7 謁見
遊学といえども他国の王女である以上、まずは国王に挨拶はしなければならない。
一緒に帰国の挨拶をするはずだったクラリスは行かないと言う。
「ルシィの挨拶は明日の午後になったそうよ。私の挨拶は公爵様が『里帰りしただけだから、わざわざ行かないでいい。陛下には私から言っておく』とおっしゃるの。悪いけれどあなた一人で行って」
「確かにそうですね。わかりました」
クラリスの夫、クレイグ・ヒックス公爵は先の国王の弟で、現在の国王に対して遠慮なくものを言えるらしい。ふと(私をネンネさんと言う中尉は一体何歳なの?)と思った。
「お姉さま、中尉が何歳かご存じですか?」
「中尉のことは二十八歳の走竜乗りと公爵様がおっしゃっていたと思うけど。なぜ?」
「いえ、別に」
ネンネさんと言われた経緯を話す気になれず、ルシィはそこで話を打ち切った。五歳差は自分とメルヴィンの差と同じだ。
(あの外見ならいくらでも女性は寄ってくるのでしょう。からかったのではなく、本当に私が幼く見えたのかもしれないわね)
翌日の午後に城を訪問したルシィの装いは、瞳の色に合わせた鮮やかな緑色のドレスだ。背中は大きく開いていて、ウエストから下は少しの動きにも揺れ動く薄い布が何重にも重なってゆったりと広がっている。
温暖な気候のこの大陸では、女性のドレスは昼夜を問わず涼しいデザインが好まれている。
謁見室に入ってきた国王オーギュスト・ヒックスは三十三歳の堂々とした体格の男だ。
大きく波打つ茶色の髪を肩の辺りまで伸ばしていて、瞳も明るい茶色。大きめの口は唇が薄く、目元には笑みが浮かんでいて一見すると愛嬌があるように見える。
「ルシィ王女、ようこそヒックス王国へ。前回に続き素晴らしい走竜を譲ってもらえたことに感謝する。先ほど見てきたが、ウーはさっそくシエラと馴染んでいたよ」
「ウーはシエラの妹ですので、二頭の相性に問題はございません。シエラの様子を見れば、あの子がこの国で大切にされていることがわかります。シエラを大切に飼育してくださっていることに感謝いたします」
「ルシィ王女は旅の間、ウーに乗って移動したそうだね」
「はい。ウーのことが少々心配だったものですから」
「ステグナン中尉は頼りにならなかったのかい?」
「いえ、決してそんなことはございません。高額な代金を頂いておりますので、万が一にも道中で事故があってはならないと思いました」
そこでルシィは気を引き締めて本題に入った。
「この国に滞在させていただきます。よろしくお願いいたします」
「もちろん歓迎する。アデラ女王の手紙も受け取った。期間は二年だそうだね?」
「はい、陛下」
国王がわずかに首を傾げ、目元に笑みを浮かべて話しかけてきた。
「姫の婚姻は取り消しになったのかな?」
「はい、陛下」
「王女の結婚が取り消しになったとなると、よほどのことがあったんだろうね」
それはこの瞬間まで、家族以外の人が気を使って口にしなかった話題だ。謁見でこの話が出ることを想定すべきだったのに、ルシィは油断していた。
「それは……」
ルシィは真実の一部分だけを話すことにした。
婚約者が生まれた時からの幼なじみだったために、姉のような気持ちで相手に接していたこと。
相手も自分を姉のように思っていたこと。
それでも相手は結婚する覚悟だったが、申し訳なくて自分から婚約を解消したこと。
サシャのことだけは完璧に取り除いた説明をした。すると国王は面白い話を聞いた、という顔をしている。
「なるほど。ルシィ姫は王女でありながら、結婚に愛を求めたのだね?」
「私は国のための結婚は期待されていませんでした。それゆえ、わがままを申しました」
「なるほど」
ルシィは微笑みを浮かべたまま、一刻も早く謁見が終わることを願った。
今はひたすらウーとシエラに会いたかった。国王は含みのある表情でルシィを見ている。
(私の隠し事なんてお見通しね)と思ったが、笑顔で通した。
「そうか。わかった。二年間、我が国で楽しく過ごしてくれるよう期待する」
「ありがとうございます」
部屋を出るとフィリップが待っていた。
「中尉? どうしたの?」
「もしかすると走竜と旅の経緯について陛下から質問があるかもしれないと上官に言われたのですが、質問はなかったようですね。公爵家までお送りします」
「公爵家に帰るのは、ウーとシエラに会ってからでもいいかしら」
「もちろんです」
ルシィは少々落ち込んでいた。
自国にいれば婚約解消が興味の対象にされるし、メルヴィンに会うのも気まずいと考えて出国を歓迎していた。
だが実際は他国に来たところで興味は持たれると気づいたのだ。ルシィの口から思わず言葉が漏れた。
「仕方ないことね」
「何がですか?」
「いろいろな事情を隠していい子ぶりましたが、そんなことは無駄だと悟りました。陛下は遊学の理由をお見通しだった気がします」
「陛下の前でいい子のふりをしたのですか?」
飼育舎の前で足を止め、ルシィはフィリップを見上げて冷めた顔で笑った。
「ええ。いい子のふりをしました。中尉にご兄弟は?」
「弟と妹がいます」
「長男なのね。私には優秀な姉が二人いて下に弟がいます。両親は念願の男児が生まれてからも私たち姉妹を愛してくれましたが、子供時代の私は無意識にいい子でいたほうが愛されると判断したみたい。弟が生まれてから、私はいい子にしなきゃってずっと思っていたわ」
飼育舎の中から、ウーとシエラの「カカカッ」「キュウウウウ」という甘えた声が聞こえてくる。
ルシィの理性が(余計なことまでしゃべっているぞ)と注意してくるのに、謁見で婚約解消のことを聞かれて心が波立っているせいか、言葉が止まらない。
「結婚したら私を一番に見てくれて一番に愛してくれる家族ができる、と思っていました。でも、婚約者は私じゃなくて、小さくて細くて、なにかあれば怖がって震えるような女性を好きになったの」
「ルシィ様は今もその婚約者を?」
「ええ。一番の想定外は、裏切られてもまだ、私が彼を嫌いになれないことね」
(みっともない。なぜこの人にこんなことまでしゃべっているのだろう)
飼育舎に入ると二匹の走竜は何度も頭を上下させ、尻尾を振って喜んでいる。ルシィはウーを撫で、続いてシエラを撫でた。
「私はこれから帰るけれど、あなたたちはいい子にしているのよ? 明日、一緒に走りましょう」
二匹の走竜の顔を気が済むまで撫でてから背を向けた。フィリップが「お送りします」と声をかけて公爵家の馬車に同乗した。
「元気を出してください。変わりたいのでしょう?」
「そう思っていますが、変われるかどうか」
「ルシィ様が本気なら、変われますよ」
(なぜあなたが自信たっぷりなの?)と顔を見上げると、フィリップが微笑んでいる。
「私は父の反対を押し切り、軍人になりました。父は私が軍で出世を目指すと思ったらしいですが、途中で走竜乗りになりましたからね。すっかり落胆していますよ」
「そう……」
フィリップの言葉から、この国では走竜乗りになることが出世の道から外れることだと気づいた。
「もしよろしければ、明日は走竜に乗って少し遠くまで出かけませんか。シエラは海岸を走るのが好きです」
「ええ、行きましょう。つまらない愚痴を聞かせてごめんなさい」
「いくらでも聞きますよ」
あの程度の謁見では疲れないと思っていたが、国王とのやり取りでかなり疲れていた。長旅の疲れもまだ残っている。
(中尉に疲れた姿を見せるわけにはいかない)
寄りかかっていた背もたれから離れようとすると、フィリップが「私は外を見ていますから、どうぞ寛いでください」と言う。ルシィは「そういうわけには」と言いながらも、目を閉じたらすぐに眠ってしまった。
寝顔を見ないと言っていたフィリップは、しばらくしてからルシィの顔を見た。
(謁見で何か言われたんだろうなぁ。木の下でしょげていた時は途方に暮れた少女のようだったが、今回も……。陛下は悪い人じゃないが、俺以上に遠慮のない人だから。お疲れ様でしたね、ルシィ姫)
フィリップの顔に労わりの表情が浮かんでいる。