッサージ、会話術等々広がっていった。口コミで学院の女生徒のお姉様やお母様からも参加したいと言う声が出て来たが、そこはではあまり広げないようにクオリティを保った。何より真剣なアレッタには必要に応じて個人的にレッスンもする。
ここまで上手くいったのは一重にレフィのおかげでもあった。ハウスにアレッタが皆を連れて行く時は必ずとついて来てくれたので、カサブランカを出す事が出来たし皆も安心して……というかレフィ目当てでハウスに来てくれた感は否めない。
女生徒達がレッスンのために来る時は値段を抑えて、多人数に一公演というようにし、女性リピーターは割引する。あんまりハマりすぎる子にはローズから注意してもらい、父兄からは不満が出ないようにコントロールした。ローズはファン達に、上達した舞や歌を父兄に披露して評価を上げさせるようにも誘導してくれた。
そもそも芸事は授業で習う科目でもあるし貴族の嗜みでもあるから、今のところ大きなトラブルは出ていない。