無詠唱の代償
第3話 無詠唱の代償
照会が来た日の午後、縁層で警鐘が鳴った。
見張り台の鐘は、魔獣の規模で打ち分ける。短く三回、長く一回。中位混成。村の外縁で食い止めるべき合図だ。
俺は道具袋を掴んで飛び出した。セラが後ろから追ってくる。薬箱の留め具が走るたびに鳴った。
「数は?」
「見張りが言ってたのは、狼三、蛇二!」
嫌な組み合わせだ。蒼牙狼は連携で押してくる。根蛇は足を止める。噛み合うと厄介になる。
外縁柵の手前で、既に一体が倒れていた。若手の槍が突き刺さっている。だがその横で、別の狼が跳ぶ。村の子どもが転んだ位置に一直線だった。
詠唱じゃ間に合わない。
考える前に、喉の奥で音を切る。言葉を省き、意図だけを叩きつける。
熱の線が弧を描いて、狼の進路を焼いた。飛び込みは逸れ、土を抉って横に転がる。直後に根蛇が地面から突き上がる。俺は左に半歩。二発目。短い雷光で蛇の頭を弾いた。
周囲の声が遠い。
「リク、後ろ!」
「柵を閉めろ!」
視界だけが妙に澄んで、標的の輪郭が太く見える。蒼牙狼の喉元。根蛇の腹。次の軌道。手順が最短距離で流れ込む。
最後の一体が逃げたところで、膝が抜けた。土に手をつく。息が浅い。
「終わったぞ!」
誰かが叫び、歓声が上がる。助かった。村は守れた。
なのに、次の瞬間、音が切れた。
白い空白。
おそらく、ほんの十数秒。
気づいたとき、俺はセラの肩を掴んでいた。
「美咲、退がれ」
セラが固まる。
「……誰?」
周囲の若手がざわつく。セラは振り向かずに手を上げた。
「見るな。柵の点検を先にやって」
俺は手を離した。自分の口から出た名前が、まるで知らない他人の声のように耳へ戻る。
「今、何て言った」
「わからない」
嘘ではない。本当にわからない。喉が急に乾いて、舌が重い。
セラは何も返さず、記録帳を開いた。震える手で、時刻と発話を書き込んでいく。
「空白、十四数えた。私の呼吸で」
「脈、見せて」
指先が手首に触れる。冷たい。秒を数えるセラの唇が動く。瞳孔を見るために、俺の顔へ小さな鏡を向ける。
「右瞳、収縮遅い。発汗過多。発話異常あり」
「そんな大げさな」
「大げさじゃない。今の、あんたの声じゃなかった」
言い返そうとして、言葉が消える。
俺は、自分の幼いころの記憶を一つ思い出そうとした。井戸のそばで転んだ日。確か膝を擦りむいて、ばあちゃんが——
そこで止まった。
ばあちゃんの顔が出てこない。
笑い方も、声も、匂いも。輪郭の部分だけ、白く抜けている。
胸の奥が冷えた。戦闘後の疲れではない。何かが、削れた感覚だった。
「……リク?」
セラの声が遠い。俺は無理に立ち上がる。
「平気だ。たぶん、出力を上げすぎた」
「たぶん、で済ませるな」
セラは記録帳を閉じ、短く言った。
「この記録、残す。消さない」
夕方、門前に監察局の使いが来た。白封の照会文。封蝋に剣盾紋。
村長が開いて、顔をしかめる。
「……追加照会だ。リク、明朝、監察騎士への口頭報告を命ずる」
紙を受け取る。文面は硬く、無詠唱行使の状況説明、精神状態の申告、同行者の証言提出を求めていた。
同行者。
つまり、セラの記録も対象だ。
夜、寝床で目を閉じる。眠れない。
頭の中で、さっきの空白だけが反復する。
美咲。
誰だ、それは。
視界の闇に、ウィンドウが一行だけ浮いた。
`SYNC WARNING: 低下傾向`
俺は、その文字を消せなかった。




