第四十三章
カラオケの一室に二人して入って、席につくや否や俺はリサに向き直って言った。
「あの・・・」
身構えた俺に、リサはパッと見て「ん?」と可愛らしい声で答える。
「リサごめん・・・その・・・二人っきりで話したいならカラオケがいいっていうのは、本当に思い付きで・・・決して下心があって提案したわけじゃないんだ。後・・・さっき本を選んでる時にリサにくっつかれて反応してたのは・・・その・・・前風邪ひいた時に、ちょっとやらしい大人な夢を見ちゃって・・・そのリサを思い出しちゃったから恥ずかしくなっただけで・・・別に今日リサとどうこうなろうとか、そういう意図は絶対ないから。」
俺が両手を膝について説明すると、雑にテレビから流れる広告の音だけが流れて、リサは面食らったように視線を動かした後、緊張の糸が解けたように笑顔になった。
「あ・・・はは・・・そうなんだ。別に薫くんが何かしようと思ってここに連れ込んでるなんて思ってないよ。それに・・・私はそういうこと薫くんにされても嫌だなんて思うことないし・・・。でも、薫くんは私と朝野くんに対してそういうことはしないって決めてるんだもんね。ちゃんと話してくれてありがとう。」
リサはそう言い返して、俺の方へ席をつけるようにお尻を動かし、手をぎゅっと握ってくれた。
「うん・・・誤解されてないならそれでいいんだけど・・・リサに不快な思いさせてないかなと思って。」
「してないよ~~・・・。ああ・・・でも・・・私さっき変な態度取っちゃってたよね、私の方こそごめんね?」
「ううん・・・。」
リサはドリンクバーで取ってきたジュースに口をつけて、そっとテレビから流れる音量を小さくした。
「あのね・・・私さ・・・好きな人とか付き合う人にちょっと重くなっちゃう系で・・・もしかして薫くんにベタベタ触ってるの嫌がられちゃったかなと思って自重したの・・・。」
「そうだったんだ・・・」
リサは暗い顔を一先ず切り替えて、気を取り直すように聞いた。
「それより~・・・薫くんが見てたちょっと大人な夢ってどんなの?」
「え・・・・・・それ聞くの?」
「うん♡私とどんなことしたのかなぁって」
「・・・別に期待に沿うようなものじゃないよ?ホントにすぐ目ぇ覚ましたし・・・。ちょっとその・・・大人なキスをして、ズボンを下ろされそうになったくらいで・・・」
それに夕陽もいたことは言わないでおこう・・・
「へぇ?そうなんだぁ・・・。」
リサは意地悪な笑みを浮かべて、ピッタリ隣にくっついて俺の肩に頭をトンと乗せた。
「薫くんってさ・・・女の子とエッチしたことある?」
「・・・ないよ」
「そうなんだ・・・・。男の子とは・・・あるよね、小説に書いてたし・・・」
「そうだね・・・。」
今思うと、先輩と肉体関係があったということを明かすのは、結構なことだったように思う。
まったく二人の知り得ない人物であるならまだしも、先輩は大学の先輩でもあるし、リサからしたら同じ学部の同級生だ・・・。
「気持ち悪いって思う?」
俺は何の考えも無しにそう投げかけていた。
「ええ?思わないよそんなこと・・・。その時愛し合いたいって思ったからそうなったんでしょ?きっとね、高津くんだって薫くんのことちょっとは好きだったんだよ。」
「・・・・・どう・・・だろうね。」
先輩が俺をどう思っていたかということに関しては、ほとんど考えないようにしていた。
もちろん嫌われているわけがないだろうし、そういうことを許してしてくれたんだから、好きな方だったとは自負してる。
けど先輩にとって、俺とする性行為は特に意味があるものではなかったはずだ。
「ね、薫くん・・・高津くんを好きになる前に、好きな人はいた?」
そう問われてふと、フワフワした気持ちが落ちた気分になった。
「・・・そうだね。」
短くそう答えると、リサは頭を起こして俺の顔を大事そうに見つめる。
「話したくない?」
「・・・・・・リサが聞きたいなら話すよ。」
「そっか・・・聞きたいな・・・。」
控え目にそう言う彼女にまた手を握られて、ゆっくり記憶を遡った。
「入院してた話はしたよね。その時に同室で仲良くなった女の子がいたんだ。同じく読書好きで、色んな本を教えてくれて、将来医者になりたいって話してた。その子と過ごす時間が好きだったし、初恋だったんだと思う。好きなのが当たり前みたいに自覚しながら、四六時中一緒にいたよ。でも・・・ある日隣のベッドは空になってさ・・・退院するなんて話はしてなかったし、もしかして病室を移ったのかなって思って、うろうろ院内を探し回ったんだ。もちろん担当してくれてる先生や看護師の人にも聞いたんだけど、別の病院に移っちゃった、みたいなこと言ってたんだよね。けど俺はさ、それが子供に対して誤魔化してる大人の嘘だって気付いたんだ。」
視線を落とす俺の右手を、リサは力を込めて握った。
「それで・・・院内にいる他の患者さんたちが・・・噂話してるのを何となく聞いちゃってさ・・・。可哀想にね、亡くなったんだってね・・・みたいな・・・。それを聞いてさ、一生懸命いなくなった日の前日を思い出したんだ。でもそこまで容体が悪かったように俺には見えなかったし、騒がしくなってた記憶もないんだ。けど・・・ホントのところ・・・あんまり詳しい記憶ないんだよね。もしかしたら予兆はあったのかもしれないけど、都合よく記憶が抜けてるのかもしれない。その時7歳くらいだったかなぁ・・・。」
こんな昔の話を、改めて誰かにすることになるとは思わなかった。
別に絶対に聞かれたくない過去ということでもない。
でもパンドラの箱ではあったのかもしれない。
「そっか・・・。ありがとう、話してくれて。その子どんな子だったの?」
「俺より少し年上の可愛い子だったよ。生え変わりで歯が抜けててさ、その笑顔すら可愛くて・・・。俺のこと弟みたいに可愛がってくれてた。うっすらだけどね・・・本当にうっすらだけど・・・その子が俺に『薫くん、大好きだよ』って、今のリサみたいに手を握って言ってくれたこと、覚えてるんだ。」
「へぇ・・・そうなんだ。素敵な思い出だね。」
「うん。なんか・・・しんみりさせちゃってごめんね。」
「ううん!私が聞いたんだし・・・思い出して辛かったらごめんね・・・。」
案の定リサは心配そうに俺を見たので、彼女の頭をそっと撫でた。
「つらくないよ。今はリサや夕陽みたいな、大事な友達がいてくれてるから。話を聞いてもらえるって・・・昔はそんなになかったからさ。懺悔じゃないけど・・・別に昔話が嫌なわけじゃないんだよ。」
俺がそう言うと、リサはうっすら涙をにじませて、俺に抱き着いた。
「薫くん・・・大好き。」
「・・・ありがと「世界一好き。今まで好きになった人の誰より、薫くんが好き。」
リサは潤ませた茶色い瞳に俺を映した。
「薫くんが誰かとお付き合いすることになっても、遠く離れた場所に行っちゃったとしても、結婚することになったとしても・・・私ず~~っと薫くんが大好き。恋に盲目になってるって思われても仕方ない言い方しちゃってるけど・・・でも違うの。私ね・・・」
リサは涙をこぼさないようにこらえながら、絡めた指を見つめた。
「きっとね・・・薫くんに出会うために生まれて来たんだよ。」
そんなことを真っすぐに言うリサを見て、どうしてか俺まで目頭が熱くなってくる。
「薫くんの・・・幸せだと思う未来がどんなものかわからないけど・・・好きな人が自分のことも好きになってくれるって・・・早々起こることじゃないよね。ノンフィクションの小説の中の薫くんは、そういう現実を描いてると思ったの。でもそれが必ずしも悲しいことじゃないとも思わせてくれてた。でもね・・・私はね・・・さっきも言ったけど、付き合えば重たい彼女だし・・・メンヘラって言われるし・・・何でもしてあげたくなっちゃうし・・・相手の言うこと聞いちゃうし・・・そんなダメな人間だけど・・・薫くんとは・・・手ぇ繋いで、一緒に隣をずっと歩けたらなって心から思うの。この気持ちが、気の迷いとか盲目になってるだけだとか、他人から見て思われたとしても、私今度こそそんな言葉に不安になったりしない。薫くんを好きになった私は、間違いじゃないって思ってるから。」
堪えきれなかった涙が、リサの白い肌に静かに伝った。
こんなに真っすぐな気持ちを伝えるために、今日のデートを考えてくれてたのかな・・・。
自分のためと、人の為は紙一重だけど、リサの方こそ俺のことを考えて関わってくれる大事な一人だ。
彼女の最大の魅力は、伝えたいと思う気持ちを一生懸命伝えられる人柄。
拙い言葉が、これまでを語るリサの気持ちが、これ以上ないくらいの告白に思えた。
「・・・ありがとう、リサ・・・。ありがとう以外に・・・何て言ったらいいかわかんないや・・・」
「ふふ・・・いいの、聞いてくれてありがとう。後、聞かせてくれてありがとう。」
今度は俺の腕をぎゅっと取ってくっつくリサの、胸が押し付けられて一瞬また体がびくっとしそうになった。
愛おしい気持ちが落ち着かなくなっていって、右上の天井を見上げるとしっかり監視カメラが見える。
ハナから見られたらまずいことなんてするつもりはないけど、何とも心臓に悪い状況なのは違いない。
その感触を考えないようにしながら、リサが話していたことを思い返した。
「ねぇリサ・・・メンヘラってさ・・・言葉としては知ってるし、ニュアンスはわかるんだけど・・・それって悪いことなの?」
「え・・・ん~・・・・たぶんだけど、だいたいの男の子はそういう女の子をめんどくさいって思うんだと思うし、メンタルが安定してない人を相手にするって単純に疲れるから、悪い印象があるんじゃないかな。」
「・・なるほど・・・。じゃあどうしてリサは付き合う男性に対してメンヘラになるの?」
リサは改めて聞かれることもなかったのか、少し引きつらせるような笑顔を落としながら考え込む。
「ん~~・・・たぶん気を回し過ぎちゃうからかなぁ・・・。相手の気持ちって薫くんが話してくれたみたいに、正直に打ち明けてくれないとわからないものなのに、不安になったら確かめることも怖くて、こうなんじゃないかなとか、こうしたらよかったかな、とか考えすぎちゃうから不安定になるのかも・・・。けどね、考えて振舞わないと嫌われる気がしてもっと不安になるというか・・・。別に恋愛してなくてもメンタル安定してないのかな・・・。」
「嫌われることが怖い・・・」
その感覚は圧倒的に俺とリサの違いだった。
「薫くんはそういうの思わない?」
「俺はきっと・・・いい意味でも悪い意味でも諦めがいいというか・・・。嫌われるならその人と相性悪いのかなとか、縁がなかったんだろうなって思っちゃうかな。好きな相手にはそりゃ嫌われるの怖いって思って接してたかもしれないけど、先輩に対しても自分の両親に対しても、心のどこかで・・・ああ、俺のことは眼中にないから、愛してくれないんだなって諦めてたと思う。嫌われることは日常茶飯事でもあったし、大事な人を大事にする方法もわからないし、大切な誰かを持つ資格ないなぁみたいな、悪い逃げ方をしてたんだよ。」
俺がそう説明すると、リサはしばらく考えるようにして「そっかぁ」と落とした。
「でも今は・・・二人が向けてくれる気持ちから目をそらさないように、向き合ってるつもりだよ。」
「・・・ふふ、そうだよね。」
そんな会話をポツリポツリとお互いこぼしながら、夕食を予定してる店に行くまでの時間を過ごした。




