28 面会
王国軍の一員となって、さぞかし訓練三昧になるのかと思っていたルシィだったが、今までとさほど変わらない。日々ウーとシエラの世話をするくらいだ。
「こんなことでいいの?」
「いいのですよ。走竜の運動があるので、我々の休みは形式だけなのですから」
「ウーの買い付けに来ていた間、シエラの運動はどうしていたの?」
「餌を与えるのが精一杯で運動はできなかったようです。掃除は飼育舎を半分に仕切って済ませていました」
ではシエラは長いことこの宿舎の中だけで過ごしたのか、とルシィはシエラに同情した。
「今日はマルグリットの面会に行きます」
「本当に行くのですか」
「ええ、行きます。中尉はなぜ苦虫を噛み潰したような顔をしているの?」
「なぜって……」
馬車で病院に向かいながら、フィリップは解せない。
「いい子はやめるはずだったのでは? あんな意地悪をした相手をなぜ見舞うのですか」
「いい子として行くのではないの。同じ失敗をした者として見舞うのよ。彼女は愚かなことをしたけれど、まだ十七歳だもの。周囲に彼女の行いを注意する大人もいなかったんでしょう? 少なくとも一度は許されていいと思ってる」
ルシィが少し遠い目になった。
「一度の過ちも許されないとしたら、私の十八年間の間違いは死を以ても許されないことになる。私は……間違えた過去を自分に許されたい。だからマルグリットの意地悪も許したい」
「彼女の性格の悪さが治りますかね。十七歳が思いついたにしては、あの茶会の件は実に陰湿でしたよ」
「私のいい子のふりは二十三年も年季が入っているけど、なんとかなりそうだわ。マルグリットも変わるかもしれないじゃない」
フィリップがわずかに顔を歪めた。
「ルシィ様の『いい子のふり』とは違います。彼女の性格の悪さは骨の髄まで染み込んでいますよ。マルグリットから酷い仕打ちを受けた令嬢は、ルシィ様が初めてではないのです。彼女が社交界に参加する前から、何度も似たようなことがありました」
「そうでしょうねぇ……」
「しかも正面切って意地悪するわけではないから、証拠もなしでは誰も抗議できず。俺は一度やんわりと『あなたがやったことは、人として許せない』と伝えたのに何も変わらなかった」
「中尉、それはやんわりととは言わないわよ。侯爵令嬢相手にまた、ずいぶん思い切ったことを言ったものね」
「たとえ小娘でも、他人をいじめて楽しいと思える人間を俺は許しがたいのです」
ルシィは答えなかった。
マルグリットの部屋は一人部屋だった。ルシィがノックすると小さな声で「どうぞ」と返事があった。
「こんにちは」と足を踏み入れた病室で、マルグリットが力なくベッドで仰向けになっていた。首を動かして訪問者を確かめるのもつらそうだ。
「約束どおりお見舞いに来たわ」
「遠慮しますって言いましたよね? なぜですか?」
「気に食わない相手でも束の間の気晴らしにはなるでしょう? あなた、一人で過ごすのに慣れてなさそうだもの。心細いんじゃないかと思って。修道院でも、寂しい思いをしていたでしょうし」
「寂しくなんか! うっ」
マルグリットが思わず大きな声を出し、胸の痛みに顔をしかめている。
「あんなところに馴染むつもりは全くなかったもの。私は侯爵家の……」
「ご令嬢だから? あなたがそういう考えでいる限り、あの修道院から出られる日は来ないのに」
「誰のせいだと……」
「あなた自身のせいだと、本当はわかっているんでしょう?」
返事はない。だがルシィは話を続けた。
「私は二十三歳までいい子のふりをしてたの。とてももったいなかったと思ってる。ねえマルグリット、他人は見ていないようで見ているものよ。誰かに愛される人生を生きてよ。あなたの父親の権力におもねる人じゃなく、あなた自身を愛してくれる人に見てもらえるように生きたほうが楽しいわよ?」
「お説教はたくさんです」
「そう。じゃあ、私は帰るわね。これ、よかったらどうぞ。これなら起き上がれなくても楽しめるでしょう」
ルシィがそっとマルグリットの枕元に置いたのは、蜂蜜飴とミント味の飴が詰められた袋だ。
無言で壁際に立っているフィリップを促し、ルシィは部屋を出るところで振り返った。
「もし欲しいものがあるなら、次に来るときに持ってくるわよ?」
「何もいりません」
「そう。じゃあ、次は私が好きなクッキーを勝手に選んで持ってくるわね」
クッキーと聞いてマルグリットの表情が少し動いた。
「だったら……干した果物がたっぷり入っている焼き菓子を食べたい……です」
「わかった。修道院でも病院でも、それは出ないでしょうね」
初めてマルグリットの顔に弱気な表情が現れた。
「甘いお菓子なんて、もうずっと食べていないわ」
「干した果物が入った焼き菓子ね。必ず持ってくる。では、おだいじに」
ドアが閉まると、マルグリットは枕元に置かれた飴の袋に手を伸ばした。それだけの動作でも折れた肋骨が痛む。包み紙を剥がして蜂蜜飴を口に入れた。久しぶりの甘さに、「美味しい」と思わず言葉が漏れてしまう。
自分でも他国の王女を愚弄したのはつくづく愚かだったと思う。
面会の間、壁際に立って一切声をかけてこなかったフィリップは、ルシィを見るときだけ視線が柔らかかった。部屋を出るまで自分を見なかった。
十歳のときにフィリップを見かけて以来、ずっと彼を好きだった。
自分が全く相手にされていないどころか、毒虫のように嫌われていることはわかっていた。それでも好きだった。
だからこの国にやって来ていきなりフィリップと親しくなったルシィが憎かった。
自分が問い合わせたレーイン王国の知り合いは「婚約者がいながら他の男と親しくなって、国を追放されたという噂です」と返事をしてきたが、全くのでたらめだった。
(今思えば、あの手紙にはルシィという名前も王女と言う身分も書いてなかった。私、あの人にも嫌われていたのかも。そしてこうなることを期待して騙されたのかも)
惨めだ、と思う。
「いい加減、中尉のことを諦めなきゃね。手間をかけてわざわざ自分から嫌われにいくなんて、ほんと大馬鹿だった。どこで間違えたのだろう」
口の中で転がしていた飴を、カリンと音を立てて噛み砕いた。
「間違えたのは……多分、最初から」
マルグリットは割れた蜂蜜飴を口の中で転がしながら、フィリップへの片思いを諦めなければと思う。
ずっとずっと中尉を好きだったけれど、もう諦めなければならないのはわかっている。「人として許せない」と自分に向かって吐き捨てるように言ったフィリップの冷たい顔はよく覚えている。あの時、それでも(私の目を見てくれた。無視されるよりましだ)と思った自分は病んでいたのだ。いや、彼を好きになった十歳からずっと病んでいたのかもしれない。
マルグリットは飴を舐めながら声を出さずに泣いた。
一方、ルシィも気持ちが沈んでいた。病院に来る前、フィリップが「侯爵家には入院先を連絡してあります」と言っていたが、マルグリットの家族は誰も来ていない。来ていたら私物のひとつくらいは置いてあるはずだ。だがそんな物は一切なく、着ている寝間着も病院のものだった。彼女が切り捨てられたのは間違いない。
ルシィは自分からフィリップの手を取って指を絡めた。
「おや珍しい。どうかしましたか?」
「私、メルヴィンが家族のために私と結婚するつもりだと知った時、私もメルヴィンも地獄だと思った。死ぬまで地獄に身を置くくらいなら、二年間の遊学なんてどうってことないと思ったの」
「それで?」
「でもね、形だけ罰を受けたことになっているけれど、私は大変に恵まれています。だけど、マルグリットは今が地獄でしょう。地獄を経験したら、その先はそれ以上につらいことはないはず。マルグリットにもこの先、いいことが訪れてほしい」
フィリップがギュッとルシィの手を握り締め、それでは足りずにルシィの唇にチュッとした。まだキスされるたびに緊張するルシィは、うつむいて自分の指先を見る。
フィリップが満足げにそんなルシィの肩を抱いた。
「あなたは芯から善良ですね」
「善良……ではないかも。だって、マルグリットや他の誰がどんなに中尉を欲しがっても、絶対に渡すものかと思っていますから」
フィリップが返事をしないので視線を上げると、苦笑している。
「大変な殺し文句ですね。無自覚なのが末恐ろしい」
そう言ってフィリップがもう一度唇を重ねてきた。
あと少しで完結です。





