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フォンスから状況が悪くなったと言う話を聞いたのは、それからひと月程経った頃だった。ヒューホ派ともう一派は完全に別れてしまい、相手の動きは分からない。その一派はどうやらクリスが噛んでいるようだった。
ヒューホのように国全体を富ますという感覚は彼らには無い。そして、自分を認めない全てを壊す事を厭わない気配を持った一派に、フォンスが近づく事は流石に危険だった。ヒューホはフォンスが会合に参加する事を認めず、護衛もフォンスを止めた。
「と言うわけで、俺の代わりに護衛が会合に参加している。もちろん、ヒューホ側のものだけだが……」
「前から思っていましたが、ヒューホさんはフォンス様の正体に気がついていませんか?」
「かもな」
分かっていて利用しあっているから問題ない、と自嘲するように鼻で笑っていたが、その本心は動きたくて仕方ない、ヒューホ達仲間を心配しているようだった。
「つくづく、身分とは邪魔なものだ」
一瞬口にしようかと思った言葉は、そのタイミングでフォンスの口から出た。
「そのお言葉を貴方が仰ってはいけません」
言い返そうとしたその言葉も口に出す前に後ろから聞こえてきた。
「レフィ。報告か」
「彼女は?」
「構わない」
「女性を巻き込むのですか?」
「こいつは普通の女では無いからな」
「存じております」
レフィにはジロリと睨まれたけれど、王子様に呼び出されたら拒否権ないもの。リサは平然と笑顔で挨拶をする。
「知り合いか」
「一通りは」
「失礼。お前の知らない女はいないか」
少しうんざりした顔をしながら、レフィは報告を始めた。
会合の方に動きは無い。しかし、それよりももう一つの話をにリサは耳を疑った。
「隣国との我が国の非公式な交渉が始まりました」
「ようやく、だな」
「すでに特使は国内に。今回は王族は立ち会わない事となっております」
「声がかかるのは親睦を深める段階で、ということか。兄上も父上も俺の性格がよく分かっているものだ……。リサ、その時はお前も参加するか?俺のフィアンセとでも言えば紛れ込めるが?」
「御冗談が過ぎます。外部の者を入れるとは」
可能性としては、貴方のお兄さんの連れ合いとして出る可能性の方が高いです。そうは言えない私は黙ったままやり取りを見守る。
それにしても、その情報がどこから来たのかが気になる。王妃様かブロからか。そして、その情報源からの指示があって知らせているのか、それとも純粋にフォンスの指示通りなのか。
「ヒューホへは?」
「まだだ。流石に辺境貴族の倅が知るには早すぎるだろう。それから、内通者がいる可能性は捨てきれん」
レフィも同意した。フォンスはリサに顎で指示を出す。
「……隣国と連携が取れた時点で、動きがある事は伝えても良いかと思います。妨害があってもあちらから国の関与の真偽を確かめられるすべがあるのは絶対条件ですが、フォンス様の領地としている場所に動きがある事をフォンス様が知らないのは不自然ですから」
同じ事を考えたらしいフォンスはレフィに、ほらな、と言うように視線を移した。
「こいつをそばに置きたい理由は伝わったか?」
「言われるまでもなく」
「フォンス様。申し訳ありませんが時間となりましたので失礼します」
妙な空気になるのはごめんです。本当はまだカサブランカのお仕事まで時間があるけれど、そそくさと席を辞してガーデンに避難する。フォンスには恋愛感情は無さそうだけど、あの寂しがり屋は友人相手でも独占欲を隠さなそう。
ガーデンで待てばレフィが来るかと思ったけれどそれは無かった。パーティーの翌日から彼はフォンスからの仕事の比重が徐々に重くなっているようだ。今では学院内で女の子に囲まれているのを見かける事も少ない。レフィはカレル兄弟にとってリサのヨンゴのようなものなのかも知れない。そう思うと、いつも感謝はしているヨンゴに申し訳なくなる。
「働かせ過ぎてごめん」
「なんなんだよ。急に」
一週間の始まりの、カサブランカの休日にヨンゴを接待してみた。これこれしかじかと説明するとヨンゴは呆れ返っている。
「これは自分の仕事だし、別に不満も無いよ。大変な時や回せない時はちゃんと断ってるけど?」
「そういう意味でも信頼はしてるんだけどね。でも、時々労らせて」
「リサは変わってるよね」
「後、最近ちょっと寂しくて」
「はは」
ブロも公の仕事が以前より増えて、ガーデンに来る頻度は減った。レフィも忙しい。もちろん、リサも忙しくしているし、アレッタ達とも仲良くやっている。ただ、時々なんとも言えない閉塞感、あっちにもこっちにもある色んな秘密が圧迫してきた。
「忙しいけど、新しい事がしたい。新天地でケーキ屋さんとかしたい」
「それは良いね。客になるよ」
くだらない空想を適度に相手してくれるヨンゴは有難い。ドール達とは違って、ヨンゴは何故かリサにもカルスにも遠慮はしなかった。
「ヨンゴはうちに来て何年だっけ?」
「んー、五年か十年かそんなとこ」
「幅あり過ぎだよ」
「そうかな?」
カルスがある日連れてきたヨンゴは来た時から仲間も外見もそう変わらない。
「ヨンゴは全然老けないね。何かコツとかあるの?」
「一応じわじわと成長してるよ。まぁ、もっと驚異的に変わらない人知ってるからなぁ」
「え?だれ?」
「主人」
「え?」
「ああ、館の主人。あの人ずっと若いままなんだよねー」
ヨンゴはそんな事まで調べてるのかと思うと、本当に頭が下がる……
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ガーデンでの魔力関係のレッスンは無くなって、代わりにブロは国内の話や王宮、王族、それから貴族についての話をするようになった。始めはテスト対策?と思っていたが、回を重ねると流石に分かる。少しずつお妃教育は始まっていた。
王室独特のルールや使用人の使い方、それらはただ聞くだけなら興味深いとだけ思えば良いのだけれど……
「頭、パンクしそう……」
「ようやく、ですか?」
「よう、やく?」
「今の母上もあまり身分は高くない貴族でした。その時のプログラムをその時と同じ日数で進めています。母上様は王宮に缶詰になって覚えた内容を、です」
「そんなの無理だよ……」
ブロに会うのは数日に一度、数十分。授業の内容は何倍濃度になるやら。
「暗記物は文字で先に欲しいな。それで分からなかったところを質問したい」
「前向きですね」
「でないと困るでしょ」
「……本当に良いのですか?」
「それ、私がブロに同じ質問しても困るだけって分かってる?……ブロの事は嫌いじゃない。好きだよ。力になりたいし、私も助かる」
「すみません。私が甘えていますね」
「まぁね」
はっきり言われて、ブロはくすくす笑った。
「甘えついでに、王族の呪いの話もしておきましょう。これは、書き記してはいけません」
リサがノートも筆記具も手放したのをブロは確認した。リサがメモするとは思っていないが、習性として書き残してしまう事があるかからだ。
「我が国は数百年安泰でした。それは、我が一族が王である限りこの先も変わりません。具体的には、飢饉を含めた災害、疫病の流行が起きない、という契約です」
「契約?」
「館をご存知ですか?」
「は、い」
流石です。と言ったブロの表情は暗くない。
「対価は、己の望みが国民の願いを凌駕しない。常に国民の幸せを成就する。それから、愛した人との子に相手の特性を残せない、というものです。だから、本当の意味で私は、私達は誰かを愛する事はありません。私達にとって全ての国民は愛すべき人なのです」
「なにそれ」
「貴女は嫁いでも『国民』側です。ただ、王位継承権十位以内の男子およびその子は適用されますので、私達の子供は『一族』側になってしまいます。アレッタは私の叔父の子なので『一族』側ですね」
既にパンパンだった頭に大き過ぎる新情報はうまく処理されなかった。
「……レフィも『国民』側です。私との子は国のために必要ですが、それ以外は国民にバレなければ問題ありません」
「ちょっとまってよ……」
リサは頭を抱えて、三回ほど脳内で復唱した。
「リサ?」
「それって、私にレフィを囲えって言ってるように聞こえるよ?そんなの、ブロは辛くないの?」
「……ここで偽る方が貴女に失礼で傷つけると判断します。寂しくはあります。私が貴女を好きなのは本当です。けれど、貴女に幸せになって欲しい、レフィにも幸せになって欲しいとも思うのです。それから、もし貴女の命一つで国民百万人の命が助かる場合、貴女に何の落ち度がなくても私は苦しみながらも貴女を殺めるでしょう。その時、私は……レフィにいて欲しい。彼がもしそれを止めようとしても、レフィになら私は全力で当たれますから」
ブロの言葉選びは慎重で、恐らく彼自身の感情はあった。だけど、それを言葉にできないほど契約は強固なものだった。
「ブロ、私はそういうのできるほど器用じゃない」
「そうですか。けれど、そちらはお二人にお任せいたします」
私は恋とは違う感情でブロが好きだ。だから、彼には普通の恋愛をして欲しいと思う。
そして、ブロも同じ気持ちだと分かった。
国のあちこちで貿易の開放を望む声や王制への疑念が生まれている。国民側から王制廃止の動きが出れば、契約は解除されるかもしれない。
ブロや自分や、もしかしたら自分達の子供の時代には間に合わないかもしれないけれど、できる事はある。飢饉や疫病への対策はもちろん、外国と互いに助け合える関係を築くのは急務だ。
「怒らないのですか?」
「何を?」
「妻に、とこちらから望んでいるのに、女性として充分な幸せを用意できない事でしょうか」
「ブロに怒っても解決しないし、始めからそういうプロポーズじゃ無かったし……ただ、大人しくはしてないよ?」
「望むところです」
泥のような安寧を願い続けなければならい未来の王は、許される最大限の小さな変化を手に入れつつあった。
レフィに会いたい、と思う事自体は止められない。見た目は好みじゃないんだけど何故か一目会いたいと思うのは是如何に?
ほんの少しの可能性を捨てきれず、夜の支度は丁寧にしてしまう。そこに、ヨンゴが部屋をノックしながら声をかけてきた。
「それなら大丈夫そうだね」
「何が?」
「客、外にいるよ。追い返す?」
「外って」
「窓の外」
慌てて窓を開けると、レフィはまた木の上にいた。
「こんばんは、マイプティ」
「いらっしゃい……」
窓からやってきた彼はいつもと違い、汗をかき服も簡易なものだった。
「どうしたの?何か急ぎ?」
「これ以上遅いと、流石にここには来れないからね。ちょっと急いだ」
タバコのような匂い……フォンスの仕事の後に来たんだ。
「これ、ブロから預かった。依頼どおりに、だって。お妃教育頑張ってるんだね」
渡されたのは、確かにその資料。
「これを、わざわざ?ありがとう。助かるよ。でも、忙しそうなのにごめん」
「謝らないで、僕がブロから無理やりその仕事を取ってきたんだから。これがあれば、堂々とここで君に会える」
「すごいセリフ。えっと、という事は暗記物が増える度に持ってきてくれるって事?」
「そう」
「次はお茶でも用意して置くね」
耳に髪をかけつつ書類を置くふりをしながら後ろを向いて、リサはそう答えた。赤くなった顔をなんとか元に戻して笑顔で振り向いたけれど、レフィはリサの真っ赤な耳に気がついていた。
そうやって日々は過ぎて行く。
隣国とはその後平和友好に関する条約が結ばれる運びになり、リサのお妃教育も順調に進んだ。学院卒業と共にカレルに嫁ぐ事も内々に決まり、レフィやフォンスも学院を卒業して行く。
婚約発表はリサの卒業の半年前。そして、その一週間前にリサはレフィに全てを話し、レフィの事も話してもらおうと決めていた。
リサを含めて皆は忘れていた。動きを見せなかったクリス・ブラッケの存在と、彼の権力とリサへの憎悪を。




