1話 桜咲かぬ四月
「行ってくるぜ、親父」
ミツルギ・シノ。15歳。今日はタツノ高校の入学式である。私は小さい頃亡くなった父の仏壇の前で手を合わせ、古ぼけた学生鞄と家宝のライフルを手に家を出た。バラック小屋と呼んでも差し支えの無い我が家は鍵が無い。背に背負わせたライフル以外には特に大切なものは無いので、特別困ってはいない。
短いスカートのポケットからミント味のガムを一つ取り出し、くちゃくちゃと噛みながら学校へ向かう。今日は雲一つ無い青空。風に煽られ闇色の髪が透き通って見える。絶好の入学式日和だと言うべきか。
何も変わっていない筈の風景がこの日ばかりはきらきらしい。柄にもなくそんな事を考え乍ら歩いていると、道の角からひょっこりと小柄な男が声をかけてきた。
「…シノ、おはよう」
「……なんだ、サリか。おはよ。てかなんだよ、その格好」
小柄な男ー…否、男子学生の制服を着た幼馴染の少女、サクマ・サリだ。短く切り揃えられた金髪をしているが、線の細さや顔立ちで彼女が女性だという事は一目で分かる。どういう訳でダボダボの学ランを着ているのか。
「…お兄ちゃんの、お下がり。ボクだけ、新しい制服買うお金、無いから」
「んーーああ、そっか。お前ん家は兄貴ばっかりだもんな」
「…そう」
私とサリの経済状況はどっこいどっこいだ。貧乏で毎日の生活で精一杯。一人っ子な分、私の方が多少使えるお金が多いかもしれない。毎月のお小遣いもサリより100円多い。…といっても殆どガムを買うので消えてしまうのだが。
「シノ、高校でも、仲良くして…ね」
ぷくー、とガムを膨らませていると、隣でサリが、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。言いたい事があるならはっきり言えば良いのに。臆病で喋る事が苦手なサリは、私しか友達がいないらしい。
「当たり前だろ。でも、高校ではちゃんと友達作れよな。勇気出して、話しかけてみろよ」
「…うん、でも、何て話しかけたらいいのかな…」
「次の授業なんだっけ、とかでも良いんだよ。そんでちょっとずつ話して、共通の話題で盛り上がったりとか」
「…ボクには難しい」
「そうだなー、何か部活に入ってみるとか?そしたら嫌でも誰かと話すだろ」
そうやってサリに友達作りのアドバイスをしていると、校門が見えてきた。新学期とあって、多くの在校生が出迎えている。ーー部活動の勧誘だ。
「ねえ君、バスケに興味無い?今年は一年でもレギュラー狙えるよ」
「美術部です!私達と芸術の世界に触れてみませんかー?」
「レスリング部だ!お前良い筋肉してるな!ウチで高みを目指してみないか?」
「…凄いね、シノ」
「そうだな…でもこれならサリの興味のある部活もあるんじゃないか?」
タツノ高校は部活動の種類が豊富らしい。彼方此方で様々な部活動の勧誘を行っていた。進んで話を聞きに行く者や、興味も無いのに先輩達の勢いに負けて話を聞かされている者も居る。私は部活をやるかどうかすら考えていなかったため、その声を聞き流し乍ら校舎へ向かう。…サリが何処かに入るなら、一緒に入ってやっても良いかもしれない。
「ちょーっとちょっと、そこのお主!その背に背負うは旧日本時代の遺物、激激激レアなライフルちゃんでーはありませんかぁ!?!?」
「……??」
「こっち!こっちでーすよー!!」
突然、特徴的な、元気の良いーー良すぎる声が聞こえて来た。どう考えても私の事だ、と思って辺りを見回すが声の主が見当たらない。するともう一声、自分の所在を示す声がーー。何故に、木の上。
「とうっ!」
「きゃ」
シュタッと綺麗に私達の前に着地。…サリが驚いて私の背に隠れた。
「君、新入生だな。私は考古学部部長、タツノ・ヨーコだ!考古学、興味あるよね。無い訳無いよね!だってその背中の物がそれを主張している!!いやー良かった良かった!!こんなにもあっさりと新入部員を確保出来るだなんて!!ねぇねぇそのライフル触らせて貰ってもいい??いい??」
「誰も入るなんて言ってないんだが…」
勝手に話を進めて貰っては困る。木から降り立った人物……タツノ・ヨーコの出で立ちは見るからに怪しい。先ず、特徴的な瓶底眼鏡。あれで前が見えているのか。…いるんだろうな。そしてその手には望遠鏡と呼ばれる、旧日本時代の遺物。現在作られている望遠鏡に比べて性能の良さそうな所を見ると、間違いない。そして女子学生服…セーラー服のスカーフを首に巻き付けている。
「いや、入らない訳無いだろう?我が部は部員一名!つまりは私ひとり!新入部員が一人でも入らないと、廃部を言い渡されているのだからな!」
「何で自信満々なんだ…しかもそれはそっちの都合だろ」
廃部寸前。余程人気の無い部活動なんだろう。それもそうだろうな、という事は検討がつく。一般の人達が、旧日本時代の遺物を入手する事は容易では無い。
遥か昔、私達『新世紀人』が出現するより以前ーー地球上には私達と殆ど違わない人類が存在したという。しかし氷河期を迎え、滅んでしまった。21世紀、と呼ばれる時期の末に氷河期の兆候が見られ、滅んだのだと発掘された史料から判明されている。それから何千年か経って(諸説唱える学者が居るが、全く解明されていない)再び人類が誕生した。それが私達だ。21世紀から数えて今が何世紀か判明していない為、私達人類が覚えている限りの時間から再び1世紀、2世紀と数えている。正しくは新1世紀、新2世紀か。因みに現在は新5世紀だ。現在私が住まう場所は『ニホン』と呼ばれる場所で、その呼称を引き継いで使用している。多くの研究者が21世紀ーー旧日本時代の調査を行い、その文明の高さに舌を巻いている。我々では予想も付かないような高度な技術がふんだんに使われていたらしく、少しずつ当時の事が明らかになっているとはいえまだまだ謎ばかりだ。私の親父も考古学者で研究をしていたが、旧日本時代の遺物の調査中に爆発があり、それで亡くなったそうだ。…そうだ、と言うのは、私はまだ幼く、親父の事を殆ど覚えていないからだ。お袋は私に父の死因をそう教えて、このライフルを形見なのだと言って渡してくれた。
…余談が過ぎた。この旧日本時代の遺物の多くは水中に水没してしまっており、発掘作業がなかなか進んでいない。私達の暮らしているこの地上は水没した旧日本時代の都市の上に作られており、生活区間の確保の為に採掘場が未発掘のまま埋め立てられてしまったり、水中の調査に危険が伴い手付かずになってしまったりと様々な要因から研究が進まずにいる。この国は昔で言うところのヴェネチアと似た様な構造になっているーーという事らしいが、ヴェネチアがどんな所であったか私には分からない。今までの研究から、水上都市と呼ばれる土地が外国にあった事が判明しており、その水上都市のイメージが今の日本に近い、というだけのニュアンスだ。ヴェネチアは氷河期に入った影響かは分からないが水没していく都市であったらしいが、現在の日本はその危険性は一切無い。
まあ、そんな訳で自分達の力で水中の中の遺物を見つけるのは困難。一部干上がった場所からも発掘されるが、そういった場所は殆ど取り付くされている。一応法律で旧日本時代の遺物を発見した者がその所有者として認められるが、だいたいの物は使い道の分からないもので研究所に寄贈される。分かったとしても、そう気軽に使えるものではない。…旧日本時代の遺物を新入部員の確保の為に使うヨーコという女性が規格外なのだ。
「学生が旧日本時代の遺物の調査をするのは無謀だし、見つかっても素人じゃそれが何か分かりようも無いだろう。…現実的に出来ることと言えば…研究者の論文を読んで議論でもし合うのか?…地味過ぎる」
「地味とは何だ!活動内容も聞かない側からそんな事を言って良いのかな!!」
「…ほほー。だったらどんな楽しい活動を行ってるのか聞かせて貰おうじゃねぇか」
ぷんすこ!という具合に私を指差すヨーコ。その怒り方が面白かったので煽ってやった。…サリ、そんなに怯えるな。この先輩、ちっとも怖く無いぞ。
「旧日本時代の遺物の発掘と調査!独自研究!我が部活動は水没せし神器達の正体を明らかにするという高尚な使命の元活動を行っている!!」
「…時間の無駄だ。行こう、サリ」
「…うん」
「ウェイウェイウェーーイ!!!」
そんな実行不可能な活動内容では部員が集まらないのも仕方が無い。廃部すべくして廃部される部活動という訳だ。これ以上話を聞くのは無意味と判断し、自分達の下足箱へと向かう。
ヨーコは慌てて私達を引き止めようと両手を広げて迫って来た。
「こんなロマンのある部活動、他には無いぞ!?君達は灰色の高校生活を送る気なのか!?!?」
「考古学部に入ったら灰色間違いなしだろうな。…悪い事は言わない、先輩。あんたも他の部活に入り直しな」
「憐れみの目を向けられている、だと…?」
わなわな、と体を震わせる。ずれてもいない瓶底眼鏡をカタカタと上下に直し乍ら、信じられない、という顔で此方を見て来た。…そんな顔しても無駄だ、絶対入らん。
「…シノ。先輩に、言い過ぎ」
「ここで下手に出たら丸め込まれるだろ。ほら、さっさと教室に行こう」
「シノ、待って」
中履きに履き替え、教室へと向かう。こんな所で延々と勧誘に取り合っていたら入学式に遅れてしまう。教室の前に貼り出されている筈の自分達のクラスも確認しなくてはならない。
私達はヨーコを振り切り、階段を登って行った。
「ば、馬鹿な…。如何して皆、分かってくれない…」
「おい、タツノがまた振られてるぜ」
「去年も新入生全員に振られてたよな。年中勧誘しまくって後輩達を困らせてたっけ」
「まー、しょうがねぇよな、“オカルト部”じゃ」
「だよな。オカルト部だし」
他の生徒達の声に追い討ちをかけられ、ガクリと膝を折るヨーコ。桃色のドレッドヘアの頭の上に、木の葉を乗せたまま力無く崩れ落ちた。