23 母への手紙
「待って。俺にも考えさせてください。軽率なことは言えないけれど、俺はルシィ様を誰かに渡すつもりはありません。本気だからこそ、思い付きで動きたくないんです」
「そう……。でも、あなたに負担がかかる話でしたね」
「いいえ。俺に縁談を隠されていたらがっかりしましたよ。少し考えさせてください。そして俺とのことをあっさり諦めないで」
「諦めていません。あなたのことを、私は諦めていません」
フィリップは一瞬驚いた顔したが、すぐに笑顔になった。
「俺が好きなのはそういうところです。凛々しくて強くてまっすぐで。好きな人にそう言ってもらえたのは、俺の勲章です。少し時間をください。陛下を説得してみます。その前に」
そこでフィリップはルシィを引き寄せた。
「ルシィ様、私と結婚していただけますか?」
「はい。はい。喜んで」
「はあ……。よかった。あなたは王女の責務を優先して、『それは無理』と言うんじゃないかと不安でした」
「私がいい子から抜け出せないと思っていたのね」
フィリップが苦笑しているのはそのとおりだったからか。
「陛下に直訴してもどうにもならなかったら、二人で逃げ出しましょうか。途中であなたがやっぱり嫌だと泣いても実行しますが?」
「泣いたりしません」
冗談のような口調で聞かれてそう答えたものの、頭は冷静だ。
(おそらくそんなことは成功しない。レーイン王国とヒックス王国は国の面子をかけて私たちを探し出すだろう。そして見つけ出されれば……。だけど私は中尉を諦めたくない。どうする。どうすればいい?)
昔、第二王女のヘレンにお気に入りのドレスやアクセサリーを取りあげられた時はいつも、(お母様にお願いすれば、きっともっといいものをくださる。あれは私が一番欲しいものじゃないから、取り上げられてもいい)と自分に言い聞かせて我慢した。
メルヴィンの時もサシャと争うことなく諦めた。
(だけど今度は、今度こそは諦めたくない!)
「中尉のことは諦めません。まずは私の両親を説得します」
互いに目を見つめ合ってから「では」とルシィが部屋を出ようとした。するとフィリップがルシィの手首をつかんだまま入り口脇へと進む。壁際にルシィを立たせると、フィリップはそっと唇を重ねてきた。唇を置くような柔らかいキスが三度繰り返されてからフィリップが離れた。
フィリップは真顔だが、ルシィは顔が真っ赤になっていることが自分で分かった。
「もし俺がルシィ様をさらって逃げたら、恐らく二つの国に追いかけられます。捕まったら俺は処刑されますね。でもそれは最悪の場合です。世の中、全ての道は枝分かれしています。俺も動きます。期待して待っていてください」
(枝分かれした道を間違えずに進んでみせる。いい子だと思ってもらえなくても、中尉と生きていけるなら、それでいい)
「私のいい子は終わりです。待つだけでなく、全力で自分の望みを叶える努力をしてみせます」
(最善の選択をしなくては。賢く冷静に動かなくては。欲をかくつもりはない。何かを捨てなければならないなら、中尉以外を全て手放せばいい。よく考えるのだ。間違えるな)
公爵家に戻り、母国の母へと手紙を書いた。
『お母様へ
縁談の話を聞きました。私は気が進みません。そしてひとつご相談があります。』
そこから何度も書き直しながら長文を書き上げ、封筒に蝋を垂らした。
夜になっても自室にこもって今後のことを考えていると、クラリスが心配して様子を見に来た。「縁談をどうするかじっくり考えたい」と伝えて、また一人になった。
しばらくして執事が「ステグナン中尉がいらっしゃいました」と告げに来た。
急いで部屋を出ると、フィリップは応接室に通されていた。フィリップの扱いが今までより良くなっているのは、公爵が定めた『見守り役』のおかげか。
「どうしました?」
「全方向を丸く収めようとしているんじゃないかと心配で。それは無理だと思ってください。高級なドレスや宝石は無理ですけど、二人で笑って生きていくくらいは稼げますよ。そんな人生は嫌ですか?」
「嫌ではありません」
フィリップがルシィの手をぽんぽんと優しく叩いた。
「明日の朝一番で陛下にルシィ様との結婚のお許しを請います。予約を入れてきました。割と俺は楽観視していますよ。大人の計算を言えば、レーイン王国の王女が我が国の民になることで我が国に損はありませんから。ただ、一番の問題は俺が無爵なことですね」
それはずっとルシィも考えていた。
「手紙で縁談は断ってもらうようお願いしました。その他にも、私の覚悟も。生まれて初めてです」
「そうですか……。ここで俺に謝らないでくださいよ? 俺は大変に気分がいいのですから」
深刻な状況なのに、フィリップは微笑んでいる。
そこでルシィは「あっ」と天井を見上げた。建物が揺れている。大きくゆっくりした横揺れが長く続いた。
「地震ね」
「久しぶりに大きかったですね」
二人は驚かない。世界中で弱い地震は日常的に起きている。
はるか昔、世界各地で大地震と火山活動が活発になった。『試練の時代』だ。
大地震、火山の噴火、海底火山の爆発。それに伴う大津波。
『試練の時代』以前は世界各地に空に届くほど高い建物があったらしいが、それらは倒壊し、海岸近くの大都市はことごとく津波に破壊された。
高度な文明があったと言われているが、その記録も失われた今では伝説と史実の境界線も曖昧だ。
各地で起きた火山の爆発は陽光を遮り、凍死や餓死で人口は最盛期とは比べものにならないほど減ったという。
『試練の時代』が終息したあとも、定期的に地震は起きる。だが、ここ数百年は比較的落ち着いていた。
「やっと揺れが収まりましたね」
「そうね。大きく揺れなくてよかったわ。ねえ中尉、明日は私も一緒に陛下にお願いに行きます」
少しフィリップが考え、「ルシィ様が同行した方が説得力がありますね」と明るく笑って帰った。
だが、国王への直訴は実現しなかった。
王都では被害がなかったが、震源地で大規模な被害が発生していたからだ。
翌日の朝、公爵家はざわついていた。
「お姉さま、なにがあったのですか?」
「昨日の地震で、尖塔地区に大規模な被害が出たらしいわ。軍隊が出動したから、中尉もシエラとそちらへ向かったはずよ」
「私は何度も土砂崩れ現場に出ました。馬が入れない場所にも、ウーなら入れます。私もウーと一緒に向かわせてもらえるよう、お願いしてきます。災害の現場で走竜がどれほど活躍するか、中尉は知らないような気がします。役に立てるとわかっていて、何もせずに見ているわけにはいきません」
クラリスが小さくうなずいた。
「ダメと言っても行きそうな顔をしているわね。いいでしょう。救援部隊の第二陣がもうすぐ出るはずだから、それに同行すればいいわ。陛下には公爵様から口添えしてもらいましょう。レーイン王国の走竜乗りがどれほど役に立つか、この国の人々に見せてきなさい」
「はいっ!」





