森の異変
翌朝。
蒼真と白金は、町の東にある森へと向かっていた。
昨夜は町の安宿に泊まり、ゆっくりと休むことができた。久しぶりのまともなベッドは、予想以上に快適だった。
「あの森ですね」
白金が指差す先に、鬱蒼とした森が見えた。
「楓の森」と呼ばれる、町の人々の憩いの場だったらしい。だが最近は、妖怪が出ると噂され、誰も近づかなくなったという。
「妖怪の種類は分かっているのか?」
「いいえ。目撃情報も曖昧で……」
白金は支部からもらった資料を確認した。
「『黒い影のようなもの』『獣のような鳴き声』『冷たい風』……どれも具体性に欠けています」
「厄介だな。正体が分からないと、対処のしようがない」
「でも、だからこそ私たちの出番です」
白金は微笑んだ。
「蒼真様なら、きっと解決できます」
「お前、俺を買いかぶりすぎだ」
「そんなことありません」
二人は森の入口に到着した。
「さて、行くか」
蒼真が一歩踏み出そうとしたとき――
「待ってください!」
背後から声がした。
振り返ると、一人の少女が息を切らして駆けてきた。
年は十五、六だろうか。長い黒髪を後ろで結び、巫女装束を着ている。
「あなたたち、これから森に入るんですか?」
「ああ、そうだが」
「危険です! 引き返してください!」
少女は必死の形相だった。
「あの森には、恐ろしい妖怪がいるんです!」
「だから、俺たちが退治しに来たんだ」
蒼真が言うと、少女は驚いた。
「退治……? あなたたちが陰陽師なんですか?」
「ああ」
少女は蒼真を上から下まで見た。
「でも……こんなに若くて……」
「若くても、実力はある」
白金が胸を張った。
「この方は、とても優秀な陰陽師です」
少女は迷っているようだった。
「……私も、一緒に行きます」
「え?」
「私、この近くの小さな神社の巫女見習いなんです」
少女は自己紹介した。
「朝霧と言います。あの森で、妖怪に襲われて行方不明になった人がいるんです」
「行方不明……?」
「はい。私の、幼馴染が……」
朝霧の目に涙が浮かんだ。
「だから、お願いします。私も連れて行ってください。何か、手伝えることがあるかもしれません」
蒼真は白金と顔を見合わせた。
「どうする?」
「……連れて行きましょう」
白金が頷いた。
「彼女の幼馴染のこと、詳しく聞けるかもしれません」
「分かった」
蒼真は朝霧に向き直った。
「いいだろう。ただし、危険な時は必ず俺たちの言うことを聞くこと」
「はい! ありがとうございます!」
朝霧は嬉しそうに頭を下げた。
三人は森の中に入った。
森の中は薄暗く、木々が密生している。地面には落ち葉が積もり、足音が妙に大きく響いた。
「朝霧、お前の幼馴染はいつ行方不明になった?」
「三日前です」
朝霧が答える。
「彼は薬草を採りに、この森に入ったんです。でも、夕方になっても戻ってこなくて……」
「町の人たちは捜索しなかったのか?」
「しました。でも、何も見つからなくて……」
朝霧は俯いた。
「まるで、森に消えてしまったみたいに……」
「消えた……」
蒼真は周囲を警戒しながら歩いた。
確かに、この森には不穏な空気がある。妖気とは違う、何か別の……
「蒼真様」
白金が立ち止まった。
「どうした?」
「この先、何かいます」
白金の耳がピクリと動く。
「妖怪……ではないですが……」
「妖怪じゃない?」
その時、前方から何かが現れた。
それは――人だった。
いや、人の姿をした何か。
「あ……あれは……!」
朝霧が叫んだ。
「裕太! 私の幼馴染の裕太です!」
確かに、それは人間の姿をしている。だが、その目は虚ろで、まるで魂が抜けたようだった。
「裕太! 裕太!」
朝霧が駆け寄ろうとする。
「待て!」
蒼真が朝霧を止めた。
「あれは、お前の知っている人間じゃない」
「でも……」
「見ろ」
蒼真が指差す先で、裕太の身体が変化し始めていた。
皮膚が黒く変色し、目が赤く光る。
「グルルル……」
獣のような声が、裕太の口から漏れた。
「嘘……裕太が……妖怪に……?」
「違う」
白金が厳しい表情で言った。
「あれは妖怪ではありません。『憑依体』です」
「憑依体?」
「神喰いの欠片が人間に取り憑き、操っているんです」
白金は九本の尾を広げた。
「急いで欠片を取り除かないと、彼の身体が完全に蝕まれてしまいます」
「分かった」
蒼真は短刀を抜いた。
「朝霧、下がってろ」
「で、でも……」
「大丈夫だ。必ず、助ける」
蒼真の言葉に、朝霧は頷いた。
「グオオオォォ!」
憑依された裕太が、蒼真に襲いかかってきた。
その動きは、人間離れしていた。
「速い!」
蒼真は裕太の攻撃を避ける。
「白金、彼を傷つけずに欠片を取り除く方法は?」
「あります!」
白金が印を結ぶ。
「■■■(浄化の光)!」
白金の手から、柔らかな光が放たれた。
それは裕太を包み込む。
「ギィィィ!」
裕太の身体から、黒い煙のようなものが抜けていった。
「今です! 蒼真様!」
「ああ!」
蒼真は黒い煙に向かって、霊力を込めた拳を叩き込んだ。
ドッ!
黒い煙が消滅する。
裕太の身体から力が抜け、地面に倒れた。
「裕太!」
朝霧が駆け寄り、裕太を抱き起こす。
「裕太! しっかりして!」
「う……朝霧……?」
裕太が目を開けた。
「よかった……生きてる……」
朝霧は泣きながら、裕太を抱きしめた。
「一人、助けられたな」
蒼真は安堵のため息をついた。
だが、白金の表情は晴れない。
「蒼真様、これは始まりに過ぎません」
「始まり?」
「この森には、まだ神喰いの欠片がたくさんあります」
白金は森の奥を見つめた。
「そして、その源が……」
森の奥から、強大な妖気が立ち上った。
「来ます……!」
白金の警告と同時に、巨大な影が現れた。
それは――
鹿だった。
だが、普通の鹿ではない。全身が腐敗したような黒い皮膚に覆われ、角は禍々しく歪んでいる。
「神鹿が……神喰いに……!」
白金が叫んだ。
「まずい……神獣級です!」
神鹿が咆哮した。
その声は、森全体を震わせた。
蒼真の本当の試練が、今、始まろうとしていた。




