5. いつかその手を離すとしても
クリスマス、を家族と過ごすことはあっても、友人と過ごしたことはあっても。
かれこれ10数年の長い片想いをしていた私は、恋人と過ごしたことがそういえばなかったのを思い出した。
「クリスマスねえ…、どうしようかな」
ぽつりと零れた言葉が聞こえなかったらしいその男が首をかしげるのを眺めながら、もう一度クリスマス、と呟いてみる。
くしくも高校生の時からこじらせた片想いが実ってから初めてのクリスマス、である。というよりそういうのをすっ飛ばして同棲を始めているので正直感慨も何もないのだが。
あの時。高校生を共に過ごし、片想いをこじらせた私と所謂片想い相手の神崎雪斗は同じ高校で教師として過ごしていた。
短い間に色々あって(正直今思い出すと恥ずかしくて仕方ないので割愛するが、なんだか一気にいろいろ起こった。告白してフラれ、再度告白されたとかいうそういう、感じ)、私たちが友人という関係から恋人になって。その間に神崎は異動して男子校へ行き、私は同じ高校で働いているという環境の変化もあったりしたが、それなりに順調に来ていると思う。正直言うと、順調すぎて少し怖いくらいだ。片想いをしていた時は、他の人を思っている神崎の傍にいたいだけで、こうなることを予想していなかったというのもある。
高校は冬休みだと言っても、仕事はある。それに二人ともあまり人ごみは好きではないので、その日は家でいつも通りお酒を呑んでまったり過ごすのだと思っていたのに。
「郁、25日だが。開けておけよ、いいな、絶対だぞ」
「え、うん…特に予定はない、けど」
「じゃあ食事に行こう。予約はしてある」
「どういう風の吹き回し?珍しい…人ごみとかあんまり好きじゃないでしょう」
私の考えを読んだかのように告げる神崎はスーツを着ながらそういった。今日は平日なので、お互いに仕事の日だ。
どこかばつの悪そうに顔をしかめて、神崎…もとい、雪斗は目を背けた。こういう時のこいつは何かを隠している時だ。顔をじいっと見つめてやれば、いいから、ともう一度。
「わかった。いく」
「ん、じゃあその日は7時に」
はい、と頷いた私に満足そうに雪斗は一足先に職場へ向かって行った。私のところより遠い場所にあるので少し早めに出ないといけないのだ。
私もざっと食事の片づけをして家を出た。――クリスマスプレゼント、何にしたらいいんだろう。
***
結局慌てて仕事終わりに買いに行ったプレゼントは腕時計にした。仕事でも使えるし、あの男は一個しか持っていなかったはずだし。
仕事を定時で切り上げて、マンションに戻り着替える。二人で決めたマンションはなかなかに快適だった。ワンピースを着て、化粧をして。いまだに少し信じることが出来ないけれど、私と雪斗は恋人なのだなと思うのがこういう時だ。
雪斗は仕事先からそのまま向かったらしいので私も家を出る。最近ものすごくそわそわしているようだったから、何を言われるのか。
夢みたい。なんども思った言葉を呟く。私が雪斗の横に立つ、なんて、夢物語だと思っていたから。
「郁、こっち」
待ち合わせ場所に行くと雪斗が手を挙げたので隣に並ぶ。相変わらずスーツ姿の様になる男だ。無表情だったりするくせに、見た目だけはいい。
予約してくれたらしいレストランはカップルがたくさんいた。センスのいい高級そうな店内でボーイさんに案内されるままに席に座る。少し、緊張しているのは内緒だ。こいつはこういう事をさらりとするので油断ならない。
クリスマスということで店内は相応の装飾がされていて、思わず見とれてしまう位綺麗。食事もコースで予約してあるとかで、シャンパンを注がれて手が震えていないか心配になってしまった。
「…雪斗、あの」
「どうした?お前、なんでそんなに緊張してるんだ?」
「しょうがないでしょ、私こういうのは初めてなんだから…!」
雪斗がにやにや、と笑う。今ものすごくテーブルの下の足を蹴っ飛ばしてやりたい。
むう、と唇を尖らせながら運ばれてきた食事を口に運ぶ。どれも美味しい。くやしいくらい、好きな味だし、美味しい。
「知ってる。お前の初めては、残ってる分は全部貰うつもりだ」
「……っ、の、恥ずかしげもなく…」
思わずフォークを落とさなかっただけいいと思ってほしい。ただの友人だったくせに、恋人になった途端にこれだ。私の心臓が持たない。いつだって気持ちをセーブしていたから、こうして恋人として扱われることになれていないのだ。慣れていかないといけないのも、わかっているけれど。もし、を考えてしまう。私はそれが怖い。
今ある幸せがすべて。でも、それが簡単に消えてしまう事を知っている。
「とりあえず食べろ。美味しいだろ?林原先生に教えてもらったんだよ」
「……あかねに?」
ぽかんとした私に雪斗は頷いた。
私の同僚であり友人である林原あかね、とこの男はあまり仲が良くなかったはずだけど、と思いながら。
「こういう店は正直よくわからん。だから最終手段に頼った」
「…ああ、なるほど」
雪斗は基本的に食べることに積極的ではない。だからいつも私が引っ張っていったし、食べられるものならいいというのは変わっていない。それに反してあかねは食べることが大好きだ。お店はよく知っているし、美味しい所もすぐ教えてくれる。ただ、あかねが素直に雪斗に教えるとは思えないので代償に何を要求されたのか、そしてどんな顔でそれを飲んだのか見てみたかったものである。
そんな会話をしていたら、緊張なんて消えてしまっていた。クリスマスプレゼントは帰ってから渡すように家に置いてきた。
メインを食べ終わってひと息。後はデザートだ、と言われて素直に頷いた。
「豪勢なプレゼントね。とっても美味しかった」
「まあこれもプレゼントの一つか」
「…も、って何よ?」
お店の人が近づいてきてお皿を下げる。その時に雪斗が何か話していたみたいだったけれど、残念ながら私には聞き取れなかった。
郁、と真剣な声が私を呼んで、ちょうどその時デザートの皿が運ばれてくる。ことり、と置かれたデザートと薔薇の花束。
花束の中には黒い箱が入っていて、目を見張る。
「話がある、って言っただろう。俺と結婚してほしい」
「ちょ、…と、まって」
「待たない。俺は、お前に傍にいてくれないか。お前と未来を歩きたいって言ったよな。俺の幸せはお前だから、郁、一緒になってほしい」
心が震えた。そっと花束を持ち上げて、抱きしめる。
薔薇の花の香りがふんわりと漂って、そうして中に入っている箱を取り出した。雪斗がそれを開けると、中には指輪が入っている。ねえ、これ、どんな顔で選んだの。予約も全部したんでしょう、私に気付かれないように。熱くなる目頭、滲んだ涙を飛ばすように瞬きをして顔を上げた。
不安です、と顔に書いてあって思わず笑ってしまう。心配することなんてなかったのだ。
信じればいい。見ればいい。不安と戸惑いがすうっと消えていくのを感じて私は笑う。
信じられる。私の大切な人は、私を幸せにしてくれると。私の幸せは、この人と一緒にあるのだと。
「私で、いいの?」
「お前がいい。俺はずっとそう言っているはずだぞ」
「うん、…うん。雪斗、私もあなたがいい。貴方と幸せになりたい」
だから、よろしくお願いします。
抱きしめた薔薇の香りと安堵するように微笑んだ顔と。私はきっとこの日を忘れないだろう。こんなにも私の胸を焦がす、この人の少しだけ弱ったような表情も。
そういえば、初めて思いを重ねた時に予約されたのだったかと思い出す。薬指にはめられたシルバーのリング。想いが重なる。隣に立って歩いていける。雪斗、と名前を呼んでその眼に自分が移っていることが嬉しかった。
――正直デザートの味が全く分からなくなってしまったのが悔しい。いずれリベンジを決めてやろうと思っているのだけど、雪斗の方が重傷だった。全く食べたものを覚えていなかったらしい。それだけ真剣だったのだなと笑えば、拗ねられてしまったけれど。
いつか手を離すときがくるとおもっていた。奇跡は起こらないとも。
実際は、少しだけ違って。離した手はもう一度繋がれて、こうして一緒に歩いている。
私の未来に雪斗がいるように、雪斗の未来にも私がいる。
それが、これ以上ないほどに、幸福だ。
***
初めて連載をした作品。拙いながら頑張れたのは、やさしいお言葉をかけていただけたからでした。
プロポーズまでは書けなかったので、ここで。この二人は思い入れが強いです。
これで一応クリスマス短編は最後になります。お付き合いくださってありがとうございました!
活動報告のアンケートというか質問に答えてくださった皆様にも心からの感謝を!
全てにお応えできず力不足で申し訳ありません…。
少しでも楽しんでいただけたら、とても嬉しいです。