13 砂州
翌朝走竜の飼育舎に行くと、昼食を詰めたバスケットが用意されていた。
デニスも合流して、すぐに川を目指して出発した。
「今日行くシプル川は走竜の運動にはいい場所です。走竜を泳がせられる深さがありますよ。川岸で昼食を食べて帰って来ましょう」
「嬉しいなあ。こんな楽しいお出かけは初めてだよ!」
デニスがはしゃいでいる。
王族が人の目を気にせず出かけられる機会は少ない。今回は護衛はつくものの、民の視線を気にせず外出できる。しかも走竜に乗っての外出だ。
「第三王女の私でも気楽に外出はできませんでしたから、殿下は私とは比較にならないほど制約が多いことでしょうね」
「まあね。でも、不自由に文句は言うつもりはないんです。何かを手に入れたら何かを失うのは仕方ないことだと、母上に繰り返し言われながら育ちました」
「そうでしたか」
(銀の天使は聡明な母であり王妃なのね)
シプル川までの道中、ルシィはデニスとそんなおしゃべりをした。真面目な話や王族ならではの苦労話など、共通する話題は多い。
背後にデニスの護衛がいるものの、おしゃべりは聞こえない距離にいるから、気が楽でおしゃべりも弾む。だがフィリップは表情が硬いままで一切おしゃべりには参加していない。
シプル川に到着した時、ルシィがついに我慢できなくなった。
「中尉、なにか心配事でも?」
「ええ……このシプル川のさらに先にはウラル川があります。実はそこで行方不明が続いているんです。昨夜の夜会の最中に呼び出されたのはその件でした。一人の漁師が帰らず、その者を探しに行った村人七名まで戻っていません。今日の日没までに帰ってこなければ、明日の早朝から軍が出動します」
「軍が?」
「はい。ウラル川にはワニがたくさんいるので、最悪の事態が想定されるからです」
捜しに行った七名も戻ってこない上に、連絡もない状況。
こんなときこそ走竜の出番だが、遊学の身で軍の判断に口を出せば批判される。
(いや、批判されるのは覚悟しよう。人の命がかかっている。批判され叱責されたら全方位に謝罪し続けよう。『あの時駆け付けていれば』という後悔に比べたら、頭を下げるぐらいなんでもない)
「中尉、ウーとシエラには人を襲ったワニを退治した経験があります」
「え?」
「そして相性のいい走竜が二頭いれば、その働きは三倍四倍になります」
「ちょ、ちょっと待ってください。ルシィ様はまさか?」
ルシィは穏やかに微笑んだ。
「これからウラル川に行きましょう。中尉は帰ってこない村人たちを心配しているのでしょう?」
「うーん……。実は昨夜、『明後日まで軍が動かないのは遅すぎる』と言ったのですが。『まだ一日だ。帰ってくるかもしれない。この程度のことですぐに出動していたらきりがない』という意見が大多数でした」
そこでフィリップが考え込み、ルシィとデニスはフィリップの言葉を待った。
「よし、見に行くだけということで。走竜の運動がてら見に行くだけ。それなら軍の判断に背いたことにはなりません」
「ええ。そして私が事態を目の当たりにして我慢できずに踏み込んだ。中尉は止めたけれど私が言うことを聞かなかった。これでいきましょう」
「その嘘、たぶんすぐバレます。ですが……行きますか。おそらくルシィ様も無事ではすみませんよ? 何かしら叱責されるかと」
そう言ってフィリップがルシィの目をジッと見る。
「覚悟しています。事情を知らない他国の王女がわがままを言ったせいで、中尉は逆らえずにウラル川へ同行するのです」
フィリップが少し考え、デニスを見た。
「ウラル川に行くとしたら、殿下にはお帰りいただかなくてはなりません。ワニのいる川へのご同行はご遠慮願います」
ルシィはここでデニスが「いやだ、自分も行く」と文句を言うかと思った。
だがデニスの答えは、はるかにしっかりしていた。
「僕は足手まといにならないよう、護衛たちと帰るよ。僕は中尉たちがこのあとどこへ行ったか知らずに帰る。それでいいね? おなかの調子が悪くなったとでも言っておく。じゃ、二人とも気をつけて」
「ありがとうございます、殿下」
「ルシィ姫、あとで話を聞かせてくださいね」
デニスが離脱し、フィリップはシエラを出発させた。目的地はウラル川に変更だ。
やがてウラル川の手前の森に到着した。暖かい気候に合った植物が茂り、薄暗い森の中の細い道を川へと進む。
しばらく進むと視界が開けた。泥と岩と葦が生える川岸と、その先に広がる幅の広いウラル川。
フィリップがシエラから下りて先頭を歩きながら、地面と周囲に油断なく目を配っている。ルシィはウーの上から広い範囲を見回した。
やがてフィリップの足が止まった。
「七、八人の足跡が入り乱れています。捜索に出た村人だと思います」
ルシィが走竜たちに話しかけた。
「ウー、シエラ、人間の匂いを探して」
二頭の走竜がフンフンと匂いを嗅ぎ始め、頻繁に地面に顔を近づける。
もう襲われた後なのではないかとルシィは気が気ではない。
「中尉、もしかしてこの地区では、ワニによる被害が頻繁に出ているのかしら」
「ここ数年で何人も襲われています。人間を襲っているのは同じ個体で、何度かそのワニを捕まえようとしたのですが、いまだに捕まえられていません」
「そのワニは、見ればわかりますか?」
「わかります。とにかく体が大きく、他の同種のワニの倍近くはあります。ワニは条件さえ揃えば、かなりの大きさまで育ちますが、その個体は特別大きいです」
だが運悪く人食い大ワニに襲われたとしても、ルシィの知る限りワニは一度に八人もの人間を襲わない。一度に一人だ。
(村人たちになにがあったのか)
やがて二匹の走竜が頭を高く上げて同じ方向を見た。
「嗅ぎつけたみたい」
「そのようですね」
ルシィは腰のポケットから小さな塊を取り出して「シエラ」と声をかけながら放り投げた。シエラはそれを空中でパクッと食べた。ウーが「私も」というように背中のルシィを振り返る。ウーにもひとつ食べさせ、「さあ、匂いを追いかけて」と走竜たちを励ました。
与えたのは鹿肉を乾燥させたもので、母国レーイン王国で使われる走竜のご褒美用のおやつだ。
匂いを嗅ぎながら進む走竜たちの動きがどんどん速くなっていく。
フィリップもシエラに乗り、シエラとウーは匂いを追って進んでいる。
そのうち、シエラが顔を高くして頻繁に風の匂いを嗅ぎ始めた。続いてウーも。村人たちが近いらしい。それを見てフィリップが「おーい! 誰かいるか!」と大きな声で呼びかけた。
すぐに前方から「こっちだ! 助けてくれぇ!」という複数の叫び声が聞こえてきた。
二頭の走竜が同時に同じ方向に顔を向けて走り出した。フィリップが「シエラ、急げ」と声をかけ、シエラが全力で走り出した。ウーもシエラを追う。
二頭の走竜がルシィたちを乗せて川岸を走る。やがてルシィは村人たちの状況を見て取った。
(なんてこと!)
川の左岸近くに砂州があり、そこに曲がりくねりながら枝を伸ばす木が生えている。声の主は、その枝にしがみついている八人の村人たちだった。その木を取り囲むようにワニが十数頭も集まっていて、その中に一頭、巨大なワニがいた。
「今助けに行くぞ!」と叫んで、フィリップがシエラの上で立ち乗りになった。