第三談。魔法科学とは ♯2
るみねがこの道を近道として選んだのには理由がある。
もちろん、それは距離的に近いということもあるが、それだけではない。
この時間帯、大きな通りは帰宅する人々で溢れかえっている。人より歩くのが少し速いるみねにとって、それは大きな障害と言っても過言ではなかった。
しかし、この道にはそれがない。大きな通りとは正反対に、この時間帯になると障害が一切なくなる。
人通りがないから――まだ、人が通るべき道ではないから。
この道は現在、全面的な補修工事中で通行が許可されていない。とはいえ、工事はほぼ終わっており、人が歩けない状態というわけではない。
さらに、この時間になるとその日の作業は終了となり、工事関係者もいなくなる。
つまり今この時間、この道は完全な無人になるということである。そして、彼女は役に立たないものは使わない主義であるのと同時に、使える物は何でも使う主義であった。
だからこの道の存在を知っていたるみねは、この使える道を選んだ。
もちろん、無断で勝手に堂々と。
だから、この道で人を見かけて気まずくなることはあっても、わざわざその人の後を追うようなことはしない。
しない――はずだったが。
「……あれ? いない」
「袴田の見間違いだったんじゃないの?」
そこは行き止まり。工事用の道具が並ぶ、広めの空間だった。
そして、どこにも人の姿はなかった。いくら薄暗いとはいえ、あの目立つ色を見落とすような場所ではない。
「いや、そんなことない。確かに見たのよ――『赤い女』を」
赤い女。
野々原市で連続して起きている不審火が、放火じゃないかと噂される原因。火事の現場に必ず現れると言う、金髪碧眼の赤いコートの女。
そんな話を、るみねは知っていた。しかし、そんな目立つ格好の人間が放火しているなんて考えられない。そんなのは、よくある噂や都市伝説の類だと思っていた。
だがしかし、彼女は一瞬ではあったがそれを目撃した。
それも、こんな人気のない場所で。
連続不審火の共通点は、いずれも火の気のない無人の建物からの出火。
るみねの視界には――一軒の小さなプレハブ小屋。
「……あの中、見てみるわよ」
呟くように、るみねは意を決した。科学者としての探究心が、全ての可能性を確認したいと疼く。
「いや、やめとこうよ。ほら、先生も不審者を見かけたら近づくなって言ってたし」
しかしそんな彼女に対して、春壱は案外冷静だった。いや、バカ正直と言った方が正しいかもしれない。
だからフリードの言い付けをきちんと守り、ポケットに手を入れた彼は、
「ここは言われた通り、警察に連絡――を?」
妙な声を上げた。
「……ケータイ、店に忘れてきたみたい」
「言っとくけど、私も持ってないわよ。家に忘れてきちゃったから」
「それじゃあ、近くの公衆電話を探しに――」
「そんなもの、今どき絶滅危惧種よ。ツチノコの方が見つけやすいわ。それに、探しに行ってる間に逃げられたら意味がない」
別にアンタは無理してついて来なくてもいいわよ。
そう言い残し、足音を立てぬよう慎重にプレハブに近づくるみね。その後ろを「いや、男子たるものそういうわけには」と春壱が追う。
一歩一歩、息を殺し。
一歩一歩、気配を殺し。
一歩一歩、足音を殺し。
そうして目前まで近づいた直方体の建物は、一軒より一部屋と言った方がしっくりくるような大きさ。いかにも安っぽいドアが一つに、窓が二つ。当然ながら明かりは点いていない。
そしてその唯一の出入り口は、わずかに開いていた。
出て行った誰かが、閉め忘れたのか。
あるいは――中にいる誰かが、閉めていないのか。
「…………」
「…………」
顔を見合わせた、るみねと春壱。今日初めて会ったばかりの、学年二位とバカの意見が一致した。
だから、考えていることを実行に移すべく、
――私が、ドアを開けて、中を覗く――
るみねはこれから取る行動を、体の動きだけで伝えた。
「…………」
こくん、と頷いた春壱。それに軽く頷き返すと、るみねは慎重にドアノブを握った。
そして、少しずつ少しずつ広げていく――広がっていくドアと壁の距離。
いつ軋んでもおかしくない安っぽいドアが、手の動きと反比例するように彼女の鼓動を速める。
一瞬が一瞬とは感じられない。静かな空間に、自分の心臓が騒がしい。
だけどそんな騒音の中でも、るみねは音を立てることなくドアを開き続ける。
そしてようやく生まれた隙間。それは、中の様子を確認するには十分なものだった。
「…………」
一度呼吸を整え、心の準備を整える。体の内側から鳴り響くノイズは、もうすでに聞き慣れた。
だから覚悟を決めて、るみねがプレハブの中を覗き込んだ――瞬間。
「――っ!」
彼女は思わず息を呑んだ。
覗き込んだ彼女の目に映った色は――赤。
赤い女の、赤。
捜していた、色。
だった――が。
「……な、何だ……」
それは鮮やかとは到底言えない、薄汚れた赤。
同じものがいくつか積み重ねられた、赤いカラーコーンだった。
「誰も……いないわね」
そう確認すると、るみねはドアを大きく開き、念のために中へと入る。そしてぐるりと一周、室内を見て回った。
簡素なデスクとパイプ椅子。プラステック製のベンチが壁際に置かれ、反対側の壁には工事の予定が書かれたホワイトボード。入口の近くには、最初に目に付いたカラーコーンの束とダンボール一箱が、きちっと整理されて並んでいた。
そしてそれ以外には何もなく、誰かが――『赤い女』が隠れられるようなスペースは、どこにもなかった。
「やっぱり、私の見間違いだったのかも」
不審者の話とかしてたからね、と苦笑するるみね。
所詮、噂は噂。実際そんなものに実体も正体もなかった、というのはよくある話だ。
だから少し腑に落ちない感じを残しつつも、振り返ったるみねの目に、
「……ん?」
きらりと赤い光が届いた。
それは、足下にぽつんと落ちていた小石。ルビーの原石に似た、赤い結晶だった。
気になって石を拾い上げるるみね。
よく見ると、石の表面には何かの模様が彫られていた。
――あれ? これって方式に似てるような……。
と、気付いたるみねを、
「いや、違うと思う」
宙を見つめる春壱は否定した。
「……何で、そう思うのよ?」
「香水の匂いがするんだ。だから、ついさっきまで誰かがここにいたのは間違いないと思う。それも匂いの種類的に多分、女の人」
袴田は見間違ってないと思うよ、と鼻を軽く鳴らしながら言う春壱。
「あ、なんだ、そっちの話か」
拍子抜けといった感じの声が、るみねから出る。てっきり石の模様のことを否定されたと、彼女は思っていた。
しかし、次にるみねは小首を傾げた。鼻を利かせてみるが、春壱の言う香水の匂いなんてまるで感じられない。それどころか、土っぽい匂いが強くてそれを嗅ぎ分けられるような場所じゃない。
だけど春壱は、はっきりと言い切った。絶対的な自信があるように。
そして続けて、彼は言う。
「それに、ここはなんとなく嫌な感じがする」
と。
『なんとなく』という、実に当てにならない言葉を。
だから、るみねが「今度の『なんとなく』はどのくらいの割合?」なんて冗談交じりに訊こうとした瞬間――
『仕上げまでは、できるだけ穏便に済ませたかったんだけどね』
どこかで、誰かが笑った。
とても楽しそうな、歪んだ喜び。
何故ならこれから、大好きな色が見られるから。
この世界を焼き尽くすための――復讐の紅蓮が。
「――熱っ!」
口にするのと同時に、るみねは反射的にそれを投げ捨てた。
突然真っ赤に光り出した、小さな何か。
それがユラユラと陽炎を纏いながら、光の軌跡を宙に描く。
「――っ!?」
るみねの声に驚きながらも、彼女の手から離れたそれを目で追う春壱。そしてそれが顔の真横を通り過ぎていくとき、その正体が何かを理解した。
それは、小石。るみねが拾い上げた赤い石だった。
そして赤く輝く石は春壱の横を通り過ぎた後、きちんと重力に従って放物線を描いて、彼の後ろに落ちた。
ぽとり、と軽い音を立てて――ダンボールの上に。
「――なっ!」
「――えっ!」
石がダンボールに触れた瞬間――いや刹那、着地点が発火した。そして一瞬にして、その炎はダンボールを包み込んだ。
しかも、その炎は異常なまでに大きく、どう考えてもすぐに鎮火するようなレベルじゃない。隣のカラーコーンが熱で少しずつ溶け始め、今にも燃え出しそうだ。
だけど、一番の問題はそこではなかった。
ダンボールの場所――炎の位置。
それが春壱の真後ろ、つまり二人が入ってきたドアのすぐそばであること。
唯一の出入り口を塞ぐように、炎が燃え盛っていることであった。
「え、嘘、何で!? 燃えてる、すごい燃えてるし!」
水、消火器、と叫ぶるみね。
しかし、それらがここにはないことは、さっき室内を見て回ったときに分かっていた。分かっていたが――覚えてはいなかった。そんな記憶は、目の前で勢いを増そうとする炎によってかき消されていた。
「袴田――」
春壱が呼んだ。その声は口にした相手とは対極に、冷静そのものだった。
「ちょっとこれ持ってて。燃えるとまずいから」
言うのと同時に、炎と向かい合ったまま、春壱は後ろに何かを投げ渡した。
慌てて――というより反射的に、るみねがそれを受け取る。それは、彼がいつの間にか脱いでいた制服のブレザーだった。
そして、春壱はそんな薄着のまま――
「いただきますっ!」
ダンボールに覆い被さるように、燃え盛る炎を全身で抱きしめた。
そして微動だにせず、それを抱きしめ続けた。
「…………」
目を丸くしたるみねは、とうに言葉を失っていた。
全てが意味不明だった。突然、炎が上がったことも。それに対し、春壱が取った行動も。それによって、炎があっという間に消えてしまったことも。
「もう大丈夫。僕が全部食べたから」
そんなことをしておきながら――平然と立ち上がった彼の姿も。
「…………」
彼は、火傷一つ負っていなかった。服さえも、焦げていなかった。
しかしその代わりに、消した炎の代わりのように、まるで熱した鉄のように。
顔も、手も、白いシャツに包まれた上半身も。
全身の肌が、赤くぼんやりと輝いていた。
そして、彼の体を走る無数の赤いラインは。
血管のように浮かび上がった複雑な模様は。
間違いなく――方式、だった。
「ああ、そういえば実はさ――」
それは実にあっさりとした、ともすれば聞き逃してしまいそうな告白。
「僕、一回死んでるんだよ」
――あれ? これ、人に言っちゃダメだっけ?
と、首を傾げながら、春壱はゲップ代わりに炎を吐き出した。




