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昔、1度だけペガサスを見た時がある。
彼等が天界と呼ばれる神の領域から、俺達の暮らしている地上に降りてきた理由はともかく。此方では神の騎士と呼ばれている白と金でコーティングされた鎧姿の天使を背に乗せ、後光に照らされながらゆっくりと降りったった姿は…まさに神々しいという言葉しか出ず、しかし何処か無機質な彼等に畏怖さえもした。
今のナナシはその時に神の騎士らが乗っていた、同種のペガサスに乗っているわけなのだが。
あの時に感じた神々しさは一切なく、それでいてペガサスの移動方法に優雅さなんて微塵も感じられなかった。気難しい性質なのは知っていたが、それにしても荒ぶりすぎだろう。完全に暴れ馬。白い悪魔という言葉が浮かぶくらいには全力で振り回された。少しは表面を取り繕うと思っていたのだが、着く直前までペガサスはナナシを振り落とす事に全力をかけていた。
そのお陰で想定よりも早くダンジョンに着くことができたが、もう2度とペガサスに乗る事も乗ろうと思う事もないだろう。乗り心地が最悪だ。
「助かった。ありがとう」
ナナシが背から跳び降りれば、ペガサスは大袈裟に身震いをすると翼の手入れを始める。
あれだけ暴れたのだ、翼やたてがみがボサボサになるのは必然的だ。乗っていたナナシの髪もきっと酷い事になっているのだろうが、どうせこの後動き回ることになる。直したところでまた荒れるのは想像に容易いので、腰に吊るしてある剣を引き抜き当初の目的である迷宮の入口を覗いた。
「一体どうなってやがる」
そこには、一寸先も光を通さぬ『闇』があった。
暗闇ではない。文字通り、人を呑み込まんとする闇。肌にまとわりつくような、濃い魔力を含んだ闇が迷宮の入口を塞いでいた。
肌で感じる魔力量的に、迷宮崩壊が起きているのは一目瞭然だ。ただ以前ここの迷宮崩壊を鎮めた時よりも、迷宮の入口から漏れ出る魔力の濃さと量が明らかに違う。迷宮崩壊で魔力が溢れてるとはいえ、これは下級迷宮のものでなく中級…或いは上級に匹敵するかもしれない。
冒険者としてのナナシだったら、1度引いて援軍を呼ぶのが賢い選択だ。しかし零番隊率いる隊長として、英雄の部下としてその選択は出来ない。
迅速に、この迷宮を攻略する。
といってもこのまま脳死で突っ込むのは馬鹿がやる事だ。一旦迷宮の入口を塞ぐ闇の正体を探るべく、ナナシは軽く手を突っ込んでみる。黒いもやのような闇が手を包み、その闇に包まれた部分だけ見えなくなった。これでは中に入ったとしても何も見えず、迷宮攻略など出来ない。
まずはこの闇をどうにかするのが先決だ。
「風で散らしてもすぐ元に戻る…特殊属性なだけあって、相反する属性じゃないと効果が薄いな」
ナナシの手から放たれた風は、最初こそ闇を散らすがじわじわと元に戻っていく。逆に暗闇を照らす光の玉を浮かべれば、その周辺の闇が霧散し壁や地面が見えるようになった。
魔法や魔術には属性がある。一般的に知られているのは火・風・土・水の4大属性と光・闇・無の3属性の計7属性だ。基本の4大属性は火→風→土→水→火の4すくみとなっており、光と闇は互いが弱点となっている。無は属性間の有利不利が存在しない唯一の属性だ。
今回迷宮の入口を塞いでいるのは闇属性の魔力だ。闇属性と言っても他の属性が効かないわけではない。散らすだけなら風属性でもいけるかと試したのだが、迷宮内の魔力が濃いのか上手くいかなかった。ならこのまま光属性で散らしてしまえばいいのだが、せっかくなら中の魔物達を弱体化させたい。
『なにそれぇ』
「とっておきだ」
ナナシが鞄から取り出したのは、透明な液体の入った瓶だ。ペガサスが興味津々にその瓶の匂いを嗅ぐが、そうしてしまうのも仕方がない事だろう。
何故ならこれは、そこらに売っている聖水とは訳が違う。聖女の力で清められた水。真の聖水と言っても過言ではないのだから。
聖女は聖属性と呼ばれる穢を祓う特殊な魔力を持っている。これらは闇属性にも抜群で、ナナシが持っている物は聖女が力を込めすぎ世に出すことが出来ない『失敗作』。通常の物よりも効き目がいいことは間違いない。
ナナシは蓋を開けると中の聖水を球体状に浮かばせ、ふぅと優しく息を吹きかける。
すると聖水は瞬く間に霧状に形を変え、迷宮の奥へ奥へと風で運ばれていく。迷宮内を覆っていた闇は霧散し、中にいた魔物達は聖なる魔力にその身を焼かれ苦悶の声を上げた。耐えきれなかった魔物から次々に魔石へと姿を変え、カランコロンと転がっていく。
『えっっっっっぐいことするね君ぃ』
「本体を連れてこないだけ優しいだろう」
聖女は「お化け怖いっ」と言いながら笑顔でぶん殴るタイプの人間だ。本人は怖いと笑ってしまうのだと弁明していたが、明らかに途中から楽しくなっている所作があるのでその言葉の真偽は定かではない。
このペガサスも聖女を見た時があるのか、ナナシの言葉を聞くと一度嘶いたきり黙ってしまった。思うところがあるのだろうきっと。口にしないだけ賢い野郎である。
「そういや俺が来なかったらどうするつもりだったんだ?精霊は契約していないと、迷宮じゃあただの餌当然だろ」
迷宮入口付近に魔物がいない事を確認したナナシは、そのまま入る前にふとした疑問をペガサスに問いかけた。
精霊の身体は純度の高い魔力の塊で出来ている。精霊界に留まるか契約している相手がいればその魔力を散らさず顕現した状態でいれるが、野良の場合は常に魔力を垂れ流している状態だ。
地上で行動する分には殆ど支障がないのだが、迷宮内だと話は変わってくる。迷宮は周りや迷宮内に迷い込んだ生物の魔力を吸い上げ、その魔力を溜め込む事で自身の領域を広げる性質があり。
魔力垂れ流しの精霊が入ろうもんなら、干からびるまでその魔力を吸われ続けるのだ。
人間からしたら迷宮内は濃い魔力が満ち溢れているので恩恵しかないのだが、元々が魔力の塊である精霊からしたら微々たるもの。魔力吸収量と魔力排出量が合わず、そうなってしまうらしい。
今まで見たペガサスも今目の前にいるペガサスも、魔力を垂れ流している様子はないので契約しているとは思うが…念の為に確認しといても損はないだろう。
『あー。入口から』
「入口から」
『…魔力を垂れ流そうかなってぇ』
「…やってる事が俺と一緒じゃねぇか」
ナナシに対しあんなに引いた目をしていた癖に、当の本人も同じ事をやろうとしていたようだ。人の事言えねぇじゃねぇか。
自身に向けられる視線に耐えられなくなったペガサスはたじろぎ、『ほら早くしないと怪物行進になっちゃうかもよぉ?!』とナナシの背を顔でぐりぐりと押す。
「押すなよ」
元々入口に立っておりそれに抵抗もしないナナシは、そのまま迷宮内に足を踏み入れることになる。
まだ微かにあの気持ち悪い魔力は残っているが、それでもマシにはなった。これならば迷宮攻略に支障はないだろう。
「ペガサス。俺が入っている間、魔力と魔物がここから溢れ出ないよう抑えとけ」
『元々そのつもりだけど…急にどうしたのぉ?』
「出迎えだ」
飛んできた矢を剣で撃ち落とし、代わりに風魔法を打ち込んで集まってきた魔物達を迷宮の奥へと戻す。吹き荒れる風の音と共に、ガラガラとそこらかしこにぶつかる音がする。
音の響きを聞く限り、スケルトン達が集まってきたのだろう。
アンデットは音がする方へ集まる傾向があるが、それだけで基本的に群れることはない。ナナシ達が騒いだ音に反応して集まってきたのではなく、状況的に統率する何かが出現していると考えた方がいい。
「頼んだぞ」
『分かったぁ。いってらっしゃあい』
ペガサスのゆるい返事と共に、温かな魔力が迷宮に流れ込む。それと同時に迷宮に1歩踏み入ってからひしひしと感じていた殺意に、怯えが混じるのをナナシは見逃さなかった。
魔力で肉体を強化し、風を纏い一気に加速しながら迷宮の最奥を目指す。
「てめぇら、随分な歓迎じゃねぇか」
やはり迷宮にはただならぬ異変が起きていたようで。
最奥の主部屋以外はちょこっとした小部屋しかなかったというのに、ナナシが進んだ限り大小の部屋と少し開けた広間的空間と迷宮自体が広がっていた。
広間に佇む骸骨戦士率いる骸骨将軍を前にしたナナシは、愉快そうに口を歪め群れに突っ込む。
骸骨系の魔物は、頭部を粉砕し胸骨に包まれた核を抜き一定時間経つか砕いてしまえば魔石に変わる。それは上位も同じで、身に付ける鎧こそ硬いがそれだけだ。
力さえあればごり押せる。
ぱきゃりぱきゃりと卵を潰すように足で頭を潰し、簡易的な魔法で小さな爆発を起こし身体諸共吹き飛ばす。砕けた骨が辺り一面に散らばるが、それらは『消えず』カタカタと小刻みに震えると広間の中央に集まっていく。
ナナシが見守るなか、それは集まり、くっつき。竜のような形をとると、ナナシに向け威嚇するように口を開き身体中の骨を鳴らしながら身体を揺らす。骨の身体だというのにしなやかに伸びた尾が鞭のようにしなり、所構わず打ち付けられ衝撃波と共に砕けた骨や瓦礫が飛ぶ。
砕け飛び散ったそれらはショットガンのように地面や壁を抉る威力を持ち、当然目の前に立つナナシの頬や身体にも掠めるがその身体に傷が付くことはない。
「悪いな。人より丈夫なんだよ」
骸骨竜の身体は巨大だが、巨大が故にその動きはトロい。代わりに中の核が自由に動き回りトドメを刺しづらいのだが、全身を爆破させるなり魔法を貫通させてしまえばすぐに終わる。
今回は誤って迷宮を壊し、更なるイレギュラーを起こす訳にはいかない。なので水魔法をこの骨の塊に浸透させ、中の核を直接潰すことにする。
振り下ろされた腕を避け、うねる尾に跳び乗り背骨を目指す。骸骨竜は皮膜の無いただの骨の翼を広げ、苛立たし気に身体を揺らすが異世界で英雄に鍛えられているので苦でもなく。
あっという間に背骨へと駆け上がったナナシは、魔法で生み出した水を盛大にぶっかけた。
それはみるみる骸骨竜の身体に吸い込まれると、核を目指して動き回る。骸骨竜は身体を崩してはまた再構築し、体内に紛れた異物を排除しようとしているが、水はスライムのように集まりまた身体に戻っていく。
「お前が生きてる個体でも肉の器を持つ個体でもなく、ただの骨の塊良かったよ。これはスプラッタ映画とは別の意味でグロいからな」
声帯のない骸骨竜は声を出せない。カタカタと骨が鳴るだけだ。ただそれでも崩れては再構築し、全身から骨の音を鳴らす姿は苦しんでいるように見える。
しかしそれも一瞬だ。ナナシがその背から跳び降り振り返る頃には、ピタリと動かなくなる。きっと水が核を捕らえたのだろう。
ナナシは骸骨竜に向け手を伸ばす。手から伝わる冷たく硬い感触は核のもので、一切躊躇うことなくそれを握りしめた。骸骨竜からパキりと核が潰された音が響き、次の瞬間にはガラガラと音を立てながら崩れ落ち。
ただの骨の塊となった後に塵と化し全てが消えた。
本来なら魔石が残る筈なのだが、ナナシが先に倒していた骸骨共のも含め1つも残ってはいない。理由は分かっている。この骸骨竜は、ナナシが倒した骸骨共を贄に召喚されたものだからだ。
そしてそんな事が出来るのは不死の魔術師しかいない。
姿を見せずに骸骨共を統率し、新たな形へと昇華させる。これらはリッチの常套手段だ。大方迷宮主として、最奥から指揮しているのだろう。
そうなると何故リッチが下級迷宮に現れたのか疑問が湧くが、もたもたしていれば延々と手下を呼ばれ長期戦になる。多少硬くはなってはいるが、それでもナナシの相手ではないのでその対処自体は余裕だ。
しかしアンデットの蔓延る迷宮に、臭い的にも精神的にも長時間は居たくない。 戦闘慣れしてはいても、結局ナナシは人だ。元日本人だ。ホラー展開は少し苦手なのだ。
早々に思考を放棄したナナシは、すぐに広場の奥の通路へと駆け込む。骸骨竜を倒して間もないと言うのに、そこには既に骸骨達がナナシ目掛けて集まってきていた。もしかたらリッチのいる主部屋が近いのかもしれない。
通路の壁にかかった松明も、赤い炎から青みがかった紫の炎へと変わっている。
骸骨が大量に集まりこの骨の合唱がなければ、薄気味悪い雰囲気も合わさって恐怖を感じていたかもしれない。まぁ、あれだけ骸骨が集まっているのは別の意味で恐ろしく気持ちが悪いが。
「吹っ飛べ」
入ってきた時と同じように骸骨共を風で吹き飛ばし、壁の明かりを目印に進んでいく。迷宮が変化し始めたばかりなのか、ご丁寧に主部屋に続く通路だけあの薄気味悪い炎が並べられているのだ。
迷宮核に意思なんてあるのかは知らないが、もしあるとしたなら間抜けとしか言いようがない。誰だって幾つもの分かれ道の中にこんなに派手な目印があれば、これに従って行くだろう。
もしもこれが罠ならば大したものだと褒めるところだが、残念ながらそんなことはなく。あっという間に最奥の主部屋へと着いてしまった。
しかもリッチは杖を片手に隠れもせず堂々と構えている。リッチの核が水晶のようなものに覆われており、その身から放たれる魔力も濃いのは気にはなるが…自分を見せびらかすかの如く身を晒すのは、悪手だろうが。
『我ハ不死ノ魔術師。我ハ――』
魔術は隙が出来やすい。例え無詠唱で発動したとしても、魔力が言葉を紡ぎ陣を成すこの間が死に直結しかねない。
「発動する前に殺る。それが鉄則だろ?」
言葉を待たずに足を踏み込み、一瞬でリッチの手前まで移動したナナシは構えていた剣で斬り上げた。急所をいきなり攻撃されたリッチは多少は動揺したようで、ナナシと同じく隙を狙って発動しようとした魔術が暴発し騎士のように待機していた骸骨共を襲う。
あちこちで爆発が連鎖的に起こり、身体を吹き飛ばされた骸骨がカタカタと骨を鳴らす。ナナシがここに来るまでに相当な数の罠を設置していたようだ。どうやら危険人物として警戒してくれていたらしい。
お陰で手下達はナナシが手を下さずとも、勝手に自滅してくれそうだ。ありがたい。
『オノレ…!下等生物ガ、調子二乗ルナ!!』
核が硬すぎて冒険者を始めてから愛用していた剣は折れてしまった。結構気に入っていただけに残念だ。
仕方がないので体勢を立て直そうとするリッチの足を魔法で爆破し、すっ転んだところを杖を掴む手ごと踏んづけへし折る。狂ったようにノイズ混じりの耳障りな声で喚き始めるが、それを無視して残りの腕と足も同じく粉砕していく。
全部砕いたら核が見えるように仰向けに寝かし、リッチの上に腰を下ろせば準備完了だ。
「耐久テストといこう」
手始めに核に熱線を当て、熱での破壊を試みる。通常のリッチならばこれで砕けるのだが、今のところこのリッチの核に変化はない。
ならば次は冷線による冷気を試してみる。熱線で熱していたところを急激に冷やしたからか、核から歪な音が聞こえるがそれでも割れはしない。
なら熱と冷気を同時に与えたらどうなる?
片方の手からは熱線、もう片方からは冷線を放ち核の反応を見る。特に反応がない。いつの間にか喚いていたリッチも静かになっており、時折身体が跳ねるがそれだけだ。
一応この攻撃は効いているらしい。
ならばと質力を上げてみれば、呆気なく核は中心から砕けて壊れた。リッチの身体は塵と化し、拳大の魔石がコロンと転がる。今まで倒したリッチが落とした魔石の中で、1番大きい。リッチの召喚魔術で幾つもの魔石が消費されてしまったが、これ1つで元が取れるだろう。嬉しい誤算である。
迷宮の方も迷宮主を倒した事で魔力が安定し、1度大きく迷宮が揺れたものの迷宮内を満たしていた濃い魔力は霧散していく。このまま時が経てば元の迷宮の魔力濃度まで薄まるだろう。
広がった迷宮が元に戻るかまでは分からないが、一先ず当初の任務はこれで完了だ。後は今回の迷宮崩壊で増えた魔物を片っ端から倒していくだけである。
「少し休憩…といきたいところだが、そうもいかねぇみたいだな」
遠くから微かに聞こえる戦闘音は、きっとナナシを追って来た試験官の物だろう。
試験官の実力的に苦戦するような相手は居ないはずなのだが、それにしては戦闘が長引き過ぎている。リッチ以外にもイレギュラーがいたのかもしれない。
いや、いると想定して行動した方がいい。
迷宮の変化といい先程のリッチといい、何かがおかしいのはナナシも分かっている。それが自然由来のものなのか、人の手がかかったものまでかは分からない。
それが断言出来る程、ナナシは異世界の知識が豊富なわけではないからだ。
ただ人の悪意には過敏だ。この時期に狙ったかのような迷宮崩壊。脳裏にチラつく『あいつ』が好きそうな行事である。
人工的に迷宮崩壊を起こすなんて話は聞いたことがないが、もしも仮にこれが本当にあいつの仕業であるなら、そんなふざけた行事は早く終わらせなければならない。
よっこらせと思い腰を上げたナナシは、戦闘音のする方へと歩いていく。
お掃除開始だ。
本来名乗り中は攻撃しないのが暗黙の了解なのですが、相手が魔物なので問答無用です。




