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高い魔力を持つ生徒には特別なケアが必要だそうだ。強い魔力と言われてもピン来ないけれど、そう言えば容貌変化の魔法は魔力消費が激しい。長い時は半日変身しっぱなしの事もあるので、それで鍛えられたのかもしれない。
ともかく担当アドバイザーから渡されたお知らせの手紙によると、リサはガーデンでのケアとやらが必要であるとあった。
ガーデンの入り口には特殊なゲートがあり、登録された者しか出入りできない。そのゲートをリサは通る。
ガーデンは空中に浮かぶ様に作られた庭園だった。ガラス張りのドーム状の屋根の下、そこここに様々な植物が植わっている。
来てみたはいいけれど、人は見当たらない。ケアが必要と言われたからには何らかの処置をされるのだと思ったのだけど。
「こんにちは。貴女はガーデンは初めてですね?リサ・カルスさん、貴女を歓迎します」
腕組みをして考えていたリサは後方、自分が今まさに出て来たゲートの方から声をかけられて驚いた。ここに入る時、周囲に人はいなかったはずなのに。
振り返ると男子生徒が立っていた。黒い髪に黒い瞳、かけられた眼鏡まできっちり黒い。落ち着きがある事と、寿ぎの舞の時に見かけなかったことから、上級生であると何となく推察する。
「驚かせてすみません。ガーデンのゲートはあちこちに繋がっているんですよ」
促されてガーデンの奥に進むと東屋があって、テーブルとベンチもある。
「こちらにある水屋も自由に使ってください」
「水屋?」
「ミニキッチンです」
水屋の意味は分かるが、自由に使えの意味が分からない。彼の後を訳もわからずついて行くと、確かに小さなキッチンがあった。
お盆を渡され、その上に焼き菓子やキャンディが積まれる。一方、彼はポットとカップを持っている。そのまま東屋のテーブルに戻ると、お茶を淹れてくれた。
「今日はノンフレーバーティーにしました。苦手な物は……あってもカルス家のお嬢さんは人前では仰しゃいませんね、きっと。」
微笑みながら勧められたお茶をいただくと、茶葉は良いものだった。香りの立ち方が上品で、淹れ方も完璧。「接客業の方にお粗末様ですが」と言って出されたが、味は極上だ。こやつ、できおる……。
「美味しい、です。その、お世辞なしで。すみません。ここで私は何をしたら良いのでしょうか?」
ついうっかり寛ぎかけたリサは、すんでのところでここに来た目的を思い出した。
「そうですね。私の話し相手、なんてどうですか?」
「話し相手も楽しそうですが、私はこのような手紙をもらってこちらに伺ったのです。何かご存知ですか?」
渡したお知らせの手紙をちらっと見ただけで、彼はそれが何か分かったようだった。
「では、今日はその話をしましょう」
そう言いながら、どうやらオススメのお菓子を皿にサーブされる。これを全部頂くほどの時間がかかるのね、と了解した。
「このガーデンの花達は特別で魔力を調整してくれる働きがあります。強い魔力を持つ者は魔力を溜めがちになって、時々体調を崩してしまう事があるんですよ。だから、疲れを感じた時にこちらで少し休むことでそれを回避するのです」
体調を崩す……リサは一瞬ルイサの事を考えた。それから、己を顧みてみるがそんな自覚は無い。ほぼ毎日容貌変化で魔力を使いまくっているから溜まり過ぎる事は無いと思う。
「体調を崩した事はないのですけれど……その様な時はこちらにお邪魔いたしますね」
かと言って、全然来なければ何に魔力を使ってるか怪しまれるかもしれない。カサブランカにならない日はこちらに来ようか。いや、カサブランカの出欠と関連があるのもいけない。
「私はほぼ毎日来ていますが、ここは人が少なくて。どうすれば貴女にもこちらに頻繁に通ってもらえますでしょうか?」
あんまり来なさそうなのが即バレた。それにしても……
「そうなんですか。お菓子もお茶も美味しいのに」
本当についうっかり、するっと敬語が飛んだ。
「失礼しました!」
「いえ、構いませんよ。むしろ学院の舞姫と親密な様で嬉しく思います」
「ご覧になってたのですか?」
「はい。ここからは良く見えますので」
確認せずとも、確かに位置関係からそうであろうと分かった。
あの舞を見たのか。ならば、この人をとっかかりに上級生への売り込みに繋げられるかもしれない。リサは算盤を弾いた。
「いえ、うちのドール達には遠く及びません」
「ドール?カルスのハウスの子達ですか?」
「はい」
リサがどうやって話を広げようと考えていると、彼は長い指を顎に当てて一瞬思案した。長い睫毛もまた黒く、前髪がかかって少し隠された顔はよく見れば整っている。
「……そうですね、宜しければ私の誕生パーティーの余興を依頼しても?評判は聞き及んでいます。」
「もちろんです!」
誕生パーティーなら、ご学友も来るだろうし父兄にも披露できる。つい興奮してしまったリサのおでこを彼は指先で押した。
「ただし、何もなく依頼するのは面白くありません。リサ、私の名前を当てるゲームをしましょう。期限は半年です」
「半年、というのもヒントですね」と彼はクスクス笑った。
やります。やらせていただきます。リサは快諾して焼き菓子を頬張る。同時に美味しいお菓子のアイディアも口で盗んでいった。
快諾したは良いけれど、ヨンゴ情報では上級生に黒目黒上髪黒縁メガネはいないとの事。つまり、容貌変化を使われていた事が分かった。後の手がかりは誕生日が半年以上後である事。流石にこれだけじゃ分からないから、リサはガーデンに通った。しかし、必須の授業は休めないし、彼が毎日放課後に居るとも限らなかった。彼はリサに会うと嬉しそうに色々教えてくれた。
ある日の事、ヒントが欲しいかと聞かれて応じるとその見返りを求められた。彼をブロと呼ぶ事。できる限り敬語は使わない事。それでブロがレフィと同じ学年に兄弟がいる事を教えてもらった。つまり、ブロは三年生で年子の弟がいる……
「ちなみにガーデンは大学以降も使用する事ができます」
最後ににこやかにそう付け加えられて、リサは膝をつきたくなった。容貌変化使っているなら、年齢も誤魔化せるね……流石に年下ではないでしょうが、
「ブロの専攻は?」
「カマをかけたおつもりですか?……ですが良いでしょう。魔力と瞳の研究はご存知ですか?」
「いえ」
「瞳の色と魔力の適正には相関があります。赤は攻撃魔法、青は防御魔法、黄色は回復魔法の適正があります。そこに遺伝性の色素が混ざって瞳の色は作られます。貴女のように黒色の瞳の者は見た目では分からないのが残念ですね。因みにここは三年で履修する内容です。私はそれに興味があります」
最後の一言に、今度こそリサは膨れた。結局、大学で専攻しているのか三年生なのかは分からない。いや、大学の方のターゲットは絞れた訳ですが。
「じゃあ、ブロの瞳の色を見て適正は分かる?」
「私のは分かります。今日はヒントを言い過ぎましたね」
そう言われれば調べる他無い。魔力と瞳の研究について本をめくると、確かに大きなヒントが見つかった。
瞳の色や適性は同時にとある効果をもたらすとの事だ。赤い瞳は人を魅入らせる。青い瞳は庇護欲を掻き立てさせる。そして、黄色の瞳は相手を油断させたり癒したり……。
ブロが容貌変化を解けば絶対黄色系の瞳だろう。今まで黄色系瞳のお客様の前で粗相が無かったのは、その効果と魔力に相関があったかららしい。自分より強い魔力のある人からの影響は大きく、弱い相手からの影響は受けにくい。
レフィは赤いし、ルイサは青い。二人とも私にはあまり影響を与えないって事は私よりは魔力が弱いのだろう。茶色やヘーゼルの人は遺伝の色も混じってるのね。ふむふむ。リサは自分の適正が知りたくて調べたが、黒目の調べ方は見つからなかった。
そうやって、ブロは色々教えてくれたのでリサは学生正しく学業をエンジョイしていた。ルイサ達は医務室に運んだ次の日からちょっかいをかけてこないし、レフィも相変わらず。お菓子は美味しいし、盗んだレシピのお客様方の反応も上々。
上々ついでに中間テストの成績も良かった。明らかに得点源が一般教養の部分だったけれど、フランセン様の顔に泥を塗る事にはならなくて万々歳だ。
テスト前にブロに教えてもらった事もあり、今日は手作りの菓子も持参でガーデンに行った。会えれば良いなと思いながら待っていたが、ブロは現れなかった。置いてあるお菓子は甘いものばかりだったけれど、甘く無いものも好きと聞いていたので、プレゼントはハウスでオススメのケークサレにした。焼き菓子とはいえ、まさかそれを置いていくわけにはいかない。
仕事の準備もあるし、お菓子はまた作り直す事にして帰るかな、と思ったその時、東屋にレフィが現れた。
「プティサレ!成績表見たよ。おめでとう」
「レフィ様?も、こちらでケアを?」
「そうだよ。ここでは初めて会うね。ブロは……今日は居ないか……」
「はい。テストのお礼に伺ったのですが、本日はいらっしゃっておりません」
「ふぅん。これがそのお礼?味見しちゃダメかな?」
「お渡し出来ない分ですから、召し上がっていただいても結構です。甘いものではありませんが」
差し出したケークサレを摘んで食べる姿も隙なく優雅な感じ。レフィから寿ぎの舞の話題やカサブランカの話題が出ない限り、今はこちらからその話題をつつくつもりはない。下手な言い訳ならしない方がマシだ。
「美味しい。君は何でもやるんだね」
何でもできるのはカサブランカです。私は白鳥の足の様に水面下の見えないところでバタバタと努力して、完璧なハリボテを支えているだけ。
「ありがとうございます」
いつもならうちのドールには及ばないと謙遜するところだけど、レフィ相手なので無難に礼を言った。その頭を彼は二回ぽんぽんと叩く。
「……君は相変わらず努力家なんだね」
驚いて見た彼の目は赤く、黄色の瞳ではない。
「私は……もしかして以前に貴方とお会いしたことがあるのでしょうか?」
「あるよ。凄く昔だけど。ねぇ、君がその事に気がついた記念にキスしていいかい?」
「っダメです!」
あははっと軽快に笑われて、からかわれたのだと分かった。どうしよう。恥ずかしくて顔が熱い。
「レフィ様はその様な事ばかり仰ってますが、あまり色々な女性に声をかけられるのは感心いたしません」
「僕から声をかける事、あんまり無いんだけど?」
「私には声をかけてらっしゃいますね」
「それは君が特別……可愛いからだね」
この男は舌の根も乾かないうちに……いけない。また彼のペースだ。私も暇じゃ無いのに……あ。
「すみません。この後予定があるので失礼します」
仕事に遅れそうになると気がついて、リサは慌てて席を立った。
「このお菓子は?」
「差し上げます!」
淑女としてあるまじき別れだけれど、相手は彼だけだからと自分のはしたなさに目をつぶって、リサは走り抜けた。
残されたレフィが同じく置いてけぼりをくったお菓子に手を伸ばすと、お菓子は包みごと空を飛んで逃げ出した。
「My lovely brother!のぞき見なんていい趣味だね?」
「止むに止まれぬ、というやつです。私としたことが、魔力を使いすぎてしまうとは。少しこちらに足を運びすぎました。ところで、レフィ、親愛なる我が弟であっても、彼女が私に用意したプレゼントを奪う事は許しませんよ」
お菓子の包みを受け止めた彼の髪の色は黒でもなく、またレフィの様な金髪でも無い。
「私がお前を呼んだ理由は、分かりますね?」
彼の問いにレフィからはいつもの輝く様な笑顔が消えた。そして、報告書を渡した。