2話 毒と罪
「おや、アナタは……ハヅキさん?」
ロビー近くの休憩所に、月光浴でもしているのか一人の男性が佇んでいる。夜半も回り、そろそろ休もうかと自室に向かっている私の姿に気付いて彼は振り返った。
「どーも、館長さん」
「ひょっとして、眠れませんか?」
毒料理を食べるとそれを分解しようと内臓が頑張ることによってカロリーを消費し、疲労感と眠気が襲うという話を聞いたことがある。恐らく他の常連さん達は今頃ぐっすり眠っているに違いない。
そんな状況で彼が起きているのは、初めての経験や環境に精神が高揚しているからか、あるいは――
「いえ、少しお話をと思いまして」
「何でしょう」
やはりそうだ。眠れないのではない。何か用事があって起きていたのだ。
「実は私はえーと……こういう者でして」
言いながらハヅキさんは懐を探り、黒い皮の手帳を取り出す。漢字でなかったので詳しい地名までは読み取れなかったが、POLICEの綴りは読み取れた。
「えっと、警察の方?」
「そうです」
「はっ、まさか毒料理Gメンっ?」
「いや、少なくともウチにそんな部署はありません」
「では一体、私は何の罪で捕まるんですか?」
ひょっとして毒を吐くこと自体が罪なのだろうか。
「いやいや、別に館長さんを捕まえに来たんじゃないですって。大体、他星系の警察にこの地での逮捕権なんてありませんよ。私がここに居るのは、あくまでプライベートです」
「な、なるほど」
すぐに捕まるワケではないというのがわかって、とりあえず安堵する。しかしだとすると、どうしてワザワザ警察手帳を見せたりするのだろう。ボクちゃん警察だぞ、誉めて誉めてってヤツか?
うん、それはウザい。
「実は捜査にご協力していただきたいと思いまして」
「協力と言われましても……今は犯罪者を匿ったりしてませんよ?」
「昔はあったみたいに聞こえますけど」
「あぁいえ、私も知らなかったんですっ。父が――先代が友人と称して変な男を泊めていたことがあって、それがまさかあんな――えっと、何のお話でしたっけ?」
「その話も気になりますが、まぁいいです。実はですね、私以外の四人の中に殺人者、というよりプロの殺し屋が紛れ込んでいまして」
「……えっと、明日からはそういう設定でというお願いでしょうか?」
「違います。嘘みたいに聞こえるかもしれませんが、本当の話です。我々は『イモガイ』と呼んでいるんですが、コイツは依頼だけでターゲットを殺します。他の人間に危害は加えません。その殺し方は毒物の注入、外皮から極めて小さな毒の固形物を体内に直接撃ち込み、中毒症状を起こさせます。肝臓をインプラント化している程度では浄化が間に合わないことが多く、死に至ります」
「イモガイ、ですか」
「粋な名前でしょう?」
イモガイというのは円錐状の殻を持つ貝の総称で、イモガイと呼ばれているのは殻の外観が里芋に似ていることに因る。大きな特徴として銛のような突起を発射して毒を撃ち込むことで狩りを行うことが挙げられ、中には人を殺すほどの毒を有している種類もあるらしい。
食べる専門の人間にとってはさして縁のない貝だが、ダイバーにとっては警戒すべき相手だ。
「毒を撃ち込んで殺すからイモガイ……なるほど」
「それだけじゃありませんよ。コソコソと姿を見せないダサい野郎だという意味もこもってます」
いや、それはアナタ方が見つけられないというだけでは。
「狙われた人は全員死亡、ですか?」
「いいえ、助かった者もいます。成功率は七割といったところでしょうか。問題は、いずれも不特定多数に紛れる人込みで行われている為に犯人の絞込みができていないことです。毒の種類も様々で、入手経路も不明です。その上、どんな凶器を使っているのかさえわかっていません。唯一わかっていることといえば、犯行が一年に一度の決まった時期に行われるということくらいです」
「ええと、そんな殺人鬼があの四人の中にいると、そう仰るのですか?」
正直なところ信じ難い話だ。というより、信じたくない話だ。
ハヅキさん以外の四人は、いずれも三回以上はウチを利用したことがある、いわゆる常連さんである。殺人鬼が一般人のフリをして通い詰めていただけでも恐ろしいのに、ひょっとすると毒の入手経路がウチだったりとか、そういうバッドエンドは勘弁していただきたいものである。
「……実のところ、その確信は持てていません」
「と、言いますと?」
「つい最近、そのイモガイに関するタレコミがありまして。ヤツは犯行の前に必ず『ある場所』に立ち寄るのだそうです。信憑性のない匿名の情報で、正直先輩達は悪質な悪戯程度にしか考えていないようでしたが、特定の時期に犯行が行われる理由がもしそこにあるとしたら、無視はできないと思いませんか?」
「えええっと、その『ある場所』ってのはもしや――」
「そう、この『瀧音湯』のことです」
おーまいがー!
「でででも、まだウチが提供した毒物で犯行が行われたということにはなりませんよね?」
「もちろん、毒の入手経路は今も調査中です」
「そ、そうですか」
「……提供したんですか?」
「いや、ウチは料理をお出ししただけです。仮にその料理を帰郷後に吐いて他人に浴びせて死んでしまったとしても、当方は一切の責任を負いかねますのでご了承ください!」
「まぁ、いずれにしても犯人が特定できないことには何も始まりません」
「じゃあ、その犯人逮捕に協力したらウチの旅館は見逃してくれるんでしょうか!」
「いや、どうして関わっていること前提なのかはわかりませんが、協力というのは情報をいただきたいのです。あの四人のできるだけ詳しい情報を」
「常連を売れと仰るのですか?」
「殺人鬼をのさばらせておくワケにはいかないでしょう。協力していただけるのなら、少なくとも共犯ということにはならないと思いますが」
「何でも聞いてください!」
「清々しいですね、館長さん……」
誉められた。これで無罪に一歩近付いたなっ。
とはいえ、私だけでなく先々代の頃からの習慣なのだが、お客様の素性や経歴には可能な限り踏み込まないというのが瀧音湯の流儀だ。これはそうすることで平等に接客しようという経営方針であり、一々憶えておくのが面倒臭いからでは決してない。
結局のところ、大した情報は提供できなかった。ただ、地球出身の斉藤さんとモデルという目立つ仕事をしていた秋風さんよりは、ハヅキさんと同郷の二人に疑念がかかるのは当然の流れだと言える。
どっちだ。どっちが殺人鬼なんだ。
毒に詳しいコマガワさんも怪しいが、個人的にはミシマさんの鋭すぎる眼光に一票入れたい。アレは絶対に人を殺してきた目だと思うんだ。
それも一人や二人じゃないね。幾多の屍を越えてきてるね。
その晩私は、毒料理を無理矢理食わされて殺される夢を見た。
翌朝、あまり眠れなかったことを抗議するように込み上げる欠伸を噛み殺しながら、愛用の籠を背負って山へと向かった。旅館の朝食(無毒)は中田さんに任せてある。本来なら、こんな時刻に出ることはなかったのだが、台風が急速接近して慌しく天候が崩れそうだというので、予定を前倒ししたのだ。
予報では昼前に大雨が降るような話だったが、今のところは雨粒一つ落ちてきてはいない。ただ、勢い良く流れる雲は次第に低く厚くなってきており、やんちゃ坊主の接近を声高に叫んでいるようだ。
「そろそろ戻った方がいいか」
空模様を見て籠を抱え、軽トラックへと戻る。と、荷台に籠を下ろしたところで懐のケータイが鳴り出した。
「はい、どうしました、中田さん?」
早速出てみると、向こう側が何やらわたわたしていた。
『館長っ、こまっ、コマガワさんが!』
「まさか、死体で発見されたとかっ?」
『いえ、違います!』
何だ、違うのか。
「じゃあ、一体何です?」
『朝から姿が見えなくて。朝食にもいらっしゃいませんでした。他の方に聞いても、起きてから見たというお声がなくて――え、春菜ちゃん何? えええぇ、ハヅキさんもっ?』
「今度は何です?」
向こうの様子が変わったことに、何かが起きたことを察する。ちなみに春菜ちゃんというのは河町さんの下の名前だ。
『えっと、それが……台風が近付いているので春菜ちゃんにお客様の様子を見に行ってもらってたんですけど、ハヅキさんが見当たらなくて、しかも秋風さんから外に出掛けるのを見たって聞いたらしいんです』
「なるほど、わかりました」
空を覆う雲の群れは一面の灰色だ。いつ雨が落ちてきても不思議じゃない。あまりのんびりとしていられるだけの余裕はないだろう。
つまり、事件が起こるとすればこのタイミングしかない。
『どどどどうしましょう?』
「とりあえず中田さんと河町さんは旅館のお客様をお願いします。お茶でもお出ししてあげてください。私はそちらに戻りながら二人の姿を捜してみますので」
『わ、わかりました。何かあれば連絡してください』
「了解です」
通話を切り、ケータイを懐に仕舞う。
どうやら何かが始まったようだ。昨日のハヅキさんの話、ひょっとして悪い夢の一部だったのかもとついさっきまで思っていたが、どうやら現実の出来事だったらしい。リアルワールドは相変わらず非情なものだ。
私はとりあえず荷台にシートを被せて籠を覆うと、旅館へ向けて軽トラを発進させた。
さて、まずは何が起きているのかというのが問題だが、基本的には二通りだろう。ハヅキさんが警察だと気付いたコマガワさんが逃げ出したか、下準備か何か奇妙な行動を起こしたコマガワさんが犯人だと確信してハヅキさんが追ったか、そのどちらかだ。そしていずれのパターンも、当館とは関係のないところで起きたこととして処理しなければならない。この瀧音湯が潰れてしまったら、生活のために面倒なバイトとか――じゃなくて懇意にしてくださるお客様に迷惑がかかるのだ。
これはとても大事なことである。
「とはいえ、どうやって捜したものか……」
瀧音湯の周囲は基本的に山である。特に道が入り組んでいるワケでもないので目的地がハッキリしている場合には舗装された道路を辿れば良いだけなので迷うなどほぼ考えられないが、身を隠そうとされた場合に見つけるのは難しい。獣道を含めれば、車の進入できない道が無数に存在しているのだ。時間的余裕のない中、軽トラで探し回るには限度がある。もちろん、降りて捜すなど不可能に近い。
「せめてどこかに痕跡でもあれば――」
そう呟いた矢先、枝葉の向こうに紺色のスーツを目撃したような気がして軽トラを急停車させる。慌てて降りて藪を掻き分けると谷の向こう、崖に面した細い山道に二人の姿があった。一瞬その場で声を張り上げようと思ったが、すぐに思い直して口を噤む。
ここで自分が声をかけたところで、泊まっている旅館の館長の言葉など大して響かないだろうということもある。しかしそれ以上に不安なのは、目撃者だとバレることによって、狙われるんじゃないかということだ。
いや、コマガワさんが殺人鬼だと決まったワケではないよ、うん。コレは単純に可能性の話だ。お客様を大した根拠もなく疑うなんて、そんなまさか。
ともかく、もう少し近付いて様子を窺う必要はある。断然ある。
私は軽トラへと取って返し、なるべく静かにドアを開けて乗り込むと、静かにアクセルを踏んで発進させた。誤解なきように申し上げておくが、別に見つからないようにするためではない。あくまで刺激しないための措置だ。
「お?」
フロントガラスに雨粒が当たり、透明な華を咲かせる。その粒は大きく重い。台風がすぐそこに迫っていることは、最早疑いようがないだろう。
「さて、ここから山道に入れるけども……」
軽トラを降りて、まずは深呼吸を一つ。
ここで慌ててはイケナイ。
この先に居るのは刑事と殺人鬼である。一般人にとってはハードルの高いイベントが起きていることは想像に難くない。できればこのままスルーして宿帳と関係者の記憶から二人の名前を抹消したいところだ。しかしいくら面倒臭くとも、ウチの宿泊客が奇妙な対立をしているという事実に変わりはない。
頬を両手で挟むように叩いて覚悟を決めると、細い山道に沿って林の中を進んでいく。これなら一仕事終えて戻ってきた殺人鬼が出くわしても、少しだけ逃げられる余裕があるだろう。仮に捕まったとして、どうして道を外れて歩いていたんだなどと問われても、お客様のためにキノコ狩りしてたしーと言い訳も立つ。
これはいい。完璧だ。
そして何よりこの雨と風だ。次第に数を増やしつつある雨粒は、確実にこちらの気配を消してくれる。こっそり近付くには絶好の環境だろう。ふふん、ジモティーを舐めるなよ。神風は我のために吹くものなり!
って、うわっぺっぺっぺっ、風で砂と枯葉と小枝と鳩が飛んできた。神風ハンパネー。
『あっ』
顔面に張り付いた鳩を払いのけた瞬間、驚愕の声が完全にハモる。ちなみに、その二つの声はいずれも自分のものではない。そして妙に視界が広い。いつの間にか林を抜けてしまったらしい。
「え?」
ということは何か? まさかこの一大事の修羅場に乱入してきたみたいな構図になっているんじゃないか?
「館長さん……」
「一体どうしてそんな場所から……」
いかん。普通に山道から現れるより不審な顔をされている気がする。これはアレだ。急いで言い訳――ではなく建前の事情を説明する必要がある。
「え、えと、キノコ――」
そうキノコ狩りだ。
「お客様のキノコが狩りたいんですよ!」
二人が引いた。どうしてか青い顔をして股間を押さえながら引いた。え、あれ、違うよ。そうじゃないよ。そっちのキノコじゃないよ!
「あ、違います違いますっ。えっと――」
仕方ない。こうなったら下手な言い訳を並べるより捜しに来たと素直に事情を説明した方がいいだろう。
「お二人の行き先に興味がありまして!」
「え、私達はホモじゃないですっ」
いや、そういう行き先じゃないよっ。二人の行く末とか興味ないよ!
というかハヅキさんよ、私達『は』ってどういう意味だよっ。私だってホモじゃないよ!
「館長さんがまさか、そんな趣味の人だったなんて……」
ハヅキさんがドン引きを通り越して怯えている。いやちょっと待て。そもそもアンタからあんな話を聞かされたから、こんなことになっているワケで。そういった事情を知っているアンタにそういう態度をとられるのは甚だ心外なんですが。
文句の一つも並べたいところだったけど、雨風が本格的に台風の様相を呈してきている。あまり長居していると運転が危険なレベルの視界になってもおかしくはなかった。
「とにかく一度戻りましょう。近くに車が停めてありますから、それで――」
「車に連れ込んでヤるとか、それ犯罪ですよ!」
いやいやいや、違うから。旅館に帰るだけだから。確かに四捨五入すると四十歳の独身男だけど、男の人に大して興味ないから。というか、おかしいのはハヅキさんだよな。自分じゃないよな。
「……確かにこの天気では話どころではありませんね。ハヅキさん、一旦戻りましょう」
それまで唖然としていたコマガワさんがようやく状況を把握したのか、助け舟が出される。
「二人がかりでっ?」
もう駄目だ、この刑事。
「まさかあの手紙にこんな罠が仕掛けられていたなんてっ。ち、近づくな。俺はホモじゃない。断じてホモじゃないぞっ。俺のキノコなんか食べてもちっとも美味しくなんぐわああああああっ!」
え、落ちた?
「崖から落ちたあああぁぁっ!」
ハヅキさんの姿を追って崖に駆け寄り、下を覗き込む。
転がり落ちた彼は、大の字になってピクリとも動かないまま雨に打たれていた。
「はっ!」
ガバッと起きた瞬間にハヅキさんの顔が苦痛に歪む。
「いつつつつつ……」
「足、大丈夫ですか? 折れてはいないと思いますけど」
「あ、館長さん、えっと……そうですね。痛いですけど、捻っただけかと――」
その刹那、まるで落雷の直撃でも受けたような顔になると、身体のアチコチをペタペタと触って着衣の乱れや遺失物の有無を確認して盛大な安堵の溜め息を吐く。
うん、どうして最後にお尻を確認したのかな?
いい加減にしないとホントにヤッちゃうぞ。
「とりあえず、ご無事で何よりです」
「ここは?」
岩肌が剥き出しの洞窟内を見回し、痛まない方の膝を立てる。
「近くにあった洞窟ですよ。ハヅキさんを背負って崖を上るのはちょっと厳しかったし、それに――」
外へと視線を流しながらコマガワさんは続ける。
「この天気なので」
言われて視線を動かしたハヅキさんも事情を納得する。
ポッカリと大きく開いた向こう側は、まるで重力がおかしくなったのではないか疑ってしまうような勢いで、雨が横に降っている。
「なるほど、これじゃあしばらく帰れませんね。旅館の人達は心配したりしていませんか?」
「一応、連絡は入れておきました。幸い台風の移動が速いので昼頃にはこの地域を暴風域が抜けると思います。そうなったら、私の乗ってきた軽トラで戻りましょう。少し狭いとは思いますが」
こちらの提案に異論はないようで、二人も素直に頷く。
そしてそのまま、沈黙が始まった。
まぁ、仕方のない話だと思う。殺人を生業にするプロとそれを捕まえることを仕事している刑事が一緒にいるのだ。しかも事情をある程度把握しているとはいえ内緒話ができない環境で部外者が同席している。迂闊に口を開けないのは当然の成り行きだ。
しかし何と言うか、こういう沈黙は壊したくなるのが人情というものである。
「ところで、こちらが殺人鬼の方ですか?」
「うおいっ!」
ハヅキさんが食い気味に声を張り上げる。いささかダイレクトすぎたような気はするが、とりあえず沈黙は脱したようだから良しということにしておこう。
「何だ、既に知られていたんですか」
コマガワさんは、いつもと全く変わらない人の良い少しだけ困ったような笑顔を浮かべてハハハと笑う。こんな人が何人もの人間を毒殺してきたなんて、世の中というのはわからないものである。
いや、毒料理を年に何回も振舞っている自分が言うのも何だが。
そう考えると、私と彼では何が違うと言うのだろう。せいぜい同意を取り付けたか否かってことと、相手が死んでいるか否かってことくらいだ。あ、美味しさも違うな。
「ちょちょ、ちょっと館長さん! 迂闊なこと言わないでくださいよっ。まだ何一つ確証なんてないんですから!」
「え、そうだったんですか? てっきりもう犯人の告白まで済んでいるものだとばかり」
崖で刑事と犯人の対峙というシチュエーションまで行ったら、あとはもう逮捕か自殺の二択しかないだろう。
実際に落ちたのは刑事だったけど。
「というか、結構時間ありましたよね。じゃあ何の話をしてたんです?」
自分が二人の姿を見つけてから不本意な合流を果たすまで、短く見積もっても五分以上はあったハズである。
「いや、昨日の料理の話とか色々……そ、それはホラ、いきなりストレートに聞いて答えてくれるハズもないと思ったし、さりげない世間話の中からポロッと手掛かりが見つかったりするかもしれないと思ったからで――」
「へたれですね」
この人はアレだ。告白するために呼び出して好きな映画の話とかしてそのまま終わっちゃう人だ。
「というかですね、二人はどうしてあんな所に?」
「私が呼び出したんですよ。彼の部屋に手紙を差し込んで」
一方のコマガワさんの態度は堂々としたものだ。さすがスーパーの裏方さんは格が違うぜ。
「えっと、二人で話したいことがあるからってことでして。コレです」
ハヅキさんが懐から取り出したメモ用紙に詳しい説明などはなく、簡潔な用件と簡素な地図が記されているだけだ。ただ、最初からあの場所を指定していたことからみて、やはり他人には聞かせたくない類の話ではあったのだろう。私とて、もし事情を知らなかったなら、台風が迫ってきてなどいなかったなら、お客様同士の交流に一々首を突っ込んだりはしなかっただろう。
「で、その話というのは?」
「いや館長さん、ここでそれを聞くんですかっ?」
「いや、私も気になりますし」
毒の出処によっては処分も考えないといけないし。
「気になるって、殺し屋ですよっ。素直に言うワケないじゃないですか!」
「いや、そこまで知られているなら、今更隠し立てする必要はありません」
コマガワさんは姿勢を正し、いつもの柔和な感じとは違う、少しばかり真剣な眼差しを我々に向けた。
「むしろ、ぜひ聞いていただきたい」
「あ、えっと、はい……」
おい刑事しっかりしろ。
「私が殺しの仕事を始めたのは20年くらい前の話になります。当時の私は、まぁ少々やんちゃしてまして、ミツトモ会のチンピラをしてました」
「ミツトモ会?」
「ウチの星系にある指定暴力団ですよ」
ハヅキさんの解説に納得して頷きを返す。
「それにしてもチンピラとは、こう言っては何ですが似合いませんね?」
「ハハハ、妻にもよく言われました。柄じゃないって自分でも思ってたんですが、先代の会長には恩義もあって、当時の私は若かったこともありまして、何か組のために働けないかと試行錯誤した結果が――」
「殺し屋ですか」
「そうです」
若さほど正義を狂わせる要因もない。ちなみにいい歳こいた大人が正義を振りかざすほど痛々しいものもない。
「専属の殺し屋を始めてからは、組との関係は薄れました。接点が多いと当然ながら疑われますからね。だから表面上は足を洗って、慎ましやかな生活が始まったんです。あの頃は充実してました。妻と結婚したのもこの頃です」
人生転落したのにリア充とか、万死に値する所業である。
「で、一体どんな凶器なんです? 付き合いが長くないとはいえ、コマガワさんに似合う武器というのがそもそも思いつきませんが」
「くたびれたカバン持ってヘコヘコしてるしてるイメージですね。ということは、カバン型の機関銃とか?」
「いや、そんな目立つものだったらとっくに捕まってますよ」
ハヅキさんのツッコミはもっともだ。
「あー、えっと、実はですね。肛門なんですよ」
「コーモン?」
咄嗟に自分のお尻を押さえるハヅキさんは、まだどこか我々を警戒しているような素振りが感じられる。失礼な人だ。私にだって選ぶ権利くらいある。せめて男の娘でなければ嫌だ。
「実は私、幼い頃に家族で事故に遭いまして、その時に両親と妹も失っているんですが、自分の身体もかなり損傷しちまいましてね。肝臓ばかりじゃなくて色々とインプラント化してるんですよ。肛門もそうです。で、ミツトモ会お抱えの医者に頼んで特注の器官を追加してもらいましてね、食べた毒を溜め込んで撃ち出せるようにしてもらったんですよ」
「つまり、うんこ銃ですかっ!」
「いや、そのネーミングはちょっと」
やんわりと断られた。シンプルで良いと思ったのに。
「……なるほど、だからここで毒物を体内に取り入れてから犯行に及んでいたワケですか。ひょっとしてあのタレコミって、コマガワさん本人からですか?」
「えぇ、実際のところ、ここで毒物を取り込むことにしたのは四年前からですし、そもそも楽しく食べて取り込もうという発想もありませんでしたからね。つい最近の話です」
「それで、どうしてまた自白することにしたんですか?」
黙っていればウチが疑われることもなかったのに。
「まぁ、色々と事情が重なったんですが……」
コマガワさんの声が、一段階トーンを落とす。
「五年前に先代が亡くなられてから、ミツトモ会は大きく変わってしまったんです。付き合いがありましたから仕事自体は続けたんですが、正直あまりついていきたいとは思えなくなりまして。そんな矢先、二年前に妻が亡くなりました。事故だったんですが、連中の脅しだったんじゃないかと今でも疑っています。次は娘かと思うと、余計に怖くなりましてね。しかも、連中が次に指定してきたターゲットというのが――」
そこで一旦言葉を切り、風の弱まりつつある雨足を眺めてから一息ついて続ける。
「ミシマさんだったんです」
「えっ?」
さすがにこれは驚いた。只者ではないと思っていたが、やはり大物だったということなのだろう。
「何したんですか、ミシマさんは。ヤクザの経営するレストランで『この料理を作ったのは誰だぁ!』とかやらかしたんですか?」
「何の話ですか、一体。違いますよ。ミシマさんは別の暴力団、ヒシイ組の元幹部だった人です。今では隠居して静かに暮らしていますけど、今でも時折舎弟が出入りしているそうですよ。まぁ、荒事に関わることなんてまずないと言ってましたけど」
「そ、そうだったんですか。昨日うっかり肩をポンポン叩いちゃったけど、殺されないかな?」
刑事がビビってどうする。
というか、むしろ目の前に殺し屋がいるんだから、そっちの心配をしろ。
「でもご存知の通り、ミシマさんとは毒料理仲間ですし、この瀧音湯もなるべくなら巻き込みたくはなかったんです。だからどうしても、この殺しをせずに、しかし娘を危険にさらすことなく警察と交渉したかったんですよ。瀧音湯の魅力に気付いてくれれば、きっとヅカヅカと土足で踏みにじったりはしないだろうと思いましたからね」
「コマガワさん……ウチを巻き込もうとした極悪人とか思って申し訳ありませんでした」
「あ、警察が捜査に来た時は毒を吐かないようにした方がいいですよ」
「善処します」
「それにね……」
それまでより一層、恩義のある先代会長が死んだことを話したときよりも沈痛な面持ちで、ハヅキさんは溜め息を吐いた。
「こんな仕事、かなり前からやめたかったんですよ。娘がね、仕事の時期になると決まって言うんです」
今にも泣きそうだ。
「娘さんも心配しているんですよ、きっと」
「お父さん臭いって」
「うん、あれ?」
「いやわかりますよっ。確かに仕事が終わるまでは溜め込んでおかないといけないんで出すもの出せなくなって便秘になるから、多少は汚物の匂いがするかもしれない。でもね、お父さんだってデリケートな年頃なのよ。加齢臭だって気になるこの時期に、年頃の娘に臭いって言われたら傷付くじゃありませんかっ!」
「知らんがな」
「だ・か・ら、殺し屋やめるんですっ」
これが一番の理由とか、草葉の蔭で先代が泣いてるぞ。
「つまるところそちらの条件は、娘の安全と瀧音湯旅館の存続の確保、といったところですかね?」
この刑事、へたれではあるが人の話はちゃんと聞いているようである。
「そうです。最低限、娘の安全は保障していただきたい」
「そうすれば、自首すると?」
「そのつもりです」
「……コマガワさん、アナタが悪い人に見えないというのは俺にもわかります。でもだからといって、今まで何人も殺してきた犯罪者の言葉を信じろと?」
「虫の良い話だとは思っています」
「そんなことないですよ、コマガワさん。この刑事が人でなしなだけです」
「保身に走るのはやめてください、館長さん」
いやですぅ。あの旅館が潰れたらこっちが困るんですぅ。
「昨日は美味しい毒料理をいただきました。でも、あれらの料理は毒だから美味しかったんでしょうか。そうではないでしょう。美味しいものに毒なんてないんです。失礼ですがコマガワさん、アナタは毒だった。そうである以上、一般人にとって食べるには値しないものだとは思いませんか? アナタから毒を抜いて、それが本当の自分だと言えますか。また殺人を犯したくなるかもしれないと、この先ずっとそう思わずにいられるんですか?」
「……私の殺人は本意ではないと、信じてはもらえないということですか」
「今の話だけで納得してくれる者など、そう多くはないでしょう。毒なんて誰も食べたくはないんです。それを繰り返してきたアナタはもう、毒そのものです」
「確かに……社会にとって私は、毒そのものかもしれません」
「仮にそうだとしても、別に問題ないのでは?」
私の言葉に、二人が同時に振り返った。
「コマガワさんは確かに社会の毒かもしれません。でもねぇ、毒だからといって全てが排除されるべき存在じゃないんですよ。本当の毒っていうのはもっと巧妙で、かつ厄介なものです。帰ったら早速ご馳走しますよ」
上げた視線の先に光が満ちる。
雨はもう、上がっていた。