30 走竜姫の結婚式
結婚式まで二か月を切ったある日。
フィリップとデニス、ルシィとナタリーという組み合わせで走竜に乗り、四人は海岸に来ていた。
昨日は海が荒れていたから、海岸にはいろんなものが打ち上げられている。
前を歩いていたシエラが足を止めて何かを覗き込んだ。デニスが身軽に飛び下りて光を反射しているものを手に取り、フィリップを見上げた。
「すごい! 金貨だよ! 遺物保管庫で見たのと同じだ!」
「太古の金貨ですか。いいものを見つけましたね」
「これ、僕の宝物にできないかなあ」
「殿下、遺物を拾ったら届け出るのが規則ですよ?」
「だよねえ。それにしてもきれいだなあ。ぜんぜん錆びていない」
「重い金貨が単品で打ちあがるのは珍しい」
「中尉、あれを見て」
ルシィが指さす前方に、割れた壺のようなものが転がっている。そしてその周囲に散らばって光を反射するたくさんの小さなもの。それもまた金貨だった。金貨を全員で拾い集めながら、ルシィがフィリップと話している。
「試練の時代が始まった頃、人々は先を争って財産を金に換えたそうですね」
「さぞかし金の価格が高騰したでしょう」
「この金貨の持ち主は間違いなく裕福だったわね」
「そして財産を使うことなく人生を終えたわけです」
そんな話をしているところへ、軍人が馬で駆け付けた。
「ルシィ様、陛下がお呼びです」
「私? わかりました。すぐに戻ります」
城に戻ると、国王が手紙を手に待っていて、「ルシィ姫、アデラ女王から手紙が来た。読んでごらん」と親書を箱ごと渡された。オーギュスト国王がご機嫌だ。
手紙にはアデラの字で「ルシィを民として迎えてくれたお礼に走竜を贈りたいが、手間と費用がかかる生き物なので不要な場合は遠慮なく断ってほしい」と書いてある。
「女王は太っ腹だな。姫の結婚祝いに走竜をくれるそうだ」
「急な提案で、ご迷惑ではありませんか?」
「迷惑なものか。レーイン以外で走竜が三頭もいるのは我が国だけになる。嬉しいよ。問題は乗り手の確保だな」
「それでしたら陛下、ナタリー・ドルエ伯爵令嬢が現在、毎日訓練しています。このままいけば、十分走竜乗りになれると思います」
国王は一瞬驚いた顔をした。貴族の娘が走竜の飼育舎に通っていると聞いた覚えはあるが、見物に通っているものと思い込んでいた。
「伯爵令嬢が走竜に乗っているのか?」
「はい」
オーギュストが「ふっ」と笑った。
「変化はいつも小さなきっかけから始まり、畳みかけるように訪れるものだ。この先、走竜乗りを希望する女性が続々現れる気がするよ。そしてきっかけを作ったのはルシィ姫、君だ」
「そう……でしょうか」
「私の勘はよく当たるんだ。姫はこの国を変える流れの、最初の一滴になるだろう」
◇
国境警備の軍人が慌てふためいている。
「あれはどういうことだ? レーイン王国の侵攻か?」
「そんなわけないだろ、レーインの第三王女がもうすぐ結婚だぞ?」
「だってあれ……」
「いくらなんでもあの数で侵攻はないだろう。だが上に報告だ」
軍人が双眼鏡で見ている方向から、走竜の集団が近づいてくる。その数七頭。軍人の数は数十名。
◇
公爵家で、ルシィが母アデラを前にして呆れている。
「お父様がいらっしゃると聞いていましたのに、お母様がいらっしゃるとは。公務は大丈夫なのですか?」
「大丈夫よ。モーリスも来たがっていたけれど、さすがにそれはね」
「しかもお母様が走竜に乗っていらっしゃるとは。走竜に乗るのは久しぶりだったでしょう?」
「十五年ぶりだったわ。でも、リュートは賢い子なので楽でしたよ」
「えっ! リュートですかっ! リュートはどこに? 飼育舎ですか? 飼育舎ですよね? 私、会いに行ってきます!」
飛び出していったルシィを見送って、アデラとクラリスが苦笑している。
「いいんですか? レーインは温厚さを第一にシエラとウーを選んだのでしょう? リュートは走竜の中でも戦闘能力が飛び抜けて高い子だと聞いていますが」
「そうね。他国に渡すのは惜しいという声が多かったわ。でも、リュートがルシィを恋しがって元気がなくてね。リュートを贈るのが一番だと思ったのよ。ルシィのためにも、リュートのためにも」
ルシィが飼育者に駆け付けると、フィリップとレーインの走竜乗りの女性が飼育舎の前で立ち話をしていた。
「キャンディス少尉! あなたが来てくれたのね」
「ルシィ様、お久しぶりでございます。リュートを連れてきましたよ」
ルシィが飼育舎に駆け込むと、そこには頭を上下させて喜んでいるリュートがいた。
ルシィが駆け寄り、その首に抱きつく。リュートは「カカカッ」と甘えた声を出して喜んだ。その様子をフィリップとキャンディスが微笑んで眺めている。
「どちらも嬉しそうだ」
「リュートはルシィ様が孵化のときから世話をし続けた走竜なんです。姫様はリュートを溺愛なさっていましたから」
「私の勘違いでなければ、リュートはかなり上位の個体なのでは?」
「お気づきですか。リュートはとても優秀な子です」
それはリュートを飼育舎に入れた時、すぐわかった。
シエラとウーはリュートを見ると一歩下がり、頭を下げ、視線をリュートから逸らした。「あなたと争う気はありませんよ」という態度の二頭を前にして、リュートはひと声吠えた。たったこれだけで上下関係を決める儀式は終了したのだった。
◇
結婚式当日。王都の大通りにはたくさんの見物人が集まっていた。
今まで、走竜の行進を目にするのはレーイン王国と戦う国の軍人だけ。ヒックス王国の人間は全員が初めて走竜の行進を見る。
皆がそわそわしながら楽しみにしていた。
「来た!」
王城の方から走竜が八頭歩いてくる。先頭はリュート。その上には、真っ白なドレスを着たルシィが横座りしている。
リュートの後ろにはレーインの走竜が二列に並んで行進していて、乗っているのは全員女性だ。
レーインの走竜乗りの女性たちは青い軍服の胸に勲章をびっしりと並べている。アデラの指示で今日はそれぞれが髪を下ろし、風になびかせていた。
見物していた民は、走竜に乗っているのが女性たちであることと、その姿の凛々しさに見とれた。
最後尾はウーに乗って歩いているナタリーだ。ナタリーは堂々とウーを操っている。
高台にある真っ白な教会の前で、シエラに乗ったフィリップが待っていた。
灰色の長髪を風になびかせ、式典用の白い軍服にびっしりと勲章をつけているフィリップは、絵画のように美しい。
集まっていた全女たちが「なんて美しい」「神々しい」「素敵ねえ」とフィリップに目を奪われているところへ、ルシィが到着した。
「あら?」「どういうこと?」
シエラはリュートが近づいてくると、上位者であるリュートに対して素早く頭を下げた。フィリップは「おっとっと」と背中の上でバランスを取っていたが、諦めてシエラから降りた。
それを見たルシィもリュートからひらりと飛び降り、笑顔でフィリップに歩み寄る。
結婚式は教会の庭で行われた。
式は華やかに執り行われ、デニス王子が参加して祝いの言葉を述べた。王族が臣下の結婚式に出席するのはヒックスの過去に例がない。
九頭の走竜が一列に並んで参加した結婚式は、人々の間で長く話題になった。
その式場にマルグリットが参加していたことには誰も気づかなかった。
マルグリットは「命の恩人の結婚式ですよ? 必ず参加しなさい」と王太后グラディスに言われての参加だった。
侍女服を着て他の侍女たちに紛れて参加したマルグリットは、涙も出ない自分に苦笑していた。
(なんだ、諦めてしまえばこうして冷静に眺められるものなのね。私、なんであんなに中尉に執着し続けたのかしら)
最近は王太后グラディスに仕えることが案外楽しい。
厳しく叱られることは、思っていたほど苦痛ではない。グラディスが自分のことを思って注意してくれているのを感じられるからだ。
「相手の気持ちを思いやることが、人と接する時の基本ですよ」と何度も言われた。
そんなことを言ってくれる人は今まで一人もいなかったから、母親や祖母とはこういう感じなのだろうか、と思ったりする。
最近ではグラディスに「叱られているのに嬉しそうな顔をするのはおやめ!」と注意されている。
◇
リュートが来たことで、ルシィはリュートに乗り、フィリップはシエラに乗っている。
ウーはナタリーとデニスが交代で乗り、二人乗りすることもある。
「楽しいですねえ」と笑顔で言うナタリーは筋肉がつき、動きが滑らかになった。
「楽しいよねえ」と同意するデニスは、走竜乗りとしてぐんぐん腕を上げている最中だ。今日は海岸を走らせているが、ウーが全力で走っても二人の頭が左右に揺られることはない。頭の位置は一定している。
「ナタリー、さっきウーと岩から飛び降りましたね。飛び降りたのは初めてじゃない?」
「はい、ルシィ様。ウーが飛び降りたいって訴えた気がしたので、任せてみました」
ついさっき、ウーはナタリーを乗せて人間の背丈の二倍ほどの岩から飛び降りた。
その時デニスは乗り手を交代して見学していたから、羨ましそうな顔で「いいなあ。僕も早くウーに乗って飛び降りてみたい」とつぶやいた。フィリップが苦笑しながらたしなめた。
「殿下は無理せず、ゆっくり上達してください」
「僕の目標はルシィ姫だからね。のんびりするつもりはないよ」
「殿下、私はもう姫ではありません。ルシィと呼んでください」
「そうなんだけどね、初めて走竜に乗っているルシィ姫を見たとき、おとぎ話のお姫様を見たと思ったんだ。その美しさに感動したんだ。あの日以来、僕の中ではルシィ姫はいつまでもお姫様なんだ」
「わかりま……」
途中で言葉を切ったフィリップが立ち上がり、走竜の方へと去ってしまった。
しまった! というフィリップの表情に気づいたのはルシィだけだ。
夜、新居に戻ったルシィが、湯あみをしてくつろいでいるフィリップに何気なく問いかけた。
「今日、海岸で何かを言いかけて途中でやめましたよね? なにを言いかけたの?」
「あれは……。あまり言いたくないのですが」
「あら、気になるわ」
だが問い詰めない。ルシィは(いつか聞かせてもらえたらいいわねえ)と思う。
フィリップが海岸で言いかけたのは「わかります。私もレーイン王国で彼女が走竜に乗って海岸を走っている姿を見たとき、物語のお姫様みたいだなと思ったのです」という言葉だ。
一瞬で胸を撃ち抜かれたものの、もうすぐ結婚する女性だったと思いだし、それ以降はその気持ちを捨てた……つもりだった。
ルシィが「そうそう」と話を続けた。
「お母様が、私に子が生まれてその子が望むなら走竜を一頭プレゼントすると手紙に書いてきました」
「俺は嬉しいけれど、軍事的にいいのかな。ヒックスの軍事力が増す心配はしていらっしゃらないのか?」
「走竜の寿命は三十年から四十年ですから。入れ替わりの分、ということだと思います」
「聞いてはいたけど、走竜の寿命は短いなあ。精一杯可愛がってやらないと」
「ええ、私もいつもそう思っています」
レーイン王国はこの時のアデラの言葉を守り、ルシィの子が走竜乗りを希望するたびに走竜を一頭ずつ贈った。
現在ヒックス王国にいる走竜の数は七頭。ルシィは四人の子に恵まれ、全員が六歳の段階で走竜乗りを希望したためだ。
シエラ、ウー、リュートは老境に入り、軍用から外れて穏やかな日々を過ごしている。
ルシィは五十歳になった年に王国軍を退役したが、今も老いた走竜たちの世話をして可愛がっている。
◇
ヒックス王国はのちにレーイン王国と姉妹国になり、両国は協力し合って長く平和を保ち、繁栄した。
走竜国の第三王女だったルシィは、ヒックス王国の最初の女性走竜乗りであり、最初の女性軍人として歴史に名を刻んだ。
ヒックス王国で多くの女性がルシィに続くのだが、それはまた別のお話である。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ティラノザウルスに乗って疾走するお姫様を書きたいとずっと思っていたので、とても満足しています。
もしよかったら、下の★★★★★印で評価していただけると、次作への励みになります。
完結しましたので、近日中に感想欄は閉じますが、感想を書いてくださった皆様、ありがとうございました。





