19 鈍感さは罪
国王の指摘に(そうだった、私は村人たちを助けに行っていない体で話を収めたんだった!)と慌てたルシィは目が泳いでしまう。
ルシィが大ワニ退治に参加していたと確信した国王は、一転して険しい顔になった。
「私の知らないところで何があったのか。ステグナン中尉、正直に説明せよ」
「はっ」
公爵にしたのと同様に事実の説明を繰り返すフィリップ。
最後まで話を聞いた国王が、ゆっくりと立ち上がった。背が高くがっしりしている国王が立ち上がると、かなりの迫力がある。
「民の命を救おうとしたルシィ姫の気持ちには感謝する。誰も死ななかったのは幸いだった。だが! ルシィ姫が命を落としたら、中尉はどうするつもりだったんだ?」
「姫を危険に晒したことは反省しております」
「お前の反省など、姫の命とは比べようもない。懲罰を覚悟しておけ」
(出過ぎているのを承知で行こうと言ったのは私!)
「陛下、どうか発言をお許しくださいませ! 今回の件、全ては私の提案でございます。しかも私は岩の上にいたので、ワニに襲われる心配はありませんでした。そして立場上、中尉は私に逆らえなかったのです。罰するなら私を! 国を出て行けと言われれば今日にも出て行きますから、罰は私に!」
国王は険しい表情でルシィを見つめて無言。今度はフィリップが訴えた。
「陛下、責任は私にあります。ルシィ姫の提案を了承したのは私です。罰は私が受けます」
すると王妃ハリエットが「陛下、許してあげましょう」とおっとりと声をかけた。
「王女も中尉も、民を案じて動いてくれたのです。結果を見れば、早く見に行ってよかったわけですし」
「だがな、ハリエット」
「全員が無事だった。それでよしとしましょう。軍があと一日待つと判断したことも、それでは遅いと姫と中尉が思ったことも、どちらも間違いではありません。水を飲まねば、人は簡単に弱ります。弱って枝から落ちれば、ワニに襲われていたのです。そのくらいで許してあげましょう」
国王はしばらく渋い顔をしていたが、頷いた。
「中尉、姫を追放したりはしないから安心せよ。アデラ女王から『くれぐれもルシィをよろしく』と頼まれている。姫を帰せば公爵と夫人にも恨まれてしまう。姫、今後は必ず事前に連絡するように」
「お約束します!」
ルシィは物心ついた時からいい子で育ってきただけに、家族以外に叱責されたことがない。まして他国の国王に注意されるなど、生まれて初めてだ。手が震えるのを抑えるのに必死である。
「時に中尉、公爵からお前をルシィ姫の見守り役に命じたと連絡を貰ったんだが?」
「はい。姫の見守り役を拝命いたしました」
「では今後、お前の命に代えてもルシィ姫を守れ。それでこの話は終わりにする」
「承知いたしました。お許しいただき、ありがとうございます」
「陛下、ありがとうございました」
ルシィは最上級のお辞儀をし、フィリップは最敬礼をして部屋を出た。
ドアを閉め、二人は真面目な顔で歩いた。衛兵たちから見えないところまで歩き、ルシィはしゃがみ込んだ。
「どうしました?」
「膝から力が抜けてしまって」
大きな手が差し出された。ルシィがその大きな手にそっと自分の手を載せ、フィリップに支えられて立ち上がった。
「情けない。私が責任を取ると言っても、結局は中尉に迷惑をかけたわ」
「懲罰を食らったとしても、私が走竜乗りから外されることはありません。他に乗り手がいないんですから。あっ、こんなに震えて……。さっきまであんなに毅然としていたのに。ルシィ様はいつもご自分を律して、勇敢で、凛としていらっしゃる」
(自分を律している、か。そこが私の可愛げのないところなのに)
「中尉、無事陛下にお許しをいただいたお祝いに、明日、菓子店に行きたいです」
「では王都で人気の店へご案内しましょう」
そう言われてやっとルシィに笑顔が戻った。すかさずフィリップが笑顔を褒めた。
「笑うといっそう愛らしい」
「中尉は褒め言葉をためらわないのね」
「それはそうです。ルシィ様は婚約を解消したばかり。今まで誰かのものだった美しい小鳥です。それがいきなり自由になった。指を咥えて見ているだけでは、あっと言う間に誰かに持っていかれます。だから俺は今、ルシィ様に好かれるために必死です」
真顔のフィリップを見て、ルシィは赤くなった。
(この国にいられるのは二年間だけ。その先、私はレーイン王国の貴族に嫁げと言われるのだろうか。私にそれを嫌だと言う権利はあるのだろうか)
母国にいる頃は第三王女という立場にもの足りなさを感じていたが、今は逆に王女であることが息苦しい。
翌日、走竜の訓練の後で街に出た。
甘いものも好きなフィリップと甘いものが大好きなルシィは菓子店に入り、二人で四種類の菓子を注文した。菓子店でショーケースの中のケーキを選んで食べるのは初めての経験だ。
二人で四つの菓子を全て食べ終え、大満足で店を出た。
店を出てすぐ、通りを歩いてきた男性とルシィが接触しそうになった。二人ともお忍び用の服を着ているから、相手の男性はルシィが王女とは思わず道を譲らない。フィリップがさりげなくルシィの肩を抱いて引き寄せた。
肩を抱き寄せられた瞬間、ルシィはメルヴィンがいつでも自分の斜め後ろを歩いていたことを思い出して目を閉じた。
(まるで従者だった。私はなぜその不自然さに気づかなかったのだろう。鈍感さは、罪だ。大罪だ)
そう思ったルシィには、第一王女だった姉に尋ねたいことがある。
夕食後、二人になったところでそれを聞いてみた。
「お姉さまはモーリスが生まれるまで、女王になる予定だったでしょう? 女王の道が消えたとき、どんな気持ちだったか聞いてもいいですか?」
クラリスが遠くを見るような目をしてから苦笑した。
「言葉で言い表せないほど脱力したわね。私、善き女王になるためにそれはそれは努力していたもの。十五歳までの努力が全部無駄になって、放心したわ。モーリスが生まれて最初に来た縁組の相手がクレイグだった。私、絵姿も見ずに『わかりました。嫁ぎます』と返事をしたの。嫁いでみたらクレイグの周囲には女性の気配が山ほど見え隠れしてた。私、彼女たちと戦ったわよ。そしてクレイグの手綱を取った」
(誰にも期待されない第三王女は空しいと思っていたけれど、お姉さまは逆だったのね。期待されて国のために頑張っていたのに、突然梯子が外れた。それでも幸せをしっかりとつかみ取っているところはさすがだわ)
「私、負けるのが大嫌いなの。クレイグによそ見をさせないために、女性たちと戦い続けたわ。なんなら愛されるために笑顔と優しい言葉でクレイグとも戦った」
「まぁ……」
「孤軍奮闘とはあのこと。クレイグは私が戦っていたことに気づいていないかもしれないけれど。私の問題だからそこはいいの。ルシィ、あなたも手に入れたいものがあるなら、戦いなさい。いい子でいたら幸せになれる、なんて保証はないの」
「それは……身に染みています」
見守り係を命じられたその日から、フィリップはルシィといつも一緒に行動している。
走竜の訓練時にはデニスも顔を出すが、ルシィが街を散策するとき、城の図書室で本を読むとき。ルシィの隣にはいつもフィリップがピタリと張り付いている。
その様子はたちまち貴族たちの噂になった。
「レーイン王国の第三王女と走竜乗りの中尉は婚約したのか?」と勘繰る者もいれば「いや、ただの護衛だろう?」「走竜の扱いを教わっているだけだと聞いたが」と言う者もいる。
噂は様々だったが、二人は注目を集めた。
フィリップに憧れている令嬢たちにも、その噂は届いた。