青い森で目を覚ます
第1話 青い森で目を覚ます
改札の電子音が、耳の奥で二回鳴った。
ピッ。ピッ。
夜の駅だった。ホームの向こうに、白い自販機。蛍光灯の下で、缶コーヒーの列だけがやけに明るい。誰かが走っていく。革靴の音。広告の画面。知らない女優の顔。
次の瞬間、視界の隅に文字が走った。
`ROOT AUTH / DENIED`
意味はわからない。わからないのに、その一行だけ胸の奥に引っかかって、夢から浮上した。
目を開けると、木の天井だった。節だらけの梁。夜明け前の薄い青が、窓の隙間から差している。布団は重く、鼻先に乾いた草の匂いがした。いつもの家。いつもの部屋。
俺はリク。辺境の集落で生まれた十五歳で、おそらく前世は日本人だ。
その確信は、もう疑ったことがない。幼いころから、こういう夢を見る。高い建物と電車、見たことのない文字。こっちの世界にはないものばかりだ。
だから答えは一つだった。俺は転生したのだと、そう思っていた。
起き上がって戸を開けると、外は朝靄の色だった。家々の向こうに樹海の稜線が見える。葉は深い青だ。初めて見たときは不気味だった色も、今はただの風景になっている。
ここの子どもはみんな、あの青を見て育つ。
井戸端では、セラが桶を洗っていた。俺と同い年の薬師見習いで、朝はいつも俺より早い。
「遅い。もう日が出るよ」
「夢が長かった」
「また前世?」
「うん。駅。改札。あと、よくわかんない単語」
セラは手を止めずに頷いた。
「わかんないなら、今は置いときな。今日は縁層で採るんでしょ。遅れたら蒼苔の露が飛ぶ」
露が飛ぶと薬効が落ちる。俺は口を閉じた。こういうところで、セラの判断はだいたい正しい。
朝飯を詰めた袋を肩にかけて、二人で集落の外へ出た。踏み固められた道を抜けると、青い木々の陰がたちまち濃くなる。樹海の縁。まだ浅い層なのに、空気はひんやり重い。
俺は前を歩きながら、夢の残りを追いかけた。`ROOT AUTH`。音だけなら、呪文のようだ。古い神語の断片といった類だ。そう考えるとしっくりくる気もする。
しっくりくるだけで、意味はないが。
「リク、止まって」
セラの声で我に返る。足元に手を伸ばしかけていた。灰色の茸。縁が青白く光っている。
「それ、触るな。胞子で喉やる」
「食えるやつに似てる」
「似てるだけ。見分けは柄の筋」
セラは小刀で地面を軽く掘って、茸ごと袋に入れた。廃棄用の袋だ。処理のやり方まで手慣れている。
「助かった」
「前見て歩く。夢の続きは帰ってから」
短く叱られて、俺は素直に頷いた。こういう役割分担は、昔からだ。俺は先に目についたものに飛びつく。セラは一歩引いて、危ないものを弾く。
午前の採取は順調だった。蒼苔、乾燥葉、虫除け草。籠の底が埋まるころ、斜面の先でガサッと枝が鳴った。蒼牙狼ほどではない。軽い気配で、装甲猪の仔か根蛇か。
俺は反射で右手を上げ、喉の奥で短い詠唱を切った。
「——熱よ、散れ」
火花のような熱風が枝先を払う。影は驚いて逃げた。根蛇の幼体だったらしい。
セラが息を吐く。
「今の、少し強すぎ」
「距離が近かった」
「近かったのはわかる。でも詠唱が短い。頭、痛くない?」
俺は首を傾げた。痛みはない。むしろ、熱が走ったあとの感覚が妙に澄んでいる。
「平気」
「……ならいい。帰ったら一応、記録する」
記録。セラは気になることを即座に紙へ記す。薬師見習いの癖だ。俺の詠唱の長さや、発熱後の脈の速さまで、前に書き留めていた。
昼前、籠を背負って集落へ戻る。門柵の前で、見慣れない馬車が止まっていた。白い外套の男が一人。陽を受けて紋章が光る。剣と盾の交差紋。神聖国家の監察騎士だ。
男は、まっすぐ俺を見た。
「リク・ハーディンだな。神聖国家監察局だ。お前の無詠唱について、照会が出ている」
名を呼ばれた瞬間、耳鳴りのように、あの単語が頭の底で反響した。
`ROOT AUTH`
俺は籠の紐を握り直した。
前世の夢に出てくるだけの、意味不明な言葉のはずだった。




