第五談。紅蓮の行方
赤と黒のコントラスト。
赤い炎が、自ら生み出した黒煙を照らし出している。
そして工事現場に設置された小さなプレハブ小屋は、今やその二色のためだけに存在していた。
「いやー、今日もまた豪快に燃えてますねー」
『…………』
そんな光景を、遠く離れたビルの屋上で眺める人影が二つ。
一人は、紅蓮のロングコートを身に纏った金髪碧眼の女。
もう一人はネクタイまで黒で揃えた、喪服のようなスーツ姿の男。
こちらもまた、奇しくも眺めている光景と同じコントラストの二人だった。
「やっぱり炎って、見てると何となくテンション上がりますよね。実は私、子どもの頃は結構やんちゃで、よく火で遊んでたんですよ。実験と称して、色んなものを燃やしてみたりして」
遠くの炎を笑顔で眺めながら、台本を読むように淀みなく話し続ける黒服の男。
しかし、その表情からは――まるで仮面でも貼り付けているかのように変わらぬ笑顔からは、心というものが一切覗けない。そのため彼の感情も年齢も、そこからは読み取ることができなかった。
「あ、そうか。こういうのを『童心に帰る』って言うんですね、きっと。なるほどなるほど、これはまた一つ勉強になりました」
わざとらしく男がポンと手の平を叩く。すると、それと同時に炎が大きく揺らめいた。
「おお、ついに崩れちゃいましたか。まあ、あんなサイズではあっという間――というか、むしろよく持った方だと称賛すべきですかね」
一昨日の一軒家は実にあっけなかったですからねぇ、と無表情の笑顔で笑う男。
そして炎の周りに群がる野次馬に視線を移し、彼は続ける。
「しかし今日も皆さん、お祭りみたいにいっぱい集まってますね。やっぱり誰でも炎が好きなんですかね、私と一緒で。あ、それとも、昨日のお祭りが急遽中止になったから、その分皆さん盛り上がってるんですかね」
――昨日は、本当に予想外のハプニングが起きちゃいましたからねぇ。
と、男は肩を竦めて苦笑する。しかしその言動もどこか芝居掛かっていて、そこから彼という人間がまるで見えてこない。
どこかの誰かのようでどこの誰でもない、人間から人間らしさを取り除いたような存在。
そんな彼が、ふと何かに気付いたように――しかし予定通りの演技のように「あれ? そういえば」と隣の美しい金髪碧眼に顔を向け、問い掛ける。
「フレアさんは、日本語しゃべれませんでしたかね?」
『…………』
沈黙。遠くで鳴り響くサイレンの音がかすかに聞こえる。
しかしそれも長く続かず、何かを諦めたように、
「……一応、ある程度はしゃべれるわ」
今まで無言を貫いていた赤い女――フレアは、嫌々ながらもそう答えた。
すると、相変わらずの表情の見えない笑顔で。
「だったら、相槌を打つくらいしてくださいよ。できますよね、そのくらいは。じゃないと私が延々と一人でしゃべってる、頭のおかしい人だと思われちゃうじゃないですか」
感情のこもらない口調のままで。
「ああまったく、私が他人に質問することになるなんて――反吐が出る」
男は、確かにそう言った。
だけどそれに対して、小さく舌打ちするだけでフレアは何も言わない。もうこれ以上男の姿も見たくないと、顔を背けるだけだった。
もちろん、そんな彼女の反応を見ても男の態度は変わらない。自分の言いたいことだけを、淡々と話し続ける。
「では明日はミスのないよう、盛大なお祭りをよろしくお願いしますよ。私もそろそろ上に報告しないといけないので。あ、そうそう、上で思い出しました。もし何か必要なものがあったときのために、フレアさんにも弊社のパンフレットを差し上げときますね」
そう言って、男が足下のアタッシュケースに手を伸ばす。しかしそれを「いいえ、結構よ」とフレアは鋭く止めた。
「〝私たち〟の目的は『科学の否定』――〝あなたたち〟の力はもう二度と借りない」
今もあなたと会話しているだけで反吐が出そうよ、と敵意を露わに男を睨みつけるフレア。
しかしそれに対しても表情を一切崩さず、男は「そうですか、それは残念です」と用意していた言葉を口にする。
「でもまあ、気が変わったらいつでも言ってくださいね。弊社では多種多様な商品を扱っていますので、きっと満足していただけますよ」
男がアタッシュケースを手に、フレアに背を向ける。
そして心のない言葉を残し、屋上から消えていった。
「それでは、お仕事頑張ってくださいね――炎の魔術師さん」
* * * * *
「――というわけで、『雷』属性の方式には通電性の高い金属を使うなど、方式を描く素材によってエネルギー操作効率は大きく変わってきます。なので、より相性の良い素材を選ぶことが……」
鈴ノ美山高校入学式の翌々日、魔法科学科・一年F組。
担任であるフリードの授業。
時間は昨日と違い昼休み直後ではあったが、これだけの情報があれば優秀なF組の面々には、これから何が起こるか予想するには十分だった。
そしてそれはもちろん、授業を行っている当人にも分かりきっていたこと。
しかし何度も言うようだが、フリードは教師である。いくら頼りなさそうに見えても、フリードも教師である。
だから目の前に教科書も開いていない女子生徒がいれば、彼は当然のごとく注意する。
「あの、袴田さん――」
「聞き流してます」
鈴ノ美山高校には、図書室と呼べるものがない。
いや、正確には図書室と呼ぶ者がいない。
魔法科学には『光』『火』『風』『雷』『地』の五つのジャンルがあり、その一つをとっても利用方法は多岐にわたる。それ故、既存の科学と同様――もしくはそれ以上に、魔法科学には専門的な論文や参考書が膨大に存在し、その一部だけでも揃えたとしても、普通の学校の図書室の蔵書量を遥かに超える。
だから世界有数の魔法科学名門校である鈴ノ美山高校の図書室は、大きな建物一つがそれであり、その規模から誰もが図書館と呼ぶのである。
そして、時間は放課後になって間もない頃。そんな図書館の読書スペースに、ツインテールの少女と灰色の髪の少年の姿があった。
「昨日、また火事があったことは知ってるわよね?」
図書館ということを考慮した声のトーンで、るみねが訊く。すると、こくんと春壱は首を縦に振った。
「昨日、幸路に聞いたし、今朝の新聞にもちょっと載ってた」
「じゃあ、どこで起きたかは知ってる?」
「いや、そこまでは……それがどうかしたの?」
「それがどうかしたのよ。昨日の火事の場所が――あのプレハブ小屋だったってことが」
私が見に行ったときには、もうすでに小屋のカタチじゃなかったけどね。
そう言って、るみねは昨日のことを思い出す。
遠くの空だけが明るいことに気付き、幸路に火事だと教えてもらった直後、るみねは駆け出した。さすがに昨日と同じ全速力とまではいかないが、それでもかなりの速度で。
彼女には一つの心当たりがあった。それこそ今まさに、その場所であった出来事を思い返していたくらいだ。
だから、るみねの足は迷いなくそこに向かい、やがて彼女の目は大勢の人影を見つけた。
今日もまだ通行禁止のはずの道路で、携帯電話を手に集まる人々。しかしその目的は、るみねのように時間を確認するためではない。
人々は皆、携帯電話のカメラで目の前の火事を――燃え盛る炎を記録していた。
るみねがそんな彼らの隙間を縫って、炎へと近づく。だけどそれは周りの野次馬とは全く違う目的。
彼女は、どこで何が燃えているのか、その目で確認したかった。
そして炎上しているものが何か分かると――
「何で……それが問題なの?」
と、疑問を口にしたのは春壱。
その火事の翌日、ほとんど訳が分からないまま、るみねに図書館に連れて来られた春壱だった。
「何で、って……一昨日のあのプレハブが燃えたのよ? 私たちが何とか逃げ出したあそこが」
「うん、それは分かった。だけどそれが何かあるの?」
まるで意味が分からないといった感じの表情を浮かべる春壱に、るみねはため息を吐く。
「質問その一。私たちがあのプレハブから逃げ出したとき、火災報知機が鳴ってたことは覚えてる?」
「うん、覚えてる。うるさかった」
「質問その二。では何故、火災報知機が鳴ったんでしょう?」
「それは……ダンボールが燃えた、から?」
「正解。じゃあ質問その三。何であのダンボールは燃えたんでしょう?」
「それは、袴田があの変な石を投げたから」
「そのニュアンスだと私が放火したみたいに聞こえるけど、まあ一応それも正解」
ここからは私の想像が混じるんだけど、と前置きしてから、るみねが答え合わせを続ける。
「あの石は多分、『火』の方式を使った時限式発火装置。まあ、詳しく見れなかったから、どういう方式構築だったかまでは分からないんだけど」
――だけどあのサイズであれだけの熱を、それも一瞬で発生させるなんて、相当高度な方式だったに違いないわ。
「でもそれじゃあ、何故そんなものがあそこに落ちていたのか? 答えは簡単。落ちてたんじゃない、置かれていた――いや、仕掛けられていたのよ」
「……なるほど」
「そして、ここで質問その四。それを仕掛けたのは、一体誰でしょう?」
「多分、袴田が見たっていう『赤い女』」
確かに香水の匂いもしたし、との春壱の答えに「私もそうだと思う」と、るみねは深く頷く。
「だけどね――もしそうだとしたら、『赤い女』がまたあのプレハブを狙った理由が分からないのよ」
「それは……一昨日、僕が炎を食べたせいで失敗したからじゃないの?」
だからもう一回やり直したんじゃないの、と春壱。
しかしそれに、るみねは正解とは言わない。未だすっきりとしない表情で、彼女は首を横に振る。
「それはリスクが大き過ぎる。だって『赤い女』の噂で街中が警戒態勢の中、火災報知機が鳴ったのよ? そんなの誰だって放火を疑うし、警戒をより強めるはず。そして『赤い女』もそんなこと分かってたはず。それなのに次の日、また同じところに放火した」
「えっと……それのどこが変なの?」
難しい顔をして、春壱が首を傾げる。今の説明がほとんど分かっていない様子だ。
だからるみねは少し思案した後、彼にとって非常に分かりやすいであろう例で説明し直す。
「例えば、アンタがスカートめくりに失敗して、それが相手にバレたとする。アンタはそんな状況下で、同じ相手にすぐ再チャレンジしようと思う?」
「むむ、それはなかなか厳しい戦いだな。スカートめくり六段クラスの実力が必要だ」
「スカートめくりに段位があったとは知らなかったし知りたくもなかったけど、分かってもらえたようで何よりよ」
だから、とるみねは説明を続ける。
「普通そんなこと誰もしない。私が放火犯だったら全く別の、警戒の薄い場所を狙うわ。だけど『赤い女』は、それを無理してでも実行に移した。その理由がまるで分からないのよ」
と、るみねは頭を悩ませる。というか、悩み続けていた。
昨日の火事の後、彼女がネットで調べてみると『赤い女』の犯行だと思われるのは全部で六件。それも、七日前から毎日一件ずつ――ただし一昨日は失敗に終わっているので、昨日ので六件目だった。
しかし、放火の対象に統一性や一貫性はない。一軒家からマンションのゴミ置き場まで、目に付いたものを手当たり次第といった感じだった。
――なのに何故、昨日はあのプレハブにこだわったの?
そんな疑問が頭の中で渦巻く彼女に、ぽつりと、
「どうしても、そうしたかったんじゃないの?」
春壱は思いついた言葉を口にした。
「どういうこと?」
「いや、もし僕がスカートめくりの再チャレンジをするなら、どうしてもその人のパンツが見たいんだろうなぁ、と思って。だから、なんとなく」
「なんとなく、ね……」
しかし、春壱のこの言葉は時々当たる。勘だけは良い。
そう思い、るみねが考える。
どうしても、あのプレハブを燃やしたかった。
確かにその理由なら、昨日の『赤い女』の行動は理解できる。それこそ春壱の言う通り、失敗したからやり直したと言える。
だけどそんな理由で、わざわざ危険を冒してまで同じ場所を狙う必要があったのか。今までは、放火の対象にこだわりなんて持ってなかったのに。
――いや、違う。今までも、何かのこだわりを持っていたのかもしれない。
それが今回の失敗で、見えるようになったのかもしれない。
一見、法則性がなく無秩序に見える『赤い女』の行動にも、本人には何かのこだわりが――ルールがあるのかもしれない。
そして、そのルールが分かれば――
「もしかしたら次の犯行場所――というか、今日の犯行場所を予測できるかもしれない」
そう言って、るみねは自分の鞄から一冊の手帳を取り出した。
パステルブルーの手帳。それは彼女が閃いたこと・調べたことを書き留めておくためのメモ帳代わりであり、そこには昨日調べた火事の情報が書き込まれていた。
「えっと……最初の事件は、ちょうど一週間前。場所は、北区の――って、地図か何かあった方が分かりやすいわね」
ちょっと借りてくる、と席から立ち上がるるみね。
都合良くここは図書館。野々原市の地図くらい、探せばどこかにあるはずだ。
しかしそんな彼女の行く手を遮るように、
「地図って、これでもいいか?」
後ろから薄い雑誌のようなものが差し出された。
聞き覚えのある声。それにるみねは振り向き、声の主を見て驚いた。
「さ、崎守くん!?」
「――袴田、図書館では静かに」
周りに迷惑が掛かる、と幸路にたしなめられ、るみねは慌てて自分の口を塞ぐ。
だが時すでに遅し。それほど大きな声ではなかったといえ、ここは閑静な図書館。一瞬にして、るみねにはいくつもの視線の矢が突き刺さっていた。
「……し、失礼しました」
気まずそうに軽く頭を下げ、椅子に腰を落とするみね。どこかから、舌打ちする声も聞こえる。
そんな彼女に幸路は、
「悪い。驚かすつもりはなかったんだけど……」
と、図書館ということを十分考慮した声で謝った。
それに対しるみねは、「い、いや、別に……むしろこっちこそ気付かなくてごめんなさい」と、音量は間違っていないが、音階が少しおかしい声を出した。
「…………」
この状況は、非常に芳しくない。
結局、今日一日るみねは幸路の誤解を解くタイミングを見計らい続け、見定め続け、見極め続け、見逃し続けてしまっていた。
だから状況は、昨日から一向に良くなってはいない。
それに加えて今この状況。新たな誤解を招かないようにと、今日は春壱の部屋ではなく図書館を――それも会話内容の問題で特に人の少ない一画を選んだのが、失敗だった。
二日連続。わざわざ人目を避けるような場所。顔を向かい合わせる二人。
――これじゃまるで、私とこのバカが本当にクラスメート以上の関係に見えてしまう。
「あ、あのね――」
これには深い訳があって、と。
浮気現場を見られた彼女のように、るみねが言い訳しようとした矢先、
「それで、一応これにも地図が載ってるけど使えそうか?」
幸路は手に持ったそれを、再度差し出した。
それは『野々原の歩き方』――この学校の新聞部が発行しているフリーペーパー。学校近隣はもちろん、市内の様々な場所が紹介されているもので、当然地図も掲載されていた。
「あ、ありがとう。これで大丈夫だと思う」
「そうか。それは良かった」
そう言って、相変わらずの鋭い目つきのまま『野々原の歩き方』を手渡す幸路。その様子はいつも通りの幸路であり、るみねが懸念する最悪の雰囲気はない。
「…………」
今ここで変に言い訳するのは、必死に見えてむしろ逆効果か。
るみねは優秀な頭脳で瞬時にそう判断すると(今日一日言い訳できなかった理由)、ところで、ともう一つの心配事を幸路に訊いた。
「崎守くんはいつからここに?」
「ん? 今、来たばかりだけど……もしかして邪魔だったか?」
二人の姿が見えたから声を掛けようと思っただけなんだ、と立ち去ろうとする幸路を、「あ、ちょっと待って」とるみねが引き止める。
どうやらさっきまでの自分たちの会話は、幸路には聞かれていないようだ。
そう安心するとるみねは、
「実は今、『赤い女』の行動パターンについて話し合っていたのよ」
事実の一部――会話の後半だけを幸路に伝えた。
「『赤い女』って、最近の火事で噂になってるやつか?」
「うん、その噂の。それで『赤い女』の行動パターンが分かれば、今日の犯行場所を予測できるかもって話をしてて、良ければ崎守くんも協力してくれない?」
「なるほど、それで地図か。……分かった、参加させてくれ」
「ありがとう。で、この地図に印をしていきたいんだけど、書き込んでも大丈夫?」
「ああ、全然構わない。それは入口に置いてあったものをもらっただけで、俺は使わないから」
――どうも無料の文字が見えると、何でも持って帰ってしまう癖があるんだ。
と、付け加えられた幸路の言葉に、るみねは何も言えなかった。
彼の言葉には皮肉や冗談のようなニュアンスはなく、それを言った本人も至って真面目で真剣な様子。
その一言は、春壱から聞いていた幸路の生活環境を、改めて実感させられるもので、
『次のテストでは絶対に負けないからっ!』
なんて言葉が、どれほど世間知らずなものか痛感させられるものだった。
だけど。
だけど、それについて自分が何か言える立場ではないし、言うべきでもない。そして何より、私たちには今やるべきことがある。
そう気持ちを切り替え、るみねは赤いペンの先を地図に置く。
「最初の火事が――ここの倉庫。二件目が、マンションのゴミ置き場。三件目が……」
手帳に書き写した住所と照らし合わせながら、丸印と順番を描いていくるみね。
喫茶パトリニアも紹介されている、グルメ&観光マップ。その上に、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、と。
そしてその手はまもなく、
「――これが、昨日の六件目。工事現場のプレハブ」
六つの赤い丸を描き終えた。
「……バラバラ、だな」
出来上がった地図を眺め、幸路が率直な感想を述べた。
「放火したものもバラバラだし、場所もバラバラ。それも市内を端から端まで、気まぐれのように縦横無尽に。……本当に、これに行動パターンなんてあるのか?」
「何か法則性があると思う――いや、あるはず。『赤い女』にとっては重要な、ルールみたいなものが……」
とは言ってみたものの、るみねにもそれが何かはまるで分からない。
幸路の言う通り、六つの丸は市内のあちこちに点在し、それこそ毎日気まぐれに火を放ったと思った方が論理的だ。
だけど昨日は、あのプレハブにこだわった。前日の失敗を取り返すように。
何か、何か、何か。
――何か、あるはずなのよ。
と。
ここで、るみねはあることに気付いた。
ただし、それは彼女が今抱えている難問――目の前に散らばった、六つの赤い丸のことではない。
それは、幸路が現れてから会話に参加してこなくなった人物。まるで主人公の座を奪われ、台詞もない村人Cになったかのように、黙った人物のことである。
「アンタ、何でさっきから一言も発してないの?」
るみねの言葉に、幸路も春壱に視線を向ける。
「ん? そういえば昨日から様子が変だったな、藤」
体調でも悪いのか、と心配する幸路に「あ、いや、その……」と、何とも歯切れの悪い答えを返す春壱。
そんな彼の態度を見て、少し苛立ちながらるみねが言う。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。はっきりと」
「いや……だって、袴田が余計なこと言ったら××――」
「あーっ、そのことなら忘れていいわよ、春壱くん。というか忘れなさい。忘却の彼方に消してしまいなさい」
「余計なこと?」
「あー、崎守くんも気にしないで。別に大したことじゃないから」
「……?」
大きく手を振るるみねに、どこか釈然としない眼差しを向ける幸路。
まずい、早く話題を変えなきゃ――というか、本題に戻さなきゃ。
しかしそんな彼女の焦りとは無関係に、
「あのさ、僕は本当に言いたいこと言っても良いの?」
村人Cが再確認――命の保証を求めてきた。
だから、悪の大魔王ではなく正義の女勇者であるるみねは、笑顔で彼に答える。
「ええ、もちろん。今言うべきことなら何でも」
その瞳から『余計なこと言ったらどうなるか分かってるわよね?』という氷魔法を放ちながら。
「あ、うん、大丈夫。これのことだから」
細かく頷く春壱。その姿は、寒さに震える小動物のようにも見える。
そして、これ、と地図を指差したまま、
「僕、前にどこかでこんなのを見た覚えがある……ような気がする」
ついさっき許されたばかりの発言をした。
「どこかって、どこよ? アバウト過ぎて何も分からない」
「えーっと……どこだっけなぁ……」
頭を掻きながら、地図を難しそうな顔で見つめる春壱。
無数に存在する記憶の引き出し。ずいぶんと昔にしまった気がする何かを探し、春壱は懸命に――とはいえ命懸けといった感じもなく、開けていく。
だから、ようやく見つけた目的の引き出しを実にあっさりと。
「あ、そうだ。思い出した」
昨日の夕食を思い出すくらいの気持ちで。
「――これ、母さんが実験で見せてくれた方式に似てる」
春壱は開けた。
「――っ!」
全く同じタイミングで、るみねと幸路の視線がぶつかる。春壱の一言によって、二人の思考が一つの結論に辿り着いていた。
「嘘、でしょ。そんな……そんなはず」
ない、と信じたかった。今も心がそう願ってやまない。
――七つの頂点を持つ、星のような模様。
魔法科学者なら誰でも知っているような、方式構築の基本中の基本。もちろん、るみねもよく知っているし、見慣れていると言っても過言ではない。
だが見慣れているからこそ、頭が最初から考えることを止めていた。一種の先入観が、無意識にその可能性を排除していた。
しかし、それに気付いてしまった彼女の手は、自らの願いに反してペンを走らせる。決して望まない模様を、描いていく。
地図上の赤い丸を――火事があった場所を、一件目から二件目へ、二件目から三件目へと。
街を包囲するように繋がっていく赤い線。
そして、最後の六件目まで繋がったその形は。
未完成で不完全な、その模様は――
「『火』の方式。それも、この形状は〝発火〟の方式構築か」
「いや、でも……火事で方式を描くなんて方法聞いたことがないし、こんな大きな方式がそんな雑な方法で成功するわけない」
まるで怒っているかのように声を荒らげ、幸路の意見を否定するるみね。
しかし口とは裏腹に、彼女の心も頭も彼と同じ意見だった。
もし『赤い女』が街そのものに方式を描こうとしているなら、全ての辻褄が合う。放火の対象に統一性がないのも、これなら説明できる。
何を燃やすかではなく、どこで燃やすか。
重要なのは場所。偶然そこにあったから、必然的にそれに火を放った。
だからそのルールを守るために――守らなくてはならないから、どうしてもあのプレハブを燃やす必要があった。
だけど。
だけど、方式というのは最先端科学の結晶であり、もっと緻密な計算の上に成り立つもの。大きければ大きいほど、ほんのわずかなズレが生じただけでも発動しなくなる。
だけど。
「だけど、もしこの方式が完成して、発動したとしたら――」
幸路はそこまで言って、それ以上言わなかった。
しかしるみねには、その先に続く言葉が確かに聞こえていた。
火事という『火』属性と相性の良い素材は、高いエネルギー操作効率を生む。
街一つ覆い尽くすほどの規模は、そのまま比例して一度に扱えるエネルギー量になる。
そして、この方式には『周囲の熱エネルギーを集め、発火する』という方式構築が組み込まれていて、その発動場所は――方式の内側。
つまり、これが発動した場合に起こることは――
「あっという間に、街が燃える」
そんな最悪の光景が、やけに現実味を帯びて彼女の脳裏を過ぎる。
「そんなことさせない。今日の放火を――方式の完成を、絶対に止めなきゃ」
るみねが、地図に視線を落とす。
今までの六件の放火場所を繋いだ赤い線。それが今、るみねの前にある未完成の方式。
七つの頂点を持つ、星のような模様。それが今、『赤い女』が目指しているはずの方式。
つまり七件目――次の場所にあるものが、最後の標的。
そして、その場所は――
「〝ここ〟だ」
そう言って、幸路が地図のある一点を指差した。
新聞部編集のグルメ&観光マップには、名前は書いてあるが紹介されていない――いや、紹介する必要のない場所。
るみねもよく知っていて、だけどまだ通い慣れたとは言えない場所。
「――鈴ノ美山高校」
それは、彼女たちが今まさにいる〝ここ〟。
この学校こそが『赤い女』の今日の標的であり、これまでの犯行の目的地。
――そして、この街を守れる最後のチャンス。
今までに感じたことのない胸騒ぎが、るみねの心を急かした――そのときだった。
「袴田……法則性はもう一つあった」
それに気付き、幸路ができるだけ冷静に言ったのは。
「今までの犯行は、全て日没直後だ」
るみねが図書館の窓に目をやる。
そこから差し込む陽光は、すでに赤みを帯びていた。




