師走男と正月女~地方に伝わる奇妙な風習~
民俗学における俗信というのは度々題材に挙がることが多い。俗信とは古来より流布されてきた伝承や、物事の捉え方や考えられてきた内容のことである。その伝承において共通しているのは ――、科学的な根拠に乏しいが社会的な流布性の現状証拠に基づいている、という点であろうか。
時に、その俗信は地方様々に色濃く受け継がれ、現代においてもその形を遺す。
◇
「今年も、年末年始はおばあちゃんの所に手伝いに帰るからね」
「うん、分かった」
母の言葉に二つ返事で頷く“彼女”。部屋のハンガーラックに掛けられた高校の制服も、冬休みが明けるまでは出番はない。与えられた子供部屋に設けられたベッドの上で怠惰的に過ごす冬休みは、彼女にとって味気ないものだった。
母から告げられた予定に、少しだけ心が躍る。遠方のためになかなか会えない祖父母、叔母やいとこ達に会えるのが今から楽しみだ。
母方の実家は地方の田舎で小さな宿泊業を営んでいる。毎年、年末年始になるとその宿の手伝いとして帰省するのが一家の恒例行事となっていた。
そうして年末。父の運転する車に揺られ、ようやく辿り着いたのは緑を多く残す地。周囲は山に囲まれながら、山間には浅瀬の川が流れる。その地は真冬だというのに、彼女の住む地に比べてやや暖かい。その温暖な気候も彼女にとっては好ましいのだろう。
それから少し車を走らせる。徐々に移り変わる、懐かしい光景。「着いたよ」と言う父の言葉に、彼女の表情がぱっと明るくなる。
車が停車したのは、舗装されていない砂利道。その奥には風情を感じさせる宿が一棟。すぐ近くには浅瀬の川の下流がその姿を見せている。そして、車が停車した砂利道を少し行った先に佇む人影。
「よお来たね」
「おばあちゃん!」
一家が下車するのを見て、ゆったりとした足取りで出迎えたのは彼女の祖母だ。
それから、簡単な挨拶を交わして手伝いのために宿へと一家皆で向かった。自分たちが泊まる部屋に荷物を運び込んでいると、丁度予約客が到着したようだ。女将を務めている叔母が出迎えに席を外すといい残して、その場を離れた。
彼女は興味本位で予約客の姿を見ようと、叔母の後を追う。そうして物陰から、ちらりと覗く。すると、田舎の小さな宿を訪れるにはなんとも一風変わった姿をしたお客の姿が見えた。
それは若い男女だった。そこまでなら、この年末年始に二人でゆっくり過ごそうかと仲睦まじく予定を立てたのだろうと想像できる。しかし、男の方はスーツ姿に灰色のコートを身に纏い、打って変わって女性の方は如何にも旅行者という様相だったのだ。
そして、さらに不思議なのは女性の身長。男の方もおおよそ背が高く恵まれた体躯をしているのだが、そんな彼よりも少し背が高かった。このような田舎で長身の女性などおらず、そうそう目立つだろう。
(……モデルさん?と、そのマネージャー……?なんてね)
ちらりと、さらに物陰から顔を覗かせて彼らの様子を伺う。
よくよく見てみると、男の方もそれなりに精悍な顔立ちをしており、女性はそれに負けず劣らずの美人だった。なんとも不思議なお客が来たものだ、と彼女はそこで人間観察を終えた。
それから少し間をあけて残りの予約客も到着したようで、彼女は手伝いに追われることになった。
そうして、一月一日。元旦。
「明けましておめでとうございます」
「はーい、明けましておめでとう。これ、お年玉やきね。それとお手伝いのお礼」
「ありがとう!」
お小遣いはお母さんに内緒、そう言って叔母は悪戯っぽく彼女に笑いかけたのであった。彼女へお年玉を渡すと叔母は宿泊客のもてなしの段取りをするために、再びせわしなく働き始めたのだった。
そして突如、鳴り響く電話。予約客は皆揃っている、となると仕出しか業者さんかな、と彼女は予想を立てたが、それは全く異なったものだった。
「曾ばあちゃんが亡くなったと」
「えっ……、」
―― 家族に知らされた訃報。
電話に出た祖母は力なく俯いている。そして、母は慌てて皆に知らせようと走って行ってしまった。そして、叔母は慌てた様子で祖母に尋ねた。
「お正月飾り…どうしよう」
彼女は首を傾げる。正月飾りなら既に飾り付けられているではないか。しかし、叔母は首を横に振った。自分たちは喪中になったので正月飾りには手を触れてはいけないこと、そして大体は葬儀屋が正月飾りを外してくれるのだが ――。この宿は少し離れていて、すぐには葬儀屋が来られないこと。どうしたものかと、祖母と叔母は項垂れていた。
―― そうして元旦は過ぎ去り、一月一日の昼下がり。
「宜しければ、お手伝いしますが――」
突然慌ただしくなった宿の異変を感じ取ってしまったのか。そう申し出てくれたのは、あの若い男女だった。他の宿泊客はと言うと、家族葬が行われることを一体どこから聞きつけたのか――、残りの宿泊日を悉くキャンセルしたのだ。
なにぶん田舎というのは狭く、情報の巡りが早いのだ。それも人の生死というものは特に。それによってもたらされた情報に宿泊客達はおおかた、新年早々に葬儀が執り行われる宿になど泊まっていられない、という考えなのだろう。
「それは……、ありがとうございます」
叔母はそう言って彼らに深々と頭を下げた。彼女はその様子を不思議そうに眺めていたのだった。
そうして、男はその体躯を生かして門松などの正月飾りや鏡餅を次々に片づけていく。男の連れと思わしき女性も、片付け作業に加わったのだが ――。女性にしては長身、その背丈を生かして玄関に飾られたしめ縄を取り去っていた。
そうして時間は過ぎ。その頃になると、正月の雰囲気など跡形もなくなっていた。祖母と叔母は再々彼らにお礼を申し出ると、礼はいらないと言うのだ。なんとも謙虚な人たちだと、裏からその様子を見ていた彼女はそう思っていた。
* * *
「九十五歳まで生きたがやき、大往生よね」
そうして夕刻。曾祖母が眠る棺が運び込まれて来た。祖父母の言葉に叔母も頷き、ひとしおの悲しみを胸に広げていた。
畳の間に祭壇が用意され、仏さんと面会の場が設けられる。家族が集められ、一様に面会を行っていく。彼女からすれば曾祖母が生きているうちの記憶はあまりなく、どこか他人事に思えるような光景だった。
「それでは、男装をさせて刀を持たせておきます。通夜は本日の夜。明日はお式と出棺になります」
葬儀屋の手には白い紙で模られた刀が持たれ、家族の目の前で棺の中に入れられた。そうして男装させる、という言葉に彼女は違和感を抱く。彼女は母に小声でどうしてそんなことをするのか、と尋ねた。
「よくない事が起きないようにするためよ」
「よくない、こと?」
「まぁ、知らなくても大丈夫」
―― そうして、通夜はつつがなく執り行われた。
◇
翌日、一月二日。両親は葬式に着ていく喪服の用意に追われ、彼女は従姉のリクルートスーツを借りることになった。慌ただしく変わりゆく光景に少しだけ、ざわざわとした感情が生まれる。何か、得も言われぬ不安感が彼女の中に浮かんでくるのだ。
すると、祖父が慌ただしく動く叔母や母に向かって困ったように話し掛けていた。
「ちゃんとした葬式をせんといかんで。そうせんと、きっちり七人連れて逝くき。こればっかりは、どうにもならんが…」
「あ、そうそう。曾おばあちゃんの棺に入れるものがあるのよ」
祖父の話をあまり聞いていない様子の母がそう言って彼女に手渡したのは爪切りと小さな鋏だった。
よくよく見ると、母の左手。一本だけ不自然に爪が短い。どうやらそこだけ、爪を切ったようだ。そして、顔の横に流されている髪の毛の束も、不自然に切られたように真っすぐだ。
怪訝な顔をしている彼女を見た母がふぅ…と溜め息をついた。
「早くしてね。もうじきに葬儀屋さんが来るから。爪と髪の毛を少しだけ切っちょきなさい」
「う、うん…」
そう言った母の口調は、所々方言に戻っていた。
手渡された爪切りと小さな鋏。女子高生という多感な時期の彼女が、身なりに気を遣って伸ばした綺麗に揃えられた艶やかな髪の毛と、綺麗に手入れした爪。彼女の意図しないタイミングで刃を入れるには ――、些か抵抗があった。
「入れてない人はおらん?ちゃんと七人分入れたかね?」
白い半紙のようなものに、切られた爪と髪の毛が集められている。叔母はそう声を掛けると、その紙を適当に折って曾祖母が眠る棺に入れ、合掌した。
その後、葬式は厳かに行われ曾祖母の眠る棺は火葬場へと運ばれた。全てが終わった頃にはすっかり昼を過ぎていた。
するとその帰り道。十字路に集まり、井戸端会議をしている高齢女性達が視界に入る。
「去年はあそこの爺さんが十二月末に亡くなったろう」
「今年は正月かえ」
「こうも例年続くと ――」
一体何の話をしているのだろうか。彼女は不思議に思いつつも、火葬場の独特な匂いに気分が悪くなっていたため気にする余裕は持ち合わせていなかった。
そうして戻る頃にはすっかり夕刻間近となっていた。
祖母や叔母、母は依然せわしなく動き回っている。彼女は茶の間で一息ついている祖父に、尋ねてみることにした。葬儀屋が言っていたこと、爪や髪の毛を切って入れるのはどうしてなのか。
「―― ちゃんは、知らんかったがかえ。十二月末に男の人が、正月に女の人が亡くなると…その年はその亡くなった人の性別の通りに七人があの世への御供として一緒に連れて逝かれるがよ」
祖父は困ったように眉を下げて、更にこう言ったのだ。
「そうならんように ――、七人の御供の代わりに人数分、爪と髪の毛を切って棺桶に入れるがよえ」
―― 入れていない。ひとり分、足りない。
その事実に、彼女は全身の血が一気に引くのを感じた。だがしかし、祖父母の世代はなにかと昔からの風習や言い伝えを盲目的に信じる節がある、と彼女は母から聞いたことがあったと思い出す。
(…黙っていれば大丈夫よね、きっと。)
この得も言われぬ不安感は、きっと気のせいだと。そう、自分に言い聞かせたのだった。
◇
一月三日。せわしなかった正月は今日で終わりを迎えるだろう。
その日の昼、彼女は何を思ったのか宿から少し行った先の浅瀬に来ていた。宿泊客も例の男女しかおらず、特に手伝うこともなくなったのだ。要は暇つぶしだ。
彼女は浅瀬を見ようとしゃがみ込む。ゆらゆらと揺れる水面は、不思議とこちらに近づいて来ているように見えた ――。
ばしゃんっ!!!と水しぶきが上がる。浅瀬に落ちたのだ。
「…!!??」
しかし、どういう訳か水に浸かった顔を上げることができない。川底に着いた手を、ナニかにぐっと引かれたような気がした。ばしゃ、ばしゃ、と水しぶきだけが上がる。
―― 苦しい苦しい苦しい、息ができ、ない
ほんの、数センチの浅瀬。しかし、人は数センチもあれば溺死する。
―― 徐々に薄れて行く意識。目の前の浅瀬、そこに自分の手を引く、青白い手を視たような。
それも、ぼやけて ――。
「霧子さん!頼む!!」
「分かったわ」
―― 途端、体に重力を感じる。空気のある場所に引きずり出されたのだ。
げほっ、げほ…!!と懸命に肺から水を追い出す。そして今度は一気に空気を肺に送り込む。水に濡れた服が一気に体を冷やして行く。
手を掴まれて、体を引き上げられる。朦朧とした意識では、何がどうしてこうなったのか理解できなかった。
「げぼ、げほっ…!!」
「大丈夫、ゆっくり息を吸って」
なるべく彼女を落ち着かせるように、ゆっくりと優しく掛けられる声に従い、徐々に規則的な呼吸を取り戻していく。女性が彼女の水を吸った上着を脱がし、代わりに灰色のコートを肩に掛けてやった。これで少しは冷たい風を防げるだろう。
ふと視線を上げると、川の浅瀬に浸かる男が見えた。この人に助けてもらったのだと、この時初めて理解できた。彼の膝下と両腕は水に濡れて、服が張り付いている。ざぶざぶと水の抵抗を受けながら、浅瀬から上がる。そして、顔にかかった水を拭っている。
「…流石に寒いな」
「だから、私のコートを掛けてあげればいいじゃない」
「そういう問題じゃないんだ」
はたと、彼女は自身の体を見ると自分の物ではないコートに身を包まれている。寄り添ってくれている女性はコートを着ている。目をぱちくりとさせている彼女に、女性はゆっくりと声を掛けた。
「何があったの?」
――― その言葉に一気に涙が溢れだした。
恐怖のあまり、涙ながらに話す彼女の言葉を彼らは黙って聞いていた。時折、なだめるように彼女の背を女性が擦ってやっている。
祖父から聞いた、この地に伝わる師走男と正月女という風習。
十二月末に男性が亡くなると女装をさせ、正月に女性が亡くなると男装をさせて弔うこと。と、言ってもそれは格好ではなく、人形や刀などを模した紙を棺に入れるものなのだが。
そして、その時期に人が亡くなるとその年は亡くなった人と同じ性別の人が七人、御供としてあの世に連れて逝かれるというのだ。それを防ぐために、家族の爪と髪の毛を少しだけ切って棺に入れる風習があること。それは御供の数と同じ、七人分であること。
しかし、自分はそのうちの一人分を入れなかったこと。すると、こんな浅瀬であるにも関わらず溺れそうになったこと。
そして視たナニか ――、途切れ途切れではあるもののなんとか彼らに話した。
彼女の話を聞き終えた男は短い溜め息をついたかと思うと、怖がらせないようになるべく優しげな声音で話し始めた。
「そうか…、今年はここに帰らないようにするといい。そうすれば君も、君の家族もその御供とやらに選ばれることはないだろう」
彼女は素直に男の言葉に頷いた。その言葉の裏にある意味など、まだ幼い彼女に理解できるはずもなく――。
そうして、男はゆっくりと立ち上がる。それを目線で追うように彼女は彼を見上げた。すると、光に反射して少しだけ男の瞳が深い紫色に見えたのは見間違いだったのだろうか。
「世の中、目に見えているモノだけが全てじゃない。昔から続く風習というのは必ず意味がある ――。それを絶やさない方が…身のためだ」
「そうね。忘れるのも、繋いでいくのも ――、それは人次第よ?」
男は困ったように眉を下げ、霧子と名を呼ばれた女性は悪戯っぽく答えたのだった。
それから彼女は長身の女性に背負われ、送ってもらうことになった。体を包んでいた借り物のコートは徐々に水を吸い、重くなっていたが寒さを凌ぐには致し方ない。時折聞こえて来る男のくしゃみに、彼女は申し訳なさそうに謝るのが精一杯だった。
見慣れた砂利道が見えて来た。すると、慌てた様子で出迎える両親と叔母、そして祖母。彼女は堪らず泣き出してしまった。
女性の背から降りると、一目散に母へと駆け寄る。全身ずぶ濡れの彼女を見た母は驚き、心配のあまり怒りを露にし、次には若い男女にこれでもかと頭を下げたのであった。
そして水を吸った借り物のコートを預かり綺麗にしてお返しすると言っても、彼らは今日中に急ぎで帰らなければいけないのだと言った。それよりも早く彼女を温かくしてやって欲しいと眉を下げて話すもので、母は慌てて彼女を部屋の中へと入れたのであった。
それから彼らがどうしたのか、彼女には分からない。せめてものお礼をしたかったのだが、彼らはそれを受け取らなかったと叔母から聞いた。
しかし、唯一尋ねられたこと――。それは七人ミサキ、というこの地方に伝わる伝承について何か知っていることはあるか、ということだけだったそうだ。どうにも不思議な男女であったと、彼女は思うのであった。
そうして、彼女は男の助言通り ――。
「今年は……ちょっと、手伝いに帰るのは止めておきたい。来年受験だしさ」
「そう……。そう、ね」
『帰らなければ御供に選ばれることはない』その言葉を信じ、自分と家族を守るために彼女は尤もらしい理由を口にするのだ。―― その代わりに誰かが御供に選ばれようとも、遠く離れた地にいる彼女にはその土地の俗信というものは無関係だ。
このお話の元になっている風習ですが、私の地元に伝わるものです。
小さい頃に参列した身内のお葬式で一度だけ、爪と髪の毛を切って入れたことがありまして。歳をとってから参列した身内のお葬式ではやらなかったので、あれは一体なんだったのだろう、と思って調べてみたのでした…。興味深いのが、亡くなった方と血のつながりがある人のものだけ入れるのです。それはうちだけだったのか、謎ですが。
ちなみに、うちの父は右手小指の爪だけを長く伸ばしていて「こういうことがあるき、爪を一本だけ伸ばしちょくがよ。」って言っていました。冗談なのか、本気なのか…分かりませんが。
”彼女”が出会った不思議な二人を中心とした、長編を主に書いています。
連載中「禁色たちの怪異奇譚」
もし、気が向きましたら覗いてやって下さい。