5話 ようこそ、考古学部
私とサリ、ナンジョウはヨーコに連れられ部室棟にやって来た。3階の一番奥、比較的日当たりの良い位置に「考古学部」は存在していた。
「さて、先ずは部室へごあんなーい!今日から此処が私達の活動場所ですッッ!」
「まだ入部するとは一言も言ってないけどな」
「オウッ!!シノちゃんってば辛辣!!」
ヨーコのオーバーリアクションに付き合っている暇は無い。無遠慮に部室の扉を開くと、其処には目の眩む様な本の山ーー書架と呼ぶ方が相応しい部屋が目の前に姿を現した。
「これはーー」
「本、すごい…」
「……何ですの、これ…!」
三者三様に驚きの声が漏れる。その反応を待っていたとばかりにふふんとヨーコが胸を張る。
「我が部に入れば、この貴重な本も読み放題!読めるかどうかは別ですけどね。この活字の夢幻空間で世界の英知について語り合うー…なんともロマンが有るとは思いませんかあ!?」
壁一面が本、本、本。本棚に入り切れなくなった本達が床にも積み上げられている。そしてそんな部屋の中央には、大きな書斎机と凝ったデザインのテーブルとソファ。そして何と照明は読書に相応しい明るさを保っている。贅沢過ぎる空間だ。
「とても廃部寸前だとは思えない部室ですわね…」
貴族であるナンジョウもこれだけの本ーーこの部屋には圧倒されている様子であった。大きな丸い目を更に丸くさせて、視線を世話しなく部屋中の本へと向けている。
「この本達はパッパに強請って譲り受けたものなんです。貴重な物ばかりですから雑に扱う事だけはやめてくださいよ。まあ、校長の娘の道楽部屋だと思えばこんなものなんじゃないですか?」
「それは、如何だろう…」
だとしたら、タツノ校長は相当甘々である。とはいえ今年部員が集まらなければ廃部というのは、ある意味校長のケジメなのかもしれない。
半ば呆れ乍らも聳え立つ本に興味を惹かれ、なるべく丁寧な手つきで近くにあった本のページを捲る。…何とも言えない紙の黴た臭い。この臭いは、嫌いじゃない。この本の書かれた時代へ引き込まれて行く様な、高揚感を感じる。
皆も、この部屋は気に入ったらしかった。思い思いに部屋の中を歩き回る。ヨーコも好きに読めと言った手前止める気は無いらしく、寧ろ嬉しそうに後輩達の姿を眺めていた。
「ーーこの本、」
ーー小難しい本ばかりで内容を解読する事に飽きてきた私は、絵の付いたものを選んで開いてみたり、その装丁を眺めてみたりしていた。
すると、不思議と一冊の本に目を奪われた。
古惚けた、只の汚い本だ。しかしその本には鍵がかけられており開く事が出来ない。何故こんな本が気になるのか……手にとってみても、一体何が書かれた本なのかさっぱり分からない。というのも、題目が擦り切れてしまっているのだ。
「擦り切れて、読めないな…。うーん、なんとか、伝の…でんの…」
「シノさん!!!」
ーー突然、部室に大きな声が響いた。驚いて顔を上げると、其処には悪い事をした生徒を叱り付ける先生の様な顔をしたヨーコがいた。
「な、なんだよ吃驚した。突然大きな声出して…」
「そ、そうですわ、ヨーコ先輩。一体如何なさったんです?」
「その本は、駄目だ」
「……は?」
ヨーコはそれだけ言うと、私からその本を取り上げた。道化の様な喋り方でにこにこと笑顔を振りまいていた彼女の豹変に、ついて行く事ができない。サリもナンジョウも、何が起こったのか分からないという表情で私とヨーコを見比べていた。
「す、好きに読んで良いって言った癖に…。なんで、駄目なんだよ」
「…この本は、私以外の人には読めない本なんです。興味本位で開いて良いものじゃない」
大事そうに本を抱えるヨーコ。分かりましたか?と余りにも神妙な声で言うものだから頷いてやると、満足した様にその本を書斎机の引き出しーー施錠が出来る所に仕舞った。
「そんなにマジにならなくても大丈夫だって、先輩。日記かなんかか?」
騒々しい人が静かになるというのは、とても居心地の悪いものだと知った。堪らず軽口を叩くと、ヨーコは幾分か落ち着いた声で
「…その様なものです」
…と答えてくれた。
二人は安堵の溜息を漏らしていたが、私は得体の知れない誰かに見られている様なーー不思議な気配に、先程とは違う息苦しさをこの場に感じた。
***
「…先程は大きな声を出して失礼しました。…ではッ!今日は体験入部という事なので早速活動を行いたいと思いまーす!!」
部室をある程度見て回った私達は、ふかふかのソファに腰をかけて振舞われたハーブティーを飲んでいた。部室の隅には小さな台所があり、冷蔵庫や戸棚には飲料類が充実していた。扉で仕切られており、湿気対策も万全である。この部室は今までヨーコしか使っていなかった筈だが、今日の為に揃えでもしたのだろうか。
ハーブティーに息を吹きかけ熱を冷ましていると、平生に戻ったヨーコが部活開始の音頭を取り始めた。
「それはいいんだが…。本当に旧日本時代の遺物の発掘調査をするのか?此処で論文の読み合いを始めようってなら私は帰るぜ」
ずずず、とカップの上澄みを啜る。未だ少し熱くて飲めそうに無い。…薔薇の様な香りがする。
「論文を読んだり議論をするのは天気の悪い日だけで結構!今日みたいな天気の良い日はお外に出て発掘調査に行きまーす!」
「…本当に発掘、するのですね。素人であるワタクシ達が、どの様にやっていくのか方針は如何なっておりますの?」
「簡単に言うと、我が家に仕える水龍ちゃんに手伝って貰って、水中に沈んだ遺物を探して貰うんです。今日部室に寄ったのも水龍ちゃんを呼ぶこの笛を取りに来た訳でして」
水龍。突然出て来た名前にカップから視線を上げる。この近隣に生息している、白い大きな蛇の事だ。基本は水中で生活しており、運が良いと早朝や夕方に飛び上がる姿を見る事が出来る。
「猛獣使いとは大分次元の違う話だな。水龍を使役するだなんて聞いた事ねえぞ」
私の純粋な疑問に、ヨーコはそうですねえ、と頷いた。水龍を呼ぶ笛とやらを指でくるくると弄り乍ら、自分にとっては当然の事だとでもいう様に話し始める。
「水龍を使役…といっても、私個人が契約して仕えさせている訳ではありません。飽くまでも『タツノ家』に仕えているんです。ウチは代々考古学者、またはそれに連なる職種の人間ばかりでしてね。実際の発掘現場でも水中の調査は水龍達に協力して貰っているんです」
「…そんな話、初耳ですわ」
「まあ、こんな手段を取るのはウチやウチの研究機関くらいですからね。他所は自分達で潜ったり、輸入したり、大掛かりな装置を作っていたりするみたいですけど?」
ナンジョウは半開きになる口を手で抑え乍ら目を輝かせている。興味津々のご様子だ。サリも「水龍…近くで見れる…?」とそわそわしだしている。私はというと、純粋に感動する事も出来ずタツノ家の胡散臭さ、否とんでもなさを突っ込むべきなのか思案している所だ。
「高校の経営に研究機関…ヨーコ先輩の親父、校長って凄い人だったのか」
「ウチのパッパは凄いですよ!クレイジーな感じです!」
「く、くれいじーか」
お、おう。としか答え様が無い。確かに、家に仕える水龍を娘の部活動でも使っていいよ、と言ってくれる親父だ。相当クレイジーに違い無い。
「別に未発掘の現場を探し歩いても良いんですけどね?地上で発掘となると相当時間もかかりますし出ない可能性の方が高いですけど」
「いや、流石はタツノ校長。最高だ」
「流石シノちゃん分かってる〜〜!よ〜し、話が分かったならさっさと出掛けますよ!時間は有限ですからねっ!」
うきうき、と言葉が浮かび上がって見えるかの様な勢いで、部室の玄関口へ足を向かわせるヨーコ。私とサリ、ナンジョウも彼女に続き、ヨーコの案内の元水龍の居る海岸へと向かう。
「…ん?此れってつまり水龍が遺物を見つけて来るまでずっと待ってなきゃならないんじゃ…?」
「…水龍さんの背中に乗って探しに行くんじゃ無いの?」
「ん?」
「え?」
ふと、思った事が声に出る。それに反応したサリがきょとんとして私の言葉に反論する。ナンジョウはヨーコと何事かを話していて此方の話は聞こえていない様子。楽しそうだ。
「い、いや…それは息が保たないだろ。遺物はかなり水中深くにあるんだろうし…」
「そうかな…でも、待つだけじゃ部活にならない…」
「うーん」
百聞は一見に如かず。一抹の不安があるものの、行ってみないことには分からない。小骨が喉に刺さった様な違和感を覚え乍ら、ヨーコの後に続いていった。
未来には私達の知らない生物が誕生していても何ら不思議では無い。リアルとファンタジーの狭間の様な世界観を描けたらいいな、と思っている次第です。