1話 毒と宴
本作は『あなたのSFコンテスト』という企画への参加作品になります。
SF=サイエンス・フィクション、つまり正統派です。
肩肘を張るような作品ではないので、安心してお読みください。ただ、短編という枠組みに属していますが三万字程度と少し長めの内容となっております。
また本作は作中のような行為を推奨するものではありません。真似して死んでも当方は責任を負いかねます。ご了承ください。
「ようこそお出でくださいました!」
館長である私が出迎えると、彼ら五人が満面の笑顔で応えてくれた。この仕事を楽しいと思える一瞬の一つである。
「やぁ館長さん、今回もよろしくお願いします」
一行を代表して最年長の斉藤さんが口火を切る。その口ぶりも態度も慣れたものだ。常連さんがこの『瀧音湯旅館』を第二の我が家と思ってくれることは素直に嬉しい。
「さぁて、今回はどんな料理で私達を殺してくれるのか楽しみね?」
「営業停止にはなりたくないので、死ぬなら帰ってからにしてくださいね」
紅一点の秋風さんの危ない発言を、毒を仕込んだナイフで切って返す。
「館長さんが相変わらずの劇毒で安心したわ」
一年ぶりとは思えない軽妙なやり取りに笑顔の華が咲く。皆が楽しみにしてくれているのは嬉しいものだ。
「では、どうぞお上がりになってください。中田さん、皆さんを個室にご案内してさしあげて」
「はい、館長。皆さん、どうぞこちらへ」
ベテラン仲居の中田さんに案内される五つの背中を見送ってから、私は厨房へと足を向けた。彼らに極上の『毒』を振舞う、その準備を始めるために。
人類が太陽系から飛び出して既に二世紀、宇宙人などという言葉が死語になって久しい。地球は人類発祥の地として全域が観光地化し、産業のほとんどは別の星系へと移った。私のように、一つの惑星から一歩も出たことがないという人間は希少ですらある。星間旅行はもう、一部の資産家の道楽ではなくなりつつあった。
空を見上げればシャトルがポンポン飛んでいるのも見慣れた光景だ。一つくらい近くに落ちたら見物客で賑わうんじゃないかと思うこともある。
もちろん地球全体が観光地といったところで、自然と格差は生まれるものだ。この日本という土地にも多数の有名な観光地はあるが、この瀧音湯旅館はそういった人の流れからは外れていた。生まれついての資産や家柄が現在でも人生の難易度に影響を与えるように、旅館の立地条件というのも大きな要素となる。ここは何と言うべきか、恨み言の一つくらいは並べて然るべき土地柄だ。
要するに、黙って待っていたところで人は来ない。仮に東京や京都へコロニーが落ちたとしても、この地域が立ち寄る候補に挙がることはないだろう。
そんな悪環境にあるウチが300年以上も存続してこれた主だった理由は、単純温泉ながらも天然の温泉が湧いていたことと、周囲にライバルが不在だったことだ。昔は地元民の湯治宿として利用されていたようだが、今は花見や紅葉目当ての観光客を相手に細々とやっている。だから尚のこと、紅葉にはまだ随分と早い初秋に、しかも定期的に訪れてくれる彼らのような存在は実にありがたいものだ。
「準備は上々、さぁ行きましょうか」
最初の料理が揃っていることを確認し、二人の仲居さんを鼓舞して宴会場へと足を向ける。
ウチ程度の小さな旅館では、五人に一つずつの部屋を割り当てたら半分近くが埋まってしまう。そんな旅館が、しかもメジャーな観光地から離れているのに、よくもまぁ潰れずにいられるものだと我ながら感心するところだが、もちろん相応の理由がある。
それが今回の方達のような美味しい――否、毒々しいお客様の存在だ。
彼らが観光地から離れたこの瀧音湯をわざわざ選ぶのは、温泉でもなければ景色でもない。まだ残暑の続くこの時期、紅葉ももちろん始まっていないから周辺は緑一色だ。それに明日は台風が上陸する。観光目的ならガッカリするタイミングだろう。だがあの五人の笑顔は曇らない。それは彼らの目的が、この旅館の食事だからだ。
たったそれだけと思うかもしれない。しかしそれは違う。そうでなければ、先々代の時点で潰れていただろう。祖父の始めた『毒料理』がなければ、恐らく私はこんなちんまい旅館の館長などやっていなかったハズだ。
ちなみに毒料理というのは料理下手の作る創作料理のことではない。毒を有する動植物を食材とした正真正銘の毒料理である。
殺す気かと思われるのも心外なので弁明しておくが、これはあくまでお客様からの要望なのだ。さては自殺志願者かと思ったそこのアナタ、それも違う。ウチは樹海を目指す人達のオアシスになる気は更々ない。彼らは全員、インプラントユーザーなのだ。
インプラントとは何かを一言で説明するのは実のところ難しい。しかし簡潔に説明するなら人工臓器のことだ。歯や髪の毛はもちろん、皮膚や骨から目や耳といった感覚器官まで多種多様だ。しかし現在、一般的にインプラントと言えば内臓の代替品を指すことが多い。更にわかりやすく言えば、義眼や義足など特定の名称を持たない補完部位を総称してインプラントと呼んでいる。
地球という環境で暮らしている我々にはピンとこないが、宇宙や他惑星で暮らすというのは人間という肉体に大きな負荷をかける。元々は、それを補うという目的で発達した分野だ。それがまさか、こんな場末の温泉宿で嬉々として毒料理を頬張ることになろうとは、インプラントの父と呼ばれたレスター医師も絶句であろう。
人間というのは本当にワケがわからない。もちろん、悪い意味で。
言うまでもなく、もてなす立場のウチとしてはありがたいお客様ではあるのだが、正直なところ毎回作る度に殺人料理を振舞っている気がして、素直にもてなしているという気分になれないところが唯一の難点だ。
何と言えば良いのだろう。適当に描いた絵を世紀の名画だと褒め称えられているような、描いた本人だけが共感できていないような、そんな状態だ。
「お待たせいたしました」
宴会場の襖を開き、中へと足を踏み入れる。
「いよっ、待ってました!」
「お腹ぺこぺこだよー」
斉藤さん定番の掛け声に応ずるように、今回のメンバー唯一のオバ――お姉さんであるところの秋風さんが弱々しい声を上げる。ご新規のハヅキさんは少しばかり所在なさげに視線を泳がせているが、他の面々はすっかりくつろいで下さっているようだ。全員湯上りなのか上気した顔でウチの浴衣を着込んでいる。あの浴衣を着て見せる笑顔は、やはり老若男女問わず嬉しい。
「中田さんはお酒を、河町さんは最初の料理をお出しして」
私の言葉で二人の仲居さんが動き出す。やがて、赤く染まるガラスの徳利が五人の前に並ぶのを見届けてから、普段はすることのない解説を始めることにする。
「本日はこの瀧音湯をご利用いただきまして誠にありがとうございます。皆様の期待に沿えるかどうかはわかりませんが、心ばかりの料理をご用意させていただきました。少しでも楽しんでいただければ幸いです」
「相変わらず館長さんは謙遜がお上手だ。この料理が楽しみで我々は星間トンネルをくぐってきているというのに」
いつもニコニコしている印象のある好々爺、ミシマさんの言葉に周囲の人達も同意の声を上げる。実際、数千光年の彼方から足を運んでくれているお客様がいる以上、それは確かに事実だ。しかしだからこそ、心苦しくもある。
「ホント物好きですね、ウチとしては大助かりですけど。さて、今皆様の前にご用意させていただいた二品について少しお話させていただきます。煩わしいとは思いますが、お付き合いください」
「いやー、私はこの解説が楽しみでねぇ。むしろワクワクしますよ」
「あー、わかるわかるぅ」
のんびりとした印象の中年男性、コマガワさんの嬉々とした発言を、隣に座った秋風さんが楽しそうに拾い上げる。上は七十代の斉藤さんから下は二十代のハヅキさんまで年齢層は幅広いが、ジェネレーションギャップのようなものはほとんど感じられない。
「毒物の説明でワクワクするとか、ちょっと引くんですけど」
「もちろん、館長の吐く毒も含めての期待ですよ」
「心外ですね。私は人よりちょっとだけ正直なだけです」
コマガワさんの期待を一蹴して続ける。
「えー、まずは平皿のお料理から参ります。といっても、こちらは一目瞭然かもしれませんね。カルパッチョです。お魚の種類はもちろん――」
「フグですな?」
時折見せるミシマさんの鋭い眼光が輝く。この人、普段は虫も殺さないどころか死にそうな虫を助けてあげるような温和なお爺さんなんだけど、時々見せる鋭い眼光は只者とは思えない。何と言うか、幾多の修羅場をくぐり抜けてきたような凄みがあった。
正直怖い。この料理を作ったのは誰だぁ、とか切れられそうで。
「そうです。フグの毒は有名ですが、その主成分は熱に強く青酸カリを遥かに凌ぐ毒性を有したテトロドトキシンです。まぁ、この辺りは皆様の方がむしろお詳しいですよね。毒物が三度の飯より好きな方々ですし」
「いや、否定はせんけど……今回は新人さんもおるでな。正式な解説をお願いしたいね。正直、ワシも久しぶりに聞きたい」
「あ、是非お願いします」
最年長の斉藤さんはメンバー唯一の地球人であり、皆のまとめ役でもある。彼が受け皿になってくれていることで、この奇妙なツアーが毎年維持されているのだ。例年七、八人にはなる毒料理ツアーではあるが、今年はスケジュールが合わずに四人の参加に終わるところへ現れたのが、新しい会員でもある最年少のハヅキさんだ。見た目の印象は仕事をバリバリこなしそうな若手のサラリーマン、といったところだろうか。正直なところ、毒料理などという奇妙な趣味に若くして目覚めるような変人には見えなかった。
いや、別に他の方を変人だと罵っているのではない、決して。
「では、注意も兼ねて解説させていただきます。テトロドトキシンというのは極めて有名、かつ極めて強い毒物です。フグをこよなく愛してきた日本人にとっては、馴染み深い毒物でもあります。人間にとっての致死量は僅かに0.2ミリグラムと言われており、致死性は極めて高いですね。現代でも年に数人程度の中毒死亡者が存在するほどです。とりあえず、素人が勝手に捌いて食べないで欲しいものです」
「フグはなまじ食べてきただけに、対策をせんまま食べる輩が後を絶たんからな。肝臓のインプラント化なんぞどこの病院でもできるレベルなのだから、その費用をケチって高級食材に手を出して死ぬとか、シャレにならんだろうに」
地球人の斉藤さんにとっては特に、他人事とは思えないのだろう。もちろん、インプラント化をしていないというのにも相応の理由が存在する場合もある。私がそれをしていないのは、必要もないのに身体にメスを入れる気にならないからだ。断じて怖いからではない。これは生まれたままの身体を大切にせよという祖父の遺言なのだ。いや、まだ爺ちゃんは生きてるけど。
もちろんお客様への建前では、代々そういうことになっているという理屈に取って代わる。老舗って便利。
「テトロドトキシンは強い麻痺を引き起こす毒物でして、口や唇の痺れが全身に広がっていって、最終的には呼吸に必要な筋肉が麻痺して息が続かなくなって死にます。意識は最後までハッキリしていることが多くて、動けないという恐怖の中でジワジワと死神を待つ感覚らしいですね。正直、自殺には向かないと思います。ここにいる皆様は最低限肝臓のインプラント化は済ませていますから大丈夫だとは思いますが、何かおかしいなと感じましたら僅かなことでも申告なさってください。庭の穴に埋めますんで」
「いや、その民間療法間違ってますよ!」
「さすがはコマガワさん、よくご存知で」
会話のドッジボールも、一年ぶりとは思えないほどの顔面セーフである。
冗談はさておき、この毒料理ツアーにおいて最も重要な器官は肝臓である。肝臓の役割は多岐に渡るが、特に重要なのは毒を吸収することなく取り除くということと、血中の毒素を中和あるいは排除するというものだ。この二つの役割を兼ねている肝臓がインプラント化されていれば、ウチの料理で死ぬことはない。
と、思う。まぁ、いざとなったら埋めるし。
「次は赤いお酒の方に移りますが、長くなりましたのでまずは乾杯を済ませてからにしましょうか。料理を目の前にしてお待たせするのも心苦しいですし」
「賛成っ!」
一際勢い良く諸手を挙げたのは秋風さんだ。元モデルの彼女はアラフォーとは思えないほどのプロポーションを維持しているが、非常によく食べる。実は彼女、ウエストを細くするために腸を丸々インプラント化したのだそうだ。私自身は大層驚いたものだが、ダイエットや美容を目的としてのインプラント化はそう珍しいものでもないらしい。一昨年までは体重が増えるからという理由で肝臓はインプラント化していなかったが、ウチの料理を腹一杯食べたいという理由からやってしまったそうだ。
この人、頭おかしい。
あるいは毒料理というのは、それほどまでに人を狂気に駆り立ててしまうものなのだろうか。一応それなりに味見はしているから美味しいということはわかる。だがそれを腹一杯食べるという感覚は、どうしても私にはわからない。
「では、退屈な日常から離れ、美味しい毒を身体一杯に詰め込むとしましょうか。乾杯!」
いつものように斉藤さんの音頭で赤く染まったグラスが掲げられる。
「甘くて美味しい……けど、これ何ですか?」
「酸味のやや薄いワインって感じだな。梅酒みたいだけどコクが深い」
ハヅキさんの疑問に応じるようにミシマさんが唸りながら自らの分析を口にする。さすがに常連さんは鋭い。これは梅酒のように焼酎に漬け込んで作った果実酒だ。ただもちろん、使っている果実はメジャーなものではない。
「この赤いお酒はイチイの実を使った果実酒です。イチイというのは別名アララギとも呼ばれる針葉樹で、秋に赤い実を実らせます。この実は無毒であり甘くて美味しいのですが、葉や種には毒があります。本来、イチイの実で果実酒を漬ける時には種を取り除くか傷がないことを確認して漬け込むのが常道ですが、このイチイ酒は一つ一つ種を割ってから投入しています」
「へぇ、そりゃ手間がかかってますなぁ」
「えぇ、とても面倒臭かったです」
「はっはっは、館長の毒はいつでも剥き身で感心しますね」
コマガワさんが感心したように頷きながら、赤い液体を喉へと流し込む。一応味見はしているから美味しいことは保証できるが、思っていた以上に気に入ってもらえたようだ。
「それと、イチイ酒は毒素を含んでいることもあって通常は三ヶ月程度と浅く漬け込むことが推奨されていますが、このイチイ酒は一年近く漬け込んでいます。独特の苦味や渋みは、本来のイチイ酒にはないものです。ミシマさんがワインぽいと思われたのは、この苦味や渋みがあったからだと思います」
「つまるところ、これこそが毒素そのものなのかね?」
「それが全てではないと思いますが、種を割らなければこの深みは出ないと思います」
ミシマさんへ言葉を返すと、グラスを傾けてその色合いを改めて確認してから、ぐいっと一気に飲み干した。
「それで館長さん、このイチイってヤツの毒はどうやって人を殺すの?」
秋風さんは相変わらず物騒なことを軽々と口にする。
「イチイに含まれるのはタキシンという成分で、心臓毒と言われています。除脈を起こして心拍数が下がり、筋力の低下や眩暈などを経て心臓麻痺などを引き起こすそうです。急激に症状が進むので気付かずに死に至るなんてケースもあったそうですよ」
「まぁ怖い。そんな劇毒をお客に振舞うなんて、館長さんってば悪いお・と・こ」
「くれぐれもここでは死なないでくださいね。営業できなくなると困るので」
人工肝臓の場合、生身の肝臓よりも処理能力が高いので酔いが覚める時間は遥かに短くなる。人によっては全く酔わないということもあるほどだ。しかし秋風さんのコレは、多分酔っているのだろう。いや、普段からこんな感じだったかもしれない。
「うおっ、美味いコレ!」
イチイ酒からカルパッチョにシフトしていたハヅキさんが、一口頬張って歓声を上げる。
「おやハヅキさん、フグを食べるのは初めてですか?」
隣に座るコマガワさんの問いに、彼は照れた笑いを浮かべる。
「お恥ずかしながら。高級食材だってことは知ってましたけど」
「そう気にしなさんな。ハヅキさんも我々と出身は一緒でしょう? あちらでは地球産の食材を口に入れること自体が滅多にないことだろうからねぇ」
ミシマさんの言葉にコマガワさんもそうそうと頷く。
「私もフグなんて食べたのはここに足を運ぶようになってからですよ。でもこのフグ、去年食べたのと少し違うような気がします。新鮮だからですかね?」
「相変わらず鋭いですね、コマガワさん。食感の違いは鮮度ではなく、去年お出ししたのとは種類が違うからです」
「ほう、トラフグじゃないのかね?」
ミシマさんが意外に思うのも無理はない。一般的にフグ料理と言えば、天然養殖を問わずトラフグが多い。身の味が良質で食べられる部位も多いからだ。ウチも去年まではトラフグを用意していた。
「はい、今年はコモンフグをご用意させていただきました」
「コモンフグって、あまり食用では聞かない気がするけど」
斉藤さんも気になったのか話に割って入る。
「そうですね。食用ではあまり出回らない種類です。トラフグは身以外にも皮や精巣といった部位も無毒で食べられるのですが、このコモンフグは身以外を食べることは出来ません。身も場合によっては毒が含まれることがあります。ただ食用には適しませんが、その身はコリコリとした食感が強く美味であり、個人で釣りを楽しむ方や漁師さんの中には食べる方がいるそうです」
毒料理ならではのチョイスではある。ちなみにどうせ大して売り物にならないというのに値段は安くない。コストダウンの目論見が脆くも崩れ去ってガッカリである。
「なるほど、この食感ならカルパッチョという判断は絶妙だね。それにこのソースがまた、何と言うか濃厚でコクがあって、イチイ酒とのバランスがいいな。何というか、良質な塩辛のような深みだ」
奥ゆかしい当人がそんなアピールをすることはないが、ミシマさんは明らかに食通である。そんな彼に評価されるのは、料理人の端くれとしては素直に嬉しい。
「本来のカルパッチョとは違い、このカルパッチョのソースにはフグの肝を使用しています。言うまでもありませんが、肝は最も危険な部位の一つですね」
「そりゃ死ぬほど美味いワケだね!」
既にほぼ平らげている秋風さんが、満面の笑顔で言い放つ。この人は相変わらず良い食べっぷりだ。
「コリコリしてて濃厚で、いやホントに美味いですね、コレは」
新人のハヅキさんも気に入ってもらえたらしい。イチイ酒も進んでいるようだ。酒との相性を考えてフグらしくないメニューを選択したが、どうやら正解だったようだ。
さすがに毒性が強すぎてほとんど味見はできなかったが、あの濃厚なソースは自信作である。
「お楽しみいただけているようで何よりです。ではそろそろ次の料理の準備を始めさせていただきます。しばらく時間がかかりますので、それまではお手元の品をお楽しみください。おかわりが必要でしたらお申しつけてくださればすぐにご用意いたします」
二人の仲居さんに目配せして次の料理を運んでもらう。この三皿が今回の夕食のメイン料理だ。
「ほほう、こっちは白子の焼き物と皮の湯引きだね。それにこっちはフグ鍋かな。フグのフルコースといったところだね」
「そうです。毒料理最初のコースはフグ料理がメインとなります」
ミシマさんの言葉に頷いて解説に入る。
「まずはお馴染みのフグ鍋です。身はもちろん皮や肝、骨も入っています。溶け込んだ毒と共にポン酢でお召し上がりください。刺身とは違ってプリプリした食感が楽しめると思います。試食してないので知りませんけど」
「正直すぎだよっ」
秋風さんが楽しそうにケラケラと笑う。
「そして次に皮の湯引きと白子の焼き物です。湯引きは添えてあります特製のもみじおろしで、白子はそのままお召し上がりください。いずれもトラフグでは無毒の部位ですが、コモンフグでは強毒部位になります。どちらも日本酒との相性が良いので、ヒレ酒とご一緒に楽しんでいただければ幸いです」
これで二皿、そして最後の一皿だけはフグではない。
「最後のコレは、揚げ物ですね。何か、花みたいですけど」
しげしげと二種類、白と紫の天ぷらを眺めるコマガワさんの言葉に頷くと、私は続ける。
「この一皿はスズランとトリカブトの花の天ぷらです。どちらも有毒の植物として有名ですが、特にトリカブトですね。実は私がお出しするのは初めてです」
「先代の時はあったね。胡麻和えか何かだったかな。苦くてそんなに美味しくなかったけど」
先代からの付き合いがあるのは、この斉藤さんとミシマさんの二人だけである。もう五年通ってくれているコマガワさんも、ウチの父との面識はない。
ちなみに言うと、別に親父は毒で死んだとか、そういうオチはない。母と一緒に気楽な隠居生活に突入しているだけだ。祖父を含め、どうやらウチの家系は『働きたくないでゴザル遺伝子』を持っているらしい。しかも優性遺伝だ。
あぁ、早く引退したい。
「スズランもトリカブトも、山菜として誤食されることが多かった植物です。コンバラトキシンなどを含むスズランは花や根の毒性が強く、嘔吐や下痢などの消化器系の症状が出た後で心拍異常や呼吸異常へと続き、心不全や心臓麻痺などを引き起こします。痙攣しながら死ぬとか、かなり無様な死に方らしいですね」
「何それゾクゾクする」
「秋風さんの顔はワクワクしているように見えますが」
そんなに死にたいのだろうか。それとも誰かが死ぬのを見てみたいのだろうか。どちらにしても結構な趣味をお持ちのようだ。私のような良心的な一般人では理解不能である。
「一方のトリカブトですが、こちらは古来より毒物として有名ですね」
「へぇ、ボクの住んでいるところでは聞いたことない名前ですね。そんなに猛毒なんですか?」
地球を初めて訪れたハヅキさんなら無理からぬ発言である。実際こんな商売をしていなければ、トリカブトの実物など拝む機会はないし、名前だってフィクションの中で見かけることが多いだろう。どんな植物かなど、地球出身の人間でさえ知らなくとも不思議ではない。
むしろやたら詳しい変人になど、できればお近づきになりたくないところだ。あ、お客様ならどんな方でも大歓迎です。
「一時期は教科書にも載ってたくらいなのだがな。狂言も随分廃れてしまったし、最近の若いもんは知らんだろう」
「きょうげん? 嘘の発言という意味ではないですよね?」
「違う違う。伝統芸能の一種だよ。歌舞伎みたいなものだな」
地球事情に最も詳しい斉藤さんが笑いながらハヅキさんに答える。
「附子という演目があってな。大切な砂糖を盗み食いされない為に嘘を吐く話なんだが、その砂糖だってことを隠すために偽った附子というのがトリカブトの根を乾燥させた毒物なんだよ」
「昔のミステリーや事件簿には、時折名前が出ますよね。青酸カリより強くてテトロドトキシンにも引けをとらないとか」
コマガワさんは料理よりも毒に詳しい人という印象がある。
言動はとてもまともな人なのに、とても残念である。
「実は今回、フグ料理にトリカブトの天ぷらを合わせたのは偶然ではなかったりします」
「あ、ひょっとして有名なトリカブト事件ですか? 保険金殺人の」
「まさかご存知とは……お見それしました」
どうしてこの人はスーパーの裏方なんてしているんだろうか。
「私も不勉強で、この逸話は最近になって知ったのですが、トリカブトの毒性の主成分であるアコニチンとフグ毒であるテトロドトキシンは共に脳や筋肉を上手く動かすための物質に干渉します。いずれもその正常な活動を狂わせるのですが、アコニチンは活性化させてテトロドトキシンは不活性化させるんですよ」
「へぇ、正反対なんですね」
ハヅキさんも関心があるのか、その眼差しは妙に真剣だ。
「どちらも即効性の劇毒なのですが、この二つの毒物を一度に摂取すると身体の中で拮抗作用を起こして、無毒のようになるんです。しかしもちろん、それはずっと維持されるわけではありません。血中の半減期がテトロドトキシンの方が短いためにバランスが崩れて死に至ります。ただ、このタイムラグを利用してアリバイに用いた事件が、実際に起きたことがあるんですよ。随分と昔の話なんですけどね」
数世紀も前の話である。犯罪記録がしっかりと残され始めたばかりの頃の出来事だ。そんな昔にこんなことを考える輩がいたのだから、昔の人というのも油断がならない。
「それは興味深い」
感心しながらトリカブトの天ぷらを頬張るハヅキさん。まだ揚げて間もない衣がパリパリと小気味の良い音を立てる。
「あ、美味いですね。花っていうからどんな味なんだろうって思ってましたけど」
「口に入れるとほのかに香るのがいいな。スズランの上品な香りは有名だが、トリカブトの毒草らしからぬ甘い香りもまたなかなか」
ハヅキさんの素直な感想にミシマさんが応じるように付け加える。花の天ぷらは彩りに考えられがちだが、食べると驚くほどに美味しいことが多い。人間の味覚が味だけでなく香りにも大きな影響を受けていると実感できる瞬間だ。
「私このサクサク感好きー」
「鍋のアクセントとしては最高だねぇ」
何を食べても美味しそうな秋風さんの幸せそうな顔を眺めながら、斉藤さんがしみじみと呟いてヒレ酒を飲む。実験的なメニューだったが、好評なようでホッとする。
「ひょっとしてなんですが、天ぷらにしたのは口内吸収を防ぐためですか?」
「本当にお詳しいですね。まぁ素人の浅知恵ではありますが」
コマガワさんの予想は当たっている。実際トリカブトというのは、知れば知るほど使いにくい食材だ。
「アコニチンは毒性や即効性が高いばかりでなく、皮膚や粘膜からでも吸収される危険のある毒物です。だから吸収と作用を少しでも抑えて、解毒の時間を稼ごうと、まぁそういうワケです」
そもそもの話から言えば、食べないのが何より安全である。それを言ってしまうと商売が成り立たないので、もちろん言わないが。
「で、このトリカブトってどうやって死ぬの?」
もしかすると秋風さんは一度くらい本当に死にたいのではないだろうか。
「主な症状は嘔吐や痙攣、呼吸困難から臓器不全に至るらしいです。ビリビリと口が痺れて胸が締め付けられるように痛んだ上に嘔吐を繰り返すような状態が続き、最後は心臓が止まって死ぬそうです。相当に苦しいらしいですよ」
「あらあら、そりゃ怖い」
秋風さんは笑顔でそんなことを言いつつ、トリカブトの天ぷらを頬張ってからヒレ酒を飲み、鍋を無邪気に突いている。私が食べればいずれも棺桶まっしぐらだ。
だが、それを口一杯に頬張る彼らの笑顔は本物だ。
「さて、そろそろ……」
立ち上がり、最後の料理を準備するために厨房へと向かう。
自分自身が食べられないものをお出しすることに全く迷いがないと言えば嘘になるが、この笑顔を見るのはやはり嬉しい。そしてこの笑顔が間違いなく、一口で死んでしまうかもしれないような劇毒料理によってもたらされていることも事実である。
コレは美味しいと素直に胸を張れないことだけは、実に無念だ。
「皆様、これが本日最後の二皿でございます」
準備を終え、タイミングを見計らって宴会場へと戻る。既にほとんどの方達の鍋が底を見せ、焼き物も揚げ物も残っていない。イチイ酒とフグのヒレ酒による酔いも、次第に醒めつつある。
目の前の料理を堪能し終えた彼らの視線は、自然とこちらに集まった。
「こ、これって……蟹汁とタラコスパゲティ?」
「半分正解です」
秋風さんの言葉に頷いてからしばし待ち、全員に行き渡ったところで解説を開始する。
「蟹汁の方は見ての通りです。ただ使っている蟹はウモレオウギガニという珍しい種類になります」
「聞いたことないね。ミシマさんは知ってるかい?」
「いいえ、さすがにないですねぇ」
斉藤さんの問いに答えるミシマさんも興味深そうにお椀を覗き込んでいる。十センチ近い大きさのウモレオウギガニは、そのままではお椀に入らない。全て半分に叩き割ってある。身を食べるには小さいサイズだが、食べられないこともない。
「日本では南方の温かい海に生息している種類で、中毒事故の多い蟹として有名です。以前はスベスベマンジュウガニを使っていましたが、こちらの方が大きいので出汁としてばかりでなく身も食べられると思い、ご用意させていただきました」
「そういえば、前にここで食べた蟹は小さかったですね。美味しかったですけど」
そういえばコマガワさんは蟹汁だけはお替りしていた覚えがある。
「このウモレオウギガニもスベスベマンジュウガニと同様に、フグ毒として有名なテトロドトキシンと麻痺性貝毒として有名なサキシトキシンを併せ持つ毒性シーフードのハイブリッドです。このサキシトキシンという成分はテトロドトキシンと同様の神経毒で高いレベルの麻痺を引き起こします。最終的には呼吸器官が麻痺して死に至ることが多いようです」
「うん、良い出汁が取れとる」
ミシマさんがご満悦なのを見て安堵する。
「続いてこちらのスパゲティですが、この粒々はタラコではなくフグの真子、言うなればフグコスパゲティです」
「おぉ、やはりそうか」
斉藤さんの顔が綻ぶ。
実際に味見をしてみるとわかるが、白子よりも真子の方が明らかに味が濃厚である。ただフグの真子――卵巣は種類に関係なく劇毒であり、我々のようなインプラントを持たない人間が食べられるものではない。唯一の例外が石川県や佐渡名物のアレだが、塩に漬けることが前提なので本来の味からは遠のく。この濃厚かつ純粋な旨みは、やはり毒料理ならではと言えるだろう。
「そろそろ満腹も近いとは思いますが、酔いが醒め始めた頃合には丁度良い二品だと思います。ご所望であればお替りも用意してございますので、必要であればお申しつけください。本日の料理はコレで全てになります。どうかごゆるりとお楽しみくださいませ」
皆はそれぞれにパスタと蟹汁を口へと運び、その美味さに舌鼓を打つ。美味しいものを食べるという単純な真理こそ人の幸せと直結しているのだと思える笑顔が、そこにあった。
いつもながら、毒料理の宴はいつもの倍は腹が減る。特にフグコスパゲティなど拷問だ。衝動的にチュルンとやってみたくなる。
食べてはならないものを食べるのが悪だとするのなら、この本能もまた悪なのだろうか。だとすれば人の身体を創った何者かは罪深いとつくづく思う。
彼らは結局、蟹の身までも残さずに食べ尽くした。まるでそれが、人としての礼儀だと言わんばかりの勢いで。