ばいばい、転生者
ずっ。
ストローが空気を吸い込んで、不快な音を立てた。
リコは空になったシェイクのカップを押しやって、スマホをタップする。
19:10。
あと10分経ったら帰ろう。
追加の注文をすれば、もう少し居られるだろう。
でも、スマホの充電が心許ないし、残り少ないお小遣いを減らしてまで待ってやる義理もない。
だって、あいつはもうリコの彼氏じゃない。
リコだけは知っている。
外見は彼氏の颯太だけど、中身は異世界から来た転生者だ。
急に手元が翳って、視線を上げると颯太だった。
「宿題してるとか、真面目かよ」
謝罪ひとつなく、向かいの席にどさっと腰を落とす。
「……遅くなるなら、連絡してよ。メッセも既読つかないし」
「わり。ケータイ嫌いなんだ。スタジオうるせーし」
悪びれる風もなく、投げ出した脚をカタカタさせている。
──ほら、やっぱりそうだ。
前は手と繋がってるのかってイジられるくらい、常にスマホを触っていた。
前はそんな言葉づかいをしなかったし、遅れたらちゃんと謝った。
前は脚を投げ出したりせずに、ちゃんとテーブルの下にしまっていた。
誰だお前。リコは颯太の皮を着た知らない誰かにそっと毒づいた。
リコはわりとよく本を読む。
最近はファンタジーが好きだ。
トラックにぶつかって転生すると、知らない世界の誰かの中に入っていて、現世知識で無双するのが多い。
「あと、その頭なに?」
「……あ? なにが」
颯太は投げ出した自分の膝に視線を向けたままだ。
異世界から転生してきて、颯太の身体を乗っ取ったに違いない。
それが証拠に、柔らかな颯太の髪は鮮やかなピンクに染まっている。
「土曜の約束は遅れないでよね」
「あ、土曜は俺パス。アリサとスタジオ」
「は?」
土曜はネットでバズっていた店に行こうと、ひと月も前から約束していた。
ふたりだけでなくミナやカズハたちカップルと6人で。颯太の一存で反故にできるものではない。
「無理。ガレットのお店、もう予約しちゃってるし」
「あ~……。俺、蕎麦、ダメなんだよ。アレルギーでさ」
「嘘。そんなの聞いたことない」
「……。最近なったんだよ」
──颯太を乗っ取ったやつは、蕎麦がダメらしい。
「ええ~。楽しみにしてたのに」
リコはフードコートのベタついたテーブルに突っ伏した。
「別に、俺抜きで行きゃいいじゃん」
「ダブルデートのおまけにひとりだけ着いてくなんて地獄過ぎる」
「友達なんだからカップルとか関係ねーじゃん。くだらねーな」
かちん。
リコは丁寧に巻いたくるくるの髪の隙間から颯太を睨みつけた。
「約束破るくだらねー奴に言われたくない」
「……悪りぃ。でも、ライブ近いからさ、練習しないとさ。分かるだろ」
ちょっとはマズいと思ったのか。はじめて颯太から謝罪らしき声が聞こえた。
「アリサって、3組の中村さんだっけ」
「そそ。あいつすげえんだよ。音楽のシュミもいいしさ」
それからしばらく、さっきまでの不貞腐れたみたいな態度が嘘みたいに、
異世界語みたいなよくわかんない話を上機嫌でしてた。
それから、ちょっとやべって顔になって、
リコの首から下がったイヤホンを指して、何聴いてるのって話をふってきた。
「……あいみょん」
リコが答えると、ハン、と呆れたように鼻を鳴らした。
ハン。
──やっぱり、転生者だ。
本物なら忘れるわけない、思い出の曲。
異世界は、颯太から記憶まで奪っていく。
目の前にいるのは、颯太の姿を借りた、ただの知らない人。
だから、こんな態度を取られたって、
リコが傷つく必要はない。
「──異世界にさあ、転生するじゃん。目が覚めたら現地の人になってて」
「ああ、アニメでやってるやつね。璃子そういうの好きよな」
リコは自分の爪が二枚爪みたいになっているのに気付いた。
落ち着かなくて手遊びが過ぎたのか、ネイルシールが剝がれかけているのだ。
「あれ、元いた人のオヤとかキョーダイとかどう思うんかな。性格も変わっちゃってさ、同じように愛せるのかな」
「え、でも、みんな喜んでたじゃん。チートで美味いもんつくったりしてさ」
ぎゅっぎゅっと押してみるけど、粘着が弱まったシールはもう戻らない。
諦めてぺりぺり剝がしていく。
「話し方が違う、好きなものが違う、記憶もなくて、別のだれかと手を繋いでたりして」
あんなにキラキラと爪を彩っていたピンクのシールは、剥がれてみるとあっけなく、不潔ですらある。
リコはそれを紙ナプキンにくるんだ。
「リコはね、……無理かなぁって」
「──璃子」
颯太の答えも聞かず、リコはゴミをまとめて立ち上がった。
「リコ、帰るね。ばいばい小泉くん」
ピンクのシールをゴミ箱に落とすと、リコはもう振り返らなかった。
だって、どうせ颯太はもういない。
異世界から来た知らない誰かが、
颯太の顔をしているだけだから。
お読みいただきありがとうございました。
活動報告にイメージイラストを置いてありますので、良かったらそちらもぜひ。




