第四十四章
リサとはその後、予約していたちょっとお洒落なイタリアンの店に行った。
イタリア料理が大好きな彼女は、あれこれメニューを見ながら豆知識を教えてくれた。
「おじいちゃんがね~イタリアで料理人してたの。」
「そうなんだ、すごいね。」
「すごいのかどうかはわかんないけど・・・でも若い頃に腕痛めて辞めちゃったみたいで、その後日本に来てたみたい。ホントはね、料理が美味しそうな国をいくつか回って、一人旅だ~って繰り出したみたいなんだけど、最初に行った日本が思いのほか気に入っちゃって、そこでおばあちゃんとも出会ったから、結婚して永住しようってなったんだってぇ。」
リサはパスタをくるくる巻きながら、嬉しそうに話した。
リサ 「そういうおじいちゃんの話をよね、よく聞いてたの小さい頃。料理も教えてくれたりしたけど、結局はおばあちゃんの惚気話ばっかりするからさぁ・・・。」
「そうなんだ。なんか微笑ましいね、お年を召されても奥さんの惚気話するって。」
リサは頬張ったパスタを美味しそうにもぐもぐしながら、ふふっと笑う。
「だからね、料理は好きだけど・・・お嫁さんになるのが夢ってなっちゃったの私・・・。」
「そっかぁ・・・。」
綺麗な所作で料理を口に運ぶリサを見ながら、俺もまたパスタを頬張った。
リサとのデートは最初こそ緊張していたものの、何度か重ねて一緒に色んな所に足を運ぶと、まるでずっと前からの友達だったように自然体でいられるようになった。
お互い気を遣うこともあるけど、無理な気持ちを押し付け合わず、他人に対して控え目な性格が似ているのかもしれない。
穏やかに時間を共有することが、夕陽と一緒に居る時と同じく、居心地のいい幸福感を与えてくれていた。
夕食を済ませて、駅前でリサと別れた後、また最寄り駅に向かうための電車に乗った。
日の落ちた電車からの景色を、最近よくボーっと眺めている気がする。
それもまた、二人とどこかに出かける機会が多くなったからだ。
ふとスマホを確認すると、数時間前に夕陽からメッセージが届いていた。
そこには『今日バイト休み?』と短く送られていた。
返信するのが遅すぎる気がするけど、俺は出かけていた旨を伝えた。
そのメッセージのやり取りを、じっと見つめながらふと思う。
リサは最初から俺のことを恋愛対象として見ていた。対して夕陽は、最初は友達だったけど、気になるなぁという淡い気持ちから、恋愛感情に変化していったと言っていた。
俺はと言うと・・・二人に好意を向けられたから、その気持ちが変化した・・・ということになる。
その好意がなければ、俺は二人に対してずっと大事な友達意識だったろうか・・・
喧騒に紛れて駅のホームに降りたち、波にのまれるように階段に向かう。
いや、たぶん違うだろうなぁ・・・
二人は超がつくほどいい人に思えるし、夕陽に対しては普通の友達意識が長く続いたかもしれないけど、関わり合う関係性を持っていれば、リサには意中の相手という気持ちを抱いていたと思う。
幼い頃から今まで、わりと数奇な人生を送っていたせいか、恋愛観がずれている気がしていた。
何事も経験なのは間違いないけれど、二人に対してこれでいいんだろうか・・・という手探り状態で日々を過ごしてる。
どやどやと込み合っていた駅構内は、階段を降りる頃には引き潮のように凪いで、ポツリポツリと皆降りていく。
その時ただボーっとしていた。ニコニコと手を引いてくれたリサを思い出しながら、オレンジ色をバックに微笑む夕陽を想像しながら。
気が付いたら俺は、その場で足を滑らせて、落ちる景色がゆっくり視界に広がっていた。
ああ・・・二人を悩ませてる天罰なのかな。
それが転げ落ちる前の最後に思ったことだった。
これなあに?
百人一首っていうカルタよ。
ふぅん・・・僕もカルタやる。
薫にはちょっとまだ難しいんじゃないかなぁ。
きっと5年生くらいになったら遊べるよ。
そっかぁ・・・。
皆一つ一つの詠に意味があるのよ・・・短い手紙みたいなものなの。
そうなんだ・・・。
お父さんはこれが好きだなぁ。
え、これ~?なんで~?ケホケホ・・・
薫、もう寝てなさい。
「瀬を早み・・・岩にせかるる滝川の・・・われても末に、逢わむとぞ思ふ・・・」
海へと繋がる頃、俺はいったい誰と一緒になってるんだろう。
一瞬意識を失ったものの、救急車の中で目を覚まし、病院に運ばれた後色々と検査を受けて、そこまで大した怪我もなく、足首を痛めたのと、体に擦り傷や打撲を受けたくらいだった。
「良かったねぇ、まぁ2、3日くらいは入院が必要だけど、全治半月ってところかな。何か柔道でもやってたの?頭を守って転んでえらかったね。」
「いえ・・・。ありがとうございます。あの・・・入院費ってどれくらい・・・」
「それはまぁ親御さんに来てもらって、受付で退院する前に払ってもらうよ。何か保険に入ってるなら随分安くなったりするからね。」
「そうですか・・・」
ボーっとしていた自分に非があるとはいえ、何か妙にイラついていた。
「あの、入院は結構です。CT検査も問題なかったんですよね?」
「そうだね、ちょっと脳震盪起こしたくらいだろうね。・・・けど万が一数日後に倒れたりしたら大変だよ?」
「いえ・・・その・・・」
心の中で落胆によるため息がもれた。
確かに万が一不調があった場合、自分で咄嗟に救急車を呼べるかどうかは定かじゃない・・・。
でも足と体痛いくらいなんだけどなぁ・・・。
手当を済ませられて包帯だらけではあるけど、普通に椅子に座って気の優しそうな院長の話を流し聞いていた。
まぁでも仕方ない・・・
医者とのやり取りを済ませた俺は、受付で検査費や治療費をカードで支払った。
看護師さんが車いすを用意してくれたので、それに座って病室に着くと、存在を忘れていたスマホを返してもらった。
スマホを見ながら階段を降りていたわけではないけど、手に持っていたので保護カバーが割れてしまっていた。
本体自体は故障していなかったので、何となく受信する電波を頼りにメッセージを確認した。
けど今は連絡を返すよりも大事なことがある。
通された病室は個室だったので、俺はさっさと電話をかけてしまうことにした。
イライラした心情とは裏腹に、無機質なコール音が片耳に伝わる。
「Hi!!薫!どうしたの?貴方からかけてもらえるなんて思ってなかったわ!」
「エリザ・・・久しぶり。ごめんね、突然申し訳ないんだけど、そっちが今何時ごろか確認せずにかけているから・・・父さんは今どこにいるかな?」
「Dady?今は家にいるよ?代わろうか?」
「うん、お願い。」
なるべく早くやり取りを終わらせたかった。
自分のせいで起きた事故なのに、どうして俺はこんなにモヤモヤしてるんだろう。
「もしもし薫か?どうした」
「突然すみません。実は自宅に帰る途中、駅の階段で足を滑らせまして、予想外の怪我をしてしまいました。2、3日の入院を要すとのことで、何分自分のわずかな稼ぎと貯金で生活をやりくりしていますので、虫のいい頼みではあるんですが、治療費を振り込んでいただけないかと・・・」
電話口から聞こえていたコール音と同じくらい、淡々と無機質に投げかける自分がいた。
「怪我?大丈夫なのか?まぁ・・・今そうして話せているのだから、大怪我ではないんだろうな・・・。わかった、いくらくらい必要だ?」
父は意外にも二つ返事でオーケーしてきたので、若干調子を崩されて言葉に詰まった。
「いや・・・生活費の援助もしてやっていないから、多めに振り込んでおくよ。」
「・・・随分気前がいいんですね・・・。俺が卒業するまでしか実家の家賃は断固として払わないとおっしゃっていたのに・・・。」
「・・・それは・・・母さんがな・・・もう薫と関わってくれるなと言ってきたからだ。てっきり母さんが引き続きお前と一緒に暮らしていくと思っていたんだが・・・」
「母さんとはもう2年以上連絡を取っていません。あちらの家庭を邪魔することもしたくないので・・・もちろん父さんに対してもそう思ってますが・・・。とにかく用件はそれだけなので、申し訳ないですが退院するまでに後でメールで送る口座に振り込んでいただければと。」
「・・・薫・・・」
父はどこか寂しそうに俺の名前を呼んで、沈黙を落とした。
今更懺悔して謝罪しようものなら、即刻電話を切るつもりでいた。
「いや・・・何でもない・・・。それじゃあすぐにでも振り込みに行くから、連絡待ってるぞ。」
「・・・・はい。ありがとうございます。失礼します。」
文句を言うはけ口にもなってくれないのか。
もうやっぱり俺の親ではないんだろうな・・・。
だらんと下げた腕にスマホを持ちながら、徐々に目の前が滲んだ。
痛めた足が、体が、全身が痛む。
何とか体勢を変えてベッドに潜り込み、懐かしい白い天井を眺めた。
「・・・ふ・・・あ~あ・・・。あの小説みたいに・・・俺もあの時・・・好きな人と死にたかったな・・・」
惨めったらしい涙が、白い枕に吸い込まれた。




