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15 野営

 走竜は大きな怪我をしている間は餌を食べない。

 シエラは何も食べず、ウーはおやつを食べた。

 二頭の走竜は寄り添って丸まり、ルシィたちは城から運んできたバスケットの中身をやっと食べた。


 二人の間で焚火が燃えていて、互いの顔が見える程度に明るい。

 ルシィはウーの体にもたれて目を閉じていたが、目を開けるとフィリップが自分を見ていた。目が合うと微笑んで話しかけてきた。


「今日はお疲れさまでした」

「中尉こそ。私は何もしていないわ。それにしても、あんな大きなワニがいるものなのね」

「大きかったですね」

「あんなワニのいる川で漁をするのは命がけだわ」

「走竜たちのおかげで、村の者たちはひと安心です。人間の味を覚えたワニを退治できて、本当によかった」


 そこでルシィが水を飲もうとしたが、手に取った水筒は空だ。


「水を汲んでくるわ」

「いえ、ルシィ様は待っていてください。私が行きます」

「体を動かしたいので二人で行きましょうか」

「わかりました」


 ルシィは疲れて強張っている脚を動かしたかった。川まで歩きながら、(この先、この国でどうやって過ごそうか)と思う。

 

(走竜の訓練で全ての時間を埋めるわけにいかない。私が毎日飼育舎に通えば有難迷惑だろう。クラリス姉さまにも『この国の貴族たちと関わらないつもりか』と注意されるのは目に見えている)


「この国に来て以来、走竜たちと楽しく過ごしてきましたが、そろそろ夜会や茶会に出なくてはならないでしょうね。まだちょっと億劫ですが。……などと私に言われても困りますね。余計なことを言いました」


 フィリップの返事はない。水の流れる音だけが聞こえる。


「ルシィ様、ここから先は足元が滑ります。私につかまってください」

「ありがとう」


 差し出された腕につかまって、そろりそろりと暗い中を歩いていたルシィが「あっ」と声を上げてズルリと足を滑らせた。仰向けに倒れかけたルシィをフィリップが素早く支える。


「ありがとう。助かりました」

「いえ」


 水際に着くとフィリップは「私が水を汲みます」と言って両手に水筒を持って川に近づこうとした。しかし……。

 フィリップの踏んだ石がグラッと動いた。とっさに踏ん張って堪えようとしたものの、今度は踏ん張った足が滑った。ルシィが考えるより先にフィリップの左腕をグイッと引っ張った。


「うおっ?」

「あっ」


 ルシィが引っ張ったせいで逆にフィリップがバランスを崩し、尻もちをついてしまう。ルシィが引っ張られる形になって二人一緒に倒れ込んだ。

 尻もちをついたフィリップの顔と、腕をつかんだままのルシィの顔が近い。


「中尉、怪我は?」

「ありません」

「かえって申し訳ないことをしたわ。ズボンが汚れてしまったわね」

「立ち上がりますので、腕を放していただけますか」

「あっ、ごめんなさい」


 フィリップはゆっくり起き上がり、水を汲んだ。

 ルシィと二人、無言で焚火のところへ戻りながらフィリップは今日のことを思い出していた。

 

 ルシィは人食いワニがいるというのに、民を救いに行くことを迷わなかった。

「私がわがままを言ったことにすればいい」と提案したときの必死な表情。

 たくさんのワニを見たあとの、絶対に村人を助けると言わんばかりの凛々しい表情。


(自分のことだとやたら弱気なのに、民のことになると恐れを知らない。最初の頃、俺は『ずいぶんいい子の王女様だ』くらいに思っていたはず。女性なんて面倒なだけだと思って生きてきたというのになぁ。人生で初めて惚れた女性が他国の王女とは……。俺はなにやってんだ)


 走竜たちのところに戻り、フィリップは眠ろうとした。ルシィに目をやると、ウーにもたれかかって目を閉じている。ルシィが「茶会や夜会に出なくてはならない」と言ったのは、王女として結婚の責務があるからだろう。


(社交界への参加に気が進まない様子なのは……婚約を解消したばかりで元婚約者をまだ想っているからか)


 王女のルシィが社交界に参加すれば、この国の有力貴族が続々と結婚相手として名乗りを上げるだろう。

 フィリップはあらゆる面で自分の分の悪さに脱力する思いだ。

 だがしばらく焚火をながめているうちに、持ち前の負けず嫌いが顔を出し始めた。

 

(最初から諦めるのか?)


 もう一度ルシィを見た。気持ちよさそうに眠っている。「よし、無理を承知で頑張ってみるか」とつぶやくと、まるでその意味を理解しているかのようにウーがフィリップに向かって「カカカッ」と鳴いた。


「なんだよウー。無理だって言っているのか? ちょっとは応援しろよ」

「カカカッ」

「お姫様に相手にされなくても、当たって砕けるところまではやってみるさ」


 そこだけ小声で言って、フィリップは目を閉じた。

 しかしルシィは起きていて、動揺していた。


(今のお姫様って、私のこと……よね? 中尉が私を? こんな私を中尉が?)


 「愛される魅力のない女」「メルヴィンのためだと見当違いの努力をして嫌われた私」と縮こまって凍り付いていた心がわずかに緩むような気がした。

 

(今まで意識してなかった中尉の言葉でこんなにドキドキするとは。私って、こんなに切り替えの早い人間だった? いやいや、落ち着こう。私のことじゃないかもしれないし、なにより……走竜乗りの中尉と気まずくなったら、私はもう居場所がなくなる)


 傷を癒やしにきたこの国で新たな傷を作りたくない。

 フィリップと気まずくなって飼育舎に通えなくなるのは切ない。

 

 その後は疲れているのに眠れず、やっと眠ったころに「ルシィ様、早めに出発しましょう」と起こされた。暗いうちに出発した二人と二頭は、朝日が昇った頃に軍人たちに発見された。

 

 「中尉!」「姫様!」という叫び声を上げながら軍人たちが軍馬を駆って近づいてくる。

 フィリップは手を上げて応えたのだが、四十代くらいの男性が目を吊り上げて馬で走ってきた。

 フィリップが「うわ、大尉だ……」とつぶやいた。


「ルシィ様、あの人です。十年前の腕相撲の相手」

「あの人が……」


 大尉はフィリップの真ん前で馬を急停止させた。


「この馬鹿者っ!」

「申し訳ありません!」

「説教する前に謝るな! なぜ勝手に行った! なぜ姫様を連れ出した! 貴様、ワニだらけの川に姫様を連れて行って、何かあったらどうするつもりだったんだ! 自分が何をやったか、わかっているのかっ!」

「申し訳ありません!」


 ルシィがフィリップの前に出た。

 

「大尉、中尉に責任はありません。私が無理を言って行き先を変えてもらったのです。責任は全て私にあります」

「いいえ、姫様はどれほど危険かご存じなかったのです。理解していた中尉がお断りすべきでした」

「違うのです。大尉、私の話を聞いてください」


 腹に力を込めて声を出したルシィは、(大尉を説得しなくては)と必死だ。

 

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