第四十九章
松葉杖をついて歩くのに少し慣れ始めて、身支度自体は時間がかかってしまうものの、何事も早めに事をこなしながら過ごしていた。
先輩に気付かされた気持ちは、始めこそ半信半疑だったものの、徐々にふと考えるハッキリとした意中の相手となっていることに自覚する。
それはいつかの先輩を想い続けていた自分のように、思い出してはこうだろうか、ああだろうかと、日常的に考えてしまう特別な相手。
どちらに対しても同じくらいだと思っていた愛おしさは、それを機にすっかり変わってしまった。
けど、告白の返事に関しては、両者共にきちんと話す場を設けて伝えたい。
断る相手に対しても、付き合う相手に対しても、それは最低限通す筋というもの。
それから半月程が過ぎて、学際が終わり、医者に診断された通り、俺の怪我はすっかり全快した。
心配させまいと怪我のことを伝えなかったリサとも、電話で話した以来会う機会はなかったので、当初の予定通り知られることなく治すことが出来た。
11月に入り、辺りの木々が紅葉し始め、束の間の秋を堪能することもなく、バイトと勉強に明け暮れた。
その間ずっと、一息入れる度に二人にどう伝えようかと思案しては、機会を逃していた。
けれど学際というイベントも終わってリサは手が空いただろうし、夕陽に関しては都合を聞いて会う機会をもらうしかない。
いつものように司法試験の勉強を終えて、ソファに座ってテレビをボーっと眺めて、お風呂に入らなきゃと腰を上げた時、徐に通知音がなった。
開いてみるとそこには夕陽から「来週末土日、どちらか空いてたらデートしよう。」と簡潔に用件が書かれていた。
その文章をじっと見つめて、ふと思った。
返事をしていないけど心は決まっているこの状況で、どちらかとデートするのは二心でしかないな・・・。
よし、リサにも連絡を取って近いうちに話すことを前提として、夕陽との誘いを了承しよう。
そしてそれぞれに自分の気持ちを伝えよう。
俺は空いている日を確認して、近いうちに会えないかリサに連絡を入れた。
そして夕陽からの誘いを飲む返信をして、一つ大きくため息をついた。
正直なところ、告白されてお断りの返事をするというのは未経験のことだし、逆もまた然りだけど、それがある程度親しい人ともなれば、今後の付き合いがどういうものになるのかもわからないし気まずくはある。
けどだからと言って電話やメッセージで済ませたくはない。
淡々とお風呂に入るために服を脱ぎながら、二人のことを考える度に落ち着かなくなる自分がいた。
公私混同するわけにはいかないので、普段の大学での課題と、予備試験の勉強も気持ちを切り替えながら取り組んでいた。
効率よく勉強するためには体調管理の徹底が必要不可欠。
気を張りすぎると普段の生活がストレスになってしまうので、ある程度手を抜ける所は抜きつつ、1月の試験に備えなきゃならない。
今後の流れをしっかり考えながらお風呂を出て、温かいうちに布団に入って眠りについた。
二人との予定を無事に確保したそんな或る日、いつものように空きコマの時間に図書室へ向かった。
曇った空が見える窓際に座って、荷物を置く。
借りていた本を返却して、また新たに目当ての本を探すべく、近くの棚を物色していた。
上の方を取ろうと手を伸ばした時、すっと現れた人影に気付いた。
「・・・夕陽」
「よ、おつかれ。」
彼はいつものように柔らかく微笑んで、俺の側へ寄った。
「どれ取ろうとしてた~?」
背の高い彼にそう世話を焼かれて、視線の先にある本を指さした。
「ん・・・はい。相変わらず難しそうなの読んでんなぁ・・・」
「・・・口述試験が近いから・・・」
本を開きながらそう口にすると、夕陽は黙って俺を見つめていた。
話さなくなった彼を見上げると、信じられないという表情で口を開けていた。
「なに?」
「え・・・・・・薫お前もしかして、もう予備試験受けてんの?」
「え・・・うん・・・。」
「嘘だろ・・・。え、じゃあ・・・もしかして、それ受かったら来年司法試験受けんの?」
「そうだよ?」
夕陽は何とも言えない表情を返して、いつもの長机に向かいながら言った。
「俺はてっきり・・・弁護士になるって聞いた時から、院まで行ってそれから司法試験受けるんだと思ってたよ。」
俺は同じく席に戻って、パソコンを開いた。
「院まで行くお金はないからね・・・。」
夕陽は何か嗜めるような目をして、頬杖を突く。
「・・・それはさ・・・親に頼るべきじゃね?」
「・・・そうかもね。でももう、俺に親はいないものと思うしかないから。それに4年間通うために主席入学して、奨学金無利子を借りれたし、弁護士になれたら奨学金はちゃんと自分で返せるし・・・やってやれないことはないよ。」
「・・・ふぅ・・・まぁ薫のやり方にとやかく言うのもおかしいか・・・。ていうか予備試験ラストなら7月から受けてたってことだよなぁ・・・。普通に遊びに誘いまくってた自分が情けねぇわ・・・。言ってくれりゃもっと気ぃ遣ったのに。」
「別にそんなこと気にしなくていいよ。いくらか遊びに行く日があったとしても、試験落とすわけないじゃん。」
「あれ~?薫って俺が思ってたより天才かぁ?」
「ふふ・・・」
「つーか来年の7月に司法試験受かったら・・・19歳で弁護士資格あるってことじゃんか・・・。やべぇな・・・。」
夕陽にそう言われてふと思い出した。
先輩のお兄様もまた、弁護士を志していると言っていた。
現在は飛び級してもう4回生だとおっしゃっていたけど、院に行くんだろうか・・・。
「どした~?」
手を止めて考え込む俺に、夕陽は机に突っ伏したまま問いかけた。
「え?ううん・・・」
今4回生なんだとしたら、もうほとんど大学で会うことはないだろうな・・・。
現に今まで講義を受けてて一度もお見受けしたことないし・・・。そもそも同じ空間にいたら目立つからわかるし・・・。
「ん~・・・聞いてみようかなぁ・・・でもなぁ・・・。」
「・・・何を~?」
俺の独り言に反応する夕陽が、可愛い上目遣いで見上げてきて、思わず口元が緩んだ。
「・・・何だよ・・・可愛い顔して・・・。」
「別に?」
その後課題をやりつつ夕陽の雑談に付き合い、パソコンを鞄にしまおうとしたとき、以前記入だけして忘れていた通帳が、鞄の底にあるのに気付いた。
「あ・・・しまうの忘れてた・・・。・・・・えっ!?」
何気なく確認した通帳に、思わぬ額の振り込みがあって声が出た。
「どした・・・?」
海外から振り込まれていたそれは、父さんからのものだとわかった。
振り込んでくれているかの確認をせずに入院費を払っていたので気付かなかった。
多めに振り込んでおくとは言っていたけど、予想していた額の桁を超えていた。
「何で・・・」
「大丈夫か?」
考え込んでいた俺に、ついに夕陽はそう声をかけてきた。
「・・・うん・・・。」
一先ずこの件は家に帰った後メールを送ることにしよう。
全て鞄にしまい終えて、俺も同じく机にぐだっと半身を預けた。
「・・・もう・・・考えること増やさないでほしいな・・・」
ぼやく俺の頭に夕陽の優しい手が乗った。
「・・・薫~・・・何かあったなら俺に頼っていいぞ~。」
彼はそう言いながら俺の頭を撫でて、チラっと伺った表情は少しデレデレしてるように見えた。
「・・・・大丈夫だから。ホント何でもない。困ったことが起きたわけじゃないんだ。」
「そうなのか?・・・それならいいけど・・・。無理すんなよ?頑張ってんだからまた焼肉食べ放題奢ってやるよ。てか来週末のデート、どこ行くか決めてなかったし、買い物行って・・・夜は焼肉にしようぜ。」
「いいけど・・・奢ってもらうのは申し訳ないからいいよ、自分で払う。」
「別にそれくらい遠慮しなくていいぞ?何千円かのことなんだから。それに・・・誘ったの俺だし。」
面倒見のいい夕陽は、事あるごとに俺を甘やかす癖がついてきているように感じた。
「ダメだよ、夕陽のそうしたいっていう気持ちは嬉しいけど、俺は甘やかされたくないから、友達なんだしフェアにいこうよ。」
体を起こしてじっと見つめてくる夕陽は、少し何か考える間を取ってから頷いた。
その後今日最後の講義を受け終わって、鞄を持って立ち上がると、少し離れた所で夕陽の名前を呼ぶ女の子の声がした。
何気なく視線をやると、何人かの集団の中にいる夕陽は、いつもの笑顔で友達と話していた。
その瞬間不意にパチっと夕陽と目が合った。
すると彼はニコっと笑みを返してきて、俺はまた明日と告げるように手をあげた。
鞄の重さを感じながら講義室を出て、生徒たちに紛れながら廊下を歩いていると、突如ぐっと肩を掴まれた。
「薫待って・・・一緒に帰ろ。」
ビックリして息を切らす彼を見上げた。
「あ・・うん。」
安堵したような表情を返す彼は、横を歩きながら俺を覗き込むように言った。
「勉強で忙しいのわかってるから・・・デートの約束もしたし・・・この後遊ぼって誘うのもなぁと思ってさ・・・だったらせめて駅までは一緒に帰りたいから。」
恥ずかし気もなく夕陽はそう口にして、愛おしそうにする目を思わず逸らせた。
「そっか・・・」
そうして一緒に歩いて校舎を出た頃、視線の先にいる人物に目が留まった。
「あれ・・・もしかして・・・夕陽、ちょっと待ってて。」
「え?」
俺は思わず少し先にいる人影に駆け寄った。
「あの、すみません。」
俺を振り返ったその人は、先輩と瓜二つの顔立ちをしていて、背格好までそっくりだ。
「失礼ですが、高津・・・美咲さんでしょうか。」
「・・・ああ、そうだけど」
「申し遅れました、咲夜さんの高校の時の後輩で、柊と申します。咲夜さんからお兄さんのお話をよく伺っていました。」
美咲さんは合点がいったように、綺麗な瞳を少し丸くしてから、表情を崩さず答えた。
「ああ、そうか、咲夜から聞いてる。同じく法学部だということも。」
「はい、お見掛けすることがなかったので、もうあまり大学にはいらっしゃらないのかなぁと思ってたんですけど・・・。俺今年から予備試験を受けてまして、美咲さんは院に進学なさるんでしょうか。」
「いや、家の仕事を別の方が引き継いでくれているから、卒業したらそれを請け負って働くつもりでいる。ちなみに予備試験は今年の1月に合格したから、司法試験は夏に受かったよ。」
「・・・・え・・・あ・・・・そうなんですか・・・・」
名家である高津家の元当主であるなら、当然大学院に行くものだと思い込んでいた。
というかほとんどの人が院卒の後、司法試験を受けるものだ。
俺が先輩から伺っていた情報以上に、美咲さんは桁違いな学力を持つ人なのかもしれない。
「・・・・何かアドバイスを求めてるのか?」
驚いて黙っていた俺に、美咲さんは淡々と述べた。
「あ・・・いえ、何となく興味本位で伺いたかったのと・・・何よりお会いする機会があったら、キチンと挨拶申し上げたいと思っていました。」
「・・・というと?」
美咲さんはその瞳から、大学生と思えない、人を見定めるような鋭い視線を返した。
「あの、マンションを先輩から紹介してもらえたのは、美咲さんがオーナーだったからなので・・・。その節は本当にありがとうございました。おかげさまで快適に生活出来ています。社会人になってから、免除していただいてた家賃分は、少しずつお返しいたしますので。」
俺がそう言うと彼は少し目を細めて、チラリと俺の後ろで待っている夕陽のことも見た。
「構わない。ハナから後々請求しようとは思ってない。」
「え・・・・いや・・・でも・・・」
「柊くんの事情は咲夜から聞いてる。親族からの援助なしで大学生活を送りながら、バイトして生活費を稼いでるんだろ?奨学金で通っているなら、後々それは君の借金になるということだ。高津家は別に金貸し屋ではないし、慈善事業を行ってるわけでもないが、協力してやりたいと言ったのは咲夜だ。君が入居することが決まった後、咲夜はわざわざ俺のうちに来て、柊くんの家賃分は自分が相続した遺産から差し引いてくれと言っていた。」
それを聞いて何も言えなくなった。
「もちろんこれは柊くんに口外することではないと思うが、俺が言いたいのは、助けを必要としている人が身近にいる以上、助けられる範囲で手を差し伸べるのは当然だと思ってる。もちろん柊くんがそれを易々と了承しない性格であることも、咲夜から聞いているし、君の気持ちはわかる。だから柊くんが納得できるように言うとしたら・・・咲夜がそうしてやりたいと思ったことに、甘えてやってほしい。あいつは普段友達の話なんてしないけど、『大事な友達を助けるために、自分の金を使うのは自由だろ』と言ってた。俺自身もその心意気には賛成だ。・・・まぁ、俺も弟から金を取るつもりはないけどな。」
そんなことを言われると、もうそれ以上問答するのも失礼に思えた。
俯いた俺の側に夕陽がやってきて、ポンといつものように大きな手を置いて撫でてくれた。
「ありがとうございます・・・。ご厚意に感謝します。」
「うん、柊くんが咲夜と友達でいてくれたことと、その言葉で十分だ。・・・じゃあな。」
優しい声でそう言った美咲さんは、静かにその場を去った。




