第三十八章
しつこく晴れ渡って暑い日は、次第に流れゆく雲のように過ぎ去っていった。
10月に入ると学際シーズンで、サークルで催し事をする人たちが慌ただしくなる気配を感じる。
俺は講義室の近くにある掲示板をふと眺めた。
最初にリサと会った場所だ。
そこには学際の広告もたくさん貼られていて、中でもミスコンとミスターコンはメインイベントらしく、出場者ももう決まっているようだった。
こういうの・・・先輩が出たら優勝待ったなしだろうなぁ・・・
そのほか特に心惹かれる情報もなくその場を後にすると、いつものように図書室に向かう途中、廊下で一塊になっている人たちに何となく目が行った。
「おお、薫」
「あ・・・先輩・・・こんにちは。」
そうか、経済学部の人たちって講義室がこなへんなのかな・・・
友人らしき人達と居た先輩は、俺を見かけて爽やかな笑みで声をかけてくれた。
すると3人の中の友人の一人が、俺を見て、あ!と声を上げた。
翔 「こないだ咲夜が学食でいちゃついてた子じゃん!」
子供っぽい可愛らしい顔立ちをした人が、俺を見て嬉しそうに言った。
「いちゃついてたってなぁ・・・やめろよ誤解を招く言い方・・・」
先輩がそうたしなめると、残りの2人は特に何も言わず俺を何となく眺めている。
気まずい・・・
「あ・・・あの・・・」
確かに学食で一緒に食べていた時、いちゃついてると言われてもしょうがないことはしていたし、弁明できない。
適切な返しがわからずにどもっていると、今度は明るい声が俺に助け舟を出してくれた。
「薫くん!」
廊下の先からポニーテールにしたリサが、主人を見つけた子犬の如く駆けて来た。
「え~!偶然会えるの嬉し~♡何してんの?」
チラシの束を抱えたリサは、可愛く小首を傾げて瞳をキラキラさせた。
「え・・・ああ・・えっと」
先輩にチラリと視線を戻すと、気を遣ったように手を挙げてそのまま4人で歩いて行った。
「・・・あれ?・・・私もしかして邪魔しちゃった?」
先輩たちを振り返りながら、リサは心配そうにするので慌ててかぶりを振った。
「ううん、ちょっと見かけて挨拶してただけだよ。」
「そうなの?・・・ふぅん・・・ていうか薫くん・・・高津くんの知り合いだったんだ?」
不思議そうにするリサはどうやら、小説の中に書いていた先輩の正体に気付いていないようだ。
俺はそっと口元をリサの耳へ持って行った。
「高津先輩が・・・俺が小説に書いてた好きだった人だよ。」
「・・・え!!そ・・・!そうなんだ!あ・・・そっかぁ・・・・そっか・・・。」
リサは納得しながら俯いた瞳をきょろきょろさせて、若干顔を赤らめていた。
「えへ・・・そうなんだねぇ・・・。あ、薫くん今日時間ある?」
「時間・・・講義終わってからはバイトだから時間ないけど・・・。今は空きコマだからあるよ。」
「そうなんだ!私は今日もう講義終わっちゃって、学際用のサークルで作ってる作品の続き頑張るんだぁ。良かったら薫くんにも見てほしいなぁって・・・」
「そうなんだ、もちろんいいよ。」
以前からリサに自作品の写真を色々と見せてもらっていたので、いったい何を作っているのか興味があった。
二人で談笑しながら廊下を歩き進めて、一度だけ訪ねたことがあった部室にやってきた。
「今日は誰もいないから緊張しなくていいよ~」
リサは最初に二人で訪れたことを思い出したように言って引き戸を開けた。
調理室から奥の部屋へ入ると、その中央にはたくんの大きな人形が集まってポーズを取っていた。
それはぬいぐるみもあり、あみぐるみもあり、艶やかなビスクドールもあり、種類を問わず一つのテーマの元で色を決められ衣装を着せられているようだった。
一つ一つ固定されて壇上に乗せられていて、きっとそのそれぞれの作者は違うんだろう。
「すごいね・・・」
俺が感嘆の声を漏らすと、リサは自分の編みぐるみを持ってきて側に座った。
「でしょ~?テーマは『個性』なの。私が作ってるこの猫ちゃんはね、可愛いリボンも後でいっぱいつけるつもり。」
リサはそう言って大事に持ち上げて見せた。
俺も同じく隣の椅子に腰かけて、棒針を動かす手元を覗いた。
白と黄色の毛糸で作られたその猫は、可愛らしく目の部分に細かくまつげになる毛糸までつけられていた。
「可愛いね。」
何となくリサに似ている気がしてそう言った。
「でしょ~?ふふ・・・でもね、この子はおしゃれして可愛いけど、男の子なの。」
「そうなんだ?」
「うん。薫くん知ってる?三毛猫ってね、オスはすっごく希少種なの。」
「・・・へぇ、そうなの?」
「そ、全然生まれないんだって。だから高値で取引されちゃうこともあるみたいで・・・。でもね、この子はオスである価値がついてる自分じゃなくて、可愛いメスネコに憧れがあって、可愛く着飾ることが大好きなの。お金でついてる価値より、自分が好きなものを大事にする、個性を大事にするっていう価値を自分で見出してるよっていう・・・私が付け加えてるこの子のお話で、作品で伝えたい事。」
「・・・そっか・・・。すごいねリサは。それを作品として自分で表現出来るんだ・・。」
俺がそう素直に感想を漏らすと、リサはクスクス笑いながら俺の顔を見た。
「何言ってるの?薫くんだってそうじゃん。・・・読ませてもらった小説、あれはノンフィクションだったけど、ちゃんと作品として昇華されてたよ?薫くんが表現したい自分の性について、周りの環境から学んだことも、自分の在り方も全部がしっかり詰まってて、作品としても、薫くんっていう一人の人間としても素晴らしいものだと思ったよ。高校生でしかも短編作品で、あそこまでまとまってわかりやすくて、伝わりやすい書き方出来る人そうそういないんじゃないかなぁ。」
思っていた以上に評価されて、それがリサの口からそんなに流暢に聞かされて、俺は正直呆気にとられた。
「ね、もっと読んでみたいなぁ薫くんの小説。今は書いてないの?」
「・・・書いてたけど・・・進行してないね・・・。」
「そうなんだ・・・残念。」
また手元の毛糸をリズムよく編みながら、リサは髪の毛をすっと耳にかけた。
その耳に少し傷跡のようなものが見えたので、俺はそっとつまむように触れた。
「ひゃ!」
「あっ・・・ごめん・・・。」
静かな空間でリサの高い声が響いて、俺までビックリしてしまった。
恥ずかしそうにはにかむリサに、今度は触れないように尋ねた。
「いや、耳に傷跡があったから・・・どうかしたのかなって。もしかしてピアスが空いてた穴?」
「あ・・うん、しばらくしてないから、いっかなぁって思って・・・。もうふさがっちゃったね~。でもイヤリングはたまにするんだぁ。耳に飾りが揺れてるのって何だか可愛いし・・・よく失くしちゃうけど・・・」
「そっか・・・」
リサにはどんなものが似合うんだろう・・・と考えて、ふと思い出したことを聞いた。
「ねぇ、リサって誕生日いつ?」
「誕生日?バレンタインデーだよ。」
「そうなんだ!?・・・へぇ、じゃあ俺と近いね。」
「え!薫くんいつ?」
「12日だよ。」
「え~~!そうなんだぁ!え~なんか嬉しい♡」
リサは手元の毛糸を見たり俺の顔を見たり、忙しそうにニコニコしながら両足をパタパタさせた。
「え、え、じゃあさ~当日は薫くんの誕生日ケーキ作って持って行っていい?」
「ケーキ・・・作ってくれるの?」
「うん、ホールケーキは何度も作ったことあるよ。薫くんどういうのが好き~?」
そんな風にしばらく談笑しながら、リサの作業を眺めていた。
楽しそうに編みながら好きなものについて教えてくれる彼女は、いつもイキイキしている。
嬉しいも楽しいも分け与えてくれるリサは、俺に元気をくれる天才に思えた。
やがて一時間ちょっと二人きりの時間を過ごして、ちらっと時計を見やった。
「あ、薫くんそろそろ講義室行く?」
「あ~うん・・・そろそろ行っとこうかな。」
「ありがとう、付き合ってくれて。」
製作中の猫をそっと置いて、リサは立ち上がる俺に名残惜しそうにくっついた。
「えへ・・・あっという間に時間過ぎちゃうなぁ・・・もっと一緒にいたいなぁ・・・。ね・・・薫くん週末空いてたらデート行こ?」
「あ~・・・今週末は土日両方とも朝から夕方までバイトで・・・」
「そっか・・・。じゃあ夜ご飯一緒に食べに行かない?」
「・・・わかった。じゃあまた行きたい所があったら連絡してくれる?」
「うん!連絡する~。」
嬉しそうなリサに見送られて、俺は講義室までの廊下を歩いた。
そうだ・・・先輩にも連絡入れなきゃ・・・
少し余裕をもって講義室に入り、まだ人がまばらな窓際の端っこに座った。
鞄を置いて中身を出そうと手を入れた時、静かに隣に誰かが腰かけた。
「よ・・・おつかれ。」
「夕陽・・・おつかれ。」
普段同じ講義を受けていることが多くても、彼はいつも俺とは離れた場所に座っている。
友達と固まって座っているようなので、あえて声をかけることもなく、かけられることもないので、何となく一緒には座らずにいた。
俺が鞄の中身を出しながらいると、夕陽から尚も視線を感じた。
近距離で夕陽の顔を見てしまうと、どうしても自宅でいちゃついてた時のことを思い出してしまう気がした。
何度も強請るようにキスした自分を思い返して、恥ずかしくなってくる。
「どこにいたん?」
「へ?」
唐突にそう聞かれて、思わず気の抜けた声が出た。
「・・・さっき、空きコマんとき。」
「え・・・ああ、ちょっとリサのサークルの部室に行ってて・・・」
「・・・ふぅん?薫サークルはいんの?」
いつもと変わらない調子で会話しているはずなのに、夕陽のその声から何となく威圧感を覚えた。
「いや、入らないけど・・・。学際用の作品を見てほしいって誘われて、そこでちょっと話してたんだ。」
俺はまるでやましいことがあって探りを入れられている気分になりながら、夕陽の顔をチラチラと伺った。
「そっか・・・。」
夕陽は相槌だけ打って、長い手足をぐ~っと伸ばしていつもの気だるい笑みを浮かべた。
「・・・・夕陽・・・もしかして、図書室で待ってくれてた?」
自惚れかもしれないので、一か八かで聞いてみた。
するとまっすぐ前を向いている視線だけが俺を見て、少し寂しそうな笑みに変わった。
「そ~だよ~?ふ・・・でも別に俺が勝手に待ってただけだから。連絡すんのもなぁって思って・・・。良かったわ、連絡入れてたら邪魔しちゃうもんな。・・・佐伯さんといちゃついてた?」
「別にいちゃついては・・・ない・・・と思うけど・・・。」
正直に答えようにも判定が難しかったので濁した。
「ふぅん。まぁ詮索しねぇわ。んなことよりさ・・・週末デートしようよ。」
周りに人がちょこちょこ座り始めたにもかかわらず、夕陽は堂々とデートと口にした。
「・・・えっと・・・土日どっちもバイトで・・・。」
スマホのスケジュールアプリを開いて確認すると、夕陽は重ねるように言った。
「別に週末じゃなくても、放課後デートでもいいし、薫の行ける時いつでもいいんだよ。」
「そうは言っても・・・俺が空いてる時必ず夕陽が空いてるわけじゃないんじゃ・・・」
夕陽は少し思案しながらスマホを開いて、思いついたように言った。
「じゃあさ、夕飯行ける時いつでもいいからさ・・・今度
「朝野くんいた~」
机の脇から顔を覗かせて声をかけて来た女性が、夕陽と俺を交互に見た。
「お~どしたん」
「冬真の誕生日会のことだけどさ~」
ニコニコと夕陽に話しかける恐らく同じ学部の女性は、特に俺を気にすることなく会話を始めた。
もうすぐ講義が始まる頃合いだったので、俺は準備を整えてまたスマホに視線を落とした。
すると一頻り話し終わった女性が、机に身を乗り出すようにして俺の顔を覗き込んだ。
俺がパッと視線を向けると、榊さんと呼ばれていた彼女はニッコリ笑顔を作った。
「かわい~。朝野くんの友達?」
「え・・・はい・・・」
「え、めっちゃ可愛いね~。メイクしたら絶対女の子に見えるよ。」
俺が曖昧に苦笑いを返すと、夕陽が榊さんの頭をポンポンして声をかけた。
「ほらほら、もう教授来るし、あっち座ってなよ。」
「ん、じゃあまた連絡入れるね!」
女子大生らしい可愛い格好をした彼女は、ネイルをした綺麗な手を振って離れていった。
「ごめん、薫・・・話の途中だったな。」
「え・・・ああ、うん。」
声をかけられたことにビックリして若干まだソワソワしていた俺に、夕陽はまた優しい声で話し始めた。
「俺も絶対可愛いと思うわ~」
「何が?」
机の下にあった俺の右手を、夕陽はそっと握った。
「化粧したら可愛くなるって話・・・。いや、しなくても可愛いけど」
内緒話をするように低い声が近くから聞こえていて、違う意味でまたソワソワしてしまう。
「そう・・・。夕陽は・・・女の子みたいな俺が好きなの?」
「んなわけ・・・。どんな薫でも好きだよ」
しれっと当たり前のように返す夕陽が、友達としても、それ以上の意識があっても、隣に居てくれることが嬉しかった。
リサにしても夕陽にしても、誰かが隣に座っていてくれるって、心地のいいことなんだなと、改めてしんみり思ってしまう。




