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10 海岸でのできごと

 翌朝、フィリップは昨日より早く家を出た。王子が来る以上、遅くなるわけにはいかない。

 走竜の飼育舎には誰もいなかった。シエラは小さく頭を上下させて歓迎の意を表したが、ウーは知らん顔だ。シエラとてルシィの時のような大喜びではない。


「ふむ。もっと仲良くならないとな」


 フィリップがそう言ったところにルシィが入ってきた。


「おはようございます、ルシィ様。ルシィ様と同じくらいシエラと仲良くなりたくて、早く出てきました」

「負けず嫌いですものね?」

「ふふ、そうです。シエラ、よろしく頼むよ」


 シエラはチラリとフィリップを見たが、すぐにルシィに熱い視線を向ける。ルシィに遊んでほしいのだろう。ウーも同じくルシィに熱い視線を送っていて、フィリップは苦笑した。

 やがてデニスもやってきた。


「ルシィ姫、中尉、今日もよろしくお願いします」

「本日も海岸でたっぷり運動させましょう」

「やった! 僕は昨夜ゆうべ、楽しみでなかなか眠れなかったんだ」

「さあ、参りましょう。殿下は今日もルシィ様と乗りますか?」

「うん。そうしたい。いいかな? ルシィ姫」

「どうぞよろしくお願いします」


 デニスがいるので万が一の怪我もないよう、フィリップが走竜たちに口輪を付けた。二頭の走竜は弾む足取りで飼育舎を出た。

 朝早くてまだ人が少ない街道を、走竜たちは軽快に歩く。ヒックス王国でも走竜の存在は知られているはずだが、二頭が走っていると出会う人々が全員飛びのくように道を譲る。


(これがレーイン王国だと『姫様、いってらっしゃい!』と笑顔で手を振られるけど、この国での走竜はまだまだ怖がられるだけの存在ね)


 やがて海岸に出た。波打ち際を走るウーが頻繁に「カカカッ」と喜びの声を出している。

 ルシィはシエラとウーが卵の殻を破って顔を出した時から可愛がってきた。その彼女たちが喜んでいると、ルシィまで嬉しくなる。昨夜が楽しかったおかげで、今日はとても清々しい気分だ。


 二頭が海に向かって突き出している岩場を回り込むと、そこに若い男女の集団が岩に腰かけて話し込んでいた。

 男性たちは着崩した正装。一人だけいる女性も豪華で派手なドレス。

 おそらく一晩中遊び、この海岸に来たのだろう。

 走竜が二頭同時に足を止め、ジッと若い集団を見つめた。

 いきなり目の前に現れた二頭の走竜を見て、若い女性が絶叫した。


「きゃああああっ!」


 男性たちは言葉を失って茫然としている。女性は絶叫し続けていて、彼女の甲高い叫び声が二匹の走竜を刺激した。ウーの体に力が入るのが、はっきりと感じ取れた。ルシィは急いで方向を変えさせようとしたが、悲鳴が続いているせいでウーが動かない。


(仕方ない)


 首から下げている笛を取り出し、力を込めて吹いた。

 キィィィンと不快な耳鳴りのような音が響き渡り、走竜たちが嫌そうに頭をブルブルと振る。

 すかさずルシィは娘に向かって腹から声を出した。


「叫ぶな! 叫べば叫ぶほど走竜が興奮する!」


 ルシィの前に座っているデニスは、(えっ? これ、ルシィ姫の声?)と驚き、後ろを振り返った。女性を見るルシィの顔が厳しい。

 悲鳴を上げていた女性は口を閉じてコクコクとうなずき、叫ぶのをやめた。

 フィリップが「邪魔したな。続けてくれ」と声をかけ、二匹の走竜はその場を離れた。


「危なかったですね、ルシィ姫。ウーが彼らを襲うのかと思いました」

「ウーが本当に襲うことはないのですが、二頭とも興奮してしまいましたね。最悪の場合でも、これを使いますのでご安心ください」


 そう言ってルシィが腰の小さなポーチから手のひら大の銀色の器具を見せた。鎮静剤入りの注射器だ。


「これを使えばすぐに興奮は鎮まります。ですが信頼関係を若干損なうので、使わずに済んで幸いでした」

「彼らは朝まで遊んでいたんだなあ」

「夜遊びが楽しい年ごろの集団でしたね」

「ルシィ姫はじいやみたいなことを言う」

「そこはせめてばあやとおっしゃってくださいませ」

 

 デニスが笑い、それで終わったと思っていた。その夜までは。



 

 夜、城では王家主催の夜会が開かれていた。ルシィは国王から招待されていて、今夜の主賓だ。

 ルシィは淡いベージュのドレスに共布の靴。胸の前で交差している布が首の後ろで金色のボタンで留められている。肩と背中を大胆に見せるデザインで、アクセサリーは瑪瑙めのうと銀細工を組み合わせた五連のブレスレットとイヤリングだ。

「うん、似合ってるわ」とクラリスの合格点が出て、公爵夫妻と一緒に馬車に乗った。


 城に着くと、すでにたくさんの高位貴族たちが集まっていた。

 会場の入り口前にはフィリップが式典用の軍服姿で立っていた。灰色の長い髪、ひときわ高い身長、たくさんの勲章。大変に目立っている。


「お待ちしておりました、ルシィ様」

「こんばんは、中尉」

 

(約束はしていなかったわよね?)と戸惑っていると、フィリップは澄ました顔で手を差し伸べる。


「私はルシィ様をお守りする役目を女王陛下にたまわっておりますので」

 

(そう言えば、安全管理の責任者だとお母様がおっしゃっていたわね。よかった、中尉が一緒なら心強い)


「よろしくね、中尉」

「そういうことならルシィは中尉に任せるわ。お願いしましたよ、中尉」

「お任せください、公爵夫人」


 クラリスの言葉と口調には結構な圧が込められていたが、フィリップは臆することなくルシィと共に会場へと足を踏み入れた。

 

「今夜はひときわお美しい。エスコートできて光栄です」

「ありがとう」


 ルシィは優雅に微笑み、フィリップの腕に手を添えて歩き出した。

 会場に足を踏み入れると、たちまち何人もの男性に囲まれた。足を止めて相手をしていると、彼らは皆一様に「ルシィ様は王女でありながら、走竜乗りだとか。素晴らしい才能ですね」「走竜乗りの王女様が、こんなにほっそりした美女だとは思いませんでした」とほめそやす。

 

 ルシィは姉たちの陰にいて目立たない期間が長かった。そんなルシィの情報は、走竜乗りということしか伝わっていないらしい。ルシィは内心で苦笑しつつも、愛想よく対応した。

 レーイン王国はヒックス王国と遜色ない国力がある。貴族たちはそんな国の王女と親しくなって損はないと思っているのだ。


 そんな彼らの背後に、メルヴィンによく似た雰囲気の若者がいた。

 (似ている)と思ったら、一瞬にしてある日の記憶が湧き上がってきた。メルヴィンが十五歳でルシィが二十歳のときのことだ。

 

 ◇


 「なんで走竜なんかに乗るの? 兵士に任せればいいのに」

 珍しくメルヴィンが棘のある声を出した。

 ルシィが走竜乗りとしてめきめきと腕前を上げていた頃で、ルシィは愛竜のリュートと一緒に走るのが楽しくて仕方ない時期だった。

 自分の楽しみを否定されて悲しかったものの、ルシィは反論せずに視線を伏せて微笑んだだけだった。

 

 ◇


 フィリップはルシィの表情がわずかに変わったのを見逃さなかった。

 それまで貴族たちの会話を妨げないように距離を置いていたが、スッとルシィに近寄った。


「ルシィ様、どうかなさいましたか?」

「古いことを思い出してしまって。でももう大丈夫」

「本当に大丈夫ですか?」


 背の高いフィリップがルシィの顔を覗き込むと、長い髪がサラリと肩からこぼれ落ちた。


「本当です。中尉、ダンスは得意ですか?」

「そこそこには。私と踊っていただけるんですか?」

「ええ、もちろん」


 二人で踊り始めてすぐに気がついた。フィリップはとてもダンスが上手である。


「そこそこなんてご謙遜ね。とても上手だわ」

「ルシィ様がお上手なのです。会場の男たちが皆、私を羨んでいます」


 さりげなく周囲を見回すと、男性たちの好意的な視線の陰に幾人かの女性の冷ややかな視線が見え隠れしている。

 ルシィは意識して華やかな笑顔を作った。


「そう、その意気です」


 フィリップが耳元でささやいた。フィリップも女性たちの視線に気づいていたらしい。

 

 

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