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第四十五章

その夜久しぶりの病院での入院生活が始まってしまい、心配をかけたくはなかったけど、夕陽にメッセージで事情を説明して、翌日自宅の鍵を受け取りに来てもらって、入院に必要な着替えなどを家から取ってきてもらうことにした。

一日目の病院の朝ごはんを運んできてくれた看護師さんに、俺は声をかけた。


「あの・・・俺どうして個室なんでしょうか」


すると看護師さんは淡々と替えの包帯の準備をしながら、にこやかに答えてくれた。


「現在は大部屋の方が満室でして、個室を使ってらっしゃる患者さんが数人しかいませんので、こちらにさせてもらいました。部屋の仕切り方によってはここも複数人の病室に出来ますから、特に入院費が変動することはないですよ。」


「そうですか・・・。」


俺が力なく返事をして朝食を見つめていると、俺の母親くらいの年齢の看護師さんは、腕の包帯を解きながら言った。


「不運だったわね、転んじゃって・・・。でも大丈夫よ、若い子はすぐに怪我は治るし。今日はお母さんかお父さん来てくださるの?」


俺はもう18だけど、その人からはもう少し幼く見えたのかもしれない、そんな聞き方をされてちょっと気恥ずかしくなった。


「いえ・・・両親とは随分会ってなくて疎遠なので・・・。友達に鍵を取りに来てもらって、色々持ってきてもらうことにしたんです・・・。」


「あら・・そうなの。ごめんなさいね、余計な事・・・」


「いいえ・・・お気遣いありがとうございます。」


その人は安心させるような穏やかな笑顔を返してくれて、何だか胸の中が少しだけじんとした。

テキパキと手当を済ませてくれて一人になった後、緑一色のプラスチックのお箸を手に取って食べ進めた。


朝9時くらいになった頃、スマホを眺めていると病室のドアがノックされた。


「・・・はい、どうぞ。」


ガラっと扉が開くと、心配そうな顔をした夕陽が少し肩で息をしながら入室した。


「あ・・・夕陽わざわざごめ」


「大丈夫なのか?」


つかつかと歩み寄ってさっとベッドの横に座って、若干顔色の悪い彼は食い気味にそう言った。


「うん・・・。擦り傷打撲と、足首の捻挫って感じ。入院は大袈裟かなって思ってるけど、先生曰く頭打ってるし、時間が経って具合が悪くなったりしたら危ないからって。でもまぁ・・・CT検査に問題なかったから、ほぼそういうことはないと思うけどね。」


俺が説明すると、夕陽は深く息を吐いて膝に手をつき項垂れた。


「はぁ・・・そっか・・・。」


「メッセージでも心配ないよって言ったでしょ?」


夕陽はじろっと上目遣いを返した。


「あのなぁ・・・薫の『大丈夫』は信用してねぇからな。まぁでもホント軽傷でよかったな。可愛い顔に傷もねぇし、痛いことは痛いだろうけど、ゆっくり休んで治せよ?」


「・・・ありがとう。」


鞄から自宅の鍵を取り出して、彼に手渡した。


「じゃあ悪いけど・・・着替えとか日用品とかお願いしてもいいかな。」


「おう・・・。届けに戻ってから、もちょっとゆっくり話しててもいい?」


夕陽はいつもより表情も暗くて、心配以上の不安の色が見えた。


「・・・うん、別にいいよ。」


俺はそう答えると、彼は落とすような笑みを残して病室を出た。

そういえば、リサからデートのお礼のメッセージがきていたけど、既読無視してしまっていたので返信することにした。

大した怪我でもないし、半月程で完治するならリサには知らせないでおこうかな・・・。

足を痛めている以上、しばらくは松葉杖が必要にはなるだろうけど、骨折しているわけじゃないし、会うことがなければ知られる心配はないように思える。

学部が違うからうっかり出くわす可能性も低い。それにもし出くわしてしまったとしても、大怪我なわけじゃないから、その時事情を説明出来る。

俺は次にスマホを取ってバイト先にも連絡した。

前回風邪で休んだこともあるのに、申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、相変わらず人のいい店長は理解を示してくれて、見舞いにまで行こうかと尋ねてきた。

そこまでは大丈夫ですとさすがに遠慮をして、怪我が治った暁には取り返すようにしっかり働くことを誓った。


「あ・・・夕陽に勉強道具とかも一緒に持ってきてもらおうかな・・・。いやでも・・・かなりの荷物になっちゃうし、勉強しないでしっかり休めとか言われそうだな・・・。」


少し動く度に体が軋むような痛みを感じては、ゆっくり枕に頭を乗せて目を閉じた。

風邪をひくこともあれば、事故に遭うこともある。

今回どちらも俺の不注意で起きた事のように思えるけど、その度に何か・・・自分自身に落胆したり、イラついたりしている気がする。

今はない家族を思いながら過ごすことは、とっくの昔にやめてしまったのに。


頭で理解していても、気持ちがついてこないんだ・・・

そう思うとふと合点がいったような気がした。

俺はきっと・・・年相応に悩む自分が嫌いなんだ。

当たり前なのに、それは当たり前だよ、大丈夫だよって誰かに肯定してもらいたいんだ。


「人間ってつくづくめんどくさいな・・・」


その後荷物を持って戻ってきてくれた夕陽は、先ほどと同じく晴れない表情のままで、ペットボトルの飲み物を開けながら隣に座った。


「ありがとう、色々持ってきてくれて・・・助かったよ。」


俺がそう声をかけると、やっといつもの柔らかい笑みを浮かべて、仕方のない弟を扱うように頭を撫でた。


「ああ・・・いいよ。困ってる時はお互い様だろ?・・・災難だったな・・・。あのさ・・・」


夕陽は少し気まずそうにしながら、手元を見つめて、今度は何か強請る子供のように視線を上げた。


「入院費も治療費もバカになんねぇだろ?俺多少貯金あるし、実家だし・・・いくらか貸すよ。」


「え・・・・いや・・・いいよ。実はその・・・エリザ経由で父さんに連絡いれてさ、いくらか振り込んでもらうことにしたんだよ。」


「そなの?大丈夫だったん?」


「うん、快諾してくれたよ。掌返すような人でもないと思うから、とりあえず今回の金銭面での不安はないから、大丈夫。」


「そっか・・・んなら良かったわ。親父さんいい人なんだな。」


「いい人・・・・・。どうかな・・・夕陽程じゃないよ。」


冗談めかしに言うと、彼はふっと口元を持ち上げて、でも少しやっぱりというか、元気がないように思えた。


「夕陽・・・」


「ん?」


「大丈夫?なんかあった?」


そう問われたのが心底意外だったんだろう。

顔色悪いまま、夕陽は病室のあちこちに視線をやって、やがて「ごめん・・」と言って俯いた。


「俺・・・病院ちょっと苦手なんだ・・・。」


「・・・そうなんだ、俺も嫌だな・・・もう入院することなんてないと思ってた・・・のに・・・・」


頭の中で夕陽がそう言った理由を考えながら発していた言葉が、彼にとって無意味であることに気付いた。

ゴクリと喉を鳴らして俯いたままの夕陽は、去年事故で妹さんを亡くしたばかりだ。

もしかしたら運ばれた病室まで駆け付けたのかもしれないということは、容易に想像できる。

大切な家族を失った場所に、俺は連れてきてしまった。

夕陽が最初にドアを開けて見せたあの表情

青ざめて瞳を震わせて、今にも崖から突き落とされるんじゃないかというほどの緊迫感すら抱えて、きっと手足は冷え切っていただろう。


「・・・夕陽・・・ごめ・・・ごめんね・・・」


今度は俺が震えながら肩に触れると、悪い夢から覚めたように彼は顔を上げて、苦笑いを返した。


「何だよ・・・何で薫がそんな顔すんだよ・・・。入院は2、3日だろ?病気なわけじゃねぇんだから、怪我なんてすぐ治るって。」


触れられた俺の手を取って、夕陽は大事に包み込んで握った。

そして愛おしそうに目を伏せて、包帯が巻かれていない手の甲にキスを落とした。


「痛々しいことになったなぁ・・・。迷惑かけてるなんて思うのやめろよ?俺は薫が好きで好きで仕方ないんだから、むしろ・・・佐伯さんより俺をパシってくれて嬉しいっつーか・・・・ラッキーって思ってんだぞ?」


「・・・ふ・・・何言ってんのさ・・・」


「だって・・・見舞いに来たのは俺が一番のりだろ?」


「そうだね・・・」


「やった・・・・。薫・・・好きだよ。」


夕陽は優しい目をわずかに潤ませて、今度は俺の頬にそっとキスした。

泣きそうになってた俺の頭を撫でて、それからはずっと・・・優しい言葉をかけてくれた。

そのうち他愛ない大学での話をしてくれて、俺が何を申し訳なく思って悔いたのかも、尋ねることはなかった。


生々しい現実を生きながら、俺はいつも自己嫌悪にかられては、後悔が付きまとっている。

それが当たり前で大したことではなくて、支え合えば簡単に楽になってしまうし、はたまた傷つけあってしまったり、簡単にこじれる関係を今まで恐れていた。


夕陽は俺に、それを恐れなくていい、と言ってくれた。

彼が抱える寂しさや、悲しみや、劣等感や、自己嫌悪を、俺はまだ少ししか知らないけど、そうしなければと無意識にも貼り付けてる笑顔を、剥がして解いてあげたかった。


「薫~・・・大好きだよ~」


今日の別れを惜しむように、夕陽は指で俺の頬をなでながら、またそう言った。


「・・・・ありがとう。俺も夕陽が好きだよ。」


仕方なくきちんと言葉にしてみると、夕陽は我に返ったように眉を下げる。


「・・・早く夕陽だけだよって言ってくれ。」


大切な人とのやり取りが、当たり前ではないことを、俺はもう知っている。


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