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……リアが顔を真っ赤にして出て行ってしまってから数刻。お風呂の準備ができたのかアイダが部屋へと訪れた。
風呂……この世界では、お湯は貴重品である。水はここレインズ伯領では水源が豊富にあり、川や湖沼も多い事から水に困る事は無い。
しかし、火をおこせる道具やその道具の素材、油、薪が少ないのだ。下町や普通のご家庭では井戸水をかぶっているらしい。毎回思っていることだが、なんだか、自分だけ貴族としてこういった扱いを受けるのは少々気が引けてしまうが……。
今は一刻も早く、コルセットという悪魔の道具のせいで悲鳴を上げている体を休めたい。四の五の言ってらんねえ。
「お手伝いは……」
「いらない」
「……本当にお嬢様はお世話のしがいがないです……」
本来、お貴族様は一人で入浴をせず、補助の人が付くらしい。が、そんな介護みたいな事してもらわなくて結構だ。そもそも恥ずかしいし、お風呂は一人でゆっくりと入りたい。俺が断る度にアイダがとても残念そうにしているのは気になるが、これは譲れない。
俺はぴょいと座っていた椅子を飛び降りて背伸びしながらドアを開けると、たかたかと廊下を走り出した。俺の部屋は2階の端っこ、お風呂は反対側の1階の端っこにあるから、結構距離があるのだ。
「つーいたっとぉ」
お風呂の広さは、大体前世基準なら銭湯を少し小さくしたくらい。この世界では十分すぎるほどに大きいお風呂なのだが、前世では普段から銭湯にお世話になっていた身としては、なんとなく親近感を覚える大きさである。これで壁に富士山の絵でも描いてあったら、完璧だっただろう。残念ながら壁はビサンティン芸術のような絵だが……。
「さぁて、湯加減はー……」
へっへい。今日は一番乗りだぜ。俺は上機嫌で上着を脱ぐと、下着姿のまま湯船まで近づいて、お湯に腕をつっこんだ。ふんふん、ちょっとぬるめだろうか。俺は熱めお湯の方が好きだ。
「ウォーム」
俺は湯舟に手を当てて魔法を口ずさんだ。これは、俺が初めて生み出した魔法。手のひらに触れたものをゆっくりとあたためる、地味だがとても有用な魔法だ。電子レンジ的な便利さがある。
魔法を唱えてからしばらくすると、だんだんお風呂の湯気が濃くなってきた。ふむふむ、こんなものだろうか。
「よしよし、いい感じの温度……」
「シャル?なにしているの?」
「にょわぁ!?」
俺がうむうむと一人で頷いている所、突然後ろから声がかかった。
びっくりして振り返ると……ティアナ姉上のぉー……姿が急に斜め下へと移動した。
「へ?」
……あぁ、これがゾーンというやつか、ちょっとだけ時の流れが遅く感じる。まぁ、この後起こる事はもはや避けようがないわけだが……。
「うぎゃん!!」
俺は体勢を崩し、後ろ向きに風呂の中に突っ込んだ。
……あぁ。ちょっと熱くしすぎたかもしれない。
「きゃぁ!?ご、ごめんなさい!大丈夫!?」
俺がぼんやり湯加減を考えていると、大急ぎで姉上が俺の体を引き上げた。俺は少しだけ飲んでしまったお湯をけほっと咳をして吐き出すと、ふぅと一息ついた。まったく、脅かさないでくださいよ姉上ったら。
「お嬢様!大きな音がしましたが大丈夫ですか!?」
……あ、やば。一番気が付かれたくない人に気が付かれた。俺の声と姉上の悲鳴に気が付いたのか、アイダが大急ぎでお風呂場に現れた。
「ごめんなさい。シャルがお風呂場に一人で向かってたからついてきたんだけど、驚かせて落ちちゃって……」
「そ、そうでございましたか。お嬢様。やっぱりまだ補助が必要かと思いますが……」
「い、いや、いらないから」
ほらきた絶対こうなるって。
このお風呂は、父上と母上の体格に合わせて作ったのか、少し深い。兄上と姉上くらい背があれば、それでも大丈夫なのだが、俺は湯舟の階段の向こうまで行くと、立って入れるくらいなのだ。
だからか、最近までお風呂も御付きの人がずっといたのだが、ようやく説き伏せ……いや、どちらかというと、駄々をこねて一人にしてもらったのだが、このままでは自由が危うい……!
「シャル、一人で入っているの……?」
その話を聞いた姉上が抱き上げている俺に、心配そうに尋ねた。い、や。その……ほら、別に一人でも入れるし、今日のはちょっとした事故じゃないか。
大丈夫大丈夫何も問題ないし、足が付かなくても溺れる事はありませんし、なんだったらほら今もびしょ濡れではあるけれど元気元気。
「へくちっ」
……おう、くしゃみさん。今この場で出るのはオウンゴールに他ならないですぜ。
「冷えちゃったね……ほら、アイダさんに手伝ってもらおう?ね?」
「……あ、う……はい……」
俺がうな垂れながらそう言うと、それを聞いたアイダがどことなく嬉しそうだ……あ、尻尾動いてる。結局俺は、お風呂の深さに敗北し、まだまだお風呂に補助が付いたのだった。
……と、これが大体の一日……。自由、そう、自由を勝ち取らねばならない。今の俺の年齢はまだ子供なのだが、早く自立をせねばなるまい。
いわゆる初期ブーストをかけて、素晴らしきあしながおじさんライフを過ごすのだ!