第六談。あなたの魔法の使い方は間違ってる ♯2
どうしてルビーが光り輝いているんだろう?
――そういえば、あのときの小石に似てるけど。
どうして指輪から炎が噴き出しているんだろう?
――小石と同じで、方式みたいな見たことない模様が彫られていたけど。
どうして世界はこんなにも静かで、ゆっくりなんだろう?
――あ、そうか。これが走馬灯ってやつなんだ。
ということは私、このまま死ぬんだ。
この炎に焼かれて、死んじゃうんだ。
でも、やだなー。熱いのとか。
多分、死ぬほど熱いんだろうなー。
って、そりゃそうか。死ぬほど熱いから、死んじゃうんだもんね。
あーあ。私の人生、たった十六年かぁ。
短いなー。これが『美人薄命』ってやつなのかな。
え? 自分で言うなって?
別にいいじゃない。最後――いや、最期なんだからさ。
最期くらい、やりたいようにやらせてよ。
でも、本当はやりたいこと、もっと他にいっぱいあったんだよね。
勉強頑張って、パパの手伝いもしたかったし。
ママには、これから料理を教えてもらう約束だったし。
結局、今でも崎守くんにテストで勝ってみたいし。
パトリニアで、女郎花さんのパフェも食べてみたかったし。
いつか大好きな人と恋をして、同棲して、結婚して、そして子どもが産まれて……。
……あーあ。
ダメだ。
やっぱり、ダメだ。
諦められない。
諦めたくない。
私――死にたくないっ!
誰か。
誰か。
誰か――
「――助けてっ!」
「うん、いいよ」
と、答える声が聞こえた。
迫る恐怖に目を瞑ることしかできなかったるみねの耳に、そんな声が届いた。
いつもと何も変わらない――緊張感も緊迫感もない声。
ふっと瞼を閉じる力が弱くなるのを感じる。体は燃えるように熱いが、これは実際に燃えているわけではない。
だから、ゆっくりと目を開けると、
「ふー、ごちそうさまでした」
炎を全て食べ尽くした彼の背中が、るみねの視界いっぱいに広がった。
よく目立つ灰色の髪に、全身に赤く浮き上がる方式。
「それで……僕は、何を助ければいいの?」
なんて、状況をまるで理解していない様子の彼は――
「――藤、春壱」
やっぱりバカだった。
そして、そんなバカは難しい顔をして、
「ん、僕? 僕は僕を助ければいいの? それってどういう意――味ぃっ!」
奇声を上げ、自分の腹を叩いた。
パンパンパン、と。体に付いたゴミを、慌てて払うかのように。
「うわー、危ない危ない。教えてくれてありがとう、袴田。もう少しで母さんに怒られるところだった」
――まあ、ちょっと焦げちゃったけど。
そう残念そうに、自分の制服を見る春壱。視線の先には、確かに少し黒く変色したブレザーの裾があった。
「あなた……今、何したの?」
声を掛けられ、春壱が顔を上げる。
そこには、怪訝な表情を浮かべる金髪碧眼の女。突然現れた正体不明の敵に対して、素早く十分な距離を取っていたフレアがいた。
「あなた、一昨日その子と一緒にいた子? 体のその模様は一体何? それで炎をかき消したの?」
赤く輝く春壱の体に、強い警戒の色を見せるフレア。質問を投げ掛けながらも、彼の指の動きにまで注意を払い、相手の次の一手――そして、それに対する自分の一手を考える。
しかし、そんな風に思われていると気付けるはずもない春壱は、普通に――何の危機感もなくフレアから視線を外し、後ろで座り込んだままのるみねに訊く。
「えっと、こちら様はどちら様?」
「どちら様って……『赤い女』よ。というか、何でアンタがここにいるの?」
――普通科の方を探してたんじゃないの?
そう言って、ようやく動くようになった足で立ち上がったるみねに、
「あのときと同じ香水の匂いがしたんだ」
と、とても当たり前のように春壱は答えた。
「だから、その匂いを追ってここまで来たの。なるほど、この人が『赤い女』さん……どうも初めまして、藤春壱です」
「…………」
軽く会釈した春壱から、一瞬たりとも目を離さないフレア。彼の暢気な――まるで緊迫感のない行動が、より一層警戒心を強める。
「アンタ、普通に挨拶してるんじゃないわよ。気を引き締めなさい。右手の指輪――あれから、炎が火炎放射器みたいに噴き出すから」
――多分、ルビーに『火』の方式が組み込まれてるのよ。
と、いつまでも状況を把握しない春壱に、るみねは注意を促した。
しかし――
「――方式?」
るみねの言葉に反応したのは――フレアだった。そして、
「ふふっ……ふふふっ」
彼女は、とても楽しそうに――とても不愉快そうに、笑って。
「ははっ、ははははっ――そんなものと」
右手の指輪を、春壱の後ろに隠れるるみねに向けた。
「――科学なんかと一緒にしないでっ!」
感情が具現したかのように、指輪から迸る紅蓮の炎。宙を走るそれが、槍のように一直線に二人を貫こうとしてくる。
だけど、春壱は怯む様子など微塵もなく、
「袴田はそのまま、僕の後ろにいて」
るみねを守るように、その矛先を自らの胸で受け止めた。
「……ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおっ!」
炎の槍を呑み込み、烈火の如く輝きを増す春壱の方式。その赤い光はついに、厚手のブレザーさえ透過する。
そしてフレアから放たれた炎は、瞬く間に全て彼の体に吸収されていった。
「うぐっ……」
「――だ、大丈夫!?」
小さな呻き声を上げて、ガクンと片膝をついた春壱。今まで炎を吸収した際には、なかった反応だ。
だから心配になって、るみねは慌てて彼の顔を覗き込み、
「……えっ!?」
彼女の表情は驚きに一変した。
そこにはハムスターのように頬を膨らませ、苦悶の表情を浮かべる春壱。
しかし彼の口いっぱいに入っているものは、サンドウィッチなどではない。閉じられた口からは中を覗けないが、るみねにはそう断言できた。
ユラユラと。メラメラと。
口の隙間から、わずかに漏れ出している真っ赤な炎。
そして――
「ダメだ……吐きそう――ってか、吐くっ!」
宣言通り、春壱は口から吐き出した。
今食べたもの――よりも一回り大きな、炎の塊を。
「――っ!」
例えるなら――ドラゴン。漫画や小説なんかに登場する、火を吹く竜。
るみねがそんな印象を抱いたのは、吐き出された炎がフレアの姿を包み込んだとき。自分と同じ驚きの表情を――声も出せず、ただ目を見開くだけの彼女の表情を、見た直後だった。
「あああ……どうしよう、やっちゃった……」
不意の炎を浴びて、白煙を上げる紅蓮の人影。
その光景を見て、春壱の顔が――全身が、文字通り青ざめる。吸収した熱エネルギーを使い切り、全身で赤く輝いていた方式が、急速にその姿を消していく。
「…………」
呆然と立ち尽くし、るみねは言葉を失っていた。
春壱の体の異常性については理解していたつもりでいた。だがその程度の理解では、まだまだ不足だった。
彼の体に方式構築されているのは『身近なエネルギーの吸収と放出』。
使い方は、呼吸――そして、深呼吸に似ている。
だから、吸ったら吐く――大きく吸ったら、大きく吐く。
――だけど。
だけど、こんなのまるで――
「なるほど、そういうこと。体の模様――それで私の炎を吸収してたってわけね」
――まさか、口から吐き出してくるとは思わなかったけど。
と。
まるでるみねの考えを読み取ったかのように、極めて冷静な声で彼女は言った。
るみねが声の主に目をやる。そして彼女の姿を見て、
「な、何で――」
「何で無事なのかって?」
口にしようとした言葉は、フレアに先読みされた。
「このコートはね、一切の炎を通さない――全て無効化する。……まさか、私が意味もなく、こんな派手な格好してるとでも思った?」
だったらずいぶんとバカにされたものね、と失笑するフレア。立ち上る白煙が完全に消えたその姿は、何一つ――金の髪一本たりとも焼け焦げていない状態だった。
そして彼女は笑みを不敵なものに変え、こう続ける。
「第一――炎の魔法を扱う者が、炎に対して無策なわけがないでしょう?」
「……魔法?」
るみねがそのまま疑問を口にする。その言葉に違和感を――だけど、心のどこかが落ち着く感じがした。
すると、今度は優しい笑顔を浮かべ、
「……そうね、自己紹介がまだだったわね」
フレアは疑問に答える。
「私は、炎の魔術師・フレア。この間違った世界を焼き尽くす者」
「…………」
「そんな人間、存在するわけない……って、顔をしてるわよ」
表情を読み取り、フレアはるみねにそう告げる。
「でも、確かに存在しているのよ――魔術師は。世界の『理』を理解し、それを扱う優れた力も持っているのに、何も知らず何の力もない下等な人間に虐げられ――存在を否定され続けている〝私たち〟はっ!」
だから、と炎を宿した碧の瞳で、青に染まり始めた空を見上げるフレア。
「私は〝私たち〟の存在を、世界に知らしめる! そのために、この街には尊い犠牲となってもらいたいのよ!」
――科学で有名なこの街を焼き尽くしたら、世界は〝私たち〟を認めざるを得ないでしょう!?
そう言って、フレアが笑う。
狂喜に満ちた表情で、笑い続ける。
「――袴田。これ持って、どこか隠れてて」
と、一昨日と同じような台詞で、同じくブレザーを投げ渡す春壱。その顔は、いつになく――というか、初めて見せる真剣なものだった。
だからるみねは、ブレザーを抱きしめるように受け取ると、こくんと強く頷き、言う通りに彼のそばから駆け足で走り去る。そして第六実験棟の陰に――春壱から十分に、フレアからは十二分に離れた場所に移動し、くるりと振り返った。
春壱は、ネクタイを解いていた。まるでそれが自らを束縛する首輪であるかのように、ネクタイを解き――無造作に投げ捨てた。
そして、シャツのボタンを一つ外したところで――
「あなた……何してるの?」
フレアが声を掛けた。さすがのフレアも、声を掛けざるを得なかった。
当然だ。
この時点で春壱は、シャツとパンツしか身に着けていない。
眼前で――というか敵前で、おもむろに脱衣を始めた男の子がいれば、突っ込まないわけにはいかない。正直、フレアが口にする直前まで、るみねが突っ込もうと思っていたところだった。
「えっと――あ、大丈夫です。僕は下から脱ぐ派の人間なんで」
「…………」
絶句である。フレア――そしてるみねも、言うべき言葉が見つからない。というか、言いたいことがあり過ぎて、何から言えばいいのか分からない。
だから二人の女性に無言で見つめられながら、着々とボタンを外していく露出狂。
ちなみに下半身に纏っているものは、トランクスタイプの赤いパンツだけ。ズボンはもちろんのこと、靴も靴下も履いていない。
「すいません、お待たせしました」
と、白いシャツをネクタイやズボンと同様に投げ捨て、ようやく。
パンツ一丁で――真っ赤な、勝負パンツで。
春壱はフレアと改めて正対し――対峙した。
「……それは、私の炎に対する余裕の表れ?」
纏う雰囲気が変わったことを感じ、フレアは彼に標準を合わせるように指輪を構える。
「いくらあなたが炎を吸収して撃ち返したところで、私には効かないって分かってる? このコートが炎を全て無効化するって分かってる?」
「えっと……そうでしたっけ?」
「――そうよ。つまり、カウンタータイプのあなたの攻撃は、私にはまるで無意味だってこと。それとも、私からこのコートを剥ぎ取ってみる?」
――当たり前だけど、私があなたみたいに自分から脱ぐことはないわよ。
そう言って、フレアは小さく笑う。
それに対し春壱は少し押し黙った後、それは、と口を開いた。
「後で怒られたり、訴えられたり、逮捕されたりしないですか?」
「もちろん。むしろ『よくできました』って褒めてあげるわ」
それに警察沙汰は私の方が困るもの、とフレアは言う。いつでも応戦できるように、指輪を構えたままで。
だから春壱も、何だかよく分からない構えを取ったまま、彼女に訊く。
「……あの、フレアさん。もう一つ質問してもいいですか?」
「どうぞ、何でも」
「こんなときにアレですけど、パンツを見せてはもらえないでしょうか?」
ふっ、と彼女の口からかすかな笑いが漏れた。
そして――
「いいわよ、存分に見せてあげる――私に勝てたらねっ!」
それが、戦闘再開の狼煙となった。
しかし放たれたのは当然、煙でなく炎。指輪から迸る――紅蓮の槍。
「――っ!?」
の、はずだった。遠くで見守るるみねもそう思ったし、春壱もその予定で身構えていた。
だがしかし、指輪から噴き出た炎はぐるりと方向を変え、その場で円を描いた。
「私、分かってる――いや、知ってるのよ」
噴き出る炎がグルグルと渦を巻き、瞬く間にその形を球体へと変えていく。そして、
「――あなたはこの炎を受け止められないっ!」
完成したそれを、春壱に向けて放った。
一直線に迫る炎の玉。スピードは今までの炎と大して変わらないし、一点に集中したためサイズはサッカーボール程度。
だから春壱は、ゴールキーパーのようにそれを両手で受け止め――
「――熱ぃっ!」
きれずに軌道を変え、空へと弾き飛ばした。
「な、何で!?」
るみねの驚きの声が、二人の耳にまで届く。
炎なら――熱エネルギーなら、体の方式が吸収するはず。火に対する恐怖や熱さなど、彼はこれまで一切感じてこなかった。
――なのに、今!
春壱は間違いなく『熱い』と叫び、炎を吸収する事もできずに弾き、火傷したように自らの息で手を冷ましている。
「やっぱり、思った通り」
そんな光景を見て、フレアが笑う。
「〝私たち〟の中にも、あなたみたいな吸収系の魔術師はいる。だから私、知ってるのよ。その手の能力には、一度に吸収できる限界があるってこと。当然よね、口より大きなものを食べることなんてできないものね――だから」
得意げにそう言って、フレアは新たに指輪から出した炎を球体へと成形し、
「こんな風に圧縮させ、超高温と化した炎は吸収できないのよ――ねっ!」
全く同じものを全く同じ軌道で、再び春壱に放った。
炎が炎を焦がす、紅蓮の玉。綺麗な形を保つことで、一切の熱を外に逃がさない。
「――避けなさいっ!」
第六実験棟の陰から、るみねの指示が飛んだ。方式の力で吸収はできないし、パンツ以外に何も身に着けていない彼には、それを防御する術もない。いや、たとえ服を着ていたところで、どうにかレベルでもない。
だけど――るみねの声が聞こえているにも関わらず、春壱はそこから一歩たりとも動かない。
ぐっと腰を落とし、迎え撃つような体勢で右の拳を構え――
「――はあぁっ!」
咆哮と共に、紅蓮の玉を殴りつけ――地面へと叩き落とした。
「あ……っちぃぃぃぃっ!」
今度は悲鳴を上げて、春壱がブンブンと拳を振り回す。そこからは、うっすらと白煙が上がっているのが見える。
「アンタ、何で――」
「だって、ここを燃やされたらダメなんでしょう?」
質問内容を先読みして、答える春壱。その彼の言葉で、はっとるみねは気付いた。
春壱の後ろには――第七実験棟。
まだ骨組みだけしか完成していない建物もどき――そして、フレアの計画を完成させる最後の標的。
――だけどっ!
と、思わず口にしそうになる。
彼の足下――丸く陥没した地面を見て、るみねは堪らなくその言葉を言いたくなる。
舗装していたアスファルトが溶けて、跡形も残らず蒸発している。つまり、今の炎の玉はそれほどの熱量を持っていたということ。
――普通の人間なら、触れることさえできない。
「……だけど」
と。
るみねの喉で止まった言葉を口にしたのは、フレアだった。
「だけど、そのためにあなたが傷付く必要があるの?」
指輪を構えたまま――しかし新しい紅蓮の玉を作ろうともせず、フレアが訊く。
「どういう意味……ですか?」
「だって、この街が燃えたところであなたのせいじゃないし、ここで身を挺しても誰にも気付かれないのよ? むしろ今から街の外に逃げ出せば、何とか間に合うかもしれないのよ? それとも何? 自分が正義のヒーローか何かだと思ってるの?」
「…………」
「もしそうなら、それは大きな勘違いよ。何の力もない下等な人間は、あなたのことを決してそんな風には思わない」
現にそこの彼女、と第六実験棟の陰に隠れるるみねに、一瞬ちらりと視線を移す。
「彼女が今、あなたのことを――私たちのことを、どう思ってるか教えてあげましょうか?」
「…………」
春壱は答えない。だけどそれに構うことなく、フレアは笑う。
とても嬉しそうに――とても悲しそうに、笑う。
「――化物よ! 化物! 異形の人外を見るような目で、私たちのことを見てるわ!」
「そ、そんなこと――」
「一瞬たりとも思わなかったって、あなた本当に言えるっ!?」
反論を口にしようとしたるみねを、フレアが殺意の瞳で黙らせる。
「分かるのよ! あなた、私の親と同じ目をしてる! 私を捨てた親と同じ目を!」
どうして捨てられたか教えてあげましょうか、と彼女は楽しそうに笑う。眼前の春壱――敵前であることなど忘れ、るみねだけを睨みつける。
「私が世界の『理』を知り、魔法を使えるようになったから――魔術師として目覚めたから、私は凡人である両親に捨てられたの」
――化物と呼ばれ、捨てられたの。
「だけど、おかしいと思わない? 私たち魔術師は、人間として上位の存在よ? それが少数派だという理由だけで、多数派の凡人に虐げられる。否定され――時には化物として処分される」
実際、私の両親も私を殺そうとしたしね。
そう言って、フレアは笑う。
笑って、笑って。
笑い続けて、言葉を続ける。
「だから私は、この世界を破壊する! 私たちの力――魔法の真似事をする科学を、否定する! 上位種である魔術師が正しい世界に作り直し、その頂点に立つ!」
フレアは高らかにそう宣言すると、
「ねえ、ヒーローさん?」
次はまるで別人のように優しい表情を、春壱に見せた。
炎を食って、吐いて、受け止めて、殴りつける。そんな普通の人間ではない彼に。
「私、思うのよ――あなたはこちら側の人間だって。あなたの能力は限りなく魔法に近くて、限りなく科学に遠いって。だからこの低能な世界では、あなたは決して受け入れられない――認められないって」
――だから、ね。
と、フレアは手を伸ばした。
攻撃のための右手で、春壱に握手を求めように。
「今なら、あなただけは助けてあげる。〝私たち〟の仲間に迎え入れてあげる。大丈夫、みんな歓迎してくれるわ。だから、優れた能力を持つ者が正当に評価される世界を、一緒に作りましょう」
彼女の誘いの手を、じっと見つめる春壱。そして、
「……僕、バカだから」
情けなさそうに頭を掻きながら、口を開いた。
「フレアさんが言ってたことを、なんとなくしか理解できなかったんですけど……それってこの街の人を――世界中の色んな人を、傷付けるってことですよね?」
「…………」
「実は僕、一度死んでる人間なんですよ。だから自分が傷付くことも、もう一度死ぬことも怖くない――なんて、絶対に言えない。熱いのも痛いのも苦しいのも、やっぱり嫌い。死ぬほど嫌い」
――だけど。
「それ以上に、誰かが傷付くのを見るのが嫌い――僕と同じような思いを、誰にもしてほしくない。僕はこの命を母さんに――魔法科学に助けてもらった。だから僕はこの化物みたいな力を、誰かを助けることに使いたい。魔法だろうが科学だろうが、そう使うべきだと思ってる」
それに、と笑みを浮かべる。
「そんな世界じゃ、楽しくスカートめくりできないでしょ?」
と、そう言ってから、
「だから、フレアさん――」
心も体も彼女の真正面に立って、春壱は否定する。
「あなたの魔法の使い方は間違ってるっ!」
「そう……それは残念だわ」
その口元が少し優しく緩んだように、春壱には見えた。だけど次の瞬間には、
「それなら私を――これを止めてみせることね」
いつも通りの狂喜の笑顔で、フレアは笑う。
拒まれた握手を、攻撃に構え直す。そして、指輪から噴き出される紅蓮の炎。
それがグルグルと渦を巻き、渦を巻き、渦を巻き続け――
「これが、今この石に残ってる全ての炎――今の私の、最高にして最大の魔法!」
太陽のような輝きを放つ、純白の玉を作り上げた。
そして、最後の標的である第七実験棟に向けて。
だけど、明らかに春壱を狙って。
「――灰も残らず、焼き尽くされなさいっ!」
魔術師・フレアは、その一撃に己の存在意義を賭けた。
「…………」
ダメだ。
そう、思った。
今までの炎の玉とは、これはレベルが違う。
炎が放つ白い光は、より高温であるということの証明。熱いとか火傷とか、そういう問題じゃない。熱いと感じる神経が――火傷を負う皮膚が、一瞬にして蒸発する。
しかも、今までのサッカーボールのような、そんな小さなサイズではない。両腕を伸ばして抱きしめても余るほどの、例えるなら大砲の玉のような大きさ。そのせいか、エネルギーの塊なのに重量感があるように見え、スピードは今までより少し遅い気がする。
だけど。
だけど、少し遅いからと言って何ができるわけでもない。
こんな大きなものを、弾き返すことなんて不可能――できて、わずかに軌道を逸らすのが精一杯だ。
そして、その程度の誤差なら大差はない。
少し逸れたところで、確実に後ろの第七実験棟に命中する。いや、それ以前に、触れることもできないものを――触れた瞬間にその部分が蒸発するようなものを、どうにかできるわけがない。
だから――諦めなさいよ。
アンタがそこにいても、何も変わらないのよ?
アンタはそこにいたら、何も残らないのよ?
なのに、どうしてそこから一歩も動かないのよ?
もうすでに、この街を守る方法なんかないのよ?
ヒーローとか、化物とか、魔法とか、科学とか。
そんなのは、どうでもいいのよ。
アンタは、バカ以外の何者でもないわよ。
だから――お願い。
「――逃げてっ!」
「一つ――言い忘れてたことがあるんですけど」
と、春壱は。
るみねの叫びが聞こえていないかのように、暢気に言った。
「僕の能力は、炎を吸収して吐き出すことじゃないです。この方式は『命』の魔法科学……らしいです。だから僕は――どんなエネルギーでも吸収して、それを使えるんです」
――魔法科学の五属性、その全てのエネルギーを。
「…………」
そうだ。少し考えれば分かることだ。
炎の玉を殴って叩き落とすなんて、不可能だ。
だって、相手は炎――熱エネルギーそのもの。流れを操作することはできても、触れることができるわけがない。
だからあのとき、彼の拳が炎を叩き落としたわけじゃない。
拳が纏う、目に見えない『それ』が――熱エネルギーに干渉したんだ。
そう、るみねが結論に達したときには、
「――ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおっ!」
春壱は力限りの雄叫びを上げていた。
それは、炎の槍を吸収したときと同じような咆哮。しかし、さっきとは決定的に違う点が二つある。
一つは、彼が今回、吸収するのは炎ではないということ。白い炎は、まだ春壱の体には届いていない。
もう一つは、彼が今、パンツ以外に何も身に着けていないということ。
つまり――体の方式と周りのエネルギーを遮るものがない状態。吸収も放出も、これなら最高効率の最大出力で行える。
だから春壱は、目一杯に息を吸い――腹一杯に周囲の『風』を食べ尽くし。
ありったけの運動エネルギーを――体一杯に吸収して。
青く。蒼く。
透き通るような――突き抜けるような、澄んだ空の色で。
るみねの瞳にも届くほどに、全身の方式を輝かせた。
「だから――フレアさん」
春壱が拳を構え、迎撃の準備を整える。
それは、炎の玉を叩き落としたときと同じ体勢。
ただし今回はサイズが違うので、そこから繰り出せるのは突きだけ。
そして今、彼がその拳に纏っているのは――小さな嵐。目に見えるほどの、風の塊。
だから春壱は、フレアの最高にして最大の魔法に。
一人の魔術師の、存在意義と存在証明を賭けた一撃に――
「――あなたの魔法、吹き飛ばさせてもらいますっ!」
正々堂々と真正面から、自らの一撃を放った。
――ドンっ!
という爆音、突風、白煙。
そして――静寂。
辺り一面を包んでいた白煙が、ゆっくりと晴れていく。
「ふふっ……ふふふ、はははははっ」
やがて、世界が元の姿に戻ると――春壱も第七実験棟も健在だと分かると、
「あーあ、私の負けね――だけど」
フレアは、とても悔しそうに――とても満足そうに、笑って。
「――〝私たち〟の勝ちね」
魔法陣の完成を――計画の完遂を喜んだ。
途端、第七実験棟の至るところに仕掛けられたそれが、同時に赤く光り出す。
「な……あっ」
位置の関係上、るみねは春壱より早くその変化に気付いた。だけど、彼より早く気付けたところで、手も足も言葉も出ない。
気付くのが遅過ぎた。いや、もっと早くに思い出すべきだった。
『赤い女』の手口を――フレアが、どうやってプレハブを燃やそうとしたかを。
そして異常なまでに大量に――決して最後で失敗しないように持っていた全てを、随所にばら撒かれた赤い小石は。
無慈悲に一瞬で、第七実験棟を炎に包んだ。
赤く。紅く。
ユラユラと。メラメラと。
この街を焼き尽くす復讐の紅蓮に――
「……っ、……な、な……何で?」
一番驚いたのは――フレアだった。
確かに、最後のポイントは目の前で燃えている。この街全体に仕掛けた魔法陣は、これで完成している。
――なのに何故、魔法陣が発動しない!?
間違いなく、完成と同時に発動するようにしたはず。このコートがある以上、たとえ巻き込まれたとしても、私は何の問題ないと思っていた。
それなのに、魔法陣は発動しない。『炎の理』を知る私が、その気配すら感じられない。
「……私は、失敗したの?」
ただ呆然と――ここが戦場で、自分が敵前であることを忘れ、立ち尽くすフレア。
だから、
「約束、覚えてますよね?」
と、距離を詰められたことに気付いたのは、自分の足下に灰色の髪が見えたときだった。
ほんの一瞬、わずかに一歩。
背中の方式から放出した風で、第七実験棟の炎を吹き飛ばし、同時にそれを推進力にする。そんな化物みたいな能力を、ヒーローみたいに使った春壱。
そして、フレアの足下で体を小さく縮め、拳に嵐を纏った彼は、こう言った。
「――本当に褒めてくださいよっ!?」
結果として。
全身のバネと、方式から放出させた風を利用した春壱のアッパーは、フレアには当たらなかった。それどころか、彼女の体にかすりもしなかった。
ただその一撃は、フレアの象徴とも言える紅蓮のロングコートを破壊した。彼女の膝から首まで覆っていたそれの、前面のボタンを全て引き千切ることによって、炎の完全無効化を無効化した。
だからフレアは、その場から逃走した。街を火の海に変える計画は失敗し、指輪の炎は使い切り、防御まで半減された彼女にとって、それが唯一の選択肢だった。
対して、春壱は追撃しなかった。彼は微動だにせず、逃げる彼女を一切追わなかった。
やがて、フレアの姿が見えなくなって。
炎の魔法を操る魔術師がいなくなって、
「……大丈夫なの、アンタ?」
と、るみねはようやく、立ち尽くす春壱の元に駆け寄った。
彼女には一つ、疑問があった。
それは、今の攻撃のこと。明らかに油断し、反応すら間に合っていなかったフレアに、春壱が自ら攻撃を外したように見えた。
最初から攻撃する意思はなく、わざわざフレアとコートの隙間に拳を入れて、彼女からコートを剥ぎ取ろうとしているように――るみねには見えていた。
だからそのことを訊こうと、徐々に方式が消えていく春壱の顔を覗き込んで、るみねは驚いた。
彼は、何かの攻撃を受けたように鼻から血を流していた。るみねが見ていた限り、フレアから物理的な攻撃は受けていないはずなのに、春壱の鼻からはドクドクと血が流れ出ていた。
だけどそんな状態にも関わらず、彼はピクリとも動かず、痛がるどころか恍惚の表情を浮かべ、夢見心地に呟いた。
「紫のレースは……とんでもない破壊力だな……」
ちなみに、るみねがこの言葉の意味を理解するまで、ここから少し時間を要することとなる。
春壱はフレアに勝利し、確かに戦利品を受け取っていた。




