25 離れ業
修道院の院長が深刻な顔でマルグリットを心配している。
「マルグリットは昨日の地震の際は、皆と祈りを捧げていました。ところが大きな揺れが来て皆が慌てている間に姿が見えなくなったのです。きっとどこかに隠れているはずと捜しまわったのですが……。あの子は集団行動が苦手でいつも一人でしたので、もしかしたら、騒ぎの間にここから出て行ったのかもしれません」
院長の言葉に他の修道女たちが互いに目配せをしている。
やがてルシィがウーを連れて徒歩で階段を上ってきた。
救助者を搬送して残り少なくなった軍人たちが修道院の中を探し、フィリップとルシィが修道院の外を見回る。修道院の建物は壊れてはいないが、窓ガラスは全部割れ、壁のあちこちにヒビが入っている。院長以下、修道女たちはいったんここを出て別の修道院に避難することになった。
「どうか、マルグリットを見つけてください。よろしくお願いいたします」
フィリップは頼まれたものの、修道院が建っている場所は狭くてマルグリットが隠れる場所などない。見つかっても、崖下のどこかで無残なことになっている気がしてならない。遺体を捜そうにも、あちこちに岩棚や小さな藪があって死角が多い。
ルシィは声をかけながら崖のふちに沿ってぐるりと一周している。
「マルグリット! いたら声を出して! マルグリットォッ!」
ルシィが何度も大きな声で名前を呼んでは耳を澄ませているが、返事はない。
「階段を下りながら捜します」
フィリップの意見で修道女たちを連れて全員が下へ向かうことにした。一行がだいぶ階段を下りたところで、ウーが足を止めた。前にいるシエラも同じく。
二頭が同時に同じ方向を見ている。ルシィは(もしかして)と、ウーたちが見ている方に目を凝らした。フィリップも単眼鏡で周囲を覗いていたが、動きが止まった。
「いた!」
単眼鏡の視界の中、崖の中ほどにあるわずかな岩棚に修道女の服装をしたマルグリットがうつぶせに倒れている。マルグリットの体は背の低い茂みの中に埋もれていて、胸のあたりまで岩棚からはみ出ていた。
「いったん頂上まで戻って、私が体にロープを縛りつけて崖を降ります。遺体を回収したら引っ張り上げてもらいます」
「彼女はまだ生きています。ウーたちが反応したのは、マルグリットが生きて声を漏らしたからだと思います。でも地震からもう何日もたっていますから、また上に戻って、救出して、もう一度彼女を抱えて下りて……なんてやっていたら、その間に死んでしまうかも」
フィリップを含めた全員が(そう言われても他に方法がない)という表情だ。
「ルシィ様、何をする気です?」
「私が行きます。シエラと私ならできます。ウーよりもシエラのほうが飛び降りるのは上手だから、シエラを貸してください」
「マルグリット嬢がいる岩棚は狭い。彼女を踏み潰さずにシエラが着地できる広さはありませんよ?」
ルシィは穏やかに微笑んだ。
「私の腕前がどれほどのものか、見ていてください」
ルシィはシエラに合図を送り、一度上に戻った。フィリップも同行したが、ルシィは頂上に着くとすぐに崖下へと飛び降りた。
階段から見ていた修道女たちが声にならない悲鳴をあげ、軍人たちも息を止めて見守った。
シエラはルシィを乗せたまま崖の際を落ちていく。シエラが微妙に尻尾を動かしてバランスを取り、回転することはない。
ルシィはマルグリットのすぐ脇を落下しながら彼女の片腕をむんずとつかんだ。
シエラがわずかに体を動かし、落ちる方向を変えた。落ちながら岩棚を蹴り、そこからまた斜め下の狭い岩棚を狙って落ちていく。
ルシィはシエラの体をがっしりと両腿で挟み、落下しながらマルグリットを引き寄せて上半身を抱え込んだ。
シエラは少しずつ速度を落としながら斜め下へ斜め下へとジグザグに進んでいく。最後は大きな岩の上に片足をついてから地面に着地した。
ルシィはマルグリットを地面に横たえ、フィリップを見上げて大きく腕を振った。
フィリップは息を吐いて目を閉じた。
「俺の寿命が五年は削れたわ!」
フィリップは今、相棒シエラの能力を引き出すどころか把握さえしていなかった自分が悔しい。
気を取り直して再び出発しようとすると、ウーがフィリップを見ながらスッと低い姿勢になった。それからシエラが着地した場所を見る。「シエラとルシィのところへ行くからさっさと乗れ」ということらしい。
「ウー、人間がみんなルシィ様みたいな乗り手ばかりだと思ったら大間違いだぞ。この高さはさすがに俺が無理だ。お前は階段で下りるんだよ」
それを聞いたウーが「カハッ」と息を吐いた。まるで「はあ、つまんない」と言っているようで、フィリップは走竜の知能はもしや思っているよりずっと高いのでは? と怪しんだ。
駆け付けた医師の診断により、マルグリットは左右の大腿骨、左腕、肋骨が複数本折れていることがわかった。折れた骨が内臓に突き刺さっていなかったのが不幸中の幸いである。ただ、脱水状態が酷い。
尖塔地区にはもっと酷い状態の怪我人が多数いるため、手当てを受けたマルグリットは他の怪我人と共に荷馬車で王都の病院までついでに運ばれることになった。
出発するまでに、走竜たちは発見されていない負傷者を何人も見つけた。
人間では動かせない大岩も、縄をかけて走竜が引くと軽々と引く。大活躍だ。
埋もれていた人々をあらかた救助し、一度重傷者を王都に運ぶことになった。
ルシィは荷馬車に同乗して怪我人たちに付き添っている。
ルシィに、マルグリットがささやくような声で話しかけてきた。
「私、助かった……」
「ええ。生きていてよかったわね。私があそこから引っ張り下ろしたの。走竜に感謝してね」
「意地悪、したのに」
「死ななきゃならないほどの意地悪じゃなかったわよ。あなたに死なれたら私も後味悪いわ。それにしても、どうしてあんな場所に落ちたの?」
「逃げようと、思った」
「逃げようとして足を踏み外したの?」
ごく小さくうなずいてマルグリットは口を閉じた。今になって恐怖が甦ったのか、それとも痛みが酷いのか。目を閉じたまま涙を流している。ルシィがハンカチで涙を拭いた。
「私が口添えするから、そのうち修道院を出られるわよ。これに懲りて他国の王族を侮辱しないことね」
マルグリットは目を閉じたままで返事をしないが、荷馬車がガタンと揺れるたびに眉間にしわを寄せているから眠ってはいない。
一行は数日をかけて王都に向かった。ルシィが不慣れながらもマルグリットの身の回りの世話を買って出た。それはそれでマルグリットの矜持が傷ついただろうが、そこは知らん顔をした。
王都が近づいたところでルシィが「そろそろ人が多い地区だから、私は走竜に乗るわ」と声をかけると、マルグリットが聞こえるか聞こえないかの小さな声を出した。
「ごめん、なさい。ありがとう」
「どういたしまして。長い治療になるでしょうから、お見舞いに行くわね」
「それは、遠慮します」
ルシィは「残念でした。嫌がられても行くわ」と笑って、ウーの背中へと移動した。





