第六談。あなたの魔法の使い方は間違ってる ♯3
「どうだった? 俺の愛弟子は強かった?」
太陽は完全にその姿を消し、遠くの空をぼんやりと照らすだけ。
だけどそんな空の下でも、都会である野々原市は明るい。中心部は華やかで煌びやかにライトアップされているし、住宅街は決して明る過ぎない程度に街灯が立ち並んでいる。
そしてちょうどその中間、住宅街と中心部を繋ぐ橋の上。
中心部の光を背に、彼はそう訊いた。
「ホント、育てるの苦労したんだよ。まずは空手から教えようと思ったんだけど――ほら、アイツの体、普通じゃないじゃん? だから普通に格闘技とか教えても、あまり意味なくてさ。まあでも……アンタの姿を見る限りには、ちゃんと言い付けは守ったみたいだな」
「あなた……一体、何者?」
ボタンの取れたロングコートでは隠すことができず、黒のワンピースを少しだけ晒しながら、フレアは敵意の眼差しで彼を見た。
誰もいない橋の真ん中で、フレアの進路――いや、退路を断つように立ちはだかる男。
よれよれのスーツに、ゆるゆるのネクタイ。髪はお世辞にも無造作ヘア―とは呼べず、顎には無精ひげが蓄えられている。
そんな男が「え? 何? 俺に興味あるの?」と、フレアに答える。
「俺は、紫ノ村雄司。漢字は……さすがに分からないだろうから省略。仕事は、IT関係の社長――ってのは嘘で、だけど表立っては言えないっつーか、言っちゃいけないような職業」
――でもまあ、大雑把に言えば、この国を守る正義の味方ってところかな。
「だから気軽に『雄ちゃん』って呼んでね」
「…………」
「うわー、黙秘権。やめてくれない? 俺がすべったみたいに見えるじゃん」
それとも、と紫ノ村は続ける。
「『矛盾の矛』って名乗った方が分かりやすいのかな――〝OZ〟の『紅蓮』さん?」
「――っ!」
フレアが身構える。とはいえ、指輪を構えることはしない。最大限まで神経と視線を尖らせ、目の前の男を睨みつけるだけだ。
だけど、そんな彼女の変化に当然気付きながらも、
「あんまり見つめるなよ。照れちゃうし、惚れちゃうぜ――アンタが」
紫ノ村はヘラヘラと笑う。
「いやー、でもまさか街一つ狙ってくるとは、さすがの俺も予想外だったわ。対応が少し遅くなっちまった。地道な放火からの大連鎖? パズルゲームかっつーの」
「…………」
「でも、さ。そういうのはこの街には効かないわけよ。最強の結界術を使える陰陽師が、この街にいる限りは、ね。……あ、ちなみに陰陽師ってのは、魔術師の日本版だと思って」
「……どうして」
丁寧な説明を付け加えた紫ノ村に、フレアは動かず――だけどいつでも動ける心構えで、訊く。
「どうして魔術師であるあなたが、そちら側にいるの? 前に聞いたことがある――昔はあなたも、魔術師の証明のために戦っていたって。科学を否定し、魔法で世界を正そうとしていたって」
――なのにどうして、裏切ったの?
そう、口にしようとしたフレアに、
「――負けたんだよ」
少し嬉しそうに、紫ノ村は言う。
「一人の魔術師に出会って――もう殺してくれ、いい加減死なせてくれって思うほど心も体もボッコボコにされて、だけど絶対に殺してくれなかったし、死なせてくれなかった。そんな無敵で不敵で素敵な女性に、俺は負けたんだよ」
最後にその人が何て言ったと思う、と彼は笑う。
「『アンタ、負けたんだから私の言うことを聞きなさい。見逃してあげた百八回分の命、全て私に捧げなさい』だって……どんな隷属契約だよって話だろ?」
「…………」
「だから俺は、その人に惚れた。その人は俺には惚れてくれないけど、共に道を歩むことを許してくれた」
魔法でも科学でもない――第三の道を。
「だから魔法科学を否定するヤツを、俺は認めない。そして、俺の愛弟子を――その人が助けた命を傷付けようとするヤツを、絶対に許さない。魔術師だろうが女だろうが、然るべき処分を受けてもらう」
ちょっと檻の中までデートしようぜ、と紫ノ村は笑った。
対して、フレアの表情が緩むことはない。ただ、じっと目の前の敵を観察する。
紫ノ村は外見上、何の武器も持っていない。矛盾の矛という字から、てっきり槍を使う魔術師だと思っていたが、そんな長いものを所持している様子はない。
しかし、その字で呼ばれていたのは随分と昔。実際に見たことはないし、魔法のスタイルを変えている可能性もある。
だから――と、フレアは右手の指輪に意識を向ける。
この指輪に組み込まれた魔法陣は、春壱の体と近いものがある。炎を放つことがメインであるが、使用していない間は少しずつ周囲の熱を奪って蓄えることできる。
だから、ここまで逃げてくる間に少しだけだが、石の炎の残量は回復していた。攻撃としては心許ないが、威嚇や牽制――そして目眩ましには、使える程度に。
紫ノ村に勝てるとは、思っていない。圧倒的に向こうの方が経験値は上だし、戦ってはいけない状況だと自分でも分かっている。
紫ノ村との距離は十分。一瞬の隙を作って、来た道を引き返す。最悪、下の川に飛び込んでもいい。
――だからっ!
と、フレアが指輪を構えた。
いや、構え終える前に――終わっていた。
ぱぁん、と。
乾いた音が、静寂に鳴り響いた。
「――改めて自己紹介しておこうか」
ビクリと身を竦めたフレアに、魔術師であり科学者である男は、それを構えた状態で言う。
「俺は紫ノ村――『地』の魔法科学を扱う者。今の弾丸には『触れたもの全ての結合を破壊する』という方式を組み込んでいる。魔術師ならこの意味、分かるよな?」
白煙を上げる銃口を向けられたフレアが、右手の指輪に目をやる。
そこには、まるで最初からその形だったように、綺麗に丸く抉り取られた紅い石。魔法陣が破壊されたそれは、もはや使い物にならない。
――矛盾の矛。
どんな盾でも貫く――矛。防御が意味を為さない攻撃。
「女に手を出す男は人間じゃない、と弟子に言い付けてる以上、師匠がそれを破るわけにもいかないんだよ。だから、おとなしく捕まってくれないかな? 俺は、同志じゃないが同族だ。最低限の保障はさせてもらう」
白銀の鉄塊――セミオートマチック式の拳銃を構えたまま、投降を促す紫ノ村。その指は引き金に掛けられ、いつでも次弾を発射できるようにしている。
しかし、それに対して、
「ふふっ……ふふふっ」
フレアは笑って、おもむろに左手を包んでいた赤い手袋を脱いだ。
「冗談じゃないわ、こっちは命懸けでやってるのよ。まだコントロールできてないから使いたくなかったけど、こうなったら仕方ないわね」
そう、紫ノ村を睨みつけたフレアの左手には、赤く複雑な刺青――炎の魔法陣。それがコートに隠れた左腕全体にわたって描かれている。
すると、それの意味を理解した紫ノ村が、深くため息を吐く。
「あーあ、せっかくの綺麗な白い肌が台無しじゃねぇかよ」
「そんなものに最初から興味はないわ。たとえ、この腕が焼き切れても――この命が尽き果てても、あなただけはここで仕留める。あなたは絶対に今後、OZの障害になる」
と、彼女が左腕に力を――周りの熱を、集め始めたときだった。
『――ここは退いてください、フレア』
唐突に。
ふわりと風に乗った黒い布が、フレアの前に舞い降りてきて――降り立った。
裾が余って地面に擦ってしまっている、漆黒のローブを纏った人間。
顔はすっぽりとフードに隠れ、肌すら見えない。というより腕も足も、体全てがローブに包まれ、黒い布の塊が人間の形を作っているようにも見える。
そんな人間が、機械で変えたような――奇妙に震える声で、続ける。
『自分の命を粗末にするものではありません。今回は相手が悪過ぎます、今のあなたでは傷一つ付けられません。ここは一度退いて、態勢を整え直す必要があります』
声からは、性別も年齢もまるで分からない。
だけど確かに、紡がれる言葉一つ一つには感情の起伏があり、
『お願いです――私はこれ以上、家族を失いたくないのです』
「……分かりました」
切実なその願いに、フレアはおとなしく頷くしかなかった。
「おいおいおい、冗談だろ……いつの間に、この国に来てたんだよ」
拳銃を構えたまま、驚きの声を上げる紫ノ村。
そして、黒いローブの中心――心臓があるはずの場所に、その銃口を向けた。
「まさかOZのリーダーが出てくるとは、思ってもみなかったぜ」
『それは違います、グングニル。OZにリーダーはいない――私たちは全員、家族なのです』
「はっ、よく言うぜ。OZ最強の称号を持つ――『不在証明』さんがよ」
そう言い放って、紫ノ村は引き金に掛けた指に力を込めた。
しかし、ガード不能の矛先を突き付けられても、
『安心してください、グングニル。あなたにも、ここを包囲しているあなたの仲間にも、危害を加えるつもりはありません――今回は』
スケアクロウは冷静に、落ち着いて諭すような口調で言う。そして、
『では、また近い内にお会いしましょう』
と、言った瞬間。
「――っ!」
紫ノ村は、漆黒のローブを見失った。
ただし、スケアクロウは微動もしていない。もちろん目の前の敵から、紫ノ村が視線を逸らしわけでもない。
突如発生した――いや、発生させられた局所的な竜巻。
それがスケアクロウ、そしてその後ろのフレアの姿を包み込んだ。吹き荒れる風が、紫ノ村の視界から漆黒と紅蓮を消し去る。
「ちっ……くそっ」
瞬く間に現れ、瞬く間に消えていく竜巻。そして開け放たれた風のカーテンの中に、二人の魔術師の姿はどこにもなかった。
まるで――最初から不在だったかのように。
「――いやぁ、さすがは女郎花善庵さんの結界、といったところですかね」
無感情で芝居がかった――スケアクロウの方が、よほど心があったように思える声。
紫ノ村がその声を聞いたのは、二人の姿を見失った直後。消えた竜巻のカーテンの向こうから、黒服の男はそんなことを言いながら歩み寄ってきていた。
「ちっ、OZと手を組んでやがったのか――〝戦争屋〟」
「いやいや、手を組んだなんて人聞きの悪い。弊社はただ、フレアさんに力を貸しただけ。科学と戦争をしたいと言うから、色々と手配しただけですよ。弊社は所詮、兵器の開発・販売しかできませんので、戦争に協力はできても参加はできないんですよ」
ただの軍事企業ですから、と歩みを止めず、無表情な笑顔で男は笑う。
「それに、弊社は中立ですよ。魔法と科学、どちらも素晴らしい兵器になりますからね。だから、どちらにも協力させてもらいます。あ、そうだ。紫ノ村さんにも、是非弊社のパンフレットを――」
「いらねぇよ。戦争の道具なんて、俺にはもう二度と必要ねぇ」
「あら、そうですか。残念です、フレアさんに続いて断られてしまいました。……いやぁ、それにしてもフレアさんは、役に立ちませんでしたねぇ」
――戦争の火種くらいには、なれるかと思っていたのですが。
そう言いながら、紫ノ村の横を通り過ぎる男。
そして、完全に彼に背を向けた状態で、
「ああ、そういえば」
と、男は言う。
「彼は無事、高校生になれたみたいですね」
「――次、アイツに手を出してみろ。今度こそ、分子レベルで分解してやる」
振り向くことなく、答える紫ノ村。その手には拳銃、背中からは殺気を放っている。
しかし、そんなことはまるで知らないという風に、
「いやだなぁ、あれは事故ですよ、事故。直接は関与しないことが、弊社のルールなので」
黒服の男は笑い、夜の闇へと帰るように、紫ノ村の後ろから歩き去っていく。
「次は戦争で――戦場でお会いできることを願ってますよ、紫ノ村さん」
「…………」
男の気配が消え、はあ、と深いため息を吐く紫ノ村。
「やっぱりこの格好、モテモテじゃねぇかよ」




