第三十九章
講義を終えた後、隣にいた夕陽はダラっと体を突っ伏して言った。
「なぁ薫~・・・」
「なに?」
「好きだよ~。」
ホントに周りを気にせず言うんだな・・・
「夕陽・・・その・・・周りの目があるからさ、聞かれたら変な噂されちゃうかもよ?」
「はぁ?前も言ったろ、同じこと言わせんのか?」
また優しく微笑むと、夕陽は構わず俺の頭を大事に撫でた。
「可愛いなぁ・・・。」
大きな手が気持ちよくて何も言えなくなったけど、彼の後ろに人影が見えて、思わず夕陽の手を掴んで下ろした。
すると夕陽は珍しく傷ついた顔をした。
「朝野くん、一緒にかえろ~?」
先ほどの夕陽の友人が案の定声をかけて来たので、俺は「じゃあね」と言い残して素早く席を立った。
それで構わないと思ったし、夕陽は他の友人たちと仲良く帰ると思った。
「薫!!」
人並みに紛れて講義室の入り口を出ようとしたけど、夕陽の慌てて俺を呼ぶ声が聞こえた。
尚も女性は夕陽を呼び止めていたけど、夕陽は返事すらすることなく俺を追いかけて来ていた。
廊下で夕陽につかまるより前に、図ったようにスマホが鳴って、思わずアラームを止めるような勢いで電話に出てしまった。
「あ、もしもし薫くん?今大丈夫?」
「あ・・・うん・・・」
夕陽は俺の後ろで立ち止まって、通話の邪魔をしないように待っている様子だった。
「週末のディナーデートの話なんだけどさぁ・・・良かったらうちに来ない?手料理ご馳走したくて。」
「いやそんな・・・悪いよ。・・・それなら食材費俺が出すよ。」
「いいの!おうち来てもらうの嬉しいし・・・私が作った編みぐるみとかぬいぐるみとかあるからさ、見てほしいし。」
「そうなんだ・・・。まぁじゃあわかったよ。」
リサが一人暮らしなのは承知の上だったけど、近くにいる夕陽が気になって早く会話を終わらせた。
また詳細は連絡してもらうことにして、早々に通話を切って、彼を振り返った。
「・・・何で逃げんの・・・」
「いや・・・さっきの女の子が話したそうにしてるから、と思って・・・」
そう思ってキョロキョロすると、尚も先ほどの女性は廊下の先で他の人たちと固まりながら、夕陽を気にして声をかけるタイミングを計っているようだった。
「ほら・・・友達待ってるよ。」
俺が視線を送りながら言うと、夕陽はちらっと振り返って「じゃあちょっと待ってて」と言って彼女たちの方へ歩き出した。
いつものようににこやかに2、3会話を済ませて、また夕陽は俺の元へ戻ってきた。
「今日は一緒に帰れないって伝えといた。一緒に帰ろ、薫。」
背の高い夕陽の穏やかな笑みを見上げて、少し気まずくなりながらも頷いた。
隣を歩く夕陽はそれでもきっと、彼女たちからの視線を向けられてるんだろう。
そしてたぶんきっと、声をかけていた女の子は夕陽のことが好きなんだろうな。
半歩後ろを歩きながらそんなことを考えていると、夕陽はパッと手を差し出した。
「繋いでいい?」
「・・・いや・・・・構内だし・・・」
「ん~?薫は男である俺と手ぇ繋いで誤解されんの嫌?」
「そ・・・じゃなくて・・・。さすがにさ・・・付き合ってるわけでもないのに・・・」
「ん・・・まぁそうか・・・」
納得したように笑って、夕陽はまた隣を歩いた。
「・・・部屋ではあんなエロいキスしたのにな~」
「・・・・・」
半ば頭がパニック状態で、からかい半分な夕陽に何も返せなかった。
「薫・・・ごめんな?」
「・・・え?」
「別にお前に迷惑かけたいとか、意地悪したい気持ちは一ミリもないからさ・・・。大学では触んなっていうならそうするし、誰かに好きなのかとか聞かれても答えるなっていうならそうするよ。薫が嫌だと思うことは絶対したくないからさ。」
さっきまでの笑顔が消えて、夕陽は真剣なまなざしで言った。
「ん・・・まぁ・・・恋人同士じゃないのに、スキンシップ多いのは考え物かなって・・・」
「そっかそっか、まぁ恥ずかしいもんな薫は。じゃあやめとくよ。二人っきりのデートの時とかはいい?」
「・・・うん・・・・いや・・・キスはしないよ?」
俺が思いだしたようにそう言うと、夕陽はにやりと口角を持ち上げて「は~い」と返した。
「そいやさっきの電話だいじょぶだったん?」
「ああ・・・うん。リサとちょっと・・・食事の約束を・・・」
「食事・・・」
二人でゆっくり校門を抜けて、駅方面へと歩き出す。
「ん・・・?でもさっき薫、食材費は出すって言ってなかったか?それって・・・部屋に呼ぶってこと?」
鋭いな・・・
「呼ぶというか・・・来てほしいって言われたね。」
「・・・ふぅん?佐伯さんって実家?」
「一人暮らしだよ・・・。」
「あれ・・・俺が言うのもなんだけど、それは薫が自分で決めたことに反してるんじゃねぇの?」
「そうだね・・・。さっきは早く通話を切り上げたくて了承しちゃったから、後から謝って外食にしてもらうよ。」
「それは・・・俺が気を遣わせたんだとしたらごめんな。でも・・・薫が行きたいなって思ってるんなら行ったらいいんじゃねぇの?」
俺は今まで夕陽と話し合ったことを頭の中で巡らせながら、飄々と答える夕陽の気持ちを測れずにいた。
「それは・・・どういう気持ちで言ってるの?」
夕陽は特に表情を変えず、まっすぐ前を見て歩きながら続けた。
「・・・別に、友達としてのアドバイスとして言ってるよ。少しでも気がある女の子に誘われたんなら、行きたいだろ男なら・・・。でもそれは薫が決めることだから、俺は行ってもいいんじゃねぇの?と思う程度だけどな・・・。それとも・・・本音聞きたい?」
どんどん話すトーンが落ちて元気をなくしていく様を見て、胸が苦しくなってくる。
「俺が先に本音を言うよ・・・。そりゃ俺も少しは家に行ってみたいなっていう気持ちはある。でも二人に対して誠実であろうって決めたし、二人のことを真摯にもっと知って仲良くなっていきたいなって思ってるから・・・そこには下心なく付き合いを持ちたいし、リサには申し訳ないけど、自分の気持ちをちゃんと伝えた上で断るよ。」
「そ・・・。」
夕陽はそれ以上何も言うことなく、聞くこともなかった。
俺は何をしてるんだろう・・・。
大事な友人が、俺に好意を向けてくれてるのに、それに甘んじて、他に好きな子がいるんだってフラフラして・・・。
「薫、俺が傷ついたと思った?」
駅に着いて足を止めた夕陽は、俺の目の前に立って微笑んだ。
「・・・いや・・・その・・・」
「俺はお前が決めたやり方ならそれでいいと思ってるよ。相手をよく知りたい、仲良くなりたいっていう薫の気持ちは正しいと思う。俺はそりゃ・・・お前に恋してるから・・・一喜一憂することくらいあるよ。でも別に一々俺を気遣わなくていいから。前も言ったろ?誰かを傷つけることなんて日常茶飯事だって。まぁ・・・傷つけないようにしようする薫の優しさはいいと思うけどな。」
「・・・うん、ありがとう。」
夕陽はまた一つ息をついて、鞄を肩にかけ直して踵を返そうとした。
「じゃ・・・「待って」
「・・・ん?」
「俺は二人をよく知りたいって思ってるんだ。夕陽は・・・さっき何を思ってたの?夕陽の本音も聞きたいよ。」
彼はきっと、そうやって相手の気持ちを優先する人なんだろう。
自分はこれでいいんだって、丸く収まればって・・・じゃあ夕陽が正直に気持ちを全部吐き出せる人って誰なんだろう。
「夕陽が・・・もし親友がいて、俺のことや周りのことの全てを聞いてくれるならそれでいいのかもしれない。気を遣わなくていいってさ、それは夕陽が気を遣って言ってくれてるだけだよね。俺が言いたいことをハッキリ伝えさせてくれるなら、夕陽もぶつけてほしい。対等でありたいし、それが本当の友達だと思うから。」
俺のその拙い言い分を、夕陽は人波が流れる駅前でじっと聞いてくれた。
ふと・・・ここで先輩と立ち止って、先輩を誘うように話していたことを思い出した。
けれどあの時とはまるで違う。
夕陽は先輩程身長はあっても、全然違う人だ。
俺のことを真剣に考えて接してくれるのは同じでも、そこには好意の有無に差がある。
夕陽はしっかり俺だけを見て、俺のことだけを考えて話してくれるんだ。
俯く俺に、彼はまたゆっくりため息を漏らした。
「そうだな~・・・そうかもなぁ・・・。薫も俺の親友になってほしいもんな・・・。」
夕陽はそう言って諦めたような、今度は可愛い笑顔を見せた。
「講義中、ずっと隣にいる薫のこと見ていたかった・・・。本当は毎回同じ講義の時は、隣に座りたいって思ってる・・・でも隣に居たら気になるし、可愛いなって眺めたくなるし、集中できないからいつも離れて座ってるんだよ。ホントは近くに居たい・・・誰よりも。正直・・・離れて座ってても、友達に色々声かけられて話してても、薫が座ってる場所は常に把握してるし、ずっとチラチラ見てるし・・・マジで俺気持ち悪いと思うけど・・・。さっき・・・頭撫でて振り払われて・・・あれ、俺なんか悪いこと言ったんかなって不安になって、薫が気まずそうにしてて怖くなって・・・でもどっか行かれんのも不安だったから思わず追いかけた・・・。電話してても誰と話してんのかなぁってめっちゃ気になった・・・。佐伯さんと二人で食事するって聞いて、死ぬ程嫌だと思った。行かないでほしいなぁって今も思ってる・・・。けど薫が決めたことに従いたいっていう気持ちは本心だよ。なぁ・・・俺んちにも来てよ・・・」
「え・・・?」
「さっきそういう予定を立てたくて話してたんだよ・・・。俺んちは実家だからいいだろ?タコパしようぜ、タコパ。」
夕陽は気を取り直したようにそう言った。
「えっと・・・タコパってなに??」
「・・・・マジか・・・・」




