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嘘と蝶

作者:

「嘘と蝶」


視界にスーツの袖口から覗いた白いシャツと無骨な手が横切る。扉の脇に寄りかかったまま顔を上げると、若い男が走り出した電車の窓に張り付いて、ホームの女に小さく手を振り続けていた。

ゲッ、と思う。

最悪だ、あんなの。わたしは大人になっても走り出した電車の窓から手を振られるような女にだけはなりたくない。

制服のポケットに突っ込んだ指先で、ゆっくり数える。5枚。

単なる生理現象に大枚をはたくなんて、男はバカで可愛い。


「釈迦だって、射精くらいしたと思うんだよね、俺は」

唐突にそんな事を言い、中年の男は仁王立ちのまま膝を曲げ、でも反り返ったモノだけは律儀にわたしの口に突っ込んだまま、スッと頬を撫でてきた。そうする事で、何かもうこういう事をしている全ての申し訳が誰かに立ったかのように、また飽きもせず小刻みに腰を動かし出す。

バカみたい。早く終われよ。

上目遣いで見上げると、男の無精髭の向こうに、天井に描かれた安っぽい半裸のヴィーナスが見えた。


部屋を出ようとすると腕を掴まれた。

ねぇそのお金、何に使うの?

答えずにいると、何を勘違いしたのか終わったばかりなのに、胸に手をのばしてくる。そんなにこの脂肪の塊が好きかよ、くだらねぇ。

「すいません…煙草、わたし苦手で」

あぁ、とか言いながら男は忙しなく片手で煙草を灰皿に押し付けると、後ろに回り込んでくる。

ねぇ、そんな大金さぁ、何に使うの?教えてくれたら、もっとあげてもいいけど…

「そんなに…触りたいですか? 」

ベッドの上で振り向いて笑ってやる。男は怯んだように手の動きを止めた。


電車を降りて、改札を出ると渋谷の街は雨だった。濡れながら道玄坂を登って行く。途中で右に折れ路地に入り、雑居ビルの外階段を上がる。4階の踊り場から見下ろすと、カラフルな傘が街を回っていた。あの傘の数だけ裏切りとか、恋とか、みんなしてるんだ。ご苦労様、そう思って煙草に火をつける。ジッと燃えて、煙が雨に溶けていく。

結わえてた、髪のゴムをひっぱってほどいたら、パッと雨雫が散った。

精液臭い。ふいにそう思う。

「こんな日に、ここで一服なんてあんたも物好きだね」

背後の非常扉が開く。振り向くと見慣れた白衣。襟が今日も汚れてる。神経質そうな細いメタルフレームのメガネ。似合ってない。

「あんたが来るようになるまでは、わたしの特等席だったんだけどね」

授業が始まるまでまだ時間がある。

ねぇ先生。

隣りで白衣のポケットを探っているので、マルボロライトを差し出したら、うら若き女子高生が選ぶ銘柄かね、そう言って先生は拝むように一本抜き出した。

先生、もう一度呼びかける。

でも声は出てなかったのかもしれなくて、先生は手すりに肘をついて煙草を吸い出す。ふーっと何かの実験か、失敗が許されない儀式のように真面目な顔して煙を吐き出してる。

わたしは先生が吐き出したその煙を残さず隣りでもう一度吸いたい。そしたら先生の事、もっと分かりますか。

「先生、わたし、変態なんです」

昼間会った中年男を思い出す。きっと君はまた僕に会いたくなるよ、だってそうなるように扱ってやったからね。最後に不敵な笑みを浮かべて握手を求めてきた。おっぱい星人のくせに。

先生は珍しい蝶でも見るようにチラッとわたしを見て、また正面のビルの合間へと視線を移す。

「わたしからしたら、セックスが出来る男や女はみんな変態だよ」

ゆっくり煙草を吸い終え、先生は細い指で慎重に吸殻を携帯の灰皿へと入れた。

「泣くのは勝手だけど、わたしが消えてからにしてよ」

そう言って先生は茶色く染めた長い髪からシュシュをほどくと、わたしの髪をそっと持ち上げて、くるくると巻きつけてくれた。

「煙草のお礼。黒髪のあんたの方がよく似合う。もうすぐ授業が始まるからね」

鈍い音で背後で扉が閉まる。


煙草を足元の水たまりに落とし、ポケットに手を入れる。

また数える。1、2…5。やっぱり5枚。乱暴に掴んで引っ張り出すと、一枚ずつ非常階段から落とした。

それは運命に翻弄される、無力で小さな蝶みたく何度も翻りながら、一度大きく舞い上がって、急下降していく。

さよなら。

わたしは先生がつけてくれたシュシュを外すとポケットに入れて、足早に階段をおりはじめた。 (終)


多分、今もどこかにいる、女の子のほんの数時間の出来事を書いてみたかった。

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