広がる噂
事件から三日後。
楓の町は、平穏を取り戻していた。
陰陽師支部では、影の残骸についての調査が進められている。橘の報告によれば、影は神喰いの欠片が変異したものだったらしい。
「蒼真様、見てください」
宿の部屋で、朝霧が窓の外を指差した。
「何だ?」
蒼真が窓に近づくと、宿の前に人だかりができていた。
「あれが、噂の陰陽師か?」
「若いのに、神獣と契約してるらしいぞ」
「影を倒したって本当か?」
ざわざわと、人々が話している。
「うわ……」
蒼真は頭を抱えた。
「噂、広まりすぎだろ……」
「仕方ありませんよ」
白金が笑いながら言った。
「陰陽師三人を殺した影を倒したんですから。英雄扱いされるのは当然です」
「英雄なんて柄じゃない……」
蒼真は窓から離れた。
目立ちたくない。天御柱家に見つかるかもしれない。
だが、もう遅かった。
蒼真の名は、確実に広まり始めていた。
「蒼真様」
白金が真剣な顔で言った。
「そろそろ、この町を出ましょう」
「出る……?」
「はい。これ以上ここにいれば、もっと注目されます」
白金は地図を広げた。
「次の町に向かいましょう。まだまだ、やるべきことがあります」
蒼真は地図を見つめた。
楓の町から東に五日ほどの場所に、「水鏡の都」と呼ばれる大きな都市がある。
「水鏡の都か……」
「そこには、四大神社の一つ『青龍神社』があります」
白金は説明した。
「もし、より高度な修行をしたいなら、そこがいいでしょう」
「でも、四大神社って……」
蒼真は躊躇った。
四大神社は、天御柱神社と同格の存在だ。自分のことを知っている者がいるかもしれない。
「大丈夫ですよ」
朝霧が優しく言った。
「蒼真様は、もう天御柱じゃありません。ただの蒼真様です」
「朝霧……」
「それに、私たちがついています」
朝霧は笑顔を見せた。
「何があっても、一緒です」
蒼真は二人を見た。
白金も朝霧も、真っ直ぐに自分を見つめている。
「……分かった」
蒼真は頷いた。
「水鏡の都に行こう」
出発の準備をしていると、橘が宿を訪れた。
「お話があります」
橘は蒼真たちを部屋に招き入れた。
「実は、支部から正式な依頼です」
橘は一通の書簡を取り出した。
「水鏡の都で、奇妙な事件が起きているそうです」
「奇妙な事件?」
「はい。都の周辺で、神社が次々と襲撃されているとか」
橘の表情は深刻だった。
「しかも、神社に祀られていた神器が盗まれているそうです」
「神器……」
白金が眉をひそめた。
「それは、神々の力が込められた聖なる品。それが盗まれるとは……」
「青龍神社も警戒していますが、人手が足りないそうです」
橘は蒼真を見た。
「そこで、あなた方に調査を依頼したいと」
「俺たちに?」
「はい。報酬は、銀貨百枚です」
「百枚……!」
朝霧が驚いた。
それは、かなりの高額だ。
「ただし、危険な任務です」
橘は真剣な顔で言った。
「無理だと思ったら、断っても構いません」
蒼真は少し考えた。
どうせ水鏡の都に行くつもりだった。それなら、依頼を受けるのも悪くない。
「分かりました。受けます」
「本当ですか!」
橘は安堵の表情を見せた。
「ありがとうございます」
橘は書簡と、紹介状を蒼真に渡した。
「この紹介状を青龍神社に見せてください。協力してくれるはずです」
「分かりました」
蒼真は書簡を受け取った。
「では、明日の朝、出発します」
翌朝。
町の東門には、見送りの人々が集まっていた。
「気をつけてな!」
「また戻ってきてくれよ!」
「頑張ってください!」
村人たちが、口々に声をかけてくる。
「ありがとうございます」
蒼真は何度も頭を下げた。
橘も見送りに来ていた。
「蒼真さん」
橘は蒼真の肩に手を置いた。
「あなたは、本当に優秀な陰陽師です」
「いえ、まだまだです」
「謙遜しないでください」
橘は微笑んだ。
「あなたなら、どんな困難も乗り越えられる。そう信じています」
「……ありがとうございます」
「それと」
橘は小さな袋を差し出した。
「これは、私からの餞別です」
「え?」
蒼真が袋を開けると、中には護符が入っていた。
「身代わりの護符です。一度だけ、致命傷を防いでくれます」
「こんな貴重なものを……」
「構いません」
橘は首を振った。
「あなたには、生きていてほしいから」
蒼真は護符を懐にしまった。
「大切に使わせてもらいます」
「では、お元気で」
橘は深く頭を下げた。
蒼真たちは、町を後にした。
振り返ると、橘や町の人々が手を振っている。
「いい町だったな」
「はい。また、いつか戻ってきたいですね」
白金が微笑んだ。
「ああ」
蒼真は前を向いた。
次の目的地、水鏡の都。
そこで、どんな出会いが待っているのか。
蒼真の旅は、まだまだ続く。
三日後。
蒼真たちは、広大な平野を歩いていた。
天気は良く、心地よい風が吹いている。
「蒼真様、少し休憩しましょう」
朝霧が提案した。
「そうだな」
一行は道端の木陰で休むことにした。
朝霧が水筒を取り出し、皆に配る。
「ふう……」
蒼真は水を一口飲んだ。
旅は順調だ。このペースなら、あと二日で都に着くだろう。
「蒼真様」
白金が突然、立ち上がった。
「どうした?」
「誰か来ます」
白金の耳がピクリと動く。
「敵か?」
「分かりません。でも、かなりの霊力を持っています」
蒼真は警戒して立ち上がった。
すると、道の向こうから一人の人影が現れた。
それは――
少年だった。
年は十五、六だろうか。短い黒髪に、鋭い目つき。陰陽師の装束を着ている。
「おい、そこの奴」
少年は蒼真を指差した。
「お前が、蒼真ってやつか?」
「……ああ、そうだが」
蒼真は警戒を緩めない。
「何の用だ?」
「用だと? 決まってるだろ」
少年は不敵に笑った。
「お前を、倒しに来たんだ」
「倒す……?」
「ああ。最近、お前の噂ばかり聞いてムカついてな」
少年は霊力を練り始めた。
「無所属の若造が、神獣と契約しただの、影を倒しただの……」
少年の周囲に、赤い炎が揺らめいた。
「そんな奴が本当に強いのか、確かめてやる」
「待て。俺は戦うつもりは――」
「問答無用だ!」
少年が手を翳した。
「■■■(炎龍召喚)!」
少年の背後に、巨大な炎の龍が現れた。
「式神……!」
「行け、炎龍!」
炎龍が蒼真に向かって火炎を吐き出した。
「くそっ!」
蒼真は横に飛んで避ける。
火炎が地面を焦がした。
「白金! 朝霧! 下がってろ!」
「でも……!」
「いいから!」
蒼真は短刀を抜いた。
少年は強い。その霊力は、今まで戦ってきた誰よりも強大だ。
「さあ、こい!」
少年が挑発する。
「お前の実力、見せてみろ!」
蒼真は深く息を吸った。
戦うしかない。
だが――
(この少年、何か違和感がある……)
蒼真は少年の瞳を見た。
そこには、怒りではなく――
寂しさがあった。
「……分かった」
蒼真は構えた。
「本気で行くぞ」
「望むところだ!」
二人の陰陽師が、激突した。
平野に、炎と光が舞い踊る。
蒼真の新たな出会いは、こうして始まった。




