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18/30

18  しまった!

 ルシィはふわふわした気持ちのまま公爵家に帰り、フィリップが見守り役になったことをクラリスに報告した。


「公爵様が命じたの? そう……。いつだったか『ルシィ姫には専用の護衛が必要だね』とおっしゃるから『そうね』とは答えたけど。中尉が見守り役? なぜ護衛と言わずに見守り役なんて言い方をするのかしら」

「さあ。わかりません」


 自分の口からは変な虫の話もキスのことも恥ずかしくてとても言えない。

 

(キスされた話をすればお姉さまは中尉のことを調べる。調べて気に入らないことが出てくれば中尉を排除しようとするはず。中尉との関係をどうするか、自分で決めたい)

 

 入念に肌の手入れをして、髪に香油をすり込ませてからベッドに入った。ベッドに入ってからも、ルシィの心はふわふわと浮き立っている。


(私はフィリップ中尉に好意を持っている……のね。メルヴィンとあんなに惨めな終わり方をしたのに、もう他の誰かを想っている。私はなんて図太いのだろう。こんな自分がいたなんて、知らなかった。お姉さまは『新しい恋をしたらメルヴィンのことはあっという間に過去の思い出になる』と言っていた。その言葉のとおりだった。お姉さまもそんな経験をしたのだろうか)

 

「メルヴィンに愛されなかった私を、中尉は好きになってくれた」

 

 それだけでルシィは劣等感や自己嫌悪から解放される。そしてまた自分を好きになれる実感がある。

 フィリップの大きな手、大柄で鍛えられた体、勝手気ままなようでいて自分に気を遣ってくれる優しさ。

 村人たちのためにワニたちの中に飛び込んだ判断の早さ。

 優しくそっと触れてくれた手のひらや唇の温かさ。

 フィリップに触れられても、不快感などなかった。

 

 あの時自分に触れたのが他の人だったら? と考えてみたが、すぐに頭を振って思い描いた場面を打ち消した。

(誰かを勝手に想像の相手にしたら失礼よ!)と思いつつも、他の人ではどう考えてもこんな幸せな気持ちにはなれない。


「寂しくて悲しいから誰でもよかったわけじゃない。きっと走竜たちはこんな気持ちになれる相手かどうか、会った瞬間に見分けられるのね」


 

 

 翌朝、朝食が終わる頃にフィリップが迎えに来た。

 慌てて出かける準備をしようとするルシィにクラリスが、「毎日こんな早くに迎えに来ることになっているの?」と不満げな顔で聞いてくる。


「何も決まっていません」

「そう。じゃあ、明日からはもっと遅くしてもらって。ちょっと早すぎるわ」

「きっと中尉は張り切っているんだろう」


 そう言った公爵を、ルシィとクラリスが同時に見た。

 公爵は二人から視線を逸らして「そんな気がしただけだ」とつぶやく。

 クラリスが何か言いかけたものの、「そうかもしれないわね」と言って口を閉じた。

 ルシィは急いで服を着替えた。今日も動きやすいズボンとシャツ姿だ。軽く化粧をして玄関へ向かおうとして、公爵と廊下で顔を合わせた。


「行って参ります公爵様」

「たまには気晴らしに街へ出るといい。若い君が走竜にだけ時間を使ってしまうのはもったいないよ。おしゃれをしていろんな人と触れ合うのも大切なことだ。買い物や食事、観劇、なんでもいい。王女のあなたが自由に外の空気を吸えるのは、我が国にいる間だけだろうからね」

「ありがとうございます。そういたします」


 玄関脇の小部屋でフィリップが待っていた。(昨日の甘い言動は幻だったの?)とルシィが戸惑うくらい通常の表情だ。


「おはようございます、ルシィ様」

「おはようございます、中尉。まずはウーたちの様子を見たいのだけど」

「かしこまりました」


 二人で馬車に乗り込み、(何を話せばいいのかしら)と緊張するルシィに、フィリップが話しかけてくる。


「緊張なさっていますか? 職務中なので何もしません。ご安心ください」

「そうですか」

「それとも城に着くまでは休憩中にしてもいいのでしょうか」

「え、遠慮してください! 御者がいます」


 するとフィリップは「あはは、そうでしたね」と言いつつルシィの隣に移動した。

 

「仕事中なのに好きな人の近くにずっといられる。これは紛れもなく役得で公私混同ですね」


 グイグイと心の距離を詰めてくるフィリップに、ルシィは思わず笑ってしまう。恥ずかしさの何倍も喜んでしまう自分がいる。


「からかわれたのかも、と心配していたので少し安心しました」

「他国の王女様に遊び半分であんなことをするほど、俺は肝が据わっていません。本気です。そして浮かれています。ですが、見守り役としてルシィ様の安全を全力で守ります」

「……心強いです」


 フィリップは楽しげだ。

 やがて馬車が城に着き、フィリップは「では職務に戻ります」と言って向かい側に移動した。

 

 シエラは食欲を取り戻し、与えられたヤギ肉を少し食べた。

 あの村から城に青甘菜がたくさん届けられたそうで、二人ですり潰してシエラに塗った。ウーはシエラを心配していて、ウーだけを運動に連れ出そうとしても渋っている。


「大丈夫。シエラはもうじき治るわ」と話しかけるルシィを見るフィリップの視線が柔らかい。

 やがてデニス王子が走ってきた。目をキラキラさせている。


「人食い大ワニを退治したと聞いたよ! ルシィ姫、どんな様子だったのか聞かせてください!」

「ではお話ししますが、他言はなさらないでくださいね」


 フィリップとルシィが克明に話をして、デニスは大興奮で聴き入った。

 

 ◇

 

 大ワニの事件から一週間が過ぎた。

 シエラの怪我は順調に治っている。傷跡が残るのは間違いないものの、食欲も出てきた。

 その日、あの集落の村長が城を訪問したそうで、ルシィとフィリップは国王の侍従に呼び出された。


 村長が持ってきたのはあの大ワニの皮である。床に広げられた皮は途方もなく大きい。

 国王はまだ来ておらず、謁見用の部屋に通されていた村長はルシィたちを見てホッとした顔になった。皮を剥ぎ、あとは完全に乾燥させるだけになった人食い大ワニの皮。村長はそれを届けに来ただけなのに豪華な謁見室に通され、困惑していた。


「王女様、軍人様、その節はありがとうございました」

「私こそ青甘菜をたくさん提供してくれたことを感謝しています。おかげで走竜たちは元気です。それにしても、こうして床に置くと、このワニは途方もない大きさですね」

「そうなんです。これを退治してくれたのは国の走竜ですので、皮はお城にお届けすべきと思いまして。数か所破れていますが、そこは村の者が縫い合わせました」

 

 少しして国王夫妻が入ってきた。

 国王オーギュストは謁見室に入るなり大ワニの皮を見て足を止め、王妃ハリエットは上品に両手の指先を口に当てて驚いている。


「これは……思った以上の大きさだ。村の者たちはこれに襲われていたのか。さぞ恐ろしかっただろう。今回は全員が無事でよかったな」

「はい。ひとえに軍人様と王女様のご尽力の賜物でございます。ひとたび人間を食べたワニは、その後も人間を好んで襲います。私たちはこれで安心して漁に出られます」


 村長の言葉が終わると同時にフィリップが「クッ」と微かに声を漏らした。

 国王は皮の礼を言って村長を下がらせると、ルシィに向かって話しかけてきた。

 

「この大ワニが走竜に噛みついたのだね?」

「はい。尻尾に噛みつかれましたが、命に別状はありません」

「一人も食われずに済んだのは、走竜のおかげだろうな。ルシィ姫には深く感謝せねばならん」


 おっとりと微笑んだルシィに、国王が続けて面白そうな顔で話しかけてきた。


「村長は中尉と王女様のおかげ、と言っていたな。大ワニ退治に姫が参加したのかい? 報告書では中尉とシエラが退治したと書いてあったが」


(しまった!)

 

 横目で隣のフィリップを見ると、フィリップは視線を床に向け、困った顔をしている。


 

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