6話 海底発掘
連れて行かれた場所は、学校から程近い海辺であった。周囲は廃病院の建物に囲まれ、閑散としている。破れた窓ガラスに、今では何に使われていたのか分からない木の板や鉄の塊。夜はさぞ薄気味悪い場所へと変貌するのだろう。…日が傾きかけた今も、あまり居心地が良いとは言えない様相だ。
「だいたいいつもこの辺りを縄張りにしてるんです。それに如何やら地中にも遺物がまだ残っているみたいですよ」
「ほう…」
ヨーコが息を吸い込み、ピルル、と笛を吹く。すると僅かな静寂の後、海面が大きく揺れたかと思うとドドドドという水の音と共に水龍が姿を現した。鋭い金色の瞳に、長い髭。白亜の身体。鱗の一枚一枚は溜息が出る程に美しい。退廃的な雰囲気を醸し出しているこの場所に水龍の構図は、とても独特の趣きを感じさせる。
「やあ、サーリプッタ。漸く今年から念願の部活動を始める事が出来る事になってね。ついては、此れから君の力を借りていきたい。」
サーリプッタ、とは水龍の名前のようだ。耳慣れない不思議な発音の名前だ。ヨーコはサーリプッタの頭を撫で、旧知の友と話しているかの様に穏やかな声で話しかけた。すると彼はその長い体をヨーコに擦り寄せ、再び海へと潜っていった。
「こんなに間近で水龍を見たのは初めてですわ。何て美しいのかしら…」
「…サーリプッタ、ボクの名前と似てる。えへへ」
二人は当初の目的よりも、水龍に会えた事が嬉しいようだ。確かに、その姿は神々しく、他の動物達とは比べ物にならない神聖的な何かを感じた。
「…って、感心してる場合じゃないだろ。此れってやっぱり、水龍が遺物を見つけて来るまで待ってなきゃならないって事か?」
待っているだけなど、部活動として如何なものか。魚釣りならば自分でよく獲れるポイントを探したり、竿に付ける獲物を試行錯誤したりと楽しみ様があるが、これでは本当に水龍に丸投げしているだけで、自分達は何もしていないのと同義ではないか。
「いやいや、流石にそんな事は言いませんよ。私達もサーリプッタと海に潜りますよ。彼だけでも海底発掘は可能ですが、やっぱり一緒に行きたいじゃないですか!」
「でも、如何やって…」
私達の疑問に、ふふふ、とヨーコは意味深に笑う。そして少しついて来て下さい、とその場を離れ、廃病院の一階…玄関口へと案内する。
すると其処には、病院に似つかわしくない、釣鐘型の鉄の塊があった。
「なんだ、これ…?」
中に人が二人は入れそうな、大きな釣鐘。お寺の釣鐘を思い浮かべたが、それと比較するとゴツゴツしていて、音を鳴らす為の道具の様には思えない。そもそも、遺物調査の話をしていたというのに話がまるで繋がらないではないか。
「これは、ダイビングベルという道具です!中に人が入って、海中でも行動を可能にした素晴らしい道具なのですッッ!」
…この際、何故ヨーコがこんな道具を持っているのかは突っ込まない。ヨーコに甘々の、タツノ校長の仕業と見て間違い無いだろう。そこそこ大規模だが、ヨーコ自身が金に物を言わせて鍛冶屋に頼んで作らせた線もある。というのも、このダイビングベルとやらはそれ程複雑な見た目をしていない。ヨーコの説明によると釣鐘の底は穴が空いていて、その側面には人が座れる様に鉄が出っ張っている。鐘の天辺には管がついており、此処まで説明されたらその用途方法は何と無く察しが付く。
「これを海に放り込んで、この鐘の中で海底発掘を行おうって事か。海底で作業を行う人と、空気の通る管を海上に出しておく人と別れて作業をすると。こんなもの、随分とまあ思い切ったな」
「ご明察です!!そうなんですよ〜、鍛冶屋のおっちゃんにこの装置の説明をするのは大変でした。しかし、これさえあれば長時間海に潜る事が出来ます。この釣鐘の中で発掘作業を行う事は勿論、管を引いて釣鐘の外に出る事も可能です。行動範囲は限られてしまいますが…。この鐘をボートに乗せて、サーリプッタに目標地点まで連れて行って貰う事を考えれば時間こそかかりますが海の何処でも!!調査が可能です。運び出しについても、ダイビングベルそのものは見た目程重くないので女四、五人で持ち上がる重さだと思います。」
早口に捲したてるヨーコ。如何やら、ダイビングベルの入手方法は後者であったらしい。彼女の21世紀への執念の深さへは、頭が下がるものがある。
ヨーコによると、彼女の家の研究機関では水龍達による調査が主で自分達で潜る事は少ないらしい。他所ではこのダイビングベルより精度の高いものを使用したり、バチスフェアと呼ばれる海外製な潜水球を使ったりしている。前者の発掘方法だと安全面の心配が無いが、望んだ物を水龍達が持って来てくれるとも限らない。数撃ちゃ当たる状態だ。後者だと、自分達の目で遺物ーー古代都市を目の当たりにする事が出来るが、遺物を持ち出す事にかなりの労力がいる。また機材のトラブルがあった場合その保証は無い。
我々の場合、ヨーコ個人で使役出来る水龍の数に制限があり、現職の研究者並の道具も無い事から両方の発掘方法を採用する事にしたとのこと。この方法によって、自分達で海中に潜り遺物を検分出来る上水龍が私達の危機管理をしてくれる。重い物も、水龍が運んでくれる。
「…研究機関も、水龍さんとその凄い装置、両方使った方が早く発掘出来そうなのに」
此処までの説明に、サリがぽつりと疑問を漏らす。するとヨーコは困った様に眉尻を下げた。
「それは、確かに言えてます。でも水龍を使役する一族なんてウチくらいのものですし、それをすると権力が私の方ばかりに偏ってしまうでしょう。そして、物の考え方も同じ様なものになる。こうなると議論して物を考える事が出来なくなります。切磋琢磨し合うライバルが居てこそ、文明は発展するものです。まあ、それぞれ調査対象とする物が違いますから、もし専門外の遺物を発見した場合は外部に引き継ぎを依頼しますが、基本的には敵です。発掘の効率が悪いと言われようとも、その研究が濃密なものにならないと何の意味も無いのです。」
余談が過ぎましたね。と、其処でヨーコは言葉を切る。ただ発掘すれば良いという物では無いーーそれは、これから調査を行おうとする私達にも言える事だった。発見して喜ぶだけでは意味が無い。その後の事が、より重要といえよう。椅子に座って討論などつまらない、などと私は言ったが、考え方の違うもの同士未知の存在について語り合い何らかの答えを導き出す過程を踏まなければ、子供のする「お宝探しごっこ」と何ら変わらない部活動となってしまうだろう。
「…何にせよ、何も考えていない訳では無かったのですわね。部活動で命の危険に晒されるなんて、真っ平御免ですもの。」
「浪漫より、命あってこそですからね。もし海で溺れても、サーリプッタが居るし、あと数匹くらいなら他の子達も呼べますし。」
「…水龍さん、たくさん会える…!」
此処まで来ると私もテンションが上がって来た。水龍と共に古代都市と対面し、その歴史の欠片の一片に触れるーー。こんなにわくわくする部活動、他には無い。
「そうと決まれば早速海に潜ろうぜ。さっさとこのダイビングベルを船まで運ぼう」
「ーーシノさん!!…っはい、運びましょう!!」
私のやる気に満ちた声に、ヨーコは喜びを隠し切れない面持ちで拳を握った。最初は馬鹿にしていたが、考古学部も悪く無いかもしれないーー
「………」
「………」
世界の停止。時間の停滞。
…私達は、その動作をしたまま固まった。
「…この静かな海面の何処に、船があるというんですの?」
「ははは、ナンジョウちゃん。冗談を言うんじゃ無い。ほら、すぐ目の前に見えるだろう。大きくて立派な探索艦が!」
「…なにも、ない」
しーん…と嫌な空気が立ち込める。私とサリ、ナンジョウがヨーコの顔を凝視する。彼女の顔には脂汗が浮かび、先程の嬉々とした笑顔は消え失せていた。
「ばっ、お前、やっぱり何も考えて無かったんじゃねーか!」
つい楽しみにしてしまった私が馬鹿みたいだ。カッとなって、ヨーコを非難する。指差しで指摘すると、彼女は慌てて胸の前で両手をブンブンと振って焦り始めた。
「や、それは、忘れていた訳じゃ無いんですよ!!幾ら何でも部費と私のお小遣いじゃ、船まで買えませんて!!ダイビングベルで殆ど使い切ってしまいましたし…。き、きっとなんとかなります!!」
「なんとかって如何しろってんだよ!こんな発掘兵器があっても船がなけりゃなにも始まらないだろうが!」
流石のヨーコも顔色を悪くさせて、口を開閉させては戸惑っている。軈て一拍間を置いて、彼女はこう宣った。
「……………作りましょう!」
「「はああああ!?!?」」
…………考古学部体験入部1日目。海底調査の為の船造り。前途多難だ。
反りが合わない筈のナンジョウと声が揃ってしまうくらいには、不味い状態だ。
サーリプッタはそんな主達を置いて、悠々と海底の古代都市の中へと潜って行った。
一歩進んで二歩下がる。
紹介文詐欺ですね。まだ入部しません。