第九章
週末の土曜日、デートの日がやってきた。
朝野くんと買った新しい靴を履いて、白シャツとネイビーのパンツという無難なファッションで出かけていた。
待ち合わせ場所の駅前で、少し早く着いたかなと腕時計を確認しながらいると、ふいにひょいっと隣から顔を覗かれた。
「あ、やっぱり柊くんだ!」
「あ・・・佐伯先輩こんにちは。」
俺が軽く会釈すると、佐伯さんはニコニコ微笑みながら言った。
「ふふ、おつかれ~。後ろ姿だけじゃ声かける自信なかったんだぁ、同じ電車に乗ってたんだねきっと。」
佐伯さんはそう言いながらスマホを確認して、じゃあ行こっか、と先を歩き出した。
「メッセージでも聞いたけど、柊くん美術展とか大丈夫?退屈しない?」
「はい、大丈夫です。作品見るのは好きですよ。」
俺がそう言うと、佐伯さんは振り返ってまた笑顔を向けた。
「そっか、良かったぁ。高校の時の同級生がさ、今から行く美術展に参加してて・・・誘われてたんだけど今日までだよ、って言われたからさぁ・・・焦ったよね~。」
「そうなんですね。調べましたけど・・・結構大きな美術展ですよね、大学生が参加されるってすごいんじゃ・・・。」
「だよね~。詳しく聞いてないし、説明するのめんどくさくてしてくんない子だからさ、たぶん色んなコンテスト?とかで賞獲ってるんだと思う。まぁでも本人絵描き馬鹿っていうか、それ以外何も考えてないからさぁ。」
佐伯さんは楽しそうに、懐かしそうに語っていた。
「仲いいんですね。その方と。」
「ん~まぁね~。本人に会うことないだろうけど、写真残ってたから見せとく、ほら、この子。」
横断歩道の前で立ち止まり、佐伯さんはスマホを見せてくれた。
そこには気だるげに椅子に座り、油絵でも描いているのか、キャンパスを前にエプロンをした男性が写っていたいた。
パーマがかかったボリュームある髪の毛で多少表情は隠されていたけど、目鼻立ちがハッキリしているイケメンに見える。
「カッコイイ方ですね。」
俺が率直に感想を述べると、佐伯さんは意外だったのかポカンと俺を見つめ返した。
「・・・え~?柊くんそう思うの?カッコイイんだぁ・・・。ふふ、美術展見た後報告しといてあげよ。でも可愛さは全然柊くんのほうが上だよ♡」
「はぁ・・・。」
青に変わった横断歩道をゆっくり渡りながら曖昧に返事すると、佐伯さんはさっと俺の手を取って繋いだ。
「え、ごめん、可愛いとか言われて嬉しくないよね。柊くんもカッコイイよ。」
佐伯さんの悪意ない笑みに苦笑いを返した。
彼女は美術展の後の予定について確認しながら、せっかくだから今日は行こうと思って行けてなかった所をたくさん行きたい、と意気込んでいた。
どうやら佐伯さんの目的は、行きたい場所に行くことで、俺とデートするということではないように思える。
愛想よく雑談する佐伯さんは、もしかして俺が気を遣わないように明るく振舞ってくれているのかな。
俺は朝野くんが話していたことを少し思い出した。
目的が行きたい場所であったとしても、デートというからにはこちらを少なからず意識した行動をとっているのだろう。
仮にも先輩に気を遣わせるのも申し訳ないので、楽しむことは大前提としつつ、構内で話していたように自然に接することを心掛けることにした。
やがて美術展に到着して、チケットを受付で差し出す佐伯さんの背中を見ながら、チラホラ入場していくお客さんたちと同じく、ゆっくり足を踏み入れた。
絨毯が敷かれた静寂の中で、設けられた仕切りには絵画が飾られている。
少し先の方では、彫刻などの作品も置かれているようだ。一つのテーマに沿って集められた作品たちは、まるで遊園地を彩るオーナメントのように見える。
綺麗な額縁に納められた絵画ですら、飛び出してきそうな程明るさと躍動感を覚えるものが多い。
一つひとつ目移りしながら見入っていると、佐伯さんはまた何気なく俺の手を握って隣に立った。
「なんかワクワクする作品が多いよね。」
いつもの弾むような声を少し抑えて耳元で言った。
「そうですね、雰囲気作りを全部作品に任せたアトラクションの中にいるみたいです。」
佐伯さんは返事の代わりにニッコリ笑顔を返した。
時々静かに会話しながら、俺たちはゆっくり作品を堪能した。
物販では画集なども売られており、作品を出している人の中にはプロの方も混じっているようで、関連する個展やSNSの情報なども書かれていた。
「佐伯さん、ご友人の作品ってどれだったんですか?」
入り口で貰っていたリーフレットの存在を忘れていたので、改めてそれを開いた。
「あ~ごめんね、教えてもらってないの。2つくらい出したみたいなんだけど・・・どうせ教えても良さわかんねぇだろ、とか言われちゃったんだよねぇ。」
佐伯さんは苦笑いを浮かべながら、少し寂しそうに目を伏せた。
「そう・・・ですか・・・。」
佐伯さんはまたパッと笑顔に切り替えて、俺の手を引いて美術展の出口を通った。
「まぁいいから。じゃあ・・・次は気になってたイタリアンでランチ・・・」
「お、リサ」
そこを出た矢先、建物の壁に寄り掛かって喫煙していた男性が声をかけて来た。
佐伯さんは彼を見やると、口を開けたまま立ち止った。よく見るとその人は、先ほど佐伯さんに見せてもらった作品を出したという男性だった。
「お前の髪色派手で目立つから見つけやすいわ・・・。」
黒い前髪で隠れたその人の視線が、ぐさっと俺に刺さる。
俺のことを上から下まで見つめて、その目線からわかるのは、俺が男か女か測りかねて、最終的には服装と喉仏を見て判断したのだとわかった。
佐伯さんは黙って俺と手を繋いだままだったので、これは何か誤解を招きそうだ。
「わざわざ会いに来たの~?次の作品造りで忙しいって言ってたじゃ~ん。」
「忙しいことは忙しいな。けど最終日だし、せっかくだから完成した演出も含めて他のも見といてやろうって思ったんだよ。・・・お前はなに・・・デートついで?」
「そうだよ、じゃあ私たち行くね。」
佐伯さんは半ば強引に会話を切り上げて、俺の手をグイっと引っ張って歩き出した。
俺が咄嗟にその人に会釈をすると、彼は薄笑いを浮かべて去り際に呟いた。
「リサは止めといたほうがいいぞぉ。」
意味深に残されたその言葉に、俺は若干不快感を覚えた。
手を引いて半歩先を歩く佐伯さんは、ぎゅっと握った手に力を込めながらしばらく早足で歩いていた。
やがてその足並みが緩くなって、憔悴したような表情が見えたので、思わず声をかけた。
「佐伯さん、ちょっと休憩しませんか。」
「・・え・・・あ、ごめんね!そうだね、歩き疲れちゃったよね。」
彼女はそう言ってキョロキョロ辺りを見渡し、人が集まる街中の広場のベンチを見つけて、二人して腰かけた。
明らかに先ほどの男性が現れたことで調子を崩された佐伯さんは、落ち着いた様子ではあるけど、心ここに在らずだ。
下手に事情を聞き出すことは悪手だと思ったので、彼女に断りをいれて飲み物を買いに行き、二人分のコーヒーを持って戻った。
「佐伯さん、コーヒー苦手だといけないのでカフェオレにしたんですけど・・・お好きですか?」
俺がそっと手渡すと、彼女はハッとして俺の顔を見上げて、優しく微笑み返してくれた。
「ありがとう、コーヒー好きだよ。もちろんカフェオレも。」
「そうですか、良かったです。」
二人して静かにコーヒーに口をつけて、ほろ苦い香りに包まれて一息つく。
「ふふ・・・柊くんって優しいね。」
「・・・優しい・・・ですか?」
俺が聞き返すと佐伯さんは、大きく深呼吸して待ち合わせの時の可愛い笑顔をもう一度作って見せた。
「ごめんね~なんかホントやな感じでしょ?あいつ・・・も~。悪い子ではないんだけどさ、愛想ないからぁ。でも作品は結局どれかわかんなかったけど、全体を通してよかったよね!」
「そうですね。楽しめましたし、面白い作品が多かったです。」
「だよね!いい刺激になったし、私もまた作品作る時インスピレーション働くかなぁなんて・・・」
「あの・・・佐伯さん」
「ん?なあに?」
「無理して笑顔にならなくてもいいですよ。」
俺がそう言うと、佐伯さんはピタっと表情を止めた。




