第四十二章
先輩と別れた後、俺は待ち合わせ場所である最寄り駅へと向かうために、電車に乗り込んだ。
先輩と友達らしく過ごせた少しだけの時間を、自分の成長として噛みしめていた。
車窓から見える景色が、一段と綺麗に見えるし、これからリサとデートだという楽しみな気持ちも湧き上がってくる。
隣町の駅に降り立ってスマホをもちながら、待ち合わせしている人達をキョロキョロ眺め、その人の多さに辟易した。
仕方なく電話をかけようと画面に目を落とした瞬間、体に衝撃を受けた。
「薫くん!」
「わ!・・・リサ・・・ごめんね、俺の方が待たせてたのかな。」
がしっと飛びついてきた彼女の手を取って言うと、リサは相変わらず天真爛漫な笑顔を見せた。
「えへへ♡全然!2、3分前に着いた感じ。私もだけど薫くんもいっつも早めに来てくれるよね。」
「まぁ・・・待たせるのは失礼だしね。」
「んふふ、一緒に居られる時間ちょっとでも長くなるから嬉しい。じゃいこっか!」
そう言って手を引いていくリサについて歩いて、慌ただしい人波をすり抜けていく。
「・・・今日は夕飯の前に買い物でもするの?」
「それもいいけど~私ちょうど薫くんとのデートにいいな!ってとこ見つけちゃったの。この駅付近はよく友達とも来るし、家近いから遊び場なんだけど、新しいお店が最近出来てね、絶対薫くんと行きたい!って思ってたんだぁ♪」
「へぇ・・・楽しみ。」
どういう所を考えてくれたのかわからないけど、あえて言わない様子だったので、俺もワクワクしながらついていくことにした。
自信満々なリサは、ぎゅっと指を絡めて恋人繋ぎにする。
駅構内を抜けて外に出ると、10月に入った空は日が落ちてきたオレンジが綺麗だった。
「夕陽・・・」
自分の口からぽろっとその名前がこぼれて、自分自身に驚いた。
「あ、ホントだ、今日天気よかったから綺麗だね~。」
彼女も同じく落ちていく太陽の方を向いて言った。
思わず口にしたそれを、リサには名前だとは悟られなくて安心した。
動揺を見せずにまたリサの雑談に合わせて、5分ほど歩いたところで彼女は立ち止った。
「ここだよ。」
「ここって・・・ブックカフェ?」
「そ!ゆっくり出来るし、好きな本読めるし、薫くんとのデートには最適って思って・・・」
「・・・ありがとうリサ。こういうとこ、気になってはいたけどいざ来たのは初めてだなぁ。」
「えへへ♡でしょ?意外と近くにないとなかなか行かないよねぇ。」
リサは嬉しそうに俺の手を引いて店のドアを開けた。
落ち着いた雰囲気と本とコーヒーの香りがした。
図書館程の静寂でなくて、皆思い思いに飲み食いしながら本を片手に寛いでいる空間だ。
にこやかな店員さんに案内されて、本棚近くの空いた席へと二人して腰かけた。
「はぁ・・・落ち着くね~」
「そうだね。・・・リサ、いつも俺に合わせて出かける場所決めてくれてる?」
何だか少し申し訳なくなってそう尋ねると、リサはキョトンとしてかぶりを振った。
「ううん、単純に気になったからここだ!って思ったの。後ね、薫くんに私の好みを知ってもらって、司書さんみたいにお勧めしてもらいたいなぁって思ったの~」
リサは自分の理想を実現出来たかのように満足そうな笑みを浮かべた。
メニューを二人で見て飲み物を頼んで、いざ連なった本棚の森へと向かう。
「すっごく高いところまで本並んでるね・・・」
「そうだね・・・。それで・・・リサはどういうの読みたいの?」
司書とまではいかなくても、子供の頃から名作やらメディア化されたものやら、たくさん読んできた方なのである程度の期待には応えられるかもしれない。
リサは俺の手を取って本棚の隙間を歩きながら「ん~」と唸っている。
「ミステリーとか好きなんだけど・・・でも最初は恋愛小説とかかなぁ。薫くんそういうの読む?」
「うん、いくらか読んだことあるよ。日本の作家か、海外の作家かどっちがいい?」
「あ・・・そっか・・・ん~・・・・じゃあ日本の作家さんのにしよっかな!」
「オッケー。是非読んでほしいものがあるんだ。でもね・・・」
リサの手を引いてジャンルが掲げてある札を見上げ、ある程度目星をつけて歩き進めた。
日本の純文学作品の棚で、更に出版社を絞って探す。
恐らくお店には検索機があるし、店員さんに聞いたらすぐ見つかるんだろうけど、自分に引っかかりそうなものを探すような、本棚を眺める時間も好きだった。
そしてありがたいことに、絞り込んだ棚でそれを見つけることが出来た。
「あった・・・あのね、夕飯を食べに行くまでの時間で、読み切れないかもしれないんだ。結構長いからね。」
そう言って手に取った本のページをパラパラめくる。
「でもこれはきっと・・・リサも好きなんじゃないかなぁって思えるジャンルだよ。」
「へぇ~ありがと!」
ふとその時、夢の中で見たリサのことを思い出した。
俺の勧めたものには目もくれず、薄暗い図書室でキスをせがんだ彼女を。
思い出して少し恥ずかしくなって目を伏せると、リサが本棚を指さして俺の腕を取った。
「あ、あれ知ってるよ。友達が映画化したの観に行ったって・・・」
くっついたリサの体がぎゅっと押し当てられて、思わずビクっと体が動いた。
「どうしたの?」
「・・・あ・・・何でもないよ、大丈夫。」
そう返した俺に対して、リサはふっと不安な表情を落とした。
そしてさっと組んだ手を解いて、何故か無理に笑顔を作る。
「薫くんは何読むの?」
「・・・ああ・・・えっと・・・ちょっとこの辺り探して読みたい物探すね。」
そう言うとリサは頷いて先に席に戻った。
どうしよ・・・リサ気まずそうにしてたな・・・
下心あるって引かれたかな・・・
もう何度もデートしているし、キスもした仲ではあるけど、いくら何でもデート中にやらしい夢を思い出して反応するなんて、どう考えても気持ち悪いよな。
心の中で反省しながら、目を滑らせる本の背表紙に、俺はまったく焦点が合っていなかった。
けれどこういう場合、違和感をそのままにして何もなかったように時間を過ごすより、きちんと謝罪を述べた方がいいのは明らかだ。
いやらしいことを考えていたのは事実なんだし、正直に、誠実であろうと誓ったんだから。
人間というのは、気持ちを隠すとすれ違う。
ぶつけることが怖くて避けると、関わらなくなる。
まぁいっか、と思ってしまうと、希薄な付き合いしか続けられなくなっていく。
俺は自分の過去でそれを十分に学んでいた。
大切にしたいと思う人には、必死にならなければ縁は切れてしまうし、自分の気持ちを伝えた上で拒絶された時が、本当に諦める時だ。
そんなことを思いながら、何とも思っていない適当な本を取ってボーっと眺めた。
けど・・・二人から好意を向けられている俺は、どちらかを拒絶する側だ。
恐れ多いな・・・二人ともあんなに良い人なのに。
いっそ騙されてる方が楽なもんだと思ってしまう。
最近の物語では決まって主人公が不遇な目に遭い、大事な人から裏切りを重ねられて、読者に衝撃や絶望感を味合わせて作品の印象をより濃くする。
そしてそこからの大逆転劇、などが流行っている漫画や小説に多い気がした。
「クローバーの約束・・・」
手に取った本はそんなタイトルだ。
クローバーは葉っぱの数だけ花言葉がある。その一つは復讐。
ついていた帯を見る限り、これは純文学の皮をかぶった復讐劇なのかもしれない。
けど俺は作品を読むときにそんな刺激は求めていないので、穏やかでドラマチックな恋愛小説が好きだ。
目を覆いたくなるような酷い話は、現実で十分だし。
平凡で幸せな日常を生きている人は、そういうものが娯楽として快感だったりするんだろうか。
だとしても自分が書くときにそんな話書こうとは思えないけど。
俺はさっと元の場所に戻して、好きな作家で作品を探した。
やがて気になる一冊を手にしてリサの元へ戻ると、彼女は頼んだココアの湯気がもう消えているのに、一口も飲んだ様子もなく、夢中になって文章を目で追っていた。
彼女の気を散らせないためにゆっくり椅子に腰を下ろし、俺も最初のページを開いた。
コーヒーやケーキの香りが漂う中、作品の中に没頭して、頭の中で自分一人の映画館を作り上げている気分になる。
リサもそうなんだろうか・・・
一章目を読み終えてちらっと視線を向けると、彼女もきりのいいところにたどり着いたようで、ふぅと肩をすくめて満足そうな表情をしていた。
そして俺の視線に気づいていつもの可愛らしい笑顔を見せる。
「えへへ・・・めっちゃ没頭して読んじゃった・・・。すっごく読みやすいね、面白いし。」
「でしょ?実はね・・・」
俺は作品の裏話を語る前に、さっきの気まずい雰囲気を思い出して黙り込んだ。
けどこの静かなブックカフェで、わざわざ説明することでもない気がする。
少し思案していると、リサは小首を傾げて言葉を待っていた。
「・・・その作品書いた作者はね、俺の高校の文系部の先輩なんだ。」
「・・・えっ!高津くんが!?」
リサは声量を抑えながらも驚愕して目を見開いた。
「あ、違うよ?えっと・・・咲夜先輩じゃなくて・・・俺たちよりも年上のOBの方が、高校生の時に書いた作品なんだよ。」
「あ・・・そうなんだ!へぇ~!それもすごいね!・・・へぇ・・・」
リサは何かを考え込むように黙って、少し困ったように口元を持ち上げた。
「せっかく来たんだけどね・・・私・・・薫くんに聞いてみたいことたっくさんあって、でもなんか・・・静かでもこういう公共の場で聞くようなことでもなかったりしてね?二人っきりになりたいなぁって思っても・・・おうちはダメだもんね?」
リサは何か込み入った話をしたいのかもしれない。
でもさすがに掌を返して了承するわけにもいかない。
「そうだね・・・。そうだ・・・二人っきりで完全な個室って考えるなら、カラオケとかは?」
「あ・・そっか、いいね!薫くんの歌聞きたい!」
「いや・・・俺は歌える曲ないよ・・・流行の曲聞かないし・・・。二人っきりで話したいってことじゃないの?」
「あ、そうだね。じゃあ・・・どうしよ・・・せっかく薫くんが勧めてくれたから、私この本買って帰るね。」
「そう?まぁ家でゆっくり読んでほしい気持ちはあるかな。」
そう言って二人して頼んだ飲み物をゆっくり飲みつつ、他愛ない雑談に花を咲かせた。
カラオケは密室だし、大事な話をしたい時はプライベートな空間になりうる。
・・・けど・・・下心ある男が女の子を連れ込む場所でもあるのかな・・・
途端に提案を間違った気がしてきて不安になったけど、特にリサは気にしていないようだったので、後から弁明しようと思った。




