5 変わりたい
ヒックス王国に向かう一行の中ほどには走竜ウー。その背中にはルシィ。フィリップの乗る馬はウーの隣を歩いている。馬車でルシィとおしゃべりしながら旅をするつもりだった姉のクラリスは、不満たっぷりだ。
「どうしてルシィがずっとウーに乗っているの? そのために中尉がわざわざ来ているのに」
「この中でウーと一番仲がいいのは私ですから。ウーは慣れない環境で不安だと思うんです。道中で何かあっては困るので、中尉にお願いして旅の間だけは私がウーを引き受けることにしたんです」
「はあ……。わかったわ。残念だこと」
譲る気配のないルシィに、クラリスはため息をついた。
ルシィがウーの背中に乗って伏せると、ウーが振り返って匂いを嗅いでくる。ルシィがそのウーの鼻面を撫でた。なんとなくルシィの様子を眺めていたフィリップの目に、楽しそうな笑顔が飛び込んできた。
(真面目が服を着ているような王女様だが、笑うと幼くて愛らしい感じになるんだな)
「ウー、ヒックス王国まで一緒だからね。安心して」
「カカカッ」
威嚇するときは腹に響くような大音量で叫ぶウーだが、甘えているときは喉の奥から可愛らしい声を出す。フィリップに付き従ってきた軍人たちが、ルシィとウーのそんな様子を見ていた。彼らは走竜に近づかないものの、興味はある。
「走竜はあんな甘えた声も出すんだな。中尉が乗っている走竜はあんな鳴き方をしてたか?」
「いや。俺は聞いたことがないな」
「やっぱり走竜国の王女様はすごいな。あの走竜がまるで子犬みたいに懐いている」
ヒックス王国の軍人たちは馬を進めながら、そんな話をしている。聞こえてしまったフィリップは考え込んだ。たしかにフィリップが乗っているシエラはあんな声で鳴いたことがない。ヒックス王国で唯一の走竜乗りとしては、(シエラは俺に心を許していないのか?)と心配になった。
一行は順調に距離を稼ぎ、休憩時間になった。ルシィは地面に伏せて休んでいるウーの首筋を撫でていて、ウーは気持ちよさそうに目を細めている。
ルシィに近寄ってきたフィリップが笑顔で話しかけてきた。
「仲良しで羨ましい限りです。走竜と仲良くなるコツがあったら教えていただけませんか」
「個体によって喜ぶことは多少違いますが、どの走竜も人間に優しい声で話しかけられることが好きです」
「王女様は頻繁に話しかけるのですね?」
「ええ。走竜は母性愛の強い動物で、母竜は子竜に優しく語りかけて育てます。だから私も真似をするの」
話をしながらも、ルシィはウーを撫でている。
「孵化した時から人に慣れさせるレーイン王国ならではの知識ですね。シエラも穏やかな性格と聞いていたのですが、大人の走竜に主と思ってもらうのは、なかなか大変でした。王女様は走竜が怖くないのですか?」
「今はもう怖くないわ。私、走竜の美しくて強いところが大好きなの」
ウーがゆっくり立ち上がった。遠くにいる牛が気になったらしい。ルシィは鐙が取り付けられている革のベルトに手をかけた。そのままジャンプして鐙につま先をかけ、次の瞬間にはウーに跨っていた。流れるような動作が美しくて、フィリップは思わず目を奪われた。
「ウーに水を飲ませに行きますが、中尉もウーに乗りますか」
「はい。ぜひ」
ルシィが首を軽く叩くとウーが再び低い姿勢になり、フィリップがルシィの後ろに乗った。
「一人用の鞍なので、私にしっかりつかまってください」
「失礼します」
ルシィよりも頭ひとつ背の高いフィリップが背後に乗って、ルシィの腰に手を回した。長いこと二人乗りをしていなかったルシィは、フィリップに後ろから包まれるような形になってから慌てた。
(そうだった。二人乗りすればこうなることをすっかり忘れていた)
それでも平然とした顔でウーを操り、川に向かう。軍馬たちは水を飲み終わっていて、川にはもう誰もいない。川岸でウーから降り、二人は木陰に腰を下ろした。鞍を外されたウーは川の中に入って気持ちよさそうに水浴びをしている。
「私のことは王女様ではなく、ルシィと呼んでください。遊学も、本当のところは婚約解消を願い出た罰で行くのです」
「罰でもなんでも、二年間は自由ですね」
一瞬ぽかんとしたルシィが「確かに」とつぶやいた。
「自由……。しかも二年間も。こんなこと、もう一生ないかもしれないわね」
水遊びしているウーを眺めながら、ルシィが思わず微笑んだ。
「少しは元気が出たみたいですね。よかった」
「私、元気がないように見えましたか?」
「ええ、シオシオに萎れて見えました」
「シオシオ……」
こんなにズケズケとした物言いをされたのは初めてで、呆気に取られてしまう。
「ルシィ様は作り笑いより、自然な笑顔の方が愛らしい」
「作り笑い……」
「言葉が過ぎましたね。申し訳ありません。私は嘘とおべんちゃらが言えないものですから」
そう言ってフィリップが笑う。その悪びれない笑顔に、つられてルシィも笑ってしまった。
「もう遊学の成果がひとつありました。あなたのように遠慮せず正直なことを言ってくれる人は、レーインにいれば出会えなかったもの」
「ははっ。私はルシィ様が初めて出会った遠慮のない男なんですね。光栄です」
ルシィが思わず噴き出した。森の広場でメルヴィンとサシャを見て以来、本気で笑ったのは初めてだ。
フィリップが何げない感じに自分のことを話し始めた。
「今でこそ私は図体がデカいのですが、昔は小さくてガリガリでした。実家もたいして力のない伯爵家でしたので、まあ、よく虐められましたよ。学院時代の私は、何も言い返せずやり返せない気弱な子供でした」
「とても……信じられませんが」
「十二歳頃からグングン背が伸び始めましたが、まだヒョロヒョロのガリガリでした。私は途中から体を鍛えまくり、拳闘も学びました。身長は二十三歳まで伸び続けて、こんな体格に」
今のフィリップは胸板が厚く、まくった袖から出ている腕は逞しい。
「私がデカく強くなって自信をつけたら、周囲の態度が変わりました。散々私をいじめていた連中は私を見るとこそこそ避けるようになったんです。自分が変わると周囲の態度も変わると学びました。ルシィ様、人間は自ら変わろうと思えば変われるんです」
「私、自分が好きじゃないし自信もないの。私も変わることができるかしら」
「できます。ヒックス王国はルシィ様を知らない人ばかりです。好きな自分に変わるいい機会ですよ」
暗く沈んでいたルシィの胸の中に細く光が射した。
「中尉、私の肩に力が入っていたら、容赦なく指摘してくれますか」
「お任せを。ズケズケと指摘するのは得意です。それでよく女性に嫌われています」
そう言ってフィリップは楽しげに笑った。