17
リサはすぐさま王宮に向かったが、その決定を下した人――カレルへのコンタクトの取り方が分からなかった。王宮への受付は長蛇の列だし、そもそも王太子にお目見え願うだけの立場が無い。
王が倒れた後の王太子は国の統治者だった。成金貴族の娘は自分がここにいると伝える事すら出来ない。
せめて婚約内定すらしていれば多少のやりようがあったかもしれないが、婚約内々定を知るような実務担当者は王宮内で大わらわなのだろう。王宮の情報がパンクしないように指示は上から下へ比較的スムーズに送られているが、下からの意見の拾い上げはかなりセーブされていた。
「カルス様!レフィ様のお話はご存知ですの?!」
キャンキャン声に振り返ると、蒼白なルイサが飛びついて来た。
「私、信じられません!何かの間違いですわよね?!レフィ様が、あんな優しい方が、そんな!」
「え、ええ。私も信じられなくて……」
「間違いでは無い」
小さく凛とした声で、アレッタも加わって来た。
「いやです。いやです。そんなはずありませんもの!」
「皆、騙されてあったのだ。このアレッタすらもな」
そっとルイサの肩をアレッタは抱いている。リサはそれをただぼうっと見つめていた。
「……公開裁判の際、クリスやその取り巻き、目撃していたヒューホという商人、それからレフィ本人も認めておる。レフィは王家を恨み、フォンスを語ってクリスを唆し、その革命の準備に関わっていた。全ての証拠があるのを、私は見聞きして来た」
公開裁判は多くの貴族と報道機関の前で行われる。そこでレフィが自白した?
ふと目があったアレッタは唇まで青く、それは信頼していたものに裏切られたという動揺にも見える。
けれど、リサはアレッタのその表情の意味を知っていた。
血にあがらえず、恐怖や絶望を飲み込もうとしている表情だった。
「いた!リサ」
リサは声も出せないまま、ヨンゴに手を引かれて行った。ルイサを抱いたアレッタがどんどん遠くなる――
「こっちだ」
人の少ない方少ない方に連れてこられたと思ったら、学院の裏庭だった。そこで、ヨンゴはパッと手を離した。その瞬間、近くには止めてあった馬車が急に動いて、リサはひょいっと襟首を引っ捕まえられて馬車に乗せられた。
馬車は王宮内向かって走っている。ヨンゴもちゃっかり横に座っている。私の襟首を掴んだのはもちろん
「フォンス様」
「ヨンゴ、ご苦労」
「あんたのためじゃないけどね」
城内にある車止めまでは馬車で、その後は布をおっかぶされて城内に連れ込まれた。
「お前、本当に兄上のものだったか」
「物扱いされるいわれはありません」
「……兄上もお目が高い」
王宮内でをぐるりと歩かされてついた先はガーデンへのゲート。
「ここはリサしか入れないね。外で待ってるよ」
「ヨンゴ……」
「仕事もあるからね」
フォンスとヨンゴと別れてゲートをくぐる。期待を込めてガーデンに足を踏み入れたが、そこに居たのはカレルだけであった。
「リサ……」
「カレル様……レフィは?」
悲しそうな顔をしてゆっくりとカレルは首を振った。
「地下牢です。刑の執行は十日後ですのでそれまでは面会は可能です。レフィが拒否しなければ、ですが」
「レフィは何をしたの?」
「思い通りに私をなじってください。殴っていただいても結構です。彼は、無実だ」
やはり、と理解してリサは涙を堪えられなかった。レフィに実際の罪があるという判断ならば、それが誤解だと証明すれば罪は晴れた。けれど、カレルと、おそらくレフィ本人がレフィの罪にするのが最善と判断した結果ならば晴らすことは不可能だった。
「言い訳はいたしません。彼を救う事は出来ませんが……貴女には心から申し訳なく思います」
「ううん。こっちこそごめん。貴方のお父様が亡くなったというのに、気遣いもせず……」
以前の例え話が現実に起きてしまったのだとリサには分かっていた。国民の最善のためなら、リサやレフィの命は差し出される。例えどれほどにカレルが苦しんでも、差し出さざるを得ない。
今の王太子の時間がどれほど貴重かぐらい分かる。国民のための時間は削る事が出来ないカレルが今、リサには割いてくれている時間は彼の睡眠や食事の時間だ。その時間も始めから少ししか無い筈だ。そして、身内を亡くした心労はいかばかりか。
「陛下の事は……確かに多忙ではありますが、リサが悩むようなことはありません。それより、時間はあまりありませんが、貴女の知りたい事はお教えできるかと」
「それなら、お言葉に甘える。何故レフィに処罰が下されたのか、教えて。理由を。お願い」
「はい」
返事をしながら、カレルはいつも通りお茶の準備をし始めた。これはカレルにとって儀式のようなものだった。心を落ち着かせるために彼はリサにお茶を振る舞った。
「クリスの公開裁判の際、クリスは『フォンスが黒幕だ』と発言しました。それから、フォンスが商人の集まりに参加し、そこで発言権があった事、更に革命の話し合いの際にもフォンスからの助っ人がいた事を発言しました」
裁判の様子がカレルの口から淡々と語られる。
フォンスは元々あまり評判の良い王子では無かった。単独行動も多く、あまり王家の規則を守る方では無い。フォンスとカレルの仲は悪く無いが、フォンスが王家の古い体質を含めてカレルを批判する事もあり、世間では二人は相容れないというイメージが定着していた。
フォンスが商人の集まりに出入りがあった事をカレルは知っており、念のためにカレルの指示でレフィは護衛についた。革命側が怪しくなってからカレルは秘密裏にフォンスの参加をセーブさせ、代わりにレフィを参加させた。
その後、革命軍の動きが明らかにおかしくなった時点でフォンス自身も身に余ると判断して、カレルに商人に不穏な動きがある事を相談した。そして、二人は二人の判断でレフィを革命側に間者として潜り込ませたのだ。中途参加なのでもちろん怪しまれたが、この時フォンスの側仕えとして『ダメージは少ないがある程度向こうに利のある情報』を手土産として持たせ、信頼を得ることに成功した。
成功した、と思っていたし、革命側の多くの者はその通りだった。しかし、実際はクリスとそのその側近は初めから誰も信頼していなかった。革命軍全体がクリスに騙されていたのだ。王弟を人質にとり貿易と特権を認めさせる。そして、外国に国一のドールを差し出すという計画にレフィ達も含めて皆が騙されてしまった。
クリスの狡猾さは博打の時と比較できないものだった。彼は万一失敗し、囚われた時の準備も怠らなかった。
フォンス王子の謀反をでっち上げる。それはこの国にとって大きな痛手になる。フォンスは当然無罪を主張するだろう。しかし、多数の国民を死なせた罪でフォンスを極刑にすれば、若いカレルは独裁の疑いを持たれ、軽微な罪では亡くなった国民の家族は許さない。
そんな状態で外国とのやりとりは難しいだろう。けれど、すでに国交は開きつつある。隙間に、商人がつけこめばクリス自身では無い誰かが王家に仇をとったも同然であった。
『俺だけ助けようったってそうはいかない。一人で革命をなしとげろってか?冗談じゃない』
裁判中、フォンスの疑いを晴らす方法をカレルが必死に考えていると、レフィは裁判中にはあり得ないぞんざいな発言をした。
浅慮だ。と思ったのは最初だけ。レフィの態度にクリスが次々とフォンスが関わった証拠となる証人を挙げる。そして、その証人達の発言から、誰も無実のままでは終わらせられない事をカレルは悟った。
そして、クリスの証人の発言や証拠は、フォンスが謀反を企てたのでは無く、『レフィが黒幕でフォンスを語った』と考える方が自然となるようなものだった。
クリスとカレルは同時に、万一の際にレフィがそれを狙って準備していた事に気がつく。
レフィが潜伏中の偽りの姿を晒し、そして、孤児だった自分が王家にいいように使われてきた王制への恨みを告白して、聴衆は完全にレフィが黒幕だと認識した。
『俺がいなけりゃ、はっきり言ってカレルやフォンスの力は半減する。おまけにこういう裏切りをすれば、二度と同じような奴も飼えないだろ?人助けもできて、王家もダメージを喰らう。ついでに馬鹿な貴族が落ちぶれるのも見れた。もう気が済んだんだよ。じゃあな』
そう言って魔力で逃げようとするのを、フォンスが魔力で捕らえた。フォンスの側にはヨンゴ……全てはレフィの指示通りに。
自分を最後に辱める言葉を吐いたレフィを道連れにする事でクリスはその結末を受け入れ、そして、最早助ける術を見出せないカレルは判決を言い渡した。
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王宮の地下牢は比較的に綺麗で、頑丈な檻のついた貴人の部屋だった。使用された事はほとんど無いが、王宮の使用人達は勤勉で手入れは行き届いている。最後に入れられた者は身分の高い者であったらしく、調度品まであった。
看守や世話に来る者は口が固く使命に従順な者ばかり。そして、彼らは事情を知ったか知らずか自分への対応は悪く無かった。
一週間か。目を瞑って色々な人を思い出す。故郷の者達、母親、それから兄弟。学院の生徒や先生。目を開ける時は時計を見つめて、時が過ぎる事を願った。
何も考えずにいようとすると、浮かんで来るのは彼女の姿ばかり。
笑顔も泣き顔も見飽きる事は無い。自分が見守ってきた花はこの結末を許さないだろう。けれど、彼女には自分が最も信頼するカレルが側にいる。彼女の自分への気持ちに気づかないわけでは無いが、彼女もセーブしてきた。カレルは男の自分でも惚れそうなくらいの人間で、きっと彼女はいつか彼を愛する。自分の母親のように。
部屋の外で音がして、看守が面会だと言ってきた。カレルからの恨み言なら聞くべきだろうと行った面会室の、透明な防護壁の向こう側に彼女がいた。
「プティ?こんな場所は君に似合わないね」
「……レフィ、全部聞いたわ」
「全部?カレルはおしゃべりだ」
「ふざけないで」
少しの疲れは見て取れるが、彼女は気丈だった。良かった、とレフィは安堵した。
「僕が黒幕だよ。悪者は一掃され、君とカレルは結婚する。めでたしめでたしだ」
「お願い、私は貴方の本当の願いを聞きにきたの」
「願いは叶っている。後は君が幸せなら完璧だ」
自分を思って彼女がこんな表情をしてくれている。口に出してはいけない想いは充分に通じ合って、確かめ合っている。これ以上は互いの足枷にしかならない。
「リトルプティ、どうか元気で。この後との事、頼んだよ」
「待って、私、貴方に何もお返しできてない」
自分の事など忘れて、ただ幸せになって欲しい。彼女の父親の事も間に合った。初めから無い命だったはずなのに、得難い時間、愛しい笑顔、沢山のものはすでに彼女からもらっている。やるべきことは済ませ、後悔は無い。
そして、同時にこれ以上は耐えられなかった。
触れたいと思わずにはいられなくなる。
切なげで苦しそうな彼女に微笑んで、レフィは背を向けた。
「こんな最後になるために黙ってた訳じゃないのに!待って、シオン……」
レフィはつい、足を止めてしまった。
「シオン?」
「貴方の名前。貴方の本当の姿。私は知ってたの」
「僕はレフィ・フランセンだよ」
「王妃様……貴方の本当のお母様の能力を知っているでしょう?私も姿を暴く目を持ってるの……」
「……まさか……」
「貴方がする事の邪魔をしたくなくて、黙ってた。でも、貴方がこんな結末を選ぶなら私は黙ってられない」
目の前の黒髪に黒い瞳の彼女。そうか、とシオンは彼女の才能を見誤っていた事を知った。方法は難しく無いと聞く。けれど、それを成すほどの魔力を扱うのに自分の母親は数年は要したはずだ。
諦めて防護壁を挟んで置かれた椅子に、シオンは座った。
「いつから?」
「貴方が初めて私の部屋の窓に来た時だよ」
「随分前だね。カレルに君の能力を教えてくれなかったことを抗議しなくちゃ」
リサ対面の椅子には座らずに、そっと防護壁に手を当てた。あそこに触れれば温もりくらいは感じられるだろうか。
「……シオン。私、やっぱり貴方が好き。貴方の側にいきたい」
「強烈だな。嬉しいけど、それは叶わない。第一、俺はあんたの好きなシオンの姿には戻れない。いいか、あんたはカレル王太子と結婚するんだ」
「戻れないのは知ってる。全部聞いたから。それでも私は、貴方が好きなの」
こんな事、たまらない。二度と触れる事すら願えなくなって、そんな……いや、だからこそ、か。自分の対価の一つは王家のために動く事だ。触れて、連れ去る事が出来るうちは、なんらかの妨害があったのかもしれない。
「あんたは情報通だな。カレルがそこまで心を開ける相手はあんたしかいない。分かって欲しい」
「違う。カレルじゃない。レフィの事はレフィから話すまでは教え無いって」
「じゃあ、誰から聞いた?フォンスか?」
「ヨンゴだよ」
「――っ!」
「ヨンゴは、貴方と契約してるけど主人は館の主人でしょ?ヨンゴは主人からも貴方からも口止めはされてない。だから、『仲良くなって教えてもらった』の」
シオンから、全ての嘘が剥がれた瞬間だった。
「貴方はその魔力のせいで元の姿に戻れない。貴方は王妃様の前の旦那様との子供だわ。それから、貴方はずっと、初めて会った日からずっと私を、助けてくれていた。何故?」
たまらない。本当にたまらない。
「初恋だった。一目惚れだったんだよ。俺もあんたが好きだ。好きだった。リサ」
「シオン」
「だけど、あんたも知ってる通り、俺は国のためにしか命を使えない。初めからあんたと幸せにはなれねぇ運命だった」
レフィの姿のまま、シオンは防護壁越しにリサと手を重ねた。
「シオン」
「愛してる。愛してた。だから、あんたは幸せになって欲しい。亡霊を愛しちゃいけねぇよ。リサ」
縛りだような声は初めてリサの部屋で激昂した時と同じ。
「達者でな」
「シオン!」
彼は今度こそ振り返らずに面会室を出て行ってしまった。リサはレフィを二度と見る事はない事を知って、彼が扉を閉めるその時まで瞬きもせずに見つめていた。




